第6話 教頭先生

 十年ぶりくらいの母校だった。

 小学校を卒業してから、いろいろあったはずなので、この十年は長かったのだろうと思っていたが、実際に校門をくぐると、

「まるで、昨日までここに通っていたかのように思えるくらいだ」

 と感じたのだ。

 一応、校長先生に挨拶に行っておいた方がいいだろうということで、下見がてら、挨拶に行った。下見と言っても、元々いた学校なので、道順などは知っている。それよりも、自分がいた頃と何か違っていれば分かるだろうという思いからだったが、それは不可能であることに気づいた。

 しょせんは、目線が違っていた。

 あの頃はまだ小学生で、地面にかなり近かった感覚だ。

 大人になって校門をくぐった時に最初に感じたのは、

「あれ? こんなに狭いグラウンドだったかしら?」

 というものだった。

 校舎だって狭く感じた。あれだけ、正門が広いと思っていたのに、両手を広げれば届きそうなほどではないか。

 それを思うと、自分の目線がどれほど高くなったのかということを思い知らされた。本当に背が高くなって、大人になったのである。

 校庭では、せわしなく生徒が走り回っている。まわりに気を遣う子供なんて一人もいない。それを見ると、

「私の時代もこんなだったのかしら?」

 と、少し違っていたように思えた。

 ここまで放任主義ではなかったと思うと、そこには、自分が小学生だった頃と、事情が変わってきていることに気づかされたのだった。

 以前から、言われてはいたが、それは一般社会の会社でのことであり、やっと、今学校という社会に根付いてきたということなのかも知れない。

 それはコンプライアンスの問題であり、会社でいうと、

「セクハラであったり、パワハラなどという、いろいろなハラスメントと呼ばれるものだ」

 ということであった。

 そういえば、大学の事務所の近くにある掲示板に、厚労省のポスターとして、コンプライアンスに対しての注意喚起を促す内容のものが書かれていた。

 イラストで、セクハラ、パワハラのたぐいのことを描いていて、その下に箇条書きでいかなるものが対象かと書かれていた。

「コンプライアンス違反によって苦しんでいる人は、一人で悩まずに、相談窓口へ」

 と書かれた下に、フリーダイアルの番号が書かれていた。

 どれほどの人がこのポスターを見て、自分が受けているハラスメントに耐えられずに相談窓口に連絡しているのか?

 そして、そのうちのどれくらいの人が、相談窓口で相談して助かっているのか、統計結果と教えてほしいものだと思った。

 ただ、漠然と、

「連絡をしてほしい」

 と書かれているだけなら、本当に相談したことの守秘義務さえ守られているかどうか分からない状況では、誰が信用して、連絡などするというのだろうか?

 学校というところも、ハラスメントがあったとしても、それは種類が違っているだろう。だから、一般企業とは違った対応を迫られるわけで、その専門家がどれほどいるかというのも問題だった。

 どうしても、一般企業の数の多さや、それによるハラスメントが後を絶えない様子であれば、こちらを重視してしまうのも無理もないことである。

 教職員の人が、結構辞めたりしているのも多いと聞いたが、話によると、

「精神を病んでしまって、辞めなければいけないところまで追い込まれてしまっている人が多い」

 と聞かされたことがあった。

 学校で一体何が起こっているのか、よく分からないが、校門を入ってすぐではさすがに分からなかったが、過去の自分が知っている小学校とは何かが違うということだけは、うっすらと感じられるようだった。

 確かに小学校とはいえ、精神的に病んでいるのは先生にも生徒にもいた。

 苛めの問題もどんどん低年齢化していき、小学生でも陰湿なものがあったりした。保護者からすれば、

「先生の教育が行き届いていないから」

 と言われるであろうし、教師側とすれば、

「小学生であれば、躾は親の問題」

 ということになるのだろう。

 それでも、聖羅が赴任した学校は、まだそこまで大きな問題にはなっていなかったのは、京都の施策がある程度うまくいっていたからなのかも知れない。

 部活の問題も教頭の発案で成立したものであって、それ以来、学校が活性化されたからなのか、大きな問題はそれほど起こらなかった。

 最初は、部活の話が会議の議題に出た時は、先生たちの中には反対する人も多かった。それは当たり前のことで、自分たちがいずれは顧問をしなければいけないことは分かっているからだ。

