[第四章:狂人遊戯/鎖の破壊]その4
エンジェル群体は動く。その目的は変わらない。
凪やニロイのいる都市を侵食し続ける。
そして今、エンジェル群体は仕上げを開始する。
都市の外装と内装(内部の都市部)の間に完全展開し、球体の形を形成した群体は、都市の内側を完全に自らの領域としようとしていた。
具体的にどうするのか。
それは以下のようなことだ。まず内部へ末端を侵入させ、調査。ついで球体の維持…つまりはバランス維持のための支柱を多数形成。最後に体内に収まっている邪魔な都市部を、支柱を中心に体を動かして圧縮した後に、排泄する。
このような動作ができるのは、それが群体という非常に柔軟な動きが可能な形態であったからであろう。
『 !!』
声にならない音。それが幾重にも重なり、耳をつんざく絶叫のようになる。
都市に群体の叫びは響き、都市は徐々に潰され始める。
内壁はひしゃげ、道路は割れ、家は潰され、すべてが一つになっていく。
それが完了されるまで、後二時間。仕掛けられた爆弾が爆発するより二倍速く、都市部はなくなろうとしているのだった。
『 !!』
残された時間は少ない。
二十に満たない残存する人々は、今すぐにでも脱出をしなければならないだろう。
だが、それを紫目の舞踏姫は都市内で阻む。
狂人、基地総司令の命に従った彼女を、ニロイは早急に妥当しなければならない。
しかし、エンジェルは仲間を幾つも屠った彼女を邪魔しに来るだろう。
戦闘は激化し、危険な状況は一向に改善されることはない。
「……」
そんな中。
一人の女性はようやく動く。
今までずっと迷い続けてきたが、ついに意思を決めてしまう。
「凪沙君…」
その言葉の主は雲日。
ニットのセーターを着た彼女は、今久方ぶりに家から出ようとしている。
「一緒に…」
その目的は一つ。
凪と共に、この都市を去ることだ。
▽ー▽
「…ぁ」
凪は、ゆっくりと目を開けた。
「…何が」
彼は、軋みを感じる上半身を起こし、周囲を見る。
「これは…」
潰れている。都市全体が、一点に向かって押し込まれ、あちこちが砕け、割れ、原形をとどめていない。
ついさきほどまでは半球に近かったが、現在は楕円にも似たいびつな形状と化している。
天井の画面はひび割れ、その大半が機能を停止し、映像を映していない。
そのために都市内の光源の多くは失われており(多くの家が無人の今、都市の主な光源は天井からのものであった)、凪のいる場所を含め、都市部全体が薄暗い。
さらにはあちこちから鉄骨が地面や壁を突き破って生えており、その周囲にはエンジェル群体の末端の存在を、幾つも見て取ることができた。
そして、その末端は今この瞬間も動き続けている。
先ほどの揺れは、一気に力をこめたことに行われたもの。だが、都市の質量の都合か、一回では潰れ切らず、かつ連続でできるものではないようであるため、力が溜まるまで、ゆっくりと圧縮に動いているようだ。
そのため、今現在も微細な揺れが継続しており、大揺れの際に気を失った凪を起こす要因にもなっていた。
「…エンジェルが…」
凪の体は盛り上がった地面同士の間にあった。
頭上にはめくれるように変形した地面があり、内部の骨格部がいくつか顔を覗かせている。
一部には穴が開いており、そこから周囲の様子を、彼は見ることができたのであった。
「…これは、不味い」
渚の生存を知り、精神状態が改善した凪は、今度こそ状況をまともに認識する。
「早くしないと…」
今、都市内にはエンジェルが侵入している。この事態はそれに関わっていることは、凪にはすぐに推測できた。
そうなると、急がなければならない。エンジェル群体が支配していると言って過言ではないこの場所においては、いつ渚が死ぬような事態が起きてもおかしくはない。
彼女と一緒にいるには、一刻でも早く、彼女のもとへたどり着かなければならないのだ。
もしかしたら、既に、彼女はなくなっているかもしれないけれど。
「…嫌だ。私は渚と…!」
彼は先ほどと同じように、思う。
彼女と離れたくないと。そして、彼女を失いたくないと。
「行くんだ…渚のところへ」
彼は呟き、立ち上がろうとする。
だが、その動きは悪かった。
「…。脚が」
まったく動かないというわけではない。だが、彼の左足は万全とは言い難い状態にあった。太ももとふくらはぎに、薙ぎ払われたかのような大きな傷があり、それは内部のフレームにまで達している。脚部の動作不良を発生させるには、その損傷は十分なものであった。
「…く」
彼は反応の悪い足を引きずり、どうにか歩き出す。
とても歩きやすいとは言えない砕けた道を、ゆっくりと進んでいく。
当然、走る事などできず、彼は焦りを募らせていく。
「…渚」
早く彼女の元へ行きたいのに、足の傷はそれを妨げようとしてくる。
