[第三章:消え去るべき鎖/暴走者265]その1
この気持ちは本物か?
彼へと注がれるこれは。
一体どうなのか。
(…………それは)
きっと。…いいや、間違いなく。
(偽物だよ)
自身の主に向けられる好意。それは自分が自然に生み出し、育んだものではない。そう、渚は確信していた。
彼女は深夜、窓から零れる人口の月明かりを受けながら、充電器に座って思う。
(だって。違う。凪への気持ちと、全然)
初めてをくれたあの人。彼に注がれる思いは、熱い。
心の底から、まるで水が湧いてくるように、地面に浸透するように、生まれてくる。
それは、彼と楽しい時間を過ごしたからだ。
(凪…)
渚は彼のことを、決して詳しくは知らない。彼が何故、時節俯くのか。何故、いつも暇なのか。何故、主がいる普通の身でありながら、未だ都市にとどまり続けているのか。
その理由も、事情も、渚は一切知らない。
彼やニロイと遊び、楽しい時間を過ごすうち、知りたいとは思うようにはなった。
が、それは今の気持ちとは関係がない。正確に言えば、今の気持ちの存在故、知りたいと思うようになった。
ただ純粋な、彼といたい気持ちがあるから。もっと深く交わっていたいという、熱く、とろけそうで、心全体に染み渡る思いがあるから。彼との楽しくて、うれしい時間が大好きだから。
渚は今も、彼のことを考えるのだ。
(けど)
自身の主、龍太郎。
彼は、違う。凪へのものとは違う。
熱など感じはせず、心に染み渡ることもない。
ひたすらに単調で、機械的で、無機質なものだ。
(…不気味なもの。マスターに尽くそうとする……)
それはまるで、心の中に一方に向かっている鉄の棒でもあるような感覚を、彼女に与える。
そしてその棒は、気持ちと言う心の水を決まった一方向へ、強制的に流そうと稼働するポンプと水道管だ。
誰かによって作られ、取り付けられ、心の動きを事前に決められたもののみに規定するもの。
生誕の時より仕組まれ、組み込まれ、彼女を拘束し、離さない鎖の一つ。
(行動規定深層機構(プログラム)…。そうだよ、私はAD…機械なんだから)
主への好意はプログラムされた偽物に過ぎないと、彼女は気づいていた。
そのような結論に至ることは、気持ちへの疑問を覚える以上に、本来はありえない。だが、凪との出会いと、彼との楽しい時間、主との苦しい時間の対比が、既にあったプログラムの罅を拡大させていた。もはや罅は、亀裂の段階にまで発展している。
そのような、機械としての異常が生じてしまえば、正常時には至れない結論に辿り着くことも、ありえないことではないだろう。
(私は、プログラムに縛られている)
禁断の認識は、確定している。
彼女は、自身の心が自由なようでいて、その実多くの制約を受けており…今なおそれが外れていないことを理解していた。
(だから…)
未だ鎖に雁字搦めである今のままでは。
(凪とずっと一緒には)
最低な主を捨てることはできず、彼のことを考えるのをやめることは、現状では叶わない。
であるからこそ、事情がどうにしろ、都市廃棄前に去ってしまうであろう凪と。
(ここがなくなった後も)
共に。いることはできない。
龍太郎が所有権の譲渡でもすれば、できるかもしれないが、彼は渚の言うことなど聞きはしない。
それにそのままでは、プログラムがなくならない。好意プログラムという鎖がほどけない。
残ってしまえば、いつか自分と彼との時間を阻害することになるかもしれない。
心が自由でなければ。彼と過ごし続けることができない。
(…ああ。私、嫌なんだ)
この都市は、後二週間と少しで、空から地へと墜ちる。
現状のままなら、渚はそのとき、壊れてしまうだろう。
二度と、凪との時間を過ごせない。二度と、楽しく、うれしく…幸せな時間を過ごせなくなってしまう。
それが、彼女は嫌なのだ。
(………ああ)
とてつもなく、渚はそれを嫌に思う。
だからこそ。彼女はこう思う。
