[第三章:消え去るべき鎖/暴走者265]その8

 爆発と共に、体育の天井の数か所が崩れ落ちた。

 偶然にもそれによる人死には出なかったが、当然のことながら混乱が発生する。

 突如として崩れた天井。激しい破砕音。体育館内を包む漆黒の煙。それに混ざる炎。

 それらが瞬間的に参加者たちに襲い掛かったことにより、数人が本能的な恐怖によってパニックを発生させたのである。

 視界が最悪の中、参加者たちは出口の方へ向かって走り出す。

(一体、なんなんだ…!?)

 凪は渚と出口の方へ急いで向かいながら思う。

(エンジェルが侵入し、攻撃をしかけたのか?それならば警報が出るはず。ならば一体?)

 さすがに完全に冷静ではいられず、無駄に答えのない思考を繰り返してしまう凪。

その最中にも、天井の破砕により広がる罅が拡大し、天井の一部が落ちてくる。

「凪!」

 渚が咄嗟に彼の手を引っ張った。直後、破片が落下し、それによって煙と粉塵が舞う。

「ありがとう…!」

 言う中、凪は渚と共に、すぐに入口へたどり着く。体育館がそこまで広くなかったことや、換気のために開けられていたことが幸いした。二人は即座に外へと出る。

「…これ、は…なんなの」

 出てから数メートルの階段手前のところで止まり、渚は振り返り、体育館を見上げて言う。

「爆弾でも、打ち込まれたような被害だ…」

 眼前の危機を回避し、少し落ち着いた凪は言う。

 目の前の体育館は上から攻撃でも受けたかのように、その上部に多くの穴が見て取れる。壁はひび割れ、崩れており、天井もまた同様。

 炎は建物全体に広がって言っており、煙と粉塵を纏い、広がる。

 そんな中から十数人の参加者がせき込みながら走って出てくるという、地獄のような状況が展開されていた。

「…どうして、こんな」

 渚が混乱した様子で言う。つい先程までは平和であったのに、何故こんなことになるのか。そんな言葉を言外に含んでいることが、凪には感じ取れた。

「……何が起こっている…」

 凪はなんとなしに、体育館の上の方を見ていく。

 都市内の大規模火災を防ぐための消火装置が作動し、多量の水が降り始める中、彼はそれを見た。

「…あれは、舞踏姫?」

 空中にいるのは、多量の装甲と武装を備えた、舞踏姫らしき機械だ。

 右腕には巨大な砲、左手には大型の実体剣を持ち、腰の装甲には大型のミサイルポッドが増設…というか無理やり取り付けられている。

 強引に、手当たり次第に武装を載せたような見た目である。

 その構成からは、何か単純で、純粋な気持ちを、ただ何かをしてやるという意思をくみ取れた。

 そしてその、してやるというのは、間違いなく市民体育館の攻撃であるのだろう。

(暴走…?なのか…?)

 凪は超重武装の舞踏姫らしき兵器を見つめる。

 それは体育館を見下ろし、ただ空中に浮遊している。顔はバイザーで隠れて口元しか見えない。

「…?どこかで…」

 凪は、その顔に覚えがあるように感じる。そしてすぐに、ニロイの顔が似ているのだと結論付ける。

(しかし、ニロイはADだろう。舞踏姫の訳がない…)

 舞踏姫らしきものの正体は、彼には分からない。ニロイだと気付くこともあり得ない。

 そもそも渚と遊ぶときにしばしばいただけの、舞踏姫ニロイの思いなど、凪は知りもしないし、理解もしていない。それは、あの男(・・・)もそうであろう。

「なんなんですかねぇ!?これは!?」

 急に大声を上げたのは、主催者の女性だ。

 凪たちは思わずそちらを向く。

「主様、そんなの見た通りです。いいから点呼だけしてみんなで逃げましょう」

「そうねぇ!皆さん数えるので手か何か上げてくださいねぇ!」

 いち早く脱出していたらしい主催者二人は話し合いの後、燃え盛る体育館から出た参加者の数を数える。

 彼女から見て右側から、座り込んでいるものや、恐怖で蹲るものなど、一人二人とカウントしていく。

「全員、出れたのでしょうか…?」

「ゴホゴホ…といいんだけどぉ…」

 数えられていく中、地面に膝をついた参加者数人が呟く。

 こんな急な事態だ。混乱したり、落ちた破片で動けなくなったものや、もしかしたら死んだ者もいるかもしれない。

 家族やADがいた者はその可能性に思い至り、青ざめる。

「逃げおくれとか、いやだぉ…」

 恐怖した別の一人の呟き。それを聞いたとき、凪の思考が動いた。

(もし、そうだったなら。脱出できないままの人がいるならば)

