[第二章:惹かれあう心/育む彼女]その3
一軒の家が、倒壊した。
「……」
無人となっている木造のそこ(所有権は都市が廃棄されることもあって誰にもない)は、何かが突撃した衝撃で大黒柱が粉砕。自重を支えきれずに崩れたのである。
周囲には木材の破片が飛び散り、掃除されないことで溜まっていた埃がもうもうと舞う。家の周囲数メートルは、視界が一時的に劣悪となっている。
そんな中、家の後から一つの大き目の影が飛び出した。
「うわわわわわ、逃げよう、はやく!」
「そ、うだね。うん、はやくしよう。はやく…!」
自転車に乗った、凪と渚だ。前者はペダルを漕ぎ、後者は荷物を置くための後方スペースに座り、凪の体を後ろから両腕で抱きしめている。
その状態で彼は全力で足を動かし、自転車を高速で走らせ、逃走を試みる。
渚の声からは焦りと恐怖心を感じられた。
普段は落ち着きはらっている凪も声がやや震え、同じことを繰り返しており、平静を完全には保ち切れていないことが分かる。
「……」
二人は自分たちの様子の原因から逃げる。それは一体何か?その答えは一つである。
「…待ってください」
ニロイだ。
家を倒壊させる直接の原因となった彼女は、煙舞う家跡の中心で起きあがる。その頭部を追うフードは、木片で飾られていた。
突撃の衝撃のせいか、少しだけ眩暈のような様子を見せていた彼女であるが、二秒もすれば立ち直り、二本の足で屋内(屋根は崩れ落ちているが)に立つ。
その背後には、へし折れた大黒柱が見え、途中から強烈な打撃でも受けたかのようにへし折れているのが確認できる。彼女はそこに、正面から激突したようなのだ。
直径一メートルを超える太さのある大黒柱にぶつかって、多少の眩暈(一時的な姿勢制御上のエラー)に済むあたり、彼女も頑丈に作られているのが分かる。…まぁ、柔な機体では、格闘戦も行う都合、よろしくないのだから当然であろう。
兎にも角にも、無事な彼女はそれに目もくれず、コートの下にある物の汚れを軽く払う。
隙間から除くそれは、左右二つずつの直方体の物体で構成される、小型の推進装置だ。武装を全て分離しての緊急離脱用のそれは、完全武装時の舞踏姫を飛翔させるには、出力不足な代物である。だが、素体状態の今であるならば、出力は十分だ(ニロイが小型の機体であることもある)。
そのことを証明するかのように、推進器の噴出口から小さめの音が鳴り、彼女を空へと送る。
圧縮された空気の継続的な噴出によって空に上がるニロイは、自転車で街中を逃げる凪と渚を索敵センサーの役割も兼ねた自身の目で追う。
「鬼の役割を全うする」
言うが早いが、彼女は推進器の角度を調整し、二人を追う。
彼女の役割は、今言ったとおりの鬼。…三人は、鬼ごっこをしているのである。
「…これが遊び」
現在、彼女と二人の距離は三桁ほど。位置関係はニロイから見て二人は右斜め四十五度の位置だ。
部分的に碁盤目状になっている街中を、二人は爆走していっている。
ニロイは加速。光度を急速に下げ、二人の進む道路に入る。
「捕まえます」
推進器がうなる。大量の圧縮空気が吐き出され、ニロイの推進力を確保する。
高速で左右の景色が流れる中、彼女は地面から一メートルの高さで二人へ接近。
すぐにやってくるのは十字の交差点で、風を一身に受けて突き進む彼女は、より近い渚の肩へと手を伸ばす。
(捕まえられる)
そうニロイが判断した瞬間である。
「それぇ!」
突如、渚が右腕をニロイの方に、勢いよく向けた。その先の手は、開かれている。そして、そこから出たのは、先の家屋の木片であった。それも結構な量である。
「!」
想定外の事態に驚くニロイ。至近距離で放たれた木片と言う目くらましに彼女はまんまとしてやられる。
センサーである目を保護するため、瞼が自動で閉じ、それによって一時的に視界が失われる。
「どこに……」
相変わらずの速度で突き進む彼女は、暗い視界の中、渚の体を探して手をさ迷わせる。
瞬間。
彼女は何かに、再び突っ込んだ。
「これは」
轟音と共に地面…ではなく床を転がるニロイ。
近くに金属製の何かが二つほど転がる音がした後、彼女の回転も止まる。
「…ここは」
起き上がった彼女は周囲を見る。どうやら、いるのは倉庫のようだ。
近くには入り口の扉が二つ、端に大きな打撃痕のような歪みがついた状態で転がっている。
倉庫内にはそれ以外には大きく、空っぽの金属の棚が一列並んでいるのみで、他は何もない。
「…やられた」
呟いた彼女は、扉がなくなったことで開放的になった入り口から外を除く。
彼女から見て左側の道(逆T字の道になっている)の遠くに、凪たちの自転車が見える。
二人は喜びあいながら自転車を走らせ、ニロイからどんどん遠ざかっていく。
