第7話『"許して"と"おはよう"』


 ——2018年5月。


 あの夜のこと。


 透弥は今治の寝室に忍び込んだ。普段からふざけて寝起きドッキリ等と称して入り込むことなんかザラで、今治も別に部屋に入ってきたことを咎めない。それを逆手にとって、中に入る。

 室内はほとんど透弥の所持品だった。本人は自分の好むバンドや音楽関連以外には異常に無欲で、服も最低限お洒落だと思われる程度を所有していればいいと思う、所謂ミニマリストのような人。そんな彼を物に溢れさせたのは透弥のせいだ。

 今治が簡素なパイプベッドで眠っている。

 夜中だ、当たり前だ。

 目の前まで移動してやっても起きる気配がない。睡眠が深い時間だったんだろう。横になっている今治の胸の前あたりに腰をかけて、少し考える。


「(これは、今治を護るため——)」


 そう言い聞かせた。仰向けで阿呆みたいな顔をしている今治の頭の左右に、両腕をついて、上から見下ろしてやる。


「リンク」


 今治から太陽のような匂いがした。

 ——本人は本当に気づいていない。魔術師だと本気で知らない。だが透弥は初めから分かっていた。雨の中で太陽の匂いを漂わせる男が、魔術師以外の何であるというのか。

 しかしそれも今日で終わり。

 お前は今日から本当の人間になる。


「お前の作った魔力を全部俺に。俺からお前にはやらない」


 だって魔力を渡したら魔術師と気づく日が来るかもしれない。


「——コア・スリープ」


 念には念を、と、コアを機能させない魔術もかけた。もし解けたとしても、今治が使った魔力は自分のものになる。気づいたとしても解除なんて言わせない。リンクのことは教えなければいい。ほかの魔術師と関わることもないだろうから、知る機会もないはず、と過信した。


「……んがっ」

「……」


 今治が頭をガクッと動かすと、目をパッと開いた。覆いかぶさっている透弥の顔を見て、状況を分析しているらしい。

 ここでもしコアを封印したと知られたらまずいことになる。透弥も動くに動けず、覆ったまま今治の言葉を待つ。


「なんかあったっすか?」


 何も無い。ないよ。


「なにも」


 上手く笑えた自信もなかった。やっと腕を外して、ベッドの縁で座ってニコニコしてやる。これが今透弥に出来る一番のごまかしだった。


 透弥は知っている。

 この男が非常に聡明であることを。


 だからこそ、今のこの場面は、きっと突っ込まない。なにか起きたことを知っていても、きっと深くは聞かない。だってそれは俺が今知られたくないと今治が察知してくれるから。

 今治がうーん、と言いながら身を起こす。


「喉乾いたんで水飲みに行くんすけど、透弥さんも飲んでから寝ます?」

「そうしようかな。行くぞ」

「うん」


 やっぱり、この男は、大変に聡明だ。


***


 理人はヌンチャクの片方を持ち、コノハの刀を弾く。右が利き腕らしい。その逆の左足を前に突き出して蹴飛ばそうとするが、コノハはふわふわ浮いて後ろに逃げてしまう。

 そんな足がつくかつかないかのところで、迷いなく理人の鳩尾を狙って刀で突き上げる。

 剣は見切っていたらしく、右で持ったヌンチャクを理人から見て時計回りに素早く回して、刀を上に逸らして当人は膝を落として背を反らす。ガラ空きになったコノハの顎下を狙って左足を振り上げ——ようとしたが、何かに抑え込まれて動かない。左足を見ると群青色の液体が床と張り付いて、足に絡みついていた。奥のいをりが右手で何かを掴むジェスチャーをしている。彼女の仕業だとすぐにわかった。右足なら空いているのでそれでコノハを蹴って避けると、ヌンチャクをいをりの頭目掛けて投擲する。

