[第一章:それぞれの日々/軋む心]その2
「…あの人、大丈夫かなぁ?」
渚は長椅子に座り、修理がなされた自分の体を見ながら言う。
損傷部には包帯のような固定用テープが巻かれていた。彼女のようなアンドロイド…AD(アートドール)は、機体のフレームと関節部以外はナノマシンで作られている。細胞のように振る舞うそれを補修個所に注入、または塗布することで損傷を回復させられるが、機体本体と同化するのに少し時間がかかる欠点があるため、こうして一時的に固定する必要があった。
「私は無事だったけど…あの人は結構損傷がひどかった…治るといいけど」
彼女は少し不安げに顔を上げる。
そうすると、周囲の光景が目に入ってくる。彼女がいるのは小さな病院のような施設だ。構造としては自動ドアの入り口からL字の通路を通り、長椅子のある待機スペースと受付。さらにその奥に通路があり、その側面にある系四つの部屋の扉全てに、『診断・調整室』の電光表示が確認できた。
そのうちの一室から微かではあるが機械の駆動音がしており、扉の足元から光が漏れている。一方で、他の部屋からは音も光も発せられてはいない。使われていない証拠であった。
「…まだ、開いててよかったなぁ。廃棄決定で、あちこち閉まっていってるし…」
言う彼女が視線を移すと、壁の上の方に大型の投影画面が二つ見える。左は呼び出し番号を表示するもの、もう片方はニュースを流すものだった。
『この町も後一か月で放棄です。それに伴って疎開が進んでいるわけですが…あ、人がいます』
渚が見つめる中、ニュース画面では駄菓子の個人商店をたたむ老人と記者のやりとりが交わされる。
先ほどまではエンジェル侵入の話題を取り扱っていたが、今は別の話題に切り替わっており、数日前に撮影されたであろうVTRが流れている。
『そりゃ店じまいもするさね。この街には愛着はあるがの、わたしゃまだ死にたいわけでじゃないからの。惜しいが、離れるほかあるまいて。入荷もできなくなってきておるしの』
『そうですね。政府の都市廃棄の決定から、物資の搬入数は大幅に削られています』
『……捨てる場所に物資を送り続けるなど、屑籠に食えるりんごを捨て続けるようなもんじゃからの』
画面が切り替わり、記者が町の通りでフードの小さな女の子を伴った三十代男性に質問する。
『最近の町について、どう思いますか?』
彼は頭を掻きながら、
『…随分と人が減りましたよね。今でも残ってるのは、愛着があって離れるのが嫌なのが大半だと思います。…あまり人気のない通りを見てると、ここがなくなるというのが、身に染みて分かります…』
少し表情を陰らせながら言う。一方、彼に手を惹かれた、フードの女の子がボソリと呟く。
『…なくなる…』
その言葉に対し、渚も呟きを漏らした。
「……後一か月で、ここはなくなる」
彼女の言う通り、この都市は一か月に廃棄される。[浮遊都市兵庫]の下部区画であるここを、分離させ、地上に落とすことが決まっていた。そのために、半年前から疎開を推奨する文言が町の画面や、広告代わりに個々人の通信端末に表示されるようになっている。現在、住人の九割は疎開をしていて、町は閑散としているのであった。
「戦局悪化とか、損傷拡大って話だよね」
決定がなされた理由は、渚の言う通りだ。浮遊都市の下部にあるここは、地上からエンジェルの攻撃を受けている。数年前から、防衛軍の損害が戦果を上回るようになっており、さらには都市本体にも攻撃が波及。他都市より群を抜いて損傷を受けるようになったここの維持の是非が争われた結果、廃棄が決まった、というのが経緯だ。
「何回か延期されたけど、一か月後には…間違いなく…ここはなくなる」
そう言った直後、彼女は表情を沈める。
「なくなるのに…マスターは離れる気、ないし…」
龍太郎は今やごみ屋敷と化した小さな家に、ほとんど引きこもっているような状態だ。
離れる云々の前に、家から出すらしない可能性の方が高い。
自棄になって飲酒の毎日であることも考えれば政府からの疎開告知は知っているはずだが、例え死が待っているとしても、動きはしないだろう。
「……なのに。私は、マスターと一緒にいるしか……ない」
龍太郎のことを考えたことで、渚の心は沈む。苦しい日常を思い出すことによって、だ。
「………」
渚は沈黙し、意味もなく床を見つめ始めた。
…とその時である。
受付奥の、唯一使用されていた部屋の扉が開く。
「…あ、どうです?」
渚は嫌な気持ちを強引に心の奥にしまいつつ、顔を上げ、中から姿を現した女性に聞いた。
チャック式の黒スーツに身を包んだ彼女は渚のほうを見て、
「ええ。幸いここの設備で修復できる範囲だったわ。もう少し破損が大きかったら手の施しようがなかったし…ってああ、ここは敬語だったわ」