 主催者二人の人数確認はまだ終わっていない。

 そのため、まだ事実がどうなのかは分からない。

 だが、可能性は確実に存在する。恐れるべき事態が発生しているのかもしれない。

(…なら、私は…)

 そんな中、主催者の女性が慌てた声で叫んだ。

「ちょ、ちょっと足りない!?二人ほど!」

 声を受け、驚きと恐怖で周りをみる余裕のなかった女性が気づく。

「…あ、れ?いない、あなた!?」

 彼女の声に応える声はない。いましがたの事態による混乱で返事が出ない、と言うわけではない。それを行う人自体がいないのだ。

「本当に……」

 周囲を見渡し、求める人物が脱出できていないことを悟った彼女は、体育館の方を向き、求める相手の名を叫ぶ。

 それにつられ、凪は体育館の方を向く。今なお、炎を噴き上げるそこに。

「人が、あの中に……」

 呟く彼の中で、思考は動く。愛する主に望まれたあり方を、その行動を以て証明せよと、意識の紙面化で叫んでくる。

「…なら」

 故に、彼の体は動いていく。

「ここで待っていてくれ。助けにいってくる」

「……え?」

 急な、脈絡のない発言を凪から聞き、渚の声が裏返る。

「ちょ、ちょっと凪!?助けにってなんで…」

「待っててくれ」

 凪は、動き出す。今はまだ好意プログラムに縛られた彼は、主の望みに従う。プログラムの罅を持っているがため、どこかそれに対し、奇妙な感覚を覚えつつも、現状では、愛するとされる主の言葉を無下にはできない。だからこそ、ヒーローのようなあり方のために、彼は。

「私はそう」

 凪は、握ったままであった作品を懐にしまい、前方にそびえたつ、未だ燃え盛る炎の監獄に向かって走る。

「凪…!」

 渚が困惑と恐怖を露わにして名を呼ぶが、凪は反応しない。体育館の中の男を救うため、己の被害など考慮せずに動く。かつて、渚を助けたときと同じように。それが求められる、彼の形であるからこそ。

「何しに行くんですかぁ!?」

 主催者の女性など数名が驚きの声を上げる中、凪は無謀にも体育館の中へ入っていく。

「……」

 その様子を目の当たりにした渚は、無言で立ち尽くす。その視界にある凪の姿は、降ってくる水と、それに抗って広がる炎、煙、粉塵にかき消されていく。

「凪…」

 渚はどうしようもなかった。まさか火中に飛び込むことはさすがにできないために(土壇場で行動力があるとはいっても、それは自分を顧みない無謀な行為をできるということではない。あくまで判断に迷って動けなくなるようなことがない、というだけだ)。