 勿論コノハがすっ飛んできて、モノは左右に割れる。下から上に斬った。


「はぁん、めんどっち」


 理人は手に何も持たない状態になったが、足をとんとん鳴らして、胸の前で手を合わせた。手を左右に開くと、そこには包丁くらいの刃渡りの小刀が現れる。


「武器は幾らでもあるのかな」

「言わん言わん」

「だろうね」


 回答を理って、小刀を右手に握る。足を引いて構える——が、ばっと上を向く。


「——、? な、なんや」

「よそ見とは余裕だな!」

「ちゃうねん!! わかれへんのか!」


 理人が声を荒らげて上を向く。


「アカンアカン、おかしいやん。なんでや。なんで、上から魔術師の匂いがふたつに増えんねん——」


 いをりとコノハもすうっ、と大きく鼻から深呼吸をする。今治の言っていたホテルラウンジの香りは相変わらず分からないが、目の前にいる男からも匂いがしない。

 のに、ひとつ、太陽の匂いが増えている。

 この香りは彼らも知らない。


「上に行ったんは今治さんだけやろ……!? ふたりはおらんかった! せやったら匂いでわかる!」

「……まさか、あの男」


 コノハはニヤッと口角を上げた。

 いをりも気づいてハッとする。


「今治さん、もしかして——」


***


「魔術師だったんだなぁ俺」


 悲しそうに今治は言った。用が済んだ円筒を手放して落とし、カシャンと軽い音を立てた。何年も前から今治を雁字搦めにしていた体の違和感は、もうすっかり無くなって、むしろスッキリした感覚すら覚える。魔力が無くなった弊害だったんだろう。手放した手を拳にしたり開いたりを繰り返して、たまに手から力を抜いて、ふるふる振った。

 透弥は間に合わず、途中で走るのをやめて数歩後ろにステップした。距離をとったのは、これも念には念——。

 今治が木刀を右手にだるんとさせながら持ち、透弥の方を向いた。


「なんで?」

「言わない」


 思った通り言ってくれないようだ。だけど、こんなことをする理由が透弥にない。お互いに殺されないし殺さない、そんな信頼だけが一番強かった関係であることは、今治だけじゃなく透弥とて同じように感じていた。だからこの行為はきっと透弥にとって必要だった。きっとこの信頼を脅かすことの無い理由があった上のことだろう。

 しかし今治はあまり許せなかった。


「ひとつくらい相談して欲しかったな」


 左手をぎゅっと拳にした。


「俺そんなに役立たずだった? 俺に言えなかったの?」

「……言えない」

「自覚もない雑魚魔術師で、いつでも殺せたから?」

「違う!」


 透弥は今日初めて、いや、今治の家から出て以来の大きな声を出した。悩んだ様子で前髪を掴んでくしゃっと潰しながら、違うんだよ、と顔を顰めている。


「違ぇ、違ぇって……! 俺はただ、」

「何?」

「……ッ、言えない! 言わないけど! だけど違う!」


 要領の得ない会話だったが、たまに透弥と今治はこうやって言い争うことが前から幾度かあった。

 大体は今治が折れてやる。この男は駄々をこねるのがとても上手かった。そして嘘をつくのも上手くて、人を丸め込むのが何より得意だった。そんな透弥すら、たまに今治に気圧されて、折れることもある。

 だけど今日は、初めてふたりとも折れる気はなかった。どうしたって理由を聞かないと今治は納得できないし、この理由を話すことをどうしても嫌がる透弥。

 そもそもこんな状況になること自体がおかしい。だってこうならないために、今治から魔術師としての尊厳を、全て奪ったんだから。なのになんで、再び現れて1分ほどで、全部持っていくんだ。透弥は納得できなかった。