最後にそう呟き、ぎこちない笑顔で渚に対して言葉を続ける。
「ええ、ええと。…大丈夫です、安心してください。この通りですから」
黒スーツの女性が手招きをすると、手足に渚と同じ固定用テープを巻かれた、一人の男が出てくる。
髪は長く、身長は渚と同程度が少し上程度。恰好は和装で、少女のように見えなくもない風貌である。
「……」
彼は修理後の再起動をしたばかりなのか、少しだけぼんやりした様子で渚を見る。
それに対し、彼女は口を開く。さきほど生じた不快感を紛らわそうとする意味も持って。
「…あの、ダイジョブですか?」
「……あ」
どうやら頭が完全に覚醒状態になったようで、意識のはっきりした様子の彼は、突如口を開きき、
「大丈夫、大丈夫、おっきくじょうぶ!」
体を大きく動かし、
「問題ななしでなしがおいしい」
前傾姿勢となり、
「ここにいる私はいるのだからして、いる入鹿、蘇我のドルフィン!」
両腕を左斜め四十五度で固めた。
「……………」
その様子を半眼で見る黒スーツの女性と、
「……えっと」
反応に困り、言葉が続かない渚である。
「……」
「……」
「……」
沈黙。
ツッコミを入れるものが不在の中、突如として面白くもない事を言われてそのままでは、こうなるのも仕方がない。
何とも言えない変な空気が院内に流れる。
「い、いえ、それはそれとしておくわ…きましょう」
両手を軽く合わせて音を鳴らし、黒スーツの女性が微妙な空気感をどうにか崩した。
「……あ、えっと。ごめん、いつもの癖で」
彼は慌てた様子で姿勢を直す。
完全に覚醒したのだろう。
「…随分変わった癖を持ってるんだね……芸人気質でもあるのかな……?」
そんな彼を見て、遅れて驚きがやってくる渚。ただし、驚き方がどことなく弱弱しいのは先の嫌な気持ちのせいだろうか。
「…まぁとにかく、この人はもう大丈夫ですよね?」
渚は黒スーツの女性に聞く。彼女は頷き、
「ええ、多分。まぁ、念のためもう一度検査はしておくべきかもだけど…ですけど」
ちなみに、ADの分類は電化製品に属する(正確には電化製品にも属する)ため、保証期間が存在する。その期間内であれば、修理などは無料で受けることができ、その対応施設がこの病院のような場所である。
なお、保証期間が十年と長く(ADの特性上損傷する機会が比較的多いため)、その代わりに値段もそれなりにする。
「そうですか」
渚は安心し、ほっと息をつく。
(ここにいる理由は、もう、なくなったかな)
今まで彼女は目の前の彼の安否確認のため、ここにいた。それが一応なされた以上、あることをしなければならない。
「まぁ、無事ならいいです。助けてもらった恩も返したし。私は、これで……」
渚はそう言い、出入り口に体を向ける。その足取りはやや重い。
「マスターの様子、見に行かなきゃいけないし…」
彼女は主である龍太郎をあまり放っておくわけには行けない。先ほど戦闘があった後だ。彼の安否を確認する必要があり、しなければならいという思考が彼女の中にはあった。
「…………」
言葉を発さず、出口へ足を延ばす彼女はうっすらと考える。
……帰って安否を確認しても、生きていたら罵声を浴びせられるだけだろう。せっかく彼のために帰ったのにも関わらず。容易にそれは予想できる。
………それはとても、とても、とても、とても。たまらなく……。
「…」
だが、彼女は行くしかないのである。本物なのか分からない気持ちに動かされて。
まだプログラムに囚われる彼女は、その行動を変えることはない。今の時点では、変えようと強く思うこともない。
ただ、肯定無き苦痛の日々の中に居続ける。
心のどこかでそれを嫌だと思いつつも、同時に、ずっとこのままだと思い、諦めている。
そして。
「………」
自身の行為の肯定。
かつて得るために頑張ったそれ。自分の苦痛の原因となるそれを。
彼女はもはや、手に入らないと思っていた。一度でもあってくれたら楽になれるけれど。
「…私は」
未来永劫、もらえることはないのだと。思っていた。
だから。だからこそ。
「ちょっと」
袖を惹かれて。
「……なに?」
目の前の彼に目を見られて。
「……すぅ」
彼が息を吸って。
「……?」
言ってくれたことは。
「ありがとう。運んでくれて」
「…うぇ?」
最初のものだったためかは分からないけれど。
諦めに満ちた心を揺らし、照らしてくれて。
「助かったよ。ありがとうな」
初めて受けるそれに、渚は今まで感じたことのない喜びを、感動を感じたのだ。
「………あ」
その体験に涙が一滴、彼女の頬を伝った。
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