第5話 文芸サークル
高校生になってから、茶道を極めようと思った彼女は、高校卒業の時点で、すでに段を持っていた。
中学時代のバスケット部しか知らない人は、さぞやビックリしていることだろう。茶道をきわめて、大和撫子を地で行っている彼女の素質は、
「おしとやかな女性」
として花開いたのだった。
しかも彼女は、和歌にも精通していて、お茶会で一緒に歌詠みの会を催された時、いつも優秀賞を受賞していた。和歌の世界に手も、彼女の名は、県下では広く聞かれるようになっていたのだ。
高校生になってからの彼女しか知らない人は、誰もが、
「バスケットをしていたんですって? 今の彼女からは、想像もできないわ」
と言われていた。
逆に、最初、中学の彼女しか知らない人が、今の彼女を見て、
「まるで別人だ」
と言っていたのが、少しすると、
「やっぱり素質があったんだな」
と、今のその姿に違和感を感じなくなっていた。
何が彼女をそう見させるのか分からなかったが、結論として、
「やはり、大和撫子の素質を持って生まれていたのだろう」
という思いであった。
その彼女と、聖羅は、大学に入学して再会した。
彼女の名前は、林田由衣と言った。
中学時代は、同じバスケット部だったのに、あまり話をすることはなかった。それは、聖羅の側に、後ろめたさがあったからだ。
いくらコーチの作戦とはいえ、クラスメイトを欺くことに、罪悪感があったのだ。
それ以外のところでは、コーチの人間性は、非の打ちどころがなかったのに、ある意味、場合によっては、鬼になれるというのも、コーチとしては必要なのかも知れない。
だから、大学に入ってからも、彼女が同じ学部で近しいところにいるのは分かっていたが、聖羅の方から話しかけるつもりはなかった。
「どうせ、私のことだって忘れているに違いないんだから」
という思いだった。
しかし、意外なことに、
「あれ? 坂上さん? 坂上聖羅さんでしょう?」
と、当の本人である由衣から話しかけられた。
「えっ、ええ、お久しぶりね」
と、明らかに狼狽して答えていたにも関わらず、彼女はまったくそんなことは気にも留めず、
「中学のバスケ部以来だから、三年ぶりになるかしら? 元気だった?」
と言われて、バスケ部ということを、隠す様子もないことで、さらに、戸惑った気持ちになった聖羅だった。
「ひょっとして、私が、中学時代にバスケットをやっていたことを、隠したいと思っているのかしら?」
というので、無言で相手の気持ちを察するかのように、様子を見るような素振りで頭を縦に振ると、
「そんなことはないわよ。あの頃はあの頃。今は今よ」
と言って、ニッコリと笑ってくれた。
最初はどうしていいか分からなかったが、由衣の顔を見ているうちに、気が楽になってきた。
「本当に、私と話をしていて、嫌な気分になったりしない?」
と言ったが、
「何言ってるの。声を掛けたのは私の方よ。嫌だったら、自分から話しかけたりなんかするはずないわよ」
と言ってさらに笑顔になったが。彼女の言っていることはまさにその通りであり、明らかに聖羅の考えすぎではないだろうか。
「それもそうよね。今もバスケット続けてるの?」
と聞くと、
「いいえ、私は高校に入ってから辞めたわ」
というので、
「そうなんだ。私は高校までは続けてた。でも、大学に入ったら、今度は違うことをしたいと思うようになったの」
というと、
「それはどういうものなのかしら?」
と、彼女は興味を持って聞いてきた。
「私のやってみたいことは、何もないところから新しいものを創造するということをしてみたいの。だから、何か芸術的なことに挑戦したいと思っているのよ」
というと、
「それいいわね、私は高校時代には、茶道をやっていて、時々、和歌も詠んだりしていたんだけど、何かを作り出すというのは、和歌をやっていて、その時に感じた感動を思い出させるものがあったのを、思い出してきたわ」
と由衣は言った。
「茶道って、私はよく分からないんだけど、いわゆる、わびさびの世界というものになるの?」
と聞くと、
「ええ、そうね、礼儀作法もそうなんだけど、お茶室などにも個性があって、お花なども、絡んでくる気がするの。茶道にしても、華道にしても、日本古来から家元などとして続いているものは、それぞれにつながりがあると思っているの。でも、そこに、モノを作り出すという概念をどうして感じなかったのかということが、今から思えば、残念な気がするわ」