「分かった。言わなくていいよ」


 今治がそう言うと、少し安堵した顔を見せた。この顔を見るのも3年と少しぶり。結局この顔と得意気な「ありがと」にやられて、次も言うことを聞いてしまう。

 だが、今日の今治はそれだけじゃ倒せない。


「言わなくていいけど、透弥さんは、俺との大丈夫を裏切ったんだね」


 ぐっ、と苦しそうな顔をした。押されてぐうの音も出ない、この顔を見るのは3年よりもっと前かもしれない。ここまで言い負かしてやった経験はそう多い事ではない。


「ち、違——」

「違うならそのチンケな隠し事やめてよ。大丈夫、と、その話、どっちが透弥さんの中で重たいの」


 こんなに彼を黙らせられるのは、今治しか居ないだろう。口が非常に上手い男だから、基本的に勝てるわけが無い。それで上手いこと楽しい人生を送ってきている。

 だが今ばかりは本気で勝ちに来ている今治に押された。性格のいい言い回しではないが。


「それとこれは、関係ねぇだろ」

「ないと思う?」


 正直透弥は対抗のために関連性が無いと言い切ったが、心の奥底ではこれが信頼を裏切る行為だったとは思っている。殺す・殺さない、それ以上の信頼を。

 透弥は黙って考え込んだ。綺麗な女顔が歪むのが、今治のちょっとした優越感の素材にもなる。


「透弥さんなりに、理由があったんでしょ。そうじゃなきゃやりませんよね」

「……。」

「せめてそれが……俺を貶める理由なのか、それとも、もっと前向きな理由なのか位は教えてよ。後で深いことは聞くから」


 透弥はそう言われると、今治の方を向いて、前髪をくしゃっとまた潰す。言葉に迷った時や追い詰められた時によく見る仕草だった。彼の行動が大体わかるくらいには理解していて、その上どれもこれも久々で、嬉しいのに全く嬉しくなかった。

 弟にそっくりな絞り出した声をあげる。


「護るためだよ——」


 何から?

 どうして俺を?


 これを聞くのは今じゃない。今治は右手に持っていた木刀を両手で構える。切っ先が丁度透弥の顎辺りになるように。


「分かった。詳細はボコしてウチに連行したら聞いてあげる」

「……お前に勝てば言わなくていい?」

「当然」


 眼鏡を右手で掛け直して、小さく息を吐いて、深呼吸。武器を持たず仁王立ちで大きく息を吐き切ると、今治のよく知るホテルラウンジとタバコにブルーベリーの香りが波動のように発される。唐突な懐かしい香りがぐわりと空間を占拠した。

 ——これは下で戦っているいをりたちにも、離れている千葉と唯華にも分かるほどの匂いだった。


「そういう訳なら手加減無し。今自覚したばっかのガキだとしてもな」

「どうぞ。俺が勝つんで」


 透弥はもう一度眼鏡の位置を調整した。

 今治をしっかり見据えながら、彼は両手を顔の前で合わせ、指の付け根から離してひし形を作る。形を保ったまま手を顔の外まで開いた時、ただでさえ光の入りにくい黒い瞳が、ふっと色を消した。


「どろどろ」


 ふぅ、と最初のひし形の辺りに息を吹きかけ、通り抜けた風は闇色のいくつかの小さなボールに変わって跳ねる。いや、跳ねているというより、徐々にコントロールされて今治に直進する。

 ——なるほど、ホーミング弾。

 今治はたどり着くタイミングを見計らって、木刀でボールを打ち返す。が、コントロールされているので法則を無視して今治に再度向かってくる。これではキリがない。

 今治が握った木刀が光り始める。太陽の日差しのように。この剣でなら、このホーミング弾を打ち返せる。まるでバットのようにボールに当てると、パン、と火花が散る。弾が爆ぜたらしいが、爆ぜたとて火花をあげることはない。今治の魔術の効果だろう。

 なんの魔術なのかは透弥ですら知らない。この戦いでじっくり見定めてから負かしてやるつもりだ。


 もう数発ホーミング弾を発出し、今治の視線を上方に集中させる。あまりこちらを見させない、そのうちに。緩く開いた右手の中指辺りを、唇に触れるか触れないか位まで寄せて、呟く。


