[第一章:それぞれの日々/軋む心]その3
渚を助け、彼女に助けられたADの少年、凪。
彼は驚いている。なぜかと言えば、目の前の少女がお礼を言った途端に涙を流し始めたのである。
尋常ではない反応に凪は驚きを隠せず、
「大丈夫なの?どうしたんだ?」
と慌てて聞く。
それに対して渚はパニックでも起こしたかのように、体をカクカクとみょうちきりんな動きをする。はたから見れば急に壊れたようにとれなくもない。
実際、黒スーツの女性はこう言っている。
「え、え、電子頭脳に損傷行ってたの?検査不足だった?」
一方。
(私の行動が何か不味かった?彼女は触られて嫌がるタイプ?それともトラウマでもあってフラッシュバックした?この様子から考えてみればどうなんだ………)
凪は先ほどのぼけた反応とは裏腹にきわめて冷静に、論理的に思考を展開する。
(彼女は数秒前まで重そうな足取りだった。つまりは心が沈んだ状態にあった、と。きっかけは私が手を置いたこと?いや違う…私の言葉……)
そこに少し思考を足し、凪は渚に言う。
「さっきのお礼、いらなかった?余計なこと、だったかな?」
状況から考えて、先の一言に何かがある。ならばひとまず謝ったおいたほうが良いと、凪は思ったわけだ。
そして、言葉をかけられた渚は頬から一滴の涙を落しきった後、
「………あ、ううん。そんなこと」
ぎこちない笑い声と共に。
「そんなことないよ」
非常に柔らかな笑顔を見せた。
そして、彼女は涙を拭き、凪に言う。
「…助け合った仲だし…連絡先の交換でも、しない?」
▽―▽
山内の基地。その一角には、都市の天井に接続した円柱状の大型昇降機が貫通してある場所がある。
昇降機の根本、基地内部には数人の作業員と、舞踏姫が動く姿が見えた。彼らは巨大なコンテナを誘導するもの、コンテナ側面のパネルを操作し、開封を行って内容物の確認をするものに分かれている。
本来、戦闘用の舞踏姫もこの場に駆り出されているのは、人手不足が理由であった。
この都市は被害が多く、過去一度この基地がエンジェルの攻撃で破壊されかけたことがある。その際、多くの人材が失われており、補充も意図的に行われていない。
さらには家族と疎開するため、転属した者や退職した者もおり、最終的に基地の勤務人数は三十に満たないという悲惨な状況になった。
「………補給も最後か……」
優樹は壁に設置された通路から作業場を見て言う。
[能勢口]の上には[浮遊都市兵庫]の別の区画が存在している。資材集積場としての役割を持つそこからの物資の補給は、今回が最後となる。
その理由は、渚が見ていたニュースでも言われていた通り、この都市が放棄されるからだ。
放棄の実行も一か月後に迫る中、いつまでも物資を送るわけにはいかない。減らせるところは多少強引に、無理な理由を付けてでも減らしていたいという上の思惑もあるし、もとより現在は物資不足だ。やや早めにも見える打ち切りには、そういった事情もあるのだろう。
人材の補給がなされないのも、それに関わっているだろう。
ただ、その代わりなのか、今回の補給はやや多めだ。これを以てして、都市の放棄準備が完了するまで、持ちこたえろというメッセージも感じ取れると、優樹は思う。
まぁ、十分な防衛体制を構築するには足りないと思われるが。
「あと一か月…もたせないといけない」
この物資を用いてここで防衛を続けることには意義がある。
浮遊都市は一区画であろうと十分すぎるほどに巨大だ。それを分離させるにはそれなりの時間と労力を必要とする。具体的には一か月半ほどだ。
その前に防衛に失敗し、エンジェルがこの区画を占拠するようになっては不味い。分離が完了していない状況では、それは懐に入り込まれるも同義。現在は上の区画とも接続しているため、上区画の侵入の可能性を上げてしまう。それを防ぎ、できるだけ安全に都市廃棄を行うためにも、防衛行動は必要不可欠だった。
「……防衛には舞踏姫が必要…」
優樹は作業する赤や青の瞳を持つ全六機の彼女らを見て言う。
今の彼女たちは、殻のような傘型のバインダー兼装甲を外した素体状態である(彼女らは素体に兵装懸架のバインダーを装備することで戦闘機能を獲得する)。そのため、外見は黒いボディスーツのただの少女に見える。
彼女らがそんな見た目をしているのは、ある理由があった。
「………」
それは、士気向上である。エンジェル、セラフィムとの戦いが始まってこの方、人類は戦果を挙げるどころか押されて続けている。目立った戦果が世界中どの都市においてもなく、そのために士気は下がっている。士気の低下とはやる気の低下であり、それは仕事の効率を大幅に下げる要因になりかねない。ただでさえ良くない現状を余計に悪くさせることにつながってしまう恐れがある。
これを防ぐため、ある時点から主力兵器である舞踏姫の頭部を人間の女性をできるだけ模倣して造形した上で、生産することが行われた。性能が高く、ここの戦闘で戦果を挙げること自体はできる彼女らを祭り上げることで、周囲のやる気を上げようとする。ようは一部の宗教のように偶像崇拝をさせようというのである。
……が、それは見積もりの甘さ故に上手くいかなかった。そもそもガワを多少変えたところで性能が大幅に上がるわけでもない。墜ちるときは墜ちる。前線の人々の心の寄る辺とするには、彼女らの強さは、性能は足りていなかった。人類の状況が改善するどころか悪化するばかりなのがそれを物語っている。
それにはもちろん、物資不足など性能を発揮できない要因もあるにはあるが、それを差し引いても、彼女らの性能は足りない。もっと圧倒的な性能や戦果を得なければ意味などなかった。
