012 友達という存在

 翌日の昼。外は雲で一面覆われており、残念ながらお出かけ日和とはいえないが、天気予報によると雨は降りそうにないのでそこは安心である。


 雫は1週間ぶりにオシャレな服に着替え、髪をセットしに洗面所へ。


「雫、大丈夫なのか?」

「もう大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、父さん。それより、今日から出張だよね」

「あぁ。今日の夕方ごろに家を出るから、雫が帰った時にはもういないかもな」


 後ろから徹が声をかける。今日から出張であるが、まだ時間があるということで相変わらず家用の全身真っ黒のラフな格好をしている。この服の選定は正直、雫には少しダサいと思ってしまう。


「火曜日の夜までだっけ?」

「今のところはな。もしかしたら、水曜までもつれ込むかもだけど」

「わかった。気を付けて行ってきてね」

「雫もな。もしなんかあったらすぐに連絡するんだ。約束だ」

「分かってる。でも、明日から学校行くなら早めに慣れないとさ」

「それもそうだな」


 髪をセットし終わり、昨日支度した荷物を持って玄関へ。靴を履くのももちろん1週間ぶりである。


「いってきます」

「いってらっしゃい、雫」


 徹に見送られながら玄関のドアを開ける。1週間暖かい家にいたこともあり、一気に体に寒さが押し寄せる。


 あまりの寒さに身震いしながら歩き始めた。もちろん、首には宗太にもらったマフラーを付けている。冷たい息を吐きながら空を見上げると一面変わり映えしない雲が広がっている。


 茜との集合場所はである。これは二人で取り決めた約束だ。最初雫は違う場所を提案していたが、宗太のことを忘れてはいけないという茜の説得により雫も気持ちを変えて受け入れた。


 時刻は12時50分。集合時間は13時である。交差点に到着した雫はまだ茜が来ていないことを確認した後、ポケットの中に手を入れ、シルバーに光る小さなリングを取り出す。——宗太に渡す予定だったリングである。もちろん雫の右小指にはリングが(少しぶかぶかではあるが)しっかりとはまっている。


 しばらくリングを手に握りながら周りの風景を眺める。毎朝ここで宗太と集合していたため、ここに来た回数は何百回とある。あらゆる思い出が脳裏を次々とよぎり、気持ちが少し沈んでしまう。


「——おっはよ雫。この時間ならこんにちはのほうがいいのかな」

「……わっ。急に抱き着かないでよ茜。お久しぶり」


 しばらく寂しい気持ちになっていると後ろから思いきり茜に抱きつかれ、勢い余って倒れそうになる。


「ごめんごめん。会った時から暗いのは嫌かなって思って」

「……心配してくれてありがとう。でも大分落ち着いてきたからさー」

「よかった。……私も他人のこと言えないんだけど」

「それはね……」


 茜も雫と同じように学校を休んでいたわけだから、完璧に立ち直ったとは言えないだろう。お礼としてハンカチを渡した相手が翌日に亡くなるなんて考えたくもないのは当然の話である。


「……その手に持ってるペアリング、どうするの?」

「とりあえず家に置いておこうと思うんだ。宗太のことやっぱり忘れたくないの」

「雫が前向きになって嬉しい」

「前向くしかないからだよ。……もう過去は戻らない」

「偉いよ雫は」


 茜が頭をよしよしとしてくる。普段なら咄嗟に手を払っているところだが、今日はそうする気分ではなかった。


「茜もね」


 茜が手を除けると今度は雫が茜の頭をなでなでしてあげる。


 ——傍から見たらある意味バカップルなのかもしれない(?)。


「……とりあえず近くのファミレス行こーか、茜」

「うん」


 1分ほどなでなでしたところでファミレスへ移動して始める。たまに吹き付ける冷たい風が体を身震いさせる。


 歩くこと5分。近くのファミレスへ到着し店内へ。


「いらっしゃいませー。2名様でよろしいですか?」

「そうでーす」


 日曜の昼時ということもありそれなりに店内は混雑しているが、待ち時間なく窓際の4人がけ席に案内された。


 茜は席に着くなり、メニューを開いて一人悩んでいる。実はこう見えて、茜は本当によく食べる。


 ここのファミレスには宗太とも何回も来ている。宗太はここへ来ると必ずカフェオレを頼んでいた。カフェでもないのに不思議であったが、本人曰くここが一番うまいらしい。


「私このハンバーグステーキとトマトのスパゲッティとライスとイチゴパフェで」

「食べすぎだよ茜」

「いいじゃん。ここ最近ちゃんと食べてなかったから」


 いつもに増して多く食べようとしている茜に少し感心しながら、雫もメニューに目を向ける。


「……私はチーズグラタンでいいかな」

「それだけでいいのー?」

「……あとイチゴパフェと……カフェオレ」

「宗太君おいしいって言ってたもんね」


 ちなみに雫もここでカフェオレを頼んだことはない。雫はカフェに行くとき以外は基本的にコーヒーは飲まないのである。


「じゃあ注文しちゃうね」


 そう言って店員を呼ぶと茜はすらすらと注文していく。この辺りは茜の優しいところである。


「……ねえねえ雫。正直に聞いていい?」

「いいよー」


 注文を終えた後、茜は少し静かな声で語り掛けてきた。そこには寂しげな目をした茜がいた。


「宗太君が亡くなって……私辛かった。やっぱり友達が亡くなるなんて信じられなかったから。……もちろん雫の彼氏だったてのもあるけど」


 茜は俯きながらゆっくりと話している。その瞳には光がないように雫には見えた。


「私でここまで苦しいから、雫はもっと苦しいと思う。だって彼氏じゃん。今まで一緒にいた人が急にいなくなった」


 いつもとは違うゆったりとした口調で話す茜の言葉を、雫も俯きながら聞いていた。少し寂しげな表情をしながら。


「それに雫は宗太君の葬式とかにも全く関われてない。大切な人に別れも言えないなんて私だったら嫌だ。雫は私なんかより何倍もつらいはず」

「……茜」


 茜の言うとおりである。雫は本当に辛かった。別れも言えないまま二度と会えないことになってしまった。


 寂しげな目のまま、でも少し凛々しい表情で雫は茜の視線を捉えた。


「……私、今すぐ宗太に会いたい。もう一回宗太とお話ししたい。もう一回手を繋ぎたい。もう一回食事に行きたい。……でもそれはもう叶わない」

「お待たせしましたー。カフェオレでございます」


 重たい雰囲気を他所に店員がカフェオレを雫の前に置く。うっすらとカップに見える波紋に目を落としながら雫は言葉を紡いだ。


「……だから、いつまでも引きずっているわけにはいかない。私の人生はここで終わるわけじゃないから。少しでも前進し続けなきゃいけないから」


 雫の言葉を静かに聞いていた茜は、少し間を置いたあと、ニコッと笑って雫のほうを見た。


「……さっきも言ったけどやっぱり雫はすごい。雫見てたら私も前向かなきゃって思った」

「今は受験に向けて勉強することが大事だけどね」

「……そうだね。辛いけど頑張ろうか」

「お待たせしましたー、トマトのスパゲッティとチーズグラタンです」

「ありがとうございます」


 そう言ってフォークとスプーンを持った茜は再び雫のほうを見た。今度はとびきりの笑顔で。


「食べよか、雫」

「うん」


 こうして食べ始めた二人はたわいもない話で盛り上がった。この1週間何をしていたのか、雫のカウンセラーの身長がやたらと高い話など、二人は1時間ほど会話に花を咲かせていた。


 ——もちろん、茜はしっかりと完食していた。

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