「とける」


 どろ、り。

 暗闇の影に液体のように溶けた。いや、融けた。今治が視線を外しているその隙に、立っていた場所からは忽然と姿を消す。今治がそれに気づいた時は時既に遅し。

 ここから発せられる透弥の強すぎる匂いで居所が分からなかった。まさか、背後にいるだなんて。


 今治の影から透弥が現れると、背中を目掛けて足を振り下ろした。当然死角で避けられず、まともに蹴りを背中で受け止めてしまう。噂には聞いた透弥の脚——蹴り。重くて痛くて骨が軋む。こんな戦いを、今治と知り合う前はずっと、ひとりで続けていたのかもしれない。

 背中で受け止めて吹き飛ばされた身体だったが、たった数時間で仕込まれた受け身で更なるダメージを防ぐ。——ローレルが仕込んでくれたのだ。

 戦うことに慣れているわけが無い男が受身を取ったのを見て、透弥は顔を顰めた。確実に支度してきているのが、彼にとっても無性に神経を逆撫でされた気分になった。

 こちらにもう一度木刀を構えて来る今治の瞳からは闘志が消えなかった。

 戦うことを辞める気がない、その瞳が悲しくなってきた。たった数発やり合っただけだが、今治に勝つなんて手を抜いていても簡単なこと。だけど、そこまでやる気があるなら、力を以て勝ってやる。

 透弥は肘を曲げて、胸の辺りまで上げる。まるで糸人形を操るような姿勢。


「傀儡」


 言い終わる前に霧散して透弥がまた消える。今治は構えながら待つと、今度は横から、腐った匂いが充満する。魔力の匂いなんて関係ない。これは、多分——普通にヒトが腐った匂いだ。

 左側に木刀を振るうと、グシャ、とミイラのような物に当たる。

 当たった音も、対象も、非常に気持ちが悪くて、思わず「うっ」と喉が引き攣った。そんな様子を見た透弥は攻撃の手を緩めず、同じようなミイラで今治を弾くように殴らせる。

 彼は戦闘が、大好きだった。戦うのが楽しい。その相手が負けて懇願してきたりする様を見るのも楽しい。何より自分が強くて、自分以上が存在しないかのような達観——絶頂感。ここに居るだけで、舞鶴透弥は舞鶴透弥たる理由である。

 最強。

 これが彼にとって最高の脳内麻薬だった。

 しかしながら、今回の戦闘は生きてきた中で最高に、つまらない。

 確かに透弥は今も強いし、今治を圧倒している——けど、こんな戦いするはずがなかった。あるはずのない戦闘でテンションが上がるわけが無い。


 つまらない。

 つまらない。

 飽きた。

 でも、

 殺せない——。


 こんなにつまらない戦いもう終わらせよう。


「千里同風 活殺自在 古今無双。融解傀儡術・極楽」


 今治には見えないだろうが、闇にとけ込んだ中で、透弥は胸の前で拳を上下に重ね合わせる。掌底が触れ合うように動かして、ゆっくりと蓮の花が咲くように、手を開く。

 これは、舞鶴透弥の、真骨頂。惜しみなくこの男に放って、早々にご退場頂こう。ここはお前がいていい所じゃあ無いのだと伝えるために、負けてもらおうか——。


***


 上方の匂いが入り交じった1階。……最高の匂いだ。晴れ晴れした草原にいるかのような気分になる。落ち着くウッディな香りと、太陽の香りで、なんだかとても安心してしまう。

 だが目の前の舞鶴理人から視線を逸らしては行けない。相手は或る兄弟の弟だ。このふたりがどういった理由で共謀しているかは分からないが、強者であることは確実だ。ここで仕留めなければ、今治にも影響する。