「…なかったら。…凪は」

 不安そうに体育館の入り口を見ながら、渚は言うしかない。

 …そして。そんな彼女の周囲は、安全なわけではなかった。


▽―▽


「…!」

 突如として、一発の弾丸が放たれた。

 それは空中で割れ、幾つもの光に分かれ、破壊の顎となり、宙を駆ける。

疾走は一瞬。顎全てが空中のニロイに届く。

迎撃を試みる彼女ではあったが、時間が足りなかった。

「…」

 瞬間、彼女の纏った装備の一部が煙を上げ、火花を上げ始める。

 誘爆の前兆だ。

 ニロイはそれを素早く察知し、危険状態の装備の全てを、体を回して分離する。

 直後、空中でそれらはすべて爆発した。

「く…」

 ニロイは自身の周囲に広がった爆炎を手で払う。

 すると、先ほども彼女の視界に入っていたやや遠くにある存在が見えてくる。

水の止められた噴水と木々で彩られた広場。そこに、六人の装甲服姿が確認できた。

 彼らは二列に並び、先頭の二人が盾を立て、中列はそれに守られるようにメカニカルな銃を持つ。そして、後列は中列と同じ装備で待機している。

 おそらく、素早い次弾発射のためだろう。

「……当機を、壊しに来た?」

 ニロイは呟く。

 彼女が装備していたミサイルポッドなどは既に半数が分離されており、左の手の装備も棄てられた。腰の装甲もいくつかなくなっており、機体のところどころに穴が開いている。

 そのような状態になった原因はたった一発の弾丸だ。尋常ではない威力のそれを、再び受けることは避けなければならない。

 だが、相手の銃口は四発。最大で四連射が行われる可能性があり、実行されれば一瞬にしてニロイは撃墜されてしまうだろう。

「なら」

 となれば、相手に撃つ隙を与えずに速攻で殲滅するしかない。

 幸いにもニロイはありったけの装備を、紫目の舞踏姫の助けで積んできている。四割ほどが減ってしまったとはいえ、その瞬間火力は十分なほどに強力であろう。

「危険は排除する。そして…戻る」

 そう。あくまでもニロイは自身の身に迫る危険を排除したら戻るつもりだ。用事は既に済んだのだから。人らしくあるための行動を、終えたのだから。

「脅威確認」

彼女は手持ちの射撃系統の武装をすべて起動させる。

目標は装甲服の集団。

 守るべき人間たちではあるが、

「…どうせ、遊んでいる」

 に、違いない。であるならばそれは怒るべきことであり、そういった思いを剥き出しにして行動するべきで、してよい。

 そのように彼女は考える。本来は人間を攻撃するなどもってのほかだが、彼女の指揮者が遠回しにでも許可を出しているも言える状態であるため、彼女は行動することが可能であった。

「だから。排除する」

この瞬間においては、渚や凪とは違って完全に自由とも言える状態にあるニロイ。

彼女は起動した武装の全てを装甲服たちのいる方向に向ける。

 そして、その全てを放った。

「……!?」

 それらニロイの一連の様子を見ていた渚が、それでも状況を把握しきれない中、空中を数多の弾丸が刺し貫く。それら全てが地上の一点へと降り注いだ。

「ああ!?」

 そして、至近距離での爆発の余波を受け、渚は地面を転がる。

 水が跳ね、彼女の体を濡らして汚す。

 数回転し、いたところとは反対の体育館の入り口の端で、彼女は止まった。

「う、うぅ……」

 傷ついた彼女は、なんとか上半身を起こす。

 だが、下半身が受けた衝撃のせいかうまく動かず。そこから動けなくなってしまう。

 その様子に、悲鳴を聞いた凪が気づいた。

 

▽―▽


「………?渚…」

 凪は、やや火の勢いが弱まった体育館の中で振り返る。近くには誰もいない。いるはずの男性はどこにもいない。

 その事実に戸惑い、人を助けることだけを考えていた彼の思考に余裕が生まれていた。

「…渚…!?」

 凪は、汚れて傷だらけになり、入り口の目の前の地面を転がる渚を見て驚愕する。

「…うぅ」

「渚…!」

 その様子と、今なお外から聞こえてくる爆発音から相当不味い事態になっていることを凪は察知する。

「今、助けに…!」

 彼は走り出そうとする。一刻も早く、大切な彼女のもとへ向かうために。

 だが。

「………!?」

 体は…いや、凪の思考回路は感情とは、凪の思いとは別に動いた。

「はし、らない…?」

 彼の体は、それを操る思考回路は拒否する。

 そして、彼の頭の中に、こんな言葉が、思考が再び浮かぶ。

 取り残された人を、助けなければ。そうするべきだと。

「………」

 それは、好意プログラムに基づく思考。愛する主の望みを無下にできず、聞きたいとする、つくられた思考だ。

(助けなれば、雲日の望みに応えないことになる…)

 彼女が凪に求めたのは、恒久的な、かつて死んだ自分の夫と同じ在り方だ。

 それは一回で終わりのものではなく、永久に続けるべきものである。

「それは…いけない、こと…?」

 呟き、なぜ、望みに応えないことがいけないと考えるのかと、彼は疑問に思う。

(望みに応えない…それは、彼女の思いを拒絶すること…)

 動けない中、凪の思考は回る。

(どうして、いかなる理由でいけないと…。だって私は…雲日のことが)

「好きなのだから」

(!?)