舞踏姫を開発、配備した時点から行えば、今とは違った結果があった可能性もあるが、今それを言っても意味などない。
兎にも角にも、あまり効果の発揮できなかった舞踏姫の偶像化。それはただちに白紙になり、現在新規製造されている者たちは、飾り気のないのっぺりとした素体にセンサー類を搭載しただけの、兵器然とした元のものに戻っている。人の顔を象り、機能を再現するのは、性能に差が出ないわりにコストは無駄にかかる、という理由もあって。
「……」
しかし、である。舞踏姫に人の顔という外装をつけたが故に、あることが起こった。
なまじ人の形をしているために起こる事。この世界が有人兵器を主力としていなかったために、起きたこと。優樹が優樹であったために起きたこと。
それは……。
「…ニロイ」
感情移入である。
現在、彼は基地の舞踏姫たちを、人と近しい、または同一のものと見るようになってしまっていた。そして、幼少期からの善性故なのか、彼女らを戦わせたくないと思うようになったのである。同じ人を戦いに赴かせたくないと。
さらには、彼女らに自身の思考があったのも彼がそう思うようになった理由となる。戦場での柔軟な思考のため、人間に近い思考回路を持たされた彼女たち(思考の芯は機械的なものだ)は、表面上人間のように考えることが可能であった。それが優樹の感情移入を加速させることに繋がったである。
「……く」
それが、今の彼を悩ませることになる。なぜならば、彼は今、この基地における戦闘指揮官だ。前任者が以前の戦闘で基地が破壊された際、運悪く死亡したことに対し、書類上最も指揮能力が高い優樹は、その役目に任ぜられることになっている。
そんな彼は、エンジェルが現れたときには、都市外壁のカメラという俯瞰視点から戦場を見つつ、舞踏姫の戦闘指揮、補助を行わなければならない。つまりは、彼女らに敵を倒すために壊れる覚悟で戦場へ赴け、そこで戦えと言わなければならない立場だ。
普通の指揮官なら兵器であり、生き物でも、ましてや人間でもない彼女らを指揮することに、一切の躊躇も覚えないだろう。
だが、優樹はそうではない。根が優しすぎる故に、悩んでしまう。彼女らを戦わせたくない、兵器として扱いたくないと。だがその一方で、いざ戦闘となると、冷酷に指揮をする。内心したくはないが、防衛の重要性は彼なりに理解しているし、おざなりにすれば舞踏姫にも、自身の姉がまだ残るこの都市にも被害が出るかもしれない。
だから彼はやるしかない。嫌でも冷酷に、舞踏姫を死地に向かわせる仕事をこなさねばならない。その自己矛盾に、彼は余計に悩んでいるのだ。
「司令官」
「あ…ニロイ、か」
作業が一段落したところで、ニロイが階段を上って優樹のところへやってくる。
彼女は午前中までは整備用カプセルで整備を受けていたが、それが完了したため、搬入口に来ていた。
「…なにか御用があるのですか?わざわざ搬入口に来て」
「いや…ちょっとデータ整理の作業をしてたら疲れちゃってね…気分転換に散歩に来たんだ」
優樹は柔らかな笑顔で言う。先ほどの悩みの思考を打ち消すために。
「散歩ですか。…以前、司令官が連れて行ってくれた、あれですか」
背の低いニロイは、赤い作り物の瞳を上に向け、無表情で優樹に言う。
「覚えてくれたんだね」
「それは、勿論」
淡々と言うニロイであるが、その言葉に優樹は少なからず喜びを感じる。
「当機らが守るこの都市の中を、何をするでもなく、ただ歩く…そんなことをしましたね」
「楽しかったかい?」
優樹は、当然のことを聞くかのように、自然に言う。
「楽しいか…………。当機には、私には……答えが、出せません」
ニロイは無表情で、しかしどこか困ったような表情で言う。
「そっか。まぁ、初めてだし、そんな簡単に答えはでないよね」
「………」
沈黙するニロイを見て、優樹は良い傾向だと思う。
前よりも人らしくあると。
「…………人らしく、自由に」
彼には、ある望みがある。舞踏姫たちに普通の人のようになってもらいたいという。
彼女らは、戦闘時は兵器として扱われる。だからそうでないときは普通の人のように話し、振る舞っていてほしい。そうあった方が彼女らにとっても幸せだろうと。
例え兵器として製造されていても、彼女らはほぼ人間のようなものなのだから、そうであるべきだと。
そしてそのためには、その出生故に人間的な要素を欠けさせている彼女らに、普通の人が行うような体験をさせるべきだと考えた。だから以前、非番であった日に、ニロイを密かに散歩に連れ出していたのだった。
「そういえば、あのフード付きのパーカー、気に入ってくれたかな?」
「司令官が、当機へ買ってくれたあれですか。……嫌と言う判断は出てきませんけど…」
「…あ、さっきより進歩してるね」
嬉しそうに言う優樹。
「進、歩………人間らしく、ですか」
「そうだよ。君たちはもっと普通の人間らしくあっていいんだ。そのための努力なら、僕は惜しまないぞ?」
「そうですか」
淡々と答えるニロイ。そんな彼女に、優樹は特に入れ込んでいる。
他の舞踏姫と違って、普通の人間らしくあってほしいという望みに、そのための諸々の行動に対し、一番よい反応をしたのが彼女であったからだ。
今現在、彼女は表面上、他の舞踏姫よりも普通の人間らしく振る舞っている。
そのことを優樹は、とてもうれしく思っていた。
「今度はトランプでもしよう。バレないように夜にでも」
ニロイに対し、笑顔でそう言いつつ、彼は休憩を切り上げる。作業のために通路から元の部屋へと歩いていく。
「…………」
そんな彼を、ニロイは少し悩むような表情で見ていた。
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