 ——ただもう一回くらい、この香りを吸ってもいいだろうか。

 全員もう一度深呼吸すると、理人は呟く。


「……あっほらし〜」

「え……?」

「あほらしって思わん? こんなええ匂い嗅いでっとさ」


 理人はオーバーに身体を動かして、ふたりへと語りかける。掴んでいた小刀に気づくと、それも勢いよく後ろの方へと放り投げた。

 戦うことを放棄したようにも取れた。


「油断させてぶっ潰す、ということかね?」

「あーそれもええけど……気分やないなぁ。もーあかんのよ。やりたない、こんなくだらん戦い」


 ため息をついて、その場に倒れ込んで大の字になる。天井を眺めるのに上を向いて頭が痛かったのか、後頭部に組んだ両手を差し込む。

 未だ警戒が解けないふたりに対して、「話聞いたら攻撃せんてわかると思うから聞いてや」と告げ、その姿勢のまま彼は話し始めた。


「俺なぁ、魔力ぜーんぶ、兄ちゃんに貰っとんねん」

「ぜ、全部!? 自分で作れないの……?」

「おん。作れへん。せやから俺兄ちゃんとリンクせな生きていかれない。持ってる魔術は正直兄ちゃんより強い、世界一位レベルのもんなんやけどね。その代わりやろか」


 悔しそうに言うのではなく、怒り心頭でもなく、慣れ親しんだ実家の住所のように簡単に言い始めた。


「どれもこれも兄ちゃんは俺のためにって生きてきた。嬉しいで、せやけど、」


 理人の声が少し震えた。


「俺がおらんときしか本気出してくれへんの……」


 苦しげだった。迷いが、辛さが、滲み出ている。

 この包むようなリラックス出来る匂いに、理人が今まで何度か思ってきた覚悟の背を、ポンと押されたような気持ちになったのだ。


「に、兄ちゃん、ほんまはこんなに強いん、よ……。でもな、俺が邪魔やねんな」


 理人は両手で顔をおおった。


「もうアカン……戦いたないよ……。兄ちゃんの重石になるくらいなら、人間でええよぉ……」


 ついに嗚咽が聞こえた。

 ——悲痛なものだ。


 この男は本気で兄に対して絶望的な劣等感と情景を重ねて、それを兄弟愛と勘違いしているようだ。


「リンク解くから……許してやぁ……」


 だってそこに、足を引っ張らない好敵手が居るんだろう。今治晃平が。なら自分のことなんか忘れて、存分に楽しんで戦って欲しい。

 ——ああ、また兄を彼に取られてしまった。


 人目を気にせず涙を流した理人に攻撃なんか出来なかった。いをりは警戒の姿勢を随分前から解いていて、それに気づいてからコノハは両手の武器を消した。

 いをりはこの男が何もしないと確信して、理人の横にそっと座る。


「……理人さん」

「なん? ……情けないなあ、悪いなあ」

「違うんです。あの……」


 このいをりの発言に、コノハは耳を疑った。

 本人が言い間違った様子も、ない。本気で彼女が言っているのだ。それが彼女の意思なら——コノハは尊重するまでだ。


***


 屋上では、今治を束になったミイラの数々が襲った。一体退けると、それが倍になって増えてきて、これも「どろどろ」と同じで、キリがない!

 何体倒しても、いくら殴っても、ずっと戻ってくる……。

 いくつ倒したかわからなくなった頃には、とうとう今治を囲いこんでも余るほどの数になった。何時間、いや、気分では何十時間、似たような奴らを倒したか分からない。今治の思考は疲弊の欠片を見せる。


 全部が全部意志を持って動いているかのような攻撃。これは透弥が本当に各個コントロールしているのだろう——透弥のあの言葉が、魔術発動のトリガーなのだとしたら、長すぎる。きっと彼の隠し玉なんだ。この数をコントロールする頭も、魔力も、きっととんでもなく消費するはずだから。

 それを使ってでも言いたくない、今治の封印についての詳細。いっそ今治は興味が湧いてきた。こんなに強い人物が、何から護る為に、あんな小賢しいことをしたんだろう、と。

 俄然楽しくなってきた。透弥と相反して、彼は初めて戦闘を楽しみ始めた。


 悪を下すヒーローのように。

 悪の親玉・舞鶴透弥を下して、企みを聞こうじゃあないか!


