第3話 紆余曲折の恋愛
大学を卒業直前は、結構大変であったが、就職してからは、仕事面ではそれほどの苦労はなかった。支店経験も生かして、いよいよ営業の見習いのようなことを始めようという段階になって、予期せぬ出来事が起こった。
いや、業界に吹き荒れていた嵐を考えると、まだ新人の洋二にはわからなかっただけで、先輩セールスマンや、営業所の幹部、本部の上層部は分かっていたことだろう。
子会社ともいえる、協力会社が倒産したのだ。
当時、いわゆる、
「バブルの崩壊」
の波が中小企業をまともに襲った。
何しろ、バブルの崩壊は、予期せぬ出来事どころか、
「神話」
と言われていたものが、ことごとく崩壊した時代だったのだ。
その一番の代表例が、
「銀行の破綻」
だった。
それにより、下請け会社の資金繰りがうまくいかなくなる。それまでは、少々の会社でも、手を広げて売り上げさえ上げれば、企業はやっていけたので、資金援助も遠慮することはなかった。
しかし、事業拡大したその分すべてが不当たりを出したり、回収不能に陥ってしまったことで、銀行の資金が凍結してしまったのだ。
こうなってしまうと、元々、元本があっての金融政策ではないだけに、文字通り、
「泡のごとく消え去るのみ」
という状態であった。
中小企業というのは、自転車操業というものでまかなっていた。
そのため、銀行からの融資が受けられないと、翌月の支払いが焦げ付いてしまい、すべてがマイナスに推移することで、あっという間に破産することになってしまう。
銀行も負債が膨れ上がり、日銀の金融政策もどうしようもない状態で推移。さらには、当時から、国営企業が民間に変わっていったこともあり、経済は大混乱に陥った。
国鉄の累積赤字が、どうすることもできず、国営では賄えないということで、民営化に踏み切ったのだ。
いまだに回収できていないものもあるだろう。それを思えば、バブルからこっち、あれだけ、好景気と不況を繰り返してきた日本の経済は、好景気などまったくなく。不況をいかに乗り越えられるかということに終始するようになった。
ちょうど、就職した頃がバブル崩壊と重なり、一年目に、支店の売り上げの半分以上という協力店が倒産してしまったのだ。
まずは、差し押さえられる前に在庫の回収。
そして、回収した在庫の処分であるが、ほとんどは、売り物になるものではないので、返品できるものと、現地処分するものとに分ける必要がある。
しかも、その店はさらに得意先を抱えていた。
洋二の会社は、協力店にメーカー直送を掛けることで、手間をかけずに、伝票操作による手間をリベートという形で利益にしていたのだが、今度は、途中の店が破綻したことで、直接。その店の得意先が、自分の会社に商品の仕入れを頼むことになった。つまり、一件の直送先は、数十件の小売りに変わったということで、営業の方針から、納品体制、適正在庫の把握、さらに配送計画の練り直しなど、いろいろと問題は山積みだった。
しかも、引き取ってきた商品の整理もあり、本社から応援をもらって、手分けをして対応に当たった。
洋二は、ほとんどの時間を、本部からの応援の人と一緒に朝から晩まで、土日も出勤して、返品整理に当たった。
したがって、せっかく営業の見習いとして研修や、店にお披露目のはずだったが、そうもいかなくなり、一年近くは、支店内が混乱し、完全に、他の同期の連中から出遅れた結果になってしまった。
そんな時期ではあったが、洋二は、恭子を意識していた。
「ひょっとすると、この混乱があったから、恭子のことを必要以上に意識したんだろうか?」
と思ったが、そうではないだろう。
やはり、一目惚れをしたというのが一番大きかったかも知れない。しかも、恭子は誰かに似ていた。かつて知っている誰かに似ていたという意識はあるのだが、誰だったのか、結局分からなかったのだ。
それを思い出させてくれたのが、一度、インフルエンザに罹って、会社を一週間休む羽目になったのだが、その時、近くの病院で治療を受けた時の看護婦さんを見た時だった。
彼女は、白衣にセーターを着て、肩から聴診器をかけていた。そして、手で膨らます形の血圧計を持っているイメージが強かった。いかにも看護婦という感じだったのだ。
彼女と、恭子は似ていた。ただ、それ以上に、その雰囲気から思い出されたのは、自分が童貞を捨てた風俗の女の子だった。
その女の子の馴染みになったことで、何度か通ったが、彼女は、あどけなさがポイントの女の子で、少しポッチャリしていたと言ってもいいだろう。
グラマーというには、あどけなさがアンバランスで、やはり、ロリ体系というべきだった。
看護婦を見て、最初に思い出したのが、風俗の女の子で、
