010 全ての始まり
「……う……うっ……」
——未だはっきりとしない意識のままゆっくりと重い瞼を開く。白い見知らぬ天井が雫を出迎えた。
「目が覚めたか、雫」
隣から声が聞こえる。視線を声がしたほうへ動かすとそこには父である徹がいた。悲しげな瞳でこちらを見ている。
「……父さん」
「心配したぞ雫。しばらく目覚めなかったんだから」
「……ここは?」
「病院だ。雫は意識を失ってここに運ばれたんだ」
どうやら意識を失ってしばらく目が覚めなかったらしい。少しずつ機能し始めた脳をフル回転させ、今の状況を懸命に理解しようと試みる。ふと窓の外を見ると、既に真っ暗だった。
「今っていつ?」
「12日の夜8時半だ。学校で倒れたと聞いたときは心臓が飛び出しそうだったが」
段々と意識を失う前の記憶が戻ってくる。今日は学校で自主練をしてて……ということはだいたい10時間以上意識がなかったことになる。
「私、銃技場で……」
「そう。そこで君と友達の子と倒れてるところを先生が見つけて救急車を呼んだってことらしい」
友達の子。——宗太のことだ。今日の出来事が徐々に雫の脳裏に鮮明に蘇ってきた——。
※※
——パァァァン。
銃声が銃技場にこだまする。手を伸ばした雫はそのままバランスを崩し、宗太に寄りかかるように倒れた。
「うっ……」
そっと目を開けると目の前に宗太の顔があった。
「宗太、だいじょう……」
声をかけようとしたのも束の間、ふと宗太の胸のあたりが熱くなっていることに気づく。体を起こそうと手を動かすと、何か液体が手に付着した気がした。
その手を顔の前に持ってきた雫はそのまま固まる。真っ赤に染まった掌を雫の視線が捉えていた。
「……えっ……」
恐る恐る宗太の胸部を確認する。そこには絵の具を大量にこぼしたかのように制服が真っ赤に染まっていた。
そしてふと、体に小さな穴が開いていることに気づいてしまう。
「……ああ……あああ」
体がガタガタと震えている。先程から宗太は全く動かない。もう一度宗太の顔を覗き、閉じられたままの瞼をゆっくりと上げた。
白目をむいた宗太がそこにはいた。
「きゃあああああああああああ」
※※
——それから記憶がない。
「……宗太は……宗太はどう……なったの?」
少し震えている体を必死に抑え、徹に尋ねる。
「彼は……亡くなったよ」
「……えっ……」
——亡くなったよ。その言葉が頭の中で何度もこだまする。体がさらにガタガタと震えだす。
「……そんな……」
「銃弾が彼の心臓を貫いていて即死だったらしい。……雫、宗太君は彼氏さんだったんだろ。彼の親御さんから聞いたよ。……俺は今まで知らなかったが」
「……」
雫は無言でこくりと頷く。今の雫には徹としっかり会話を交わせるほどの気力はほとんど残っていなかった。
「……先に言っておくが、雫は検査で体に異常はないことが分かっているから明日には退院できるんだそう。……精神的なショックに関しては今すぐに何とかできるものではないが」
徹が雫の目を見ることもなく、淡々と話し続ける。
「あと、今回はあくまで宗太君の不注意で招いた事故であるから、雫への処罰は特にはないそうだ。銃技場の監視カメラで、一連の流れは俺も含めて警察や学校側も確認済みであるから安心しなさい。それと、先生がその場から離れたことも事故の原因として挙がっている」
「……私、宗太の銃に触れた……」
「……それは結果的にそうなっただけだ。最初から悪意があって手を出したわけではないことくらい俺にもわかる」
「……でも」
「いいか、雫」
徹は伏せていた視線を上げ、雫の視線を捉える。
「今回雫に怪我がなかったのは不幸中の幸いだ。銃口の向きがもう少しずれていたら、雫も致命的な大けがをしていた可能性だってある」
「……でも私がちゃんと……言っていれば」
「雫、今回は奪われる命が一つで済んだんだ」
「だからって……!」
雫の声が病室内に響き渡る。少し鋭い目つきで雫は徹を見つめていた。
「私が……すぐに指摘すれば……こんなことにはならなかった。……宗太が死ぬこともなかった」
「……雫」
「だから……私が処罰を受けないのはおかし……」
「雫っ!」
徹が雫の言葉を遮る。雫は少し驚いた表情で徹を見つめた。徹は一度大きく息を吐くと、再び雫に正面から向き直った。
「……今、本当に辛いと思う。あまりに理不尽だって思っていると思う。でも雫、起こってしまったことはもう戻らない」
徹の言葉に雫は下を向くしかなかった。未だに体は震え続けている。
「どれだけ悔やんでも、どれだけ苦しくても、過去を変えることはできない。どれだけ願ったって無かったことにはならない」
徹がやさしく語り掛けるように言葉を淡々と紡ぐ。
「だから、雫。今できることはひとつしかない。前を向くことだ。前を向いて次に進むしかない」
段々と落ち着いてきた雫は徹の言葉を静かに聞いていた。目には光るものを浮かべながら。
「……宗太」
一粒の涙が頬をつたる。
「……雫、俺はそろそろ帰る。明日、もう少し元気になったところで詳しい話をまた聞こうと思う」
そう言って徹は静かに立ち上がると、病室の扉の前へ移動し、一度止まった。
「……今は気持ちの整理がなかなかできないと思う。今日は時間をかけて自分と向き合ってほしい……。明日9時にまた来る」
扉を静かに開け、そのまま病室を去っていった。独りでに扉はしまった。
雫は涙が止まらなかった。制御しようとしてもしきれない、普段は表に出ないような感情が今は爆発していた。
「……宗太……そう………た……」
——静かな病室の中に小さな嗚咽が響いていた。
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