「はぁぁあ……!」


 まるで自分が主人公になった気分だった。光る木刀を360度ぶん回して雑魚を蹴散らし、一体を台に飛び跳ねる。そしてもう一度、光のサークルを描くように、木刀を振り回す。

 狙いは——糸人形の、糸。

 マリオネットが糸を切らしたら動けなくなるのは、当然だろう。

 それさえ切ってしまえば、これは動かなくなる!

 今治は信じてやまなかった。糸の部分を狙った攻撃は通った。ワンテンポ置いて、全てのミイラがぐしゃりと膝を曲げて倒れ込む。


「ぃよっしゃ!」


 今治が嬉しそうに降り立って、囲まれた場所を数回飛んで離れる。包囲をあっという間に抜けて見せた。が、これだけで攻略出来てしまうようでは、世界レベルを名乗れる魔術師ではない。

 カタカタとミイラ達が立ち上がり、今治の方へと一直線に駆け抜けてくる。

 今治も剣を構えるが、数が尋常じゃない。対処出来るか分からないほどに。


 ——じゃあ、対処出来るようにするには。

 正義のヒーローになったつもりになるんだ。そう。俺の魔術はそういうもののはず。


 だって幼い頃からずっと、中学生になったって憧れたのは、「人より正しいヒーロー」なんだ——!


「シャインブレードォオ!」


 上に高くジャンプして、木刀を頭の上に上げる。とけてなくなったはずのミイラ達の目、否、視線が全て刺さったその時、刀を下に向けて、中心目掛けて落ちる。

 ドン。

 醜い音と共に、中心のミイラを押し倒し、首スレスレに木刀を突き立てた。木刀の衝撃波は光になって円状に伸びていく。まるで浄化されるように、他のミイラが光に触れ、土塊になっていく。


 そして中心のミイラは、光に触れて、眼鏡を失った舞鶴透弥に変わっていた。


「……」

「やった、見つけた」


 今治は得意げに、あの夜されていたように、木刀を用いてではあるが頭を見下ろした。

 どうしてあの群れの中に、透弥がいると分かったのだろうか。ミイラは倍々に増えていって、この屋上には、定員の数倍の数だけミイラがいただろう。その中に紛れているたった一体のそれを見つけるなんて簡単じゃないはずだ。


「透弥さん、今ばっかりは、安全策——とるだろうなって」

「……だっさい、ネーミングセンスだな」


 そう嫌味を言うのが、透弥の精一杯だった。

 視界が悪くてすぐそばにある今治の表情すら分からない。これが舞鶴透弥の一番の弱点だった。


「ねぇ、透弥さん。俺の勝ちだよ。」

「……そうだな」


 ほんのり世界に光が戻ってくる。あれから6時間も先頭を続けていたらしい。ミイラのせいで今治の頭が狂うところであった。


「……透弥さん」


 眼鏡が無いのを言い訳に、お前の顔は見ないと、ぷいとそっぽを向かれてしまった。負けたのが相当悔しいのだろう。朝日の片鱗によってほんのり出来た影が、まるで水のように煮沸するほど。——いや、影が液体な意味がわからないが、そういう魔術師なんだろう。今治は彼がどんな魔術師なのか知らなかった。

 顔を顰めてむん、としている透弥が、なんだかようやく懐かしく思えてきた。


「ねぇ、透弥さん」


 今治が離れると、目の前に手をスッとかざし、最初にかけていたメガネが現れる。持っていたけど戦いのためにしまっていただけらしい。位置を調整しながら上半身を起こすと、目の前には、手を伸ばして笑っている男がいた。