「角度によっては、恭子に見える」
という雰囲気であった。
恭子は、二人ほどポッチャリではなく、小柄と言ってもいいだろう。ただ、あどけない雰囲気の割にはグラマーに見えるところで、風俗の女の子を思い出したのだろうが、顔の雰囲気が思い出せなかったことで、まるで逆光に照らされた顔を見ているようで、
「のっぺらぼうではないか?」
と感じるほどだった。
恭子と看護婦と風俗の女の子、それぞれに似ているので、まるで三段論法のように、
「二人が似ているから、もう一人とも似ている」
と思ったのだが、その距離は正三角形というわけではない。
どちらかというと、二等辺三角形というべきか、一つの線だけが短いような気がするのだった。
それが、誰かというと、イメージとして、看護婦と風俗の女の子だった。恭子は、二人から、少し遠い距離にいる感じである。
だから、最初に恭子を見た時、
「誰かに似ている」
と思っても。すぐにそれが誰なのか分からなかったのだ。
もし、看護婦がいなければ、風俗の女の子と、恭子の接点はまったく思いつかなかったかも知れない。
風俗の女の子に対して、一時期、本気になりかかったことがあった。
「相手は風俗の女の子で、アイドルを相手にしているようなもので、俺なんか、相手にしてもらえないさ」
と思っていた。
「しょぜんは、お金でつながっている関係」
と思えてならない。
だからと言って、割り切ることもできないのは、きっと若かったからだろう。
今であれば、決してかわいいと思っても好きになることはないと思う。好きになったとしても、先が知れていることが分かっているからだ。
そういう意味で、
「お金で割り切った付き合い」
ということで、楽しめればいいと思う、
何を求めているのかというと、
「愛ではなく、癒しなのだ」
ということが分かっているからだ。
愛というと、お互いの気持ちが通じ合っていなければいけない。相手は、あくまでも商売なのだ。
「お金を払って、癒しを買う」
と言ってしまうと、味気ないのかも知れないが、あとくされもなければ、
「その時だけの疑似恋愛だと思えば、アイドルにお金を使っているヲタクとどこが違うのだろうか?」
と思えてならない。
ただ、割り切るには、それなりに楽しみ方が分かっていないと無理であろう。相手に過度の期待は禁物だということだ。
そういう意味では、恭子のことをどんどん好きになっていく自分を感じる時、風俗の女の子を好きにはなったが、本気にならなかった自分のその時の心境を思い出してみたのだった。
「もし、風俗の彼女とは普通の友達だったら、どうだろう?」
店にいくと、友達が働いていたという感覚だ。
本当に最初の頃は、お店にいくのが楽しみな割に、店を出る頃には、自己嫌悪に陥っていた。
たぶん、風俗というものに偏見があったからだということと、お金を払って、セックスをするということに抵抗があったのだろう。
しかし、そのうちに、セックスそのものよりも、彼女と話をすることでの楽しさや、癒しがもらえることが、本当の目的だということに気づいてくると、お金が絡むことに対して罪悪感というか、背徳感を感じることはなくなってきた。
もちろん、お金を払うことを正当化させたいための言い訳だったのかも知れないが、それでも何度も通っているうちに、その気持ちが萎えるどころか、次第に大きくなっていくのだから、悪い気はしなかった。
そういう感覚から、ずっと通うつもりでいたのだったが、大学の方が忙しくなり、なかなか足しげく通うこともできなくなった。
アルバイトもままなだない状態での、卒業と就職問題。さらに、車の免許も取らなければいけない状態になったので、今まであれだけ持て余していた時間が、急に足りなくなったのだ。
それでも、何とか就職も内定がもらえ、卒業もめどが立ってきたことで、また癒しをもらいたいと思い、お店に連絡すると、彼女はすでに辞めていた。
一年近くも遠ざかっていたので、すでに辞めているかも知れないとは思っていたが、それもしょうがないことだ。
最初は、
「彼女でなくても、まあいいか」
と思って、店に行ってみたが、何かが足りない気がした。
同じサービスが受けられるわけだし、決して相手に不満があるわけでもない。ただ、何かが物足りないのだ。
「ああ、自分は彼女に会いに行っているような感覚を持っていたのだろうか?」
という思いと、彼女でなければ、本当に風俗通いをしていると自覚させられ、前の時のような、背徳感に見舞われることで、
「今さらどうして、こんな思いをしなければいけないんだ?」
という思いとが交錯し、もう、それから風俗は行っていなかった。