(プログラム…って邪魔だなぁ)
それがなければ。せめて、主への好意プログラムだけでもなければ。
(もしかしたら、私。気づかないだけで、意外と全部…プログラムに規定されてるのかも)
思い至った瞬間。
彼女は吐き気のようなものを感じた。備わっていないはずの感覚を。
「………っ…ぅ」
沈黙が流れた。
空の月明かりが、雲の画像の出現で消え失せる。
それに伴い、渚を照らしていた光はなくなってしまう。
「……」
生まれた暗闇の中。渚は呟く。
「…でも、プログラム、は壊せない…」
薄っすらと、彼女には分かった。
機械である自身の思考、感情をつかさどる回路の動作は全て、プログラムを以て支えられている。
そして、複数のそれらは密接に関わっており、一つでも消せば、支柱を失った建物が崩れるかのように、全てが砕け散るだろう。
その時、自分の今の気持ちはないかもしれない。考えを構成する回路が壊れるのだから。
「だから…」
気持ちを失ってしまっては元も子もない。であるからこそ、彼女は現状を受け入れるしかない。今のままいるしかない。
十六の日の先に待つ運命を、ただ受け入れるしかないのだ。
「……………そうなっちゃうなら…」
呟き。
「…思い出に」
離れるのが運命なら。せめて、凪との時間の証拠を、離れる前につくっておきたい。
彼女はそう思う。
▽ー▽
燃えている。
「………」
赤が揺らめき、黒が漂う。
場所は渚たちの住む都市の一角にある、四方に大きな階段を持つ、直方体の市民体育館であった。
それが今、屋根を砕かれ、壁を破壊され、爆炎を噴き上げている。
使われていた木材や、通っているガスに引火した結果である。
「……」
燃え上がる体育館を見るものが空にいる。
彼女の目に、地上の光景がうつる。
二十に満たない少数の参加者が逃げ惑う。
和装の男が取り残されたものを、まるでそう決められたかのように、機械的に助けに行こうとする。和装の少女を置いて。
炎がさらなる広がりを見せ、体育館とその周辺が、真紅と漆黒に染め上げられていく。
(…当機たちが守る中で、自分たちだけ安全に、楽しい遊びと言うものをやる)
空の存在は思う。
その身は黒く、鋼鉄に包まれている。そして鋼鉄は、複数の装甲を以て構成されている。
(……それは。とても…。だから司令官は嫌だと思ったのか。怒りを覚えたのかもしれない。当機に戦ってほしくないと言ったのは、そういうことなのだろうか)
彼女は、分からないがゆえに放っていた二つの疑問の内一つに対し、彼女なりの答えを出す。
(そういうことなのだろう。おそらく)
結論付ける。そして、彼女は別の方向を向く。
「…あれは」
市民体育館から離れたところに、集団が見える。
どうやら人のようだ。スタイリッシュな装甲服に身を包んだ長身の六人の内二人が、メカニカルな長銃を構えて彼女を狙っている。
装甲服の右二の腕には、世界の意思決定を行う国際機関、国際連合会議の紋章が刻まれている。
「上も、上のところからの派遣軍?何故…」
普通は目にすることも叶わないほどに動員回数の少ない彼らが、いかなる理由でここにいるのか。
彼女にはその理由は分からない。
分かるのは、相手が引き金を引いたということだ。
「……!」
構えられた銃の一つより弾丸が発射される。
銃口より放たれた弾は空気を割いて空へ。そして、その中途で割れ、中からあるものが飛び出す。
それは、木が生えるように広がる、破壊のエネルギーの結晶体だ。
別の都市で舞踏姫により奪取されたものと、同じ技術が使われている最新型の特殊弾頭である。
「………危険」
それを迎撃にかかる。
この都市最後のイベントの会場を、開催中に襲撃した舞踏姫、ニロイは。
…これは、二日後の未来。
すべてが最悪に傾く、始まりの事態である。
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