[第三章:消え去るべき鎖/暴走者265]その9
巨大な影が、蠢いていた。
緑を主な色として持つそれは、凪たちのいる都市へ、その下層から内側に入り込んでいる。
そして、その巨体というのはエンジェルの群体である。襲撃のために集まったそれらが周囲の植物を取り込み、肥大化した巨大な集合生物。
それが既に都市市街地の下に潜り込んでおり、内部へ本格的に侵入するのは時間の問題だった。
「…」
エンジェル群体は都市地下に広がっていっている。それが意味するところは、存在していた柱や機械をなぎ倒し、踏みつぶし、開いた空間に己の体をねじ込んでいるということ。
そうなると、ある問題が既に起きている。
都市の下層の柱が壊れるということは、都市内部の市街地を支える支柱がなくなっていることに他ならない。まだその全てがなくなったわけではないし、すぐに崩れたりはしない。
だが、部分的な崩落を誘発する可能性は十分にある。加えて、その危険がある場所に衝撃が加わればどうなるのか。
答えは単純で、その場所は崩れて下のエンジェル群体のところへ落ちる。
先ほどニロイが攻撃したときに地面があっさりと割れ、そのことに装甲服たちが驚いたのには、そういう事情があった。
「……うぁ」
声が上がる。
その主は渚だ。今しがた落下してきた彼女は、エンジェル群体の一部にあった巨大な植物の葉っぱ部分に落下し、壊れてしまうことをどうにか回避できていた。
だが、落下時に受けた衝撃で頭が混乱している様子であり、彼女は動けぬまま、ぼんやりと周囲を見て呻くだけだ。
そのため、徐々に前へと進むエンジェル群体の波に、その身を任せるしかない。
「…な…ぎぃ」
小さな声をあげる彼女を余所に、エンジェル群体は動く。体を伸ばし、より広範囲へと広がっていく。その中で一部が、都市内部に近づいた。
「………ぁ?」
未だぼんやりとした様子の彼女は気づく。
自身の体が上昇をしていることに。
「……な、ん…」
そのまま彼女は流されていく。
植物と翼と穴でできた異形に流され、その一端が伸び、突き破った都市内部へ放り出されることになる。
「…っ!」
何も発せず、彼女は葉っぱから零れ落ち、目の前にあった地面へと叩きつけられた。
その背後で、一時的に内部へ侵入した群体は、地面から一メートルのあたりにその末端を露出させ、そのまままた地価の方へ伸びていく。
「………」
それを視界の端でただ見るだけの彼女は、異様な程に静まり返った都市内で放置される。
「……」
頭が正常に戻るまでに時間がかかり、数分経っても動き出せない彼女。
そこに、ある人影が通りかかった。
「ここにいた…ってボロボロじゃない」
寄添だった。
以前見たときと同様の格好の彼女は、渚を抱え上げる。
「ちょうどいいわ。調整と一緒に…」
寄添はそう言い、抱えた渚を近くにとめていた車両へと持っていく。
「…ちょう…?」
(しゅう…りして…?)
ようやく、多少なりとも元に戻ってきた頭で、彼女は思う。
(して…らえたら)
思い出すのは、凪の顔。
恐怖に染まった、大切な彼の顔。
(あって…いって)
自分の無事を伝えたい。
(ぜひやるべきー)
(やるべきだなぁ!)