実際に就職して、田舎に引きこもってしまったので、田舎には、その手の風俗は存在しない。県庁所在地まで行かなければならず、祖語との疲れの後で、背徳感を味わうかも知れないと思うところに、わざわざ出かけていく気にもならなかった。
それだけ、仕事上では、肉体的な疲労に比べ、精神的な疲労はそこまでないということを意味しているのかも知れない。ただ、そこに背徳感が含まれると、仕事への活力が削がれる気がして、それが怖かったのであった。
一度目の赴任地に比べ、二度目の赴任地は、さらに田舎だったのだが、一度目が元々の都会からの下野だったので、カルチャーショックがすごかったのだが、二度目の下野は、そこまでひどいものではなかった。
田舎から田舎というのがその理由だったが、インフラの不便さはなるほど、確かにあまり変わらないかも知れないが、精神的な面で大きかったのだ。
その一番精神的なものでの違いは、
「この街は、想像以上に閉鎖的なところがある」
というところであった。
最初に感じた、この街の人のイメージは、
「何とも人懐っこい性格の人たちだ」
ということだった、
こちらから話しかけることがなくとも、相手から気さくに話しかけてくる。
特にパートのおばさんは、都会のことや、特に若者のことをよく聞いてくる。
「田舎にいるから、都会のことが気になるんだろうな?」
という思いが強かった。
元々、あまり人と話をするのが好きではないと思っていた洋二だったが、この街の、
「おばさんたち」
と話をしていると、そんな自分の性格を忘れてしまうほど、自分からも気さくに話をすることができる。
しかも、
「都会から来た」
というだけで、相手が饒舌になるのだから、こちらも有頂天になってしまう。
しかも、自分でもこんなに饒舌だったんだと感じると、人と話をするのがこんなに楽しいとは思ってもみなかったことに気づいたのだ。
大学時代も、友達がたくさんいて、いろいろな話をするのが楽しかった時期もあった。
特に将来のことについて話をするのが好きなやつがいて、そいつの話を聞くのが楽しくて、よく彼の下宿に泊めてもらって、夜更かしをして話に興じたものだった。
だが、この街で、おばさんたちとの話はまた違った。おばさんたちの人懐っこさは、初めて話をしたとは思えないほどで、
「昔から知り合いだったような気がする」
という錯覚を与えられた。
しかし、錯覚であるということに間違いはない。なぜなら、会話はあくまでも、都会のことを聞きたいという、馴染みの人との話ではなく、当然話し方も、昔から知っている相手とは違うものだった。
それでも、錯覚に陥るということは、癒しのようなものをおばさんたちに感じたのだろう。
同じ癒しでも、風俗で味わった癒しとは違う。
風俗では、身体全体を使っての癒しなので、
「気だるさが心地よい」
という感覚に陥るのだが、おばさんたちとの癒しは、
「楽しくて、このままずっと会話が続けばいい」
という意味で、時間の経過を感じさせないことで、
「もっと一緒にいたい」
と思わせるもので、それぞれに、時間の感覚が違ったのだ。
さて、そんなおばさんたちとの会話であるが、そうも長くは続かなかった。
恭子と付き合うようになってから、恭子から言われたのだ。
「あのおばさんたちの話は、真剣に聞かない方がいいわよ」
というではないか。
「どういうことなんだい?」
と聞くと、
「あの人たちは、都会のことを知りたいようなところから会話を始めたでしょう? つまり、自分たちの知りたいことを相手に話させる。それだけに、都会の人に対しては、あか抜けない田舎丸出しの態度が好感を受けるということを知っているのよ。だから、信用してしまって、何でも話していると、いつの間にか、はしごを使って二階に上らせた後で、そのはしごを蓮されてしまいかねないということ」
という。
「どうして、そんな風に思うの?」
と再度聞くと、
「要するに、この街の人は、閉鎖的な人が多いということ。どうしても、田舎の人間から見れば都会の人というのは、よそ者という意識が強いの。だから、都会のことを聞きたいと思うのだし、それは好奇心もあるでしょうけど、よそ者意識が強いことで、警戒心というものが大いにあると思った方がいいかもしれないわね」
と言っていた。
「恭子さんは、よく分かるんだね?」
というと、
「ええ、それで精神的に参ってしまった人を、私は今までに何人も見てきたからね」
という。
なるほど、彼女はこの支店でもう六年以上も勤務しているわけだ。自分と同じように、研修などで、この支店に配属された新人だって見てきているはずだからである。
その中に、ウワサで聞いた、かつて彼女と結婚まで考えたという人が入っていたのだろうか?