というのだった。
二人とも、教育学部への入学だったのだが、どうして教育学部にしたのかは、聖羅としては、小学校の先生をやってみたいという気持ちがあった。
受験勉強にかかわることなく、自由に勉強を教えられるのが小学生だと思ったのが一番の理由だったが、それは、まだまだ自分が将来のことをしっかり考えていなかった証拠だと、大学に入ってから感じるようになったのだ。
「私は、目指す道を中途半端にしか考えていないのかも知れないわ」
と、聖羅がいうと、
「それはしょうがないわよ。大学に入学した時点で、卒業後の明確なビジョンが見えている人なんて、ほとんどいないと思うわ。麦僊と将来について考えていて、大学在学中に、進路を変えてしまう人だって結構いるでしょう? 医者や看護婦、弁護士などの法曹界を目指す人などは、国家試験があるので、そう簡単に道を変えることはできないだろうけど、それ以外であれば、進む道を変えようとする人も、結構いるのではなでしょうか?」
と、由衣が言うのだった。
「私は、高校時代から、漠然と教師になりたいと思っていて。最初は中学か高校がいいと思っていたのよ。一つの科目を専門に勉強して。その科目の先生として赴任すればいいからですね。小学生はそうはいかない。高学年になってからの芸術的な科目以外は、ほとんどの授業を担任がすべて教えるということで、実は、小学校の先生が一番大変なのではないかと思うようになったんです」
と、聖羅は言った。
「私は、高校の先生がいいかな? 逆に私は一つの教科に特化するような形を取りたいのよ」
という由衣に対して、
「その学問っていうのは何なの?」
と聞かれて、
「私は、歴史の研究をしてみたいの。特に近代史とか、面白いと思うのよ」
というではないか。
女性は歴史などの科目は敬遠する。聖羅は嫌いではなかったが、まわりの女性のほとんどは歴史が嫌いだといい、なぜなのかと聞いても、まともに答えられる人はいなかった。それだけ漠然とはしているが、歴史が大嫌いだというのは、女性特有の何かが、歴史という学問と接することのないものがあるのかも知れない。
「歴史って、女性は皆敬遠するのにね」
と聖羅がいうと、
「そうなのよ。皆理由も分からず敬遠しているみたいなんだけど、私もどうして皆女性が敬遠するのか分からないの、暗記科目だと思っているからなのかしらね?」
と由衣がいうと、
「でも、女性の中にも、歴史に対して異常なくらい興味を持つ人だっていますよね。最近では、歴女なんて言葉があるくらい、歴史に興味を持っている女性もいるくらいですからね」
「そうそう、両極端なんですよ。でも、さっきの暗記科目という感覚なんだけど、昔ならいざ知らず、ゆとり世代で考えると、歴史は決して暗記物ではないはずだと思うんだけど、どうなんでしょうね?」
「それが問題なんじゃないのかな?」
と聖羅が言った、
「どういうこと?」
「暗記物として覚えさせられてきた世代の人たちが、今度はゆとり世代に教師として教えるわけでしょう? 習ってきたことと違う教育をしなければならない。今までの教師は自分が習ってきたことを思い出しながら教えていたと思うんだけど、今度はまったく違った教育方針、したがって、先生がよく分かっていないところで、生徒に教えるわけなので、そりゃあ、まともな教育なんてできないわよね。先生が戸惑っているんだから、生徒ができるわけはない。当然、歴史が分からないということになり、嫌いになるというのも、理解できないわけではないかな?」
というのだった。
「聖羅さんは、今そのことを感じているのね。ひょっとすると、この話題にならなければ、ずっと、疑問のままだったかも知れないわね」
と、由衣に言われ、
「うん、それは間違いないと思うわ。私も今ここで由衣に話をしている自分に酔っているくらいの感覚ですもん」
と、聖羅は答えた。
「どちらにしても、カリキュラムが、コロコロ変わるというのは困ったものよね。きっとそのうちに、ゆとり世代というのが問題になって、また以前のようになるんだろうって思うわ」
という由衣の意見を聞いて、
「うん、私もそう思うわ。何にしても、行き過ぎると反動というものがあるから、元に戻ろうとする作用が働くからね」