「渚のところへ…早く」
今の彼の頭には、自分を見てくれる大切な彼女と一緒にいる、そのことしか頭にない。それを妨害する全てを、彼は邪魔に思うだろう。
それは、彼にとって何よりも、渚と言う一人の少女が大事である証明に他ならない。
彼女を失いかけたプログラムによって好きだった、主である雲日とは違って。
「…渚!」
叫び、凪は少しでも早くあるこうとする。
その頭上で、突如として火花が散った。
「!?」
▽―▽
エンジェル群体に都市が圧縮される少し前のことだ。
「……」
寄添は無言で車両を運転していた。
向かうのは都市の出口である。今日の昼下がりには出ることを、元より予定していた彼女ではあるが、今は予定よりもはやく店舗を立ち、急いで向かっている。
その理由と言うのは、
(爆破予告が…)
基地総司令が行った都市の爆破というテロ行為の予告だ。
彼女もニュースで見たことのあった、新型爆弾そのものにしか見えないものが設置された映像。
それが万が一にも本物であったのなら、起爆後の都市の即時崩壊は必至のことだ。もとより出る予定であったこともあり、彼女は仕事が終わった後に放送を知った彼女は、急いで出てきたのであった。
そんな中で、彼女は先ほど行った最後の仕事を思い出す。
「………」
たまたま目の前に転がってきた渚。彼女を回収し、寄添は龍太郎から受けていた依頼を実行した。
それは、渚の調整だ。精神部分に異常をきたした彼女を修復し、プログラムのバグをなくし、正常な状態に戻すことである。
作業としては、それなりに高度な技術を要すること。だが、店舗に唯一いるのが寄添である都合、彼女がそれをやるしかない。
依頼はADの保険の範囲内のことではあったからである。
「…けど」
しかし、だ。彼女には自信がなかった。もとより彼女の能力は高くない。失敗も多い。であるからこそ、こんな廃棄決定済みの都市の、価値のない店舗に取り残されているのである。
そしてそれは、彼女の能力の低さの証明だ。彼女はその評価を覆そうと、長期間にわたって頑張った。だが、結局何も変わらない。
「…」
最後の最後まで、彼女は良い結果を残せなかった。
肝心なところでしくじると言う、擁護のしようのない失態を、再び犯したのだ。
いつものように、仕事を仕事と割り切れず、私情交じりで焦り、余計な手まで加えたことで致命的な状態に、渚をしてしまっていた。
「…結局。変えられなかったなぁ」
自虐の念も含み、彼女は呟く。
このまま都市の脱出に成功すれば、彼女は車両に載せた、店舗の機械類を譲渡し、仕事を解雇される。
クビになることは一か月前には既に決まっており、彼女には代えられないことであった。
「はぁ。…次は何の仕事を」
彼女はため息をつきながら、都市の一般用出入り口に近づいてく。
ただの車両は、静かに道路を走り、ついに出入り口のある区画へと辿り着くことになる。
その時だ。
「!?」
寄添は慌ててブレーキを踏む。彼女が見たのは進行方向上にいる人影だ。妙にとげとげしい格好をし、出入り口とその関連施設に繋がるトンネルで動こうとしない。
そのため、寄添は人影を引かないよう、車両を急停止させたのであった。
「…ちょっと!危ないでしょ!」
寄添は大きめの声で言いながら、とめた車両を降りる。
そしてすぐに、異常に気付く。
「こ、この臭いって…」
照明の落ちたトンネル内。入り口からの光だけで薄っすらと照らされるそこには、あるにおいが充満している。
「…血?」
彼女も、幼少期の怪我などで一度は嗅いだことのある、鉄分の混じった赤い液体のにおいだ。
それがトンネル内を包むように、主に地面の方から湧き上がっている。
「…一体どういう」
前方の人影から視線を外し、寄添は視線を下げる。
その先にあったのは。
「…え、そ、そん、な……」
死体だった。市民体育館でイベントに参加した内数名が、首を切り落とされ、心臓を撃ち抜かれ、胴体を砕かれて地に伏せている。
濃い血の匂いはそこからだ。
幾つもの新鮮な死体から、鉄分故の匂いは漂う。
「…これ」
「…最後の楽しい事、しに来ましたか?」
「え?」
寄添は、視線を人影へと戻す。
かけられた声は、そこから発せられたためである。
「…なんの、こと…」
戸惑う寄添を余所に、人影は言う。
「しに来たようですね。それでは…」
音が、響く。金属で形作られたものが、硬い地面を打つ音が。
光が、生まれる。暗闇の中で、紫の灯が浮き上がる。
そして人影…紫の舞踏姫は宣告する。
「始めましょう」
右腕を収納した巨大な銃と、左手に構えた長剣を構え、寄添に近づき、
「楽しい事を」
彼女の死を。
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