恭子はそのことには触れなかったが、
「二年前だったかしら? 新人研修の地として、この支店に配属された人がいたんだけど、その人は、三か月目くらいの時だったかしら。防波堤から海に落ちたというの。どうやら、少し酔っていたようで、一緒にいた人が救急を呼んだので、大事には至らなかったけど、かなりショックが大きかったのか、その人はそのまま退職していったわ」
というのを聞いて、
「理由は何だったんだろう?」
と聞くと、
「ハッキリしたことは分からないけど、おばさんたちとの会話が急になくなってきたのもその理由の一つではないかと思うの。それに、ここはなんといっても田舎なので、カルチャーショックもあったようね。そんな状態で、都会のことを聞かれ、聞かれている間はよかったんだろうけど、会話がぎこちなくなってくると、見ていて、仕事も上の空という感じだったので、ちょっと気になっていたんだけど、まさか防波堤から落っこちるという事件に発展するなど、思ってもみなかったわ」
と言った。
そういえば、その話を聞くのは初めてだった。
あれだけ饒舌なおばさんたちからも一切聞かれなかった話だし、他の先輩社員からも、一切口から出てくることのなかったことなので、どうやら、全員口止めされていたことは間違いないだろう。
「恭子さんは、僕に敢えて話をしてくれたんだね?」
と聞くと、
「ええ、きっと誰からも聞いてないと思ったからね。私がこのお話をしたということがどういうことなのか、洋二さんには分かるかしら?」
と言われたので、
「うん、分かるつもりだよ。僕とお付き合いをしてくれる気になったということかな?」
最初こそ、戸惑っていた彼女だったが、どうやらその気になってくれたようだ。
「ええ、よろしくお願いしますね」
と言ってくれた。
何とも嬉しくて、その日はそこからどんな会話をしたのか覚えていないが、有頂天だったのは間違いない。
ただ、一晩その余韻に浸っていたが、翌朝目を覚ますと、急に不安がこみあげてきた。
彼女が自分と付き合ってくれるというのは分かったが、彼女に付きまとっていたウワサとしての、
「結婚を考えた男がいた」
という話を彼女から詳しく教えてもらっていなかった。
これは、洋二の主観的な感覚でしかないのだが、
「お付き合いをしようと思った相手には、なるべく隠し事はなしにして、過去のこともある程度は話すものだ」
と思っていたのだ。
しかも彼女は、
「自分には、かつて結婚を考えた男性がいた」
ということを、洋二が知っているということを分かっているのだから、洋二の感覚としては、
「ちゃんと聞かせてほしい」
と思っているのだった。
だが、洋二には彼女が、
「話はしてくれるだろうが、どのあたりまでしてくれるかということの方が気になるところだ」
と感じていた。
もちろん、言いにくいこと、言いたくないこともあるだろう。そこには、これから付き合おうという相手であっても、築かなければいけない結界があり、
「思い出を思い出として自分の中で大切にするためには、どんな相手にだって、画すべきことはあるだろう。それがたとえ結婚する相手であっても同じこと。思い出の中の二人のうちの自分は、自分であって、自分ではないと思っているのではないか?」
と感じていた。
だから、肝心なことを話してくれなかったとしても、それは、彼女がまともな感情を持っているということであり、軽々しく口にしてはいけないことをわきまえているということなのかも知れない。
余計なことを言ってしまって、せっかくこれから自分が前を向いて一緒に歩いて行ける相手を見つけたと思っているのに、その関係がぎこちなくなるようなことを自分からいう必要はないのだ。
だが、自分に正直な人間であれば、
「相手にも分かってほしい」
という気持ちから、言わなくてもいいことを口にするかも知れない。
それはそれで、洋二も容認できるような気がした。
自分のことをそれだけ好きになってくれたということで、嬉しくないわけもない。それを思うと、どちらがいいのか考えさせられるが、結局は最終的に、
「彼女にとっての俺が、どういう位置にいるのか?」
ということが、大切なのだろうと、洋二は考えた。
要するに洋二としては、自分中心の考え方で、見ていればいいだけで、彼女の本心に深くかかわってはいけないということを感じたのだった。
彼女もこの街で生まれ、この街で育ったのだ。あのおばさんたちと同じ血が流れていることだろう。
「恭子さんも、おばさんになれば、あのパートさんたちのようになるのだろうか?」
と、洋二は考えた。
恭子とは、結構いろいろあった。
「恭子がわがままな女で、洋二がすぐに人を信じるタイプの男性である」
ということが大きな問題だったのではないだろうか。
恭子は、何かというと、すぐにわがままを言った。
「あれをしたい、これをしたい」
というわがままではない。
「これをするのは嫌だ」