と聖羅は言った。
「今、教育現場では、生徒の学力低下が問題になっているみたい。決められたカリキュラムが、今のゆとり教育の時間だけでは、どうしようもないというところのようなの。だから、昔のような時間でなければ、教えきれないということになるんだろうけど、でも、学校の週休二日制をまた、以前のように、土曜日を半ドンにするという考え方に戻るのかしらね?」
と由衣がいう。
「でもね。教育の時間だけが問題じゃないと思うのよ。これは昔からの問題でもあるんだけど、レベルがバラバラのクラスにしてしまうと、結局、どこに合わせて教えるかということが一つの問題になると思うのね。成績のいい生徒に合わせるのか、それとも、落ちこぼれに合わせるのかね」
と聖羅がいうと、
「成績のいい人に合わせて、どんどん先に進んでしまうと、分からない生徒はどんどん落ちこぼれていく。かと言って、成績の悪い人に合わせると、成績のいい生徒は、学校に来る意味がないくらいに学校では、まるでストレスをためにきているようになるんじゃないかしら?」
と由衣が言った。
「昔の学園ドラマとかでは、成績のいい生徒に合わせて、落ちこぼれを作って、それが不良化することを懸念した、いわゆる「青春学園もの」と言われる番組があり、海に向かって、バカヤローと叫んでみたり、田舎の駅のホームで、ラグビーボールをパスしあいながら、ホームを走ると言った。今だったら、滑稽にしか見えないことを、真剣に演じていたそんな青春学園ものだからこそ、落ちこぼれを助けるというドラマができたんだよね。今はどうなんだろう? 逆に成績のいい人や頭の切れる人を置き去りにして、彼らの才能を殺してしまったような教育現場になっているわけなので、ここまで時代が変わってしまったということなのかしらね?」
と、聖羅が言った。
聖羅は、どうやら、昔のテレビにも詳しいようで、漠然としてとは言っているが、ひょっとすると、ビデオなどで、かつての先生ものの作品は結構見ているのかも知れない。
「腐ったミカンの方程式」
という言葉が生まれた、あの学園ドラマだったり、破天荒な先生が暴れまわるような学園ものであったり、逆に今の時代は先生にスポットが当たる番組はほとんどなく、生徒が主人公の話が多く、それらは学園ものではなく、恋愛だったり、生徒同士の友情だったりする作品が多いと思われる。
それらのドラマについての意見を由衣に話すと、
「なるほど、興味深いお話ね。ドラマというのは、どうしても、視聴率の問題だったり、スポンサーの意向に沿うものであったりと、何かに偏るということはしょうがないところでもあるけど、少なくとも、その時代に逆らうにしても、共感するにしても、時代背景を無視することはできないものよね。そう考えると、時代によって、ドラマも変わってくると考えると、ドラマから時代が見えてくるのかも知れないわ。これこそ、ドラマの歴史と言えるのではないでしょうか」
と、由衣はそう答えた。
「私はまだ、教育というものをよく分かっていないからなのかしら、どうしても漠然と教師をやりたいと思っただけで、そう思ったことで、昔のドラマを見てしまうというのは、ベタ中のベタと言ってもいいのかしらね? 自分でも滑稽な感じがするのよね」
と聖羅は言った。
「でも、あなたは、何かのきっかけで、教師になりたいと思った。でもそれが何か分からないので、それを知りたいと思ったから、ドラマを見てみたわけでしょう? その気持ちを私は笑うことはできない。分からないことを、分からないというだけで、終わらせてしまわないところが、あなたのいいところだと私は思うのよ」
と、由衣はいったが、これが誉め言葉なのか、それとも皮肉から出てきた言葉なのか、ハッキリしないところが、由衣にはあったのだ。
そんな話をしていた二人だったが、二人は、その後、
「どのサークルに入るか?」
ということで、意見を戦わせた。
「どうせなら、同じサークルで活動したい気はするわよね」
と言ったのは、聖羅だった、
「私もできれば、そうしたい」
と、由衣も同じ意見だった。
二人の関係性としては、聖羅が最初に言った意見に対し、由衣が同意するか別の意見をいうかというような関係性だった。聖羅の意見に同意する可能性としては、ほぼ九割以上は賛成のようで、由衣が疑問を呈したり、別の意見を口にするというのは、実にまれなことであった。
