[第四章:狂人遊戯/鎖の破壊]その2

「………」

 凪は穴の手前で、穴を見つめたままでいた。

 その思考は二つの内容だけを繰り返している。

(プログラムさえ…)

 自身に施されたそれへの怒り故のものと、

(渚…)

 自身の大切な人に対する思い故のものだ。

 渚の消失という事態にあって、彼は既に、まともな精神状態ではない。

 思考の繰り返しはその証拠だ。先ほど起きたことが彼の心の激しい動揺を誘発し、そのような状態になっている。

 つい一分前、都市内に投影された画面で、基地総司令たちによって都市の爆破予告が行われた時も、彼はそのままでいた。

 外界のことなど彼にはもはや聞こえない。横でいくら叫んでも、彼は反応できないだろう。

 唯一刺激を与え、その状態から脱することを可能とするのは、外部の刺激だろう。

「こんにちは」

 そこで凪に声をかけたのはニロイだ。

 戦闘で劣勢だったため、彼女は纏った装備の大半に攻撃を受け、誘爆の危険がある状態であった。そのため危険状態の装備は全て穴へと廃棄。バイザーに、腰を覆う装甲七割と、肩に残った武装な収納済みの二つの装甲のみの軽量状態である。

 そんな彼女は、歩いて彼に近寄っていく。

「…いたんですか。ここに」

 どこか怒りのような感情を感じさせるニロイの言葉に、凪は反応しない。

「…遊んでいたんですか」

 相変わらず無反応の凪の目の前に、彼女は立つ。そして、穴を見つめたままの彼の頭を、右手で掴んだ。

「あなたも当機が戦っている中、楽しい遊びを?」

 言って、ニロイは凪の頭をゆっくりと持ち上げる。

「他の人間と同じように?」

「………」

 凪は体の位置が変わっても、穴を見続け、何も返さない。

 それを、沈黙と言う肯定と受け取ったのか、ニロイは少し表情を険しくする。

「それは、とても…苛立ちを覚えること」

 言葉と共に、彼女の左手が動く。

「当機は、それを剥き出しにする」

 相手が反応しないことにさらなる怒りでも感じたのか、ニロイは僅かではあるがさらに表情を険しくする。

 そして、左手をゆっくりと伸ばし、凪の首触れ…掴んだ。

「………」

 感触があったはずだが、この程度では無反応の凪。

 その様子に、もはや余計に怒ることをやめた様子のニロイは、凪の首を絞めつけ始める。

 右手は話され、彼はニロイの左手のみで吊らされる形となった。

「…当機は遊びをする人に怒る。それを剥き出しにして攻撃する。一緒に遊んでいたあなたも例外ではない」

 静かな怒りを以て、ニロイは呟く。

 凪を絞め殺そうと徐々に左手に力を加えていく。

 その明らかな殺害の動作を、咎めるものも守るものもいはしない。

 既に、生き残った住人は基地総司令たちの動画を受け、すぐにでも都市を脱出しようと奔走しているからだ。…まぁ、動画を受けても、そうでない者も少数いるわけだが。

「遊びは楽しい。非常に楽しい。だからこそ…」

 いよいよニロイの手の力は強くなる。

 普通の人間なら十分息苦しくなっている頃だろう。

「余計に苛立つ」

 ニロイの表情が、明確に怒気を孕んだものへと変わっていく。

 彼女の数少ない感情が、露わになる。

「さぁ」

 さらに、力は強くなる。常人なら呼吸がほぼ不可能な段階に力は達し…。

「……終わって」

 ニロイのその言葉と共に、凪の首は内部のフレーム毎へし折られるはずであった。

 が、しかし。

「…なん?」

「しゃ…?」

 突如凪が声を上げたことで、ニロイの手は止まる。

「なぜ、生きて?」

 彼女は首を傾げ、眼前の彼に問う。

 人間ならとっくに窒息で意識を失うことは確実の状態で、いきなり声をあげられたのだ。彼を人間と認識している彼女としては、その反応は当然であった。

「…一体、何を?」

 凪は問う。

 先ほどまで自分の世界で思考を繰り返すだけだった彼には、周囲の状況が良く分からない。自分が頭を掴んで持ち上げられたことも、声をかけながら首を絞められたのも認識していない。

 それでも気づけたのは、彼の自己保存のプログラムが、機体の急所の破損の危険を察知し、警報を発したことが要因であった。

「…今ぐらいの力を入れたのなら、こんな風な反応はしない」

「?」

 何のことかが分からず困惑した様子の凪に対し、ニロイは少し考えた後、質問する。

「あなたは、ADか何か」

「…そうだが」

「ああ」

 肯定の返答を受け、納得した様子のニロイは、凪を掴んでいた手を放す。

「!?」 

 多少なりとも地面から持ち上がっていたため、凪は地面に落ちる。

 そこで起きた急な衝撃に彼が驚くのを余所に、ニロイは彼に背を向ける。

「別にADはいい。当機は遊ぶ人間に怒っているだけ。舞踏姫を使って守らせ、楽しく遊んでいる人間が許せないだけ。同じように使われているADは別にいい」

 独白し、ニロイは凪に背を向ける。

「さようなら」

 それだけ言い残し、彼女は空中へと舞い上がり、基地の方へと去っていった。

「……私は、首を絞められて…?」

 いまだ混乱が残った様子で、彼は言う。

 ニロイに壊されたことにより、幸か不幸か正気に戻ったようだ。

 勿論それで、彼の心に巣くう、喪失の悲しみがなくなるわけではないのだが。

「渚…」

 彼は呟き、なんとなしに宙を見上げる。

「これは………」

 視線の先には、巨大な幹のようなものが幾つかそびえたっていた。エンジェル群体だ。

 都市内部に侵入したそれは、ここを拠点にしようと内部にまで浸食し、遠くない時間に、それを終えようとしている。

「なんか、ひどい状況になってるなぁ」

 彼は呟く。

 エンジェル群体を見ても、どこか空虚なその反応は、彼が精神的に良くない状態にあることを如実に表している。

 先ほどに比べれば、正気に近いと言える状態ではあるが、このままではいつまた先の状態に陥るかもわからない。

「…これじゃ、すぐに都市は終わるなぁ。エンジェルにここまで入られたら。…まぁ、だからなんだって話だけど」

 彼は言い、穴を見る。大切な人が落ちていったそこを。

 そこが見えない深さを持っていることから、おそらく彼女は助からないだろうと思いながら。

「……ほんとに、プログラムがなかったら…」

 呟きが漏れる。

「なかったら…せめて一緒に」

 消えられたのにと。

 そう思う彼のもとに一通のメールが届いた。

「…?」

 先ほどの精神状態なら気づかなかったろうが、今なら彼はそれに気づく。

 彼はフービを操作し、画面を空中投影し、送られたメールを開封。その内容を確認した。

「これは…」

 それは、渚の生存を知らせる内容だ。

「渚…!」

 彼は涙を流して喜ぶ。

 失ったと思った、大切な相手が生きていることに、素直な感情を溢れ出させる。

「良かった……!」

 …だが。その手紙は確かに渚の生存を報告はしているが……彼女は無事だと言っているわけではなかった。

 むしろ、最悪と言える状態であっただろう。

 しかし、凪はそんなことは知らない。

「渚…。もう離れたくない。ここが終わるまで、ずっと一緒にいよう。そうしよう」

 彼は先の出来事を経験し、生まれたその気持ちを呟く。

 そして、彼女がいるとされる方へ行こうとした。

 瞬間。

「!?」

 都市が、割れる。

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