という、普通なら、別に抵抗もないようなことに抵抗を示すという意味でのわがままであった。
ただ、彼女の特徴として、
「頭がいい」
ということに関しては間違いないようだった。
その一つとしては、彼女の書く文章がとても素敵で、
「自分には、こんな文章は書けないだろう」
というものだった。
本社が隔月に発刊している会社の会報があったのだが、彼女に原稿の依頼がきた。
これは、社員に無作為に本部の総務が選んでいるのだが、選ばれた人んお原稿が、翌月には会報として、載るのだった。
「ただの作文にしかすぎないのに、まるで小説を読んでいるような気がするよ」
と、洋二がいうと、
「どうしてそう思ってくれるの?」
と、恭子が返す。
「まるで目を瞑っていると、情景が浮かんでくるような気がするからなんだ。作文だったら、そこまで感じるというのは珍しい気がしたからね」
というと、
「そういえば、小学生の頃は、いつも作文で褒められていた気がするわ。私自身はどうして褒められるのか分からなかったんだけどね」
と、恭子はいう。
「やっぱり、頭がいいからではないかな?」
というと、恭子は照れていたが、しばらくすると、それだけではないことの気づいた。
作文が上手な理由としては、
「頭の中でうまく整理できているからだ」
と感じた。
そもそも、整理整頓などできない洋二には、文章を組み立てることはできないと思っていた。だから、文章がうまく、整理整頓ができるであろう恭子に惹かれたというのも、まんざらでもないような気がする。
元々の一目惚れというのも、
「俺は、女性を判断する時、まず顔を見て、その人の性格がどんなものなのかって考えるんだ。その時に、雰囲気も一緒に加味する形で見ていくと、次第にイメージが出来上がってくる。だから、あまり一目惚れをするタイプではなかったはずなんだけどな」
と、恭子に一目惚れした自分が不思議で仕方がなかった。
そんな洋二だったが、では、、なぜ恭子に一目惚れをしたのかということを考えていくと、そこに浮かんできたのは、彼女が自分を見る時のあの目だった。
何を考えているのか分からない目で、どこか、寂しそうであった。それでいて、どこを見ているのか分からないほど、
「心ここにあらず」
という雰囲気であった。
きっとその時に感じたのは、
「まるで自分を慕ってくれるようなそんな目だ」
というものであった。
「捨てられた子犬のような目がこちらを見ている。しかし、目の焦点が合っているわけではない。何かを訴えようとしているが、言葉が通じないと思うのか、声を発しようとはしない。見つめる目のその先に、彼女が何を見つめていたのか、それが気になったことが、一目惚れの一つの理由だったような気がする」
と、考えたのだった。
ただ、目力は確かにあった。だから、彼女の視線を感じて、こちらも意識しなかっただろう。
最初に意識しなければ、その後も、
「交わることのない平行線」
を描いていたに違いない。
そんな頭がいい面を持った恭子だっただけに、
「これほど扱いにくい相手はいない」
と思わせたのだ。
一番の原因は、気が強いところにあったのだろう。
彼女は父親が小さい頃に死んだらしく、母親一つで育てられた。
母親は子供を育てるために、並々ならぬ苦労をしたことだろう。娘もそれを見て育っているので、しっかりしているのも当たり前のことだった。
実際に両親の揃っている洋二にはそんな事情による精神状態を図り知ることはできないだろう。
それを思うと、洋二は恭子には絶対に逆らえない部分があるということを悟った気がした。
「もし、彼女に強く言われると、自分から逃げ出すような行動をとるかも知れない」
と感じた。
ただ、父親を知らないということは、男性に父親を見るということでもあり、必要以上に甘えたがりなところは、相手の男性を見て、
「自分の父親も、こんな感じの人だったのかな?」
と思うことで、付き合った男性に父親を見てしまうのだろう。
恭子は、父親のことに触れることはなかったが、一度一緒に寝ている時、うわごとで、
「お父さん」
と言っていたのを聞いた。
それは、夢の中に、ほとんど記憶にない父親の幻影を見ているのか、それとも、夢に出てきた父親の顔が、自分とシンクロしているのではないだろうか?」
と洋二は感じた。
洋二はその時、複雑な気持ちになった。
「恭子は本当に俺のことを愛してくれているのだろうか? ただ、父親を見ているだけではないだろうか?」
という思いであった。
しかし、一目惚れしてしまったという事実は。想像以上に自分の中に深くのしかかるものがあるようで、
「間違っても、別れるなどということを考えることはないだろう」
と思うのだった。
そんな紆余曲折的な交際を続けながら、自分では、上り調子の人生を歩んでいると思っていた。
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