他の人が見ていると、二人の関係性とすれば、
「聖羅が主導権を握っていて、由衣がその後ろに控えているというような関係性に見えるかな?」
という意見が多かった。
しかし、どちらかというと、
「聖羅が先に進もうとするのを、由衣が冷静に見定めている」
というものだと、二人は思っていた。
「まるで、衆議院と参議院の関係のようだわね」
と、由衣がいうと、
「微妙に違うように思うけど、大まかにいうとそういう感じなのかも知れないわね。人に一言で説明するとすれば、一番しっくりくる答えなのかも知れないって、私は思うかな?」
と、聖羅は答えた。
二人の関係性は、その後も変わることはなかった。
逆に、そんな頑なな関係だからこそ、少しでも意見が変わったりすると、お互いにぎこちなくなることもあるようで、喧嘩もたまにであったが、してしまうと、ただではすまない、そんな状態になってしまうのだった。
「私たちのような友達って珍しいのかも知れないわね」
と、由衣が言った。
由衣にもその時、自分たちの関係がどういうものなのかは分かっていたが、なぜ、時々仲たがいまでしてしまうのかということが分かっていなかった。
冷静に考えれば分かると思っているくせに、冷静に考えているはずだという矛盾した思いが、頭の中に去来するのだった。
由衣と二人で入ったサークルは武芸サークルだった。由衣とすれば、以前、茶道をたしなんでいた時に、和歌を作っていたこともあり、古典文学は好きだったのだ。しかも、自分で新しいものを作り出すということで、文芸というのは、おあつらえ向きと言えるのではないだろうか。
聖羅の方は、
「小説を書きたい」
と思っていた。
小学生の頃、作文だけは褒められた記憶があったので、文章を作ることは嫌いではなかった。しかし、
「文章を書くというのは、実に難しいことだ」
という意識が強くあったので、まるで別の世界のことのように思っていた。
しかし、新しく作り上げることが好きだと言った由衣に感化されたようになり、
「自分にもできるかも知れない」
と感じたことが、小説を書いてみたいと思うきっかけになったのだ。
大学での文芸サークルは、一年に何冊か機関誌を発行していた。もちろんそれだけではないのだが、機関誌発行が一番のイベントだと言ってもいいだろう。
フリーマーケットや、同人誌関係のお店に置かせてもらったりして、細々と活動していた。
部員は、二十名ほどいるのだが、半分以上は幽霊部員のようなもので、その人たちがいつ活動しているのか分かったものではなかった。一度も会ったことのないという人も結構いて、当然のことながら、機関誌に作品が載ることもない。
「何が楽しくて、名前を連ねているのかしら?」
と思ったが、どうやら学校から部員の人数に合わせて、予算が出るということなので、幽霊部員であってもなんであっても、名前だけ入っているということにしておけばよかったのだ。
大学もさすがに誰が幽霊なのかなどということをいちいち詮索はしない。物理的に不可能なのであって、それだけ、サークルの数もハンパないくらいに存在していたのだ。
テニスサークルだけでも、数十個のサークルがあり、幽霊部員だけでできているようなサークルもあるくらいだ。それに比べれば、ちゃんと機関誌まで出して活動していることが分かっているこの文芸サークルは、まだマシな方ではないだろうか。
文芸サークルで実際に活動しているのは。、六人くらいではないだろうか。
部長と副部長と幹事長を除けば一般部員は三人ということになる。だから、小規模ではあるが、機関誌には、いくらでも投稿ができるというものだった。大体小説を投降する人は、三作品以上くらいを載せている。
もちろん部費だけで足りるわけもなく、アルバイトで稼いだお金を機関誌発行に使うということにしている。
「自分たちでお金も出し合って作る本だから、それだけに貴重なものですよね」
というと、部長も、
「これがうちのサークルの売りなんですよ。すべてを予算の中で行うわけではなく。自分たちが稼いできたお金で作るところに意義がある。しかも、中身は自分の作った作品でしょう? 売れる売れないの問題ではなく、発表することに意義があるというものですよね」
と、言っていた。