彼女は頭をはっきりさせるためにも、久々に脳内でキャラクターを作り、自身の意思をはっきりとさせる。
(何がどうなってるのかは…よくわかんないけど…とにかく、そうしよう)
これからすぐに訪れることになることを知らず、彼女はただそう思った。
▽―▽
「………」
優樹は呆然としていた。
報告役が呼び出されていなくなり、紫目の舞踏姫によって拘束を解かれた彼の眼前には、空中投影された画面が存在する。
そして。その画面に映っていたのは。
「…ニロイ」
彼が人間らしさを求めた舞踏姫である彼女だ。
彼女が有人のイベント会場を襲撃し、さらには装甲服たちと戦っている。
彼らはかなりのタフさを誇り、次々と浴びせられるニロイの攻撃を防ぎ、その合間を縫っては射撃。優樹が見たことのない、途中で割れて幾つにも分かれるエネルギー系の弾丸で反撃し、ニロイを押していた。
「……」
その様子を複雑な気持ちで優樹は見る。
ニロイが負ければ、装甲服たちに彼女は破壊されてしまうかもしれない。だが、勝てば彼らを殺すことになり、それは優樹の望むことではない。
…そもそも、襲撃からして、彼の望みではない。彼はただ、
(普通の人間らしくって)
そうあることを、彼女に求めた。
人を攻撃するようなことを望んでいたわけではない。そんなあり方を求めて、いままで彼女に接していたのではない。
「どうしてだ…ニロイ…!」
彼は聞こえないと分かっていながら、画面の向こうの彼女へ向かって言う。
ただ彼の言うとおりに、人間らしさの結論を出し、行動した彼女に対して。
そんな今の彼は、先ほど意味も分からず暴行されたことも忘れていた。
「…楽しいこと、ありましたかねぇ?」
その背後、閉じた扉の向こうで基地総司令は言う。
「これからかもしれません」
彼の言葉にそう返し、紫目の舞踏姫は目の前の床を見る。
そこには人が一人倒れている。
どうやら、報告役らしい。後頭部に穴をあけ、反対側の額から地を流す彼は、沈黙したままだ。明らかに死んでいる。
「彼は…」
「楽しいことあったんじゃないですかねぇ?」
基地総司令は、いつも通りの表情でそう言う。
「だからもう十分ですね。人生は」
「処理は完了しました。そこの男はどうします?」
紫目の舞踏姫は、優樹がいる部屋の扉を指す。
彼は今なお、基地総司令の指示によって表示された画面で、ニロイの様子を見ているだろう。
「これからかもしれないのでしょう?ならもう少し放っておきましょう」
「では、こちらのことは良いと」
「ええ」
基地総司令は頷き、続ける。
「そろそろ最終準備をしましょうか」
「了解しました」
それに頷く紫目に対し、基地総司令は急に言う。
「そうです。せっかくなので彼に告知ムービーをつくってあげましょう」
「簡単なもので良いでしょうか」
「もちろん。あんまり遅くやっていると、エンジェルにやられてしまいますからねぇ。それは短めに終わらせて、本命の準備を」
再び基地総司令は頷く。
「了解。それでは、[最後の楽しい事]を準備完了しましょう」
そう言い、紫目の舞踏姫を前にして、二人は歩き出す。
死体は優樹の通行の邪魔にならないよう、ちかくのゴミ箱にいれておいた。
▽ー▽
「プログラム…さえ、なければ」
凪は呟く。そして思う。
自身を縛る、主への愛を植え付ける、その鎖さえなければ。なかったならば。
彼女の手を取ることができて、もしかしたら。
「渚を………!」
失うことはなかったのにと。
「渚…!」
ただ一緒にいて、都市が終わるまで、楽しい時間を過ごしたい。たったそれだけの望みを阻み、最悪を招いたプログラム。
それは、渚と親密になった凪にとっては、消え去るべき…いや、もっと前に消え去っているべき鎖だったのかもしれない。
▽―▽
この都市は終わる。それまではまだ、猶予があるはずだった。
だが、その前提は崩れる。エンジェルの存在が、基地総司令の存在が、この場所をすぐに終焉へと導く。
残された時間は六時間。
そのカウントが尽きたとき、全ては終了する。
『やぁやぁお残りの皆さん。これからすっごく楽しいこと、ありますからねぇ?それを今から発表させていただきましょう!』
そんな動画が、昼過ぎ、暗い都市に流され始めた。
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