 小学校というのは、専門的分野だけを教えるわけではなく、国語、算数、理科、社会、さらには、芸術的な分野も体育まで、担任が面倒見なければいけない。

 それを思うと、教頭のやり方のせいで、自分たちが忙しくなったり、責任が増えてしまったりすることに懸念があったのだろう。

 しかも、前例のないことを始めるのだから、どちらに結果が転ぶのか分かっているわけではない。テスト的に行うことに自分たちが利用されてはたまらないと思ったのだろう。

 さらに、教育委員会が、この小学校を、

「モデル校」

 に指定したのだ。

 うまくいけば、手柄は発案者である教頭のもの。それを考えても、一介の教師とすれば、不満しかないのも仕方のないことであった。

 聖羅がこの学校に赴任してきた時、小学校での部活などという発想はなかった。ただ、

「何か手を打たなければならない」

 ということはあったようで、教育実習の時に、教頭と面会した時、

「坂上先生は、何か小学生にもできるような、画期的な活動ってないですかね?」

 とチラッと聞かれたことはあったが、それも、教頭の声が小さくて聞き取りにくいくらいのものだったので、聖羅の意識の中には残らなかった。

 教頭に挨拶にきた時、教頭は、

「先生たちの立場についても、いろいろ考えるところがあったりしてですね。でも、最近では世間的にコンプライアンスの問題や、男女雇用均等などの問題もありますので、結難難しいところもあります。私としては、気を付けているつもりなんですが、坂上先生も何か気になることがあれば、私に言ってくださいね」

 と言われた。

 聖羅の方でも、コンプライアンスに関しては、自分の目線の問題などからちょうど考えていたので、

「この教頭なら、私の意見と似たところがあるかも知れないわ」

 と感じていた。

 教室に入って、教頭と目を合わせた時は、なんとなく怖い感じがしたが、実際にはそうでもなかった。

 話をしてみると、優しさがにじみ出てくるような人で、

「さすが、年齢を重ねただけのことはある」

 と感じさせる人だったのだ。

 聖羅は、自分が教育学部にいることや、教師を目指しているという観点から、文芸サークルで書いていた小説には、どうしても、小学校であったり、中学校というシチュエーションをよく書いたものだ。

 自分が小学校に赴任した場合であったり、中学校に赴任した場合など、

「どんな教育をするだろう?」

 という考えや、

「どんな学校が自分を待っているのだろう?」

 ということを想像し、その中に、奇妙な味であったり、ミステリー的あ話を悪露混ぜたりした。

 舞台が学校ということもあり、発想が結構狭くなるということも、小説のネタを考えるうえで、少し楽だったのかも知れない。

 小学校にしても、中学校にしても、義務教育である。どうしても、教育委員会や、PTAの力が大きくなるのは致し方のないことだ。それを思うと、教育委員会やPTAを、

「仮想敵」

 として見るというのも、一つの考え方として、面白い気がした。

 したがって、聖羅は自分が、教師になった時、どのような感情になるのかということを小説にしたためておいたのだった。

 小説においては、いくらでも言いたいことも言える。しかも、フィクションということにしておけば、少々の発言は許されるというものだ。

 ただ、奇抜なことを書いたわけではない。あくまでも、奇妙なお話やミステリー色を高めるという意味での話であって、話がまとまれば全体の中で埋もれてしまうものだと思うのだった。

 自分でもストレス解消にもなるし、話として面白ければそれでいいと思っている。しょせんはプロでもないし、プロを目指しているものでもない。そもそも、プロを目指しているのであれば、

「質よりも量」

 などという考えもなく、自分の実力をつけるための努力を惜しまないだろう。

 教師になってからも続けられる趣味という意味で、今でも文芸サークルに籍を置き、後輩から質問があれば、指導していくくらいのつもりではいたのだ。

 教頭先生との面談(世間話)の時、

「坂上先生は、何かご趣味などはおありですか?」

 と言われたので、

「小説を書いたりすることですね」

 と答えた。

「ほう、それはなかなか珍しいですね。私の知り合いでは少なくとも小説を書いているという人を聞いたことがありませんね」

 と言われた。

 バスケットをやっていたことは、中学時代だけのことだったので、今さらそれをいう気はなかった。

 そのことを教頭に話したのは、正規採用となり、

「部活の顧問として、何かできることは?」

 と聞かれた時に、自分でもバスケットをしていたことを忘れていたくらいだったのを、思い出させてもらったという感じであった。

 バスケットのことはともかく、

「坂上先生は、教師を続けながらでも、小説を書いていこうと思っていますか?」

 と聞かれた時、

「ええ、できるなら続けていきたいと思います。でも、もちろん、本業は教師ですから、教師の仕事に差し支えない程度にやりたいと思っています。」

 と答えた。

「よろしい。教師であっても、自分の興味を持ったことを趣味として続けていけることはいいことだと思います。それが、教師としての仕事の糧となるのであれば、それに越したことはありませんからね」