聖羅は、いつも五作品くらい用意していた。三作品までは、絶対に載せてもらえるが、予算内で、作品が足りなければ、追加で載せてもらえる。実際には皆三作品を作るのが精いっぱいなので、後の作品も漏れなく載せてもらえることが多かった。
だから、いつも、巻頭と巻末の作品は、聖羅の作品であった。
ジャンルとしては、オカルトやミステリーが多く、
「奇妙な味」
と呼ばれる作品を作っている。
少し長めの作品で、他の人は、ショートショートに近い短編が多いが、聖羅の場合は、中編に近い短編を書いている。他の人の作品の倍くらいの分量なので、作品のボリュームは十分である。
表紙のイラストは、副部長が絵心もあるようなので、いつも書いてもらっている。どちらかというと、副部長は、挿絵担当の部分が多く、文章による作品は、一作品に限られることが多いが、挿絵の才能は相当なもので、副部長の存在感は、それだけでもかなりのものであった。
「副部長の絵は、本当にすごいですね」
というと、
「いやいや、坂上さんの作品が、僕の絵に合っているのかも知れないですね。読んでいて、僕の創作意欲が沸いてくるんですよ」
と、いうのだった。
お世辞なのかも知れないが、褒められて嫌なきはしない。それは、聖羅に限ったことではないのだろうが、特に聖羅はおだてに弱い方だった。
「ありがとうございます」
と答えると、自分がこのサークルに入って本当によかったと思った。
最初に褒められると、こちらも創作意欲が沸くというもの、それまでの半分自分に自信がなかった毎日とは打って変わって、それからは、必要以上に創作意欲が余りあるくらいのものとなった。
それからは、一日一日があっという間に過ぎるようになり、以前は、毎日の時間を持て余していて、中途半端な時間をすごしていた自分が情けないくらいだった。
だが、少しでも時間がもったいないなどと感じたことのなかった自分がそんな風に感じるなど、実に毎日が充実していると感じさせられるのだった。
「これが本当の大学生活の醍醐味というものなのか?」
と感じた。
することがあって、時間がもったいないと思うことがこれほど、毎日を充実させてくれるものかと思うと、誰かと一緒にいること自体がもったいなくなってきた。いわゆる、
「友達付き合い」
が億劫になり、皆から、
「付き合いが悪いな」
と言われるようになったが、それでもよかった。
ただ、つるんで過ごす毎日がいかに無駄な時間を過ごしているだけのことだったのか、初めて知ったのだ。楽しそうにしていても、見る角度が違えば、
「あの世界に戻りたいなどとは思わない」
と感じるのだった。
確かに、今過ごしているこの時間も、お金になるものではない。しかし、充実した時間を過ごしていると、いずれは、お金となって返ってくるような気がするのだ。
一日が二十四時間、その中で睡眠時間と、学校での拘束時間、そこには、通学に要する時間も含まれていて、後は、食事や風呂などのような生活に必要な所要時間を差し引いた時間が、自分の自由になる時間だ。
すると、大体だが、残った時間が五時間くらいになるだろうか。あくまでも概算でしかないので、平均すればということになるが、五時間と考えれば、今自分が毎日小説に当てている時間が、約二時間弱くらいであろうか。自分の中では妥当な時間だと思っている。
小説に当てている時間というのは、あくまでも、小説を書こうとして、机に向かっている時間のことだ。小説を書き始めるようになってから、家だけではなく、学校の近くにある喫茶店で書くこともある。最近では、電源を自由に使わせてくれる店も増えたのは、ありがたいことだった。
「一日に、二時間くらいは小説に当てよう」
と最初からもくろんでいたわけではない。
時間配分の中で一番しっくりくるのが、二時間くらいだったのだ。
それ以上すると、今度は当てた時間にプレッシャーを感じ、毎日続けられなくなってしまう。
二日に一回と考えると、一日が三時間以上ということになり、それはとてもではないがきつかった。
それよりも、
「机に向かっていない時も、小説のことを考えていると、次作のアイデアも浮かんでくる」
というもので、それが自分のルーティーンとなってくると、苦痛でもなんでもなくなってくる。
毎日続けることに意義があると考えるようになると、苦痛でもなく、短すぎて、中途半端な気持ちで終わることがない状態になると、やっと一日が充実してくるように感じられるのであった。