「…」
彼女は追おうとするのだが、推進器は妙な音を上げるだけで動かない。どうやら、今の衝撃で壊れたらしい。そもそも緊急離脱用のものであるため、瞬間的な性能しか求められておらず、耐久性など考慮の外だからであろう。
仕方なく、彼女は走って二人を追うことにする。
「…負けたくない」
ほこりを払い、彼女は倉庫を離れて疾走を開始。車両には劣るが、普通の人間よりはるかに速い速度で道路を進む。
「…そう思うのがよい…?」
彼女は左右に木々の多い道を進みながら思う。
今、彼女がこうして渚たちと鬼ごっこに興じているのは、当然のことながら優樹のことが絡んでいる。
主にニロイに対し、普通の人間らしさを求めている彼は、それを獲得させるため、普通の人がする様々なことを、彼女に体験させることを考えている。
その一つに、遊ぶということがある。それ以上の目的もなく、ただ遊戯に興じることで、心の豊かさを生じさせようとしているのだ。
彼が学生時代に聞いたところによれば、子供の心の豊かさを育むのは、親との触れ合いや、外での遊びであるらしい。
そのことを思いだした彼は、それに従い、ニロイとカードゲームに興じ、彼女自身を単独で遊びに行かせることすらもさせるようになった(彼女一人は今日が初めてだ)。
偶発的にエンジェルの襲撃がないとはいえ、その行動は明らかに問題だが、それが黙認されているのは、基地総司令の恩情…と思われるが…。
「遊びを繰り返せば、心が豊か…他の誰かと遊ぶと、もっと豊かになるかも…しれない?」
(のですか、司令官)
彼女は悩む。
優樹に何度も言われたから、それが必要なことだと判断し、従ってきた。
普通の人らしさ…人間らしさを得るためにと。
(当機は…)
しかし、元来兵器でしかない彼女に、それを求めるというのは少々無理な部分もある。人間と言うものとして生まれていない彼女は、人間らしさと言うものが理解できないのだ。そして、それができなければ、得るのは難しいものである。
彼女は人間の特徴として定義されるものなら処理できるが、それはあくまでも理解ではなく、情報の処理だ。思考の基礎が、究極的に言えば計算機にも等しい彼女には、人のように理解する、ということは難しかった。
にも関わらず求められる為、彼女は悩む羽目になっている。
言われたことをこなしつつ、目的である人間らしさの獲得のために、何か答えを見つけようとして(答えを出すことを理解とする)。
だが、それが功をそうしていた。
「……とりあえず、二人を捕まえる」
ニロイは言いながら、先ほどの飛行時に見た町の大まかな構造を脳内で、簡易的な立体模型の形で構築。追っている凪と渚の位置関係から、待ち伏せを行うのに最適な場所を探す。
「…負けるのは、いけない気がする」
彼女は無表情なまま、角を曲がり、階段を数段飛び越して上がり、また道路を疾走していく。
生真面目に、そうありすぎるほどに。
「だから頑張るべき…、でいい?」
今のニロイの中には、僅かであるが、感情の原型らしきものが存在している。得ようとしている、人間らしさを構成する重要なものであるそれが。
そうなった要因は主に二つ。一つは彼女が高度な思考回路を搭載していること。もう一つは優樹が彼女に、自身での思考を促すことがそれなりにあること。
人間らしさを求め、人間らしくあろうとし、そのための模索を行い続けた結果が、今の彼女を形作る。
理解はしていないが、そうしようと考えて行動したことに、意味があったのだ。
…まぁ、それらを考慮しても、感情の発生は十分に奇跡的なことであっただろう。
本来、存在しないはずのそれが、優樹の願望だけを根本の要因として生まれたのだから。
「……ここで待つ」
ニロイはある道路で足を止める。
木々の生えた縦長の日本系家屋に挟まれた、狭い道だ。自転車二台が並んで通ることがどうにかできる程度である。
その先には複雑な曲がり角やカーブのある道があり、凪たちはニロイを巻こうとそこを通り、彼女のいるこの道に来る。
彼女が途中で密かに離脱したことは、逃げることに必死な二人は知らないだろう。ならば、道路に面した家の門にでも潜んでおけば、不意打ちが可能だ。
と、このように判断したニロイは、目の前にあった無人の日本家屋の門を開け、中に踏み込む。
「……誰もいない。逃げたから」
人気のない家を背に、彼女は門に体を付け、道路側を伺う姿勢を取ろうとする。
その際、フードが木の枝に引っかかる。人が管理しなくなり、好き放題伸びていたようだ。
彼女は僅かに顔をしかめ、フードに少し刺さった枝をへし折った。
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