 彼は、自身の口から発された言葉に驚く。

 そうであることを植え付けようとするかのように形になったそれに。

「私は雲日のことが好きで、愛しているのだから…その彼女の気持ちを裏切るような行為はやってはいけないんだ…」

(なんだ、なんなんだ?)

 彼は困惑する。

 自分の本心とは異なることを言い、今の思考を侵食するかのように広がっていく、別の思考の存在に対して。

「なん、だ…なんなんだ」

 彼は渚を助けに行きたいと思う。見ず知らずの誰かよりも。だが、反発するように、

(ダメだ。雲日を裏切ってはいけない。別の人のために、今の行動を無責任にも放棄するのは、彼女の望んだあり方ではない。彼女のことが私は…なのだから)

 そんな思考が反発するかのように強く、強く浮かんでくる。そして、心をそれに染め上げようとする。

(まずはここの人を助けてからだ。投げ出すのはダメだ。こちらの方が事態が急を要するのだから)

「……」

 規定されたもの…プログラムが、凪の頭の中で蠢く。雲日という言葉の入った言葉が頭の中に広がる。 

 本来自然に生じ、そこに何の疑問も違和感も持たないそれではあるが、今の主への気持ちが、なくなってきている彼には、それは妙な思考と言える。

 そして、彼はそれに嫌悪感を覚えていく。

 今まで何度か感じていたように、勝手に雲日の存在が頭に現れることと、そのために行動しようとすることで渚を助けられない状態に追い込まれていることで。

「…渚」

 彼は彼女の方へ行こうとする。だが、やはりそちらには動けない。

 助けるべき人が明らかにここにいないと思っても、無事を確認しなければ、捜索と言う行動を変えることは決してできない。

 凪は渚を遠目に見る以上はできず、いるはずの、しかしいないかもしれない男性を探すしかない。

 求められた在り方を満たすために。

(もしや…これが)

 歪。本心と、勝手かつ自動的に湧いてくるほぼ同じ内容の思考、それらを持ったあまりに歪なその状態にあって、凪は渚の言葉を思い出す。

(プログラムなのか……)

 そう思い至り、彼は気づく。

 好意プログラムの存在に。

「…それが、なければ、すぐにでも」

 彼は呟く。外では爆発音が継続的に鳴り響き、振動や光までもが彼の方へ伝わってきている。

 既に体育館は鎮火されつつあり、ここにいた方が外にいるより渚は安全だ。そのため、彼は早く彼女を体育館内にいれたい。

 しかし、本心とプログラム由来の思考が反発し、彼はうまく動けない。

 二つの考えが競り合い、動いても元に戻ってしまうからだ。

「渚…!」

 それでも大切な彼女の元へと行こうとする。入り口付近で男性を捜すという名目で強引に自身を納得させ、どうにか彼女の方に近づいていく。

 だが、奥の方の捜索を打ち切ることに、プログラムに裏打ちされた思考は反発を返す。

 あまり物がなく、男性が入り口付近にいないこともほぼ明確であるという事実が、凪の体を捜索のために体育館奥へと戻そうとする。

 だが、そうあっても彼がまだ多少は進めたのは、好意プログラムに罅があったからなのかもしれない。

「渚…!」

 凪は数歩進む。

 だが、後数歩で届くというところで、ついには彼の体は進まなくなる。

 動けず、雨に濡れていき、爆発音が近づいてくる彼女へ、彼の手は、あと少しだけなのに届かない。

 どれだけそうしたいと思っても、プログラムに邪魔される凪は、それをどうしても、どうしても、どうしてもできなくて。

 だからこそ。

「凪…!」

 爆発音でかき消されていた彼の声を聴いた渚が。

「渚…!」

 その手を伸ばした時。

「排除ぉっ!」

 相手を処理できず、ニロイが地面に向かって右手の砲を最大出力で撃った時。

「バカな!?」

 装甲服が驚く中、攻撃の余波を受けた地面が突如として崩れたとき。

「………!?」

 渚が崩落に巻き込まれるその瞬間に、彼女の手を取ることができなかったのだ。

「な……ぎ」

 たった一言。それだけ言って、渚は空いた大穴に落ちていく。

 凪は動けない中で、それを見ているしかなかった。

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