こんな充実した毎日を感じるのは、今までで初めてだったということを思うと、バスケットをしていた時には感じられなかったことであろう。
あの時と何が違うのかということを考えてみると、
「自分で、何か新しいものを一から作ろう」
という気持ちのあるかないかということではないかと感じた。
人から言われて思い立ったことではあったが、この感情は、最初から自分の求めていたものだったということを教えてもらえたのは、実にありがたいことだった。
作品の中身については、どちらかというと、好きにはなれなかった。
あくまでも、
「質より量だ」
と思うようになった。
自分の作品に自信が持てないことの言い訳でしかないのだが、それでも、毎日が充実していることに間違いはない。毎日書き続けることができるのが、充実感なのだと分かってくると、質より量だというのも、悪いことではないと思っている。
特に小説というのは、
「書き上げることに意義がある」
と思っている。
なぜなら、小説を書けない人間の一番の言い訳は、
「途中まで書いて、納得のいく作品を書き上げる自信がない」
というものであった。
最初に考えていたストーリーと気が付けばまったく違ったものになってしまっていることに途中で気づいて、そこで投げ出してしまう。そんな、俄か小説家が多いのではないだろうか。
「そんな連中に、小説が書けるわけはない」
と、聖羅は思うようになった。
小説というものは、どんなに途中、路線が変わったとしても、最後まで書き上げるエネルギーがなければいけない。つまりは、途中であきらめるということを繰り返していると、「永久に作品を書き上げることはできない」
と、言えるのではないだろうか?
小説の書き方などのハウツー本や、
「小説を志す人に」
などというネット検索などで見てみると、
「一番大切なのは、最後まで書き上げることだ」
というものであった。
小説家を目指す人間が、途中で挫折する一番の原因は、最後まで書き上げることができないからだ。
それは、自分の中で、
「小説を書くということは、実に難しいことなのだ」
と考えるからで、難しいことをしようとして、できなくて当たり前だと思ってしまうと、そこで甘えが出てくる。
「少々のことで何か理由をつけて、書くのをやめてしまっても、それは自分が悪いわけではない。それだけ難しいことなのだ」
という思いが自分の中で定着してしまう。
一度定着してしまうと、書いている時、アイデアをひねり出す頭の部分で、言い訳がこみあげてきて、先に進まなくなってしまう。
小説というのは、余計なことを考えてしまうと、そこから先は進まなくなる。そう思っていると、
「小説は考えて書くものではなく、自分で感じたことを、考えるよりも先に文章にして書いてしまうことが大切だ」
ということであった。
文章を思い浮かべて。そこから何かを考えてしまうと、よりいいものを書こうと、欲が出てしまい、せっかく思いついた発想を忘れてしまうのではないかと感じた。
聖羅は、その証拠に、
「小説を書き始めてから、気のせいか、物忘れが激しくなってきたような気がするんだよな」
と感じていたのだった。
そんな小説を書いていると、気が付けば大学三年生になっていて、大学の勉強も本格的にしなければ卒業ができないという発想と、四年生になったら、就活にいそしむことになり、教育実習なども増えてきて、いよいよ社会人モードに頭の中を変えなければならなくなってくる。
きっと、いきなり現実に引き戻されることになるのを分かっているので、今の間に、充実した毎日を過ごしておこうと考えたのだ。
小説を書いているのは、あくまでも現実逃避ではない。充実した時間を自分なりに育成するためのものだった。
だから、三年生の後半になって、いよいよ現実に引き戻されることになっても、自分の中に染み付いた充実した感覚は、拭い去られるものではなく、十分に、これからの人生に大いに貢献してくれるものだという自信を持つようになったのだった。
教育実習には、自分の母校が選ばれた。聖羅としてはどこでもよかったのだが、母校だというのは、安心できるものだったのだ。
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