 と言われた。

「はい、バスケット部の顧問も引き受けますし、小説の方もできるだけ書き続けていきたいと思います」

 と答えた。

「確か、君は、K大学の教育学部だったっけ?」

 と言われて、

「はい、そうです」

 と答えると、

「あそこの社会学の教授に、本山教授という人がいると思うんだけど」

 と聞かれて、

「ええ、もちろん、知ってます。私の所属している文芸サークルでもよく協力を願っているんですよ、教授も小説を書かれるようで、たまに、投稿されています」

 というと、

「ああ、そうなんだ、私は本山教授とは大学の時の仲間でね、たまに交流があるんだけど、まさか彼が小説を書いているなどという話は初めて聞いたよ。ちょっとビックリだね」

 と教頭は答えた。

「そうなんですね。お知り合いだったんですね。本山教授は、あまり目立つ方ではなく、サークルに原稿を持ってくる時も、申し訳なさそうに持ってくる方だったんですよ。控えめな方だなとは思っていました」

 というと、

「ちなみに、本山君はどんな小説を書いているのかな?」

 と聞くので、

「そうですね。家族のアットホームなお話などが多いようですね。やはり家庭持ちの方は、そういう小説に憧れるんでしょうかね?」

 というと、教頭は少し苦み走った顔になり、

「そうですね」

 と一言言って、黙ってしまった。

「何か余計なことを言ってしまったのかな?」

 と考えて気まずい雰囲気を感じた聖羅は、それ以上自分から話をすることはなくなったので、教頭も話をすかさず変えて、すぐに終わるような話に持って行ったのだった。

 その時の教頭の苦み走った顔は、なかなか忘れられるものではなかった。だが、聖羅はすぐに忘れた。それはきっと、その時の教頭の顔を、

「まるで夢でも見ているような気がする」

 と思って見たからだったのだろう。

 教頭がその時以外、怪訝な顔をすることはあまりなかった。

 他の教師の前ではどうかは分からないが、少なくとも聖羅の前で、そんな表情になることはなかったのだ。

 まさかとは思うが、

「前に自分に対して、怪訝な表情をしてしまったことで、二度と、あんな表情を私の前ではしないようにしようという誓いのようなものを立てているからなのかも知れない」

 と感じた。

 そこまで律儀な人はなかなかいないと思うが、接すれば接するほど、教頭という人物の奥が深いということが分かってくると、意外と教頭であれば、そのような誓いもあるかも知れないと感じたのだった。

 教頭は、最初から、結構聖羅に興味を持っているようだった。今年の教育実習生は、聖羅一人だというのもあったのかも知れない。

 しかも、同じ学部の本山教授とも知り合いだというではないか。教頭はそれを分かっていて、聖羅を教育実習生として受け入れたのかも知れない、まさかとは思うが、本山教授からのお願いも含まれていたのかも知れないと思ったが、それも、自分の母校が、知り合いの小学校だったという偶然が、招いたことだったのかも知れない。

 それを思うと、偶然とはいえ、この小学校、いや、教頭先生とは、何かの因縁があるような気がしていたのだが、教育実習も終わり、無事にこなすことができたことで、自分の赴任先が、この小学校になる可能性もあると、勝手に思い込んでいたのだった。

 そして、実際に卒業間近になって、赴任先がやっと決まり、そこが想像通りの母校であると聞いて、最初に浮かんでいたのは、学校全体のイメージと、教頭先生の顔だった。

 ニッコリと微笑んだその顔は、自分が小学生の時の教頭とは、かなりイメージが違うといえた。小学生の頃に教頭先生だった人は、いつもしかめツラをしていて、絶えず生徒の前を歩いているという雰囲気だったが、今の教頭は、教師の前を歩いている教頭であって、生徒の前に直接現れるようなことはしない人だったのだ。

 ただ、二人とも、学校の代表であることには変わりなく、PTAや、教育委員会などの矢面に立って、自ら行動するタイプであることは共通している。

 それを思うと、

「適材適所というべきか、教頭になるべくしてなるような人が、いつもどの学校にも存在しているということであろう」

 と思った。

 それは、教師を長年続けていると、そういう先生になる素質を皆が持っているということなのか、それとも、やはり教頭というのは、

「選ばれた人間がなるもの」

 ということで、どこの学校にもいるというのが、偶然でしかないということなのだろうか?

 中学校の教頭も、高校の教頭も、イメージとしては、それほど目立つ人ではなかった。問題が起これば矢面に立たされるというのは変わりはないが、小学校の教頭のように、しっかりと対応できる教頭という雰囲気がどうしてもしなかった。

「自分が、大人になっていく過程で、教師というものを見ているからではないだろうか?」

 と感じられた。

 中学、高校の教頭というと、どこか、校長の代理というイメージであり、それだけに、教頭が何かの対応を迫られることに直面した時、教頭の判断一つで、局面はまったく変わってしまう。

 そういう意味では、相当なプレッシャーがのしかかってくることであろう。

 中学、高校の教頭に、そのプレッシャーをはねのけられるだけの力量があるようには思えなかった。実際に、自分が中学生、高校生の立場になって、先生を見るからであろう。

 高校生の時は、共学だった。

 進学した高校は、野球の強い学校で、いつも県大会ではいいところまで行っていて、過去には何度か全国大会に進出したこともあったという。

 最近では、全国大会から少し遠ざかっているようだったが、そのせいか、野球部自体が少し崩れているかのようだった。

 それを象徴するかのように、野球部員が他校の生徒と、問題を起こしたということだった。

 まるで当然のことのように、高野連に地区大会の出場を辞退するという判断になった。

 これも当然のことのように、マスコミは報道し、出場辞退と新聞は雑誌で大きく報道したのだ。

 そこに、教頭の談話も載っていたが、

「我が校の生徒が、他校の生徒にご迷惑をおかけして申し訳ないことをしたということを真摯に受け止め、野球部の対外試合の一年間辞退ということにさせていただきました」

 と書かれていた。

 どのようなトラブルがあって、相手校との間にどのような話し合いがもたれたのかということは一切報じられず、

「問題が起こったから、野球部は、連帯責任として、対外試合の停止処分を行った」

 という報道しかされていない。

 つまり、関係者の間だけで片付けられ、学校の方で最善を尽くす形になったのだろうが、とばっちりを受けたのは、真面目に連中に勤しんでいた野球部員たちである。

「俺たちは何もしていないのに、どうして出場を辞退なんかしないといけないんだ」

 と思っていることだろう。

 確かに昔から、野球部員だけでなく、同校の生徒が不祥事を起こせば、野球部は大会への出場辞退というのは、慣例になっている。

 しかし、いつも辞退するのは野球部ばかりで、他の部が出場辞退というのはあまり聞いたことがない。それだけ野球は注目されているからなのか、それとも昔からの慣例に基づいているからなのかと思うと、実にやっていられない気持ちになるというものだ。

 それを判断するのは、最終的には教頭であろう。そして、校長がその意見に賛同するという形ではないだろうか。

 そういう意味では学校での決め事は、

「教頭先生が決定したことを、校長が承認する」

 という形のところも多いのではないだろうか。

 ただ、表向きには、あくまでも、最終決定者は、校長ということになるのだろうが、学校によって、決め方も違ってきているのかも知れない。

 そういう意味で、高校の教頭というのは、絶大な権限を持っているので、その人間性によって、その先が決まってしまうということが理不尽な結果を及ぼしていると言えるのではないだろうか。

 すべての決定権が教頭にあるわけではないだろうが、結果だけを見れば、その時の事情がどうであれ、結論は決まっていることであろう。

 確かに出場辞退などというと、生徒も可哀そうだと言われるだろう。

 しかし、学校側としては、今までの慣例から、

「出場時代というのは、法律における判例のようなものであり、学校関係者が起こした不祥事に対しての責任の取り方だ」

 ということで、世間は納得してくれる。

 そうしなければ、学校側の態度を疑われてしまう。要するに、学校の面子とプライドが大切なのだ。

 学校の信用をなくせば、進学しようとする生徒が激減し、せっかくのよかったであろう偏差値も下がってしまうことになる。

 そうなると、数年後には教頭が責任を問われかねない。

 もちろん、その不祥事が起こった時、そこまで考えたのかどうか分からないが、世間の風潮に逆らってまで、学校の評判を落とすことは、教頭としては絶対にできないことだったのだろう。

 教頭という立場は、世間や、教育委員会、保護者の矢面に立って、その風を一身に受けなければいけない。そういう意味で、精神的にしっかりした人であること、そして、ここまで堅実に自分の地位を積み重ねてきたという自信を持っている人でないと務まらない、

 中学、高校時代の教頭と、小学生の時のような優しさだけが表に出ていた教頭のどちらが教頭としてふさわしいと言えるのかどうか、聖羅には分からなかった。

 しかし、今回赴任する母校にいる今の教頭は、自分が教師になり、今度は上司として見なければならない相手としては、尊敬できる人ではないかと思うのだった。教頭先生というものが学校の顔であるとすれば、今後ともそのつもりで見ていくつもりであったのだ。


               

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