 登ってきた朝日を背にして、手を伸ばす。

 まるで最初の日の、透弥のように。


「おはよう。透弥さん」


 今治の方が余っ程太陽だった。


 迷った挙句、透弥は手を取る。ぐいと引っ張られて立ち上がり、服をパンパンと叩いて、ついたゴミを払った。言葉にもたっぷり迷って、今治の手を離すのを忘れながら、彼に声を掛ける。


「おはよう……いまばり」


 今治はもっと嬉しそうに、向日葵の笑顔を向けた。

 だが透弥はいたたまれなかった。自分が最強である自信があったが、この男は殺してはいけないからと配分に気を配りすぎたせいで敗北した。そう思っている。こんなに情けない負け方をしておいて、この男にどう顔を合わせればいいんだ。

 握ったままの手が焦りで少し湿るが、今更手を離すのもなんだか意識しているみたいで気持ちわるい。あまりにも自分の居所が悪すぎてどうしたらいいのか全くわからず、あー、う、と適当な母音しか口から出てこない。


 ガシャン


 いや、それ以外にも思う所があるはずだ。そもそも今治に負けたのは大問題だが、あのコアを解放した円筒はなんだろうか。透弥の視点はまだ定まらずに右往左往させる。


 ガシャ ガチン


 あのマシンがなければ今治が気づいてここにやってくることも無かったはずだ。だいたい悪いのは、そのルバート副社長とかいうやつでは無いだろうか? とも考えた。しかし逆に感嘆に値する行為だろう。元々コアが貧弱な人物に渡せば、一定のレベルまで引き上げられる可能性がある。持続時間が5秒じゃなくて……


 ビピ。

 カション。


 ……首に違和感。いやそれどころか、手首も。

 ……は?


 透弥がやっと思想の世界から戻ってくると、手首には手錠、首にはなにか分からないが機械のようなものが取り付けられている。

 今治の方を向いたら、あ、気づかれたと真顔のまま返事をしてくる。


「な、なんだこれ」

「ふつーの手錠ですね。暴れられても面倒っす」

「暴れないっつーの……! 首のはなんだよ!?」

「わ〜、透弥さんが意味わかんなくてキレてんのレアでいいなぁ」


 ぶっ殺すぞ、という言葉が先に出た。しかし魔力を込めようにも、なんだか力がするんと抜けてしまうような感覚で、魔術をひとつも出せない。手錠されていても出せるはずのどろどろを出すべく、ひし形を作って開いても、なんの反応もない。出そうとしても出せない——。

 訳の分からない状況に目を白黒させていると、今治は続ける。


「首のもうちの副社長のスグレモノ。魔力制御装置です」


 勝利と久々の再会をやっと実感した喜びからか、今治はヘラヘラと笑っていた。そんな今治の説明は容量を得なかったが、ひとまずローレルが作った、魔術発動自体を抑制する目的の首輪らしい。手首でも足首でも本来良かったのだが、壊される可能性がいちばん低いのは首しか無かったらしい。


「……。お前今楽しい?」

「? 楽しいっすよ」

「クソサイコが……。」


 透弥は頭を抱えた。今治の悪いところは何一つ治っていなかった——。


 そうして屋上の戦いは、今治晃平の勝利で幕を閉じた……のだが。今治は魔術の話以外で一つだけ聞きたいと言い出す。もうここまで来たら了承して話した方が早そうなので、透弥は「何」と聞いた。

 今治は男の中では大きい方の目をくりくりさせて、透弥の目を覗くように見る。


「あんたそんなに背高かった?」


 透弥の顔がまた顰められる。そう、今治の中の舞鶴透弥の身長は172センチメートル。そして本人の身長は178センチメートルだ。

 しかし今、手錠をかけて首に装置をつける時も少し位置が高く、目を覗くのも下からだった。これは明らかにおかしい。今治が抱いていた疑問については、透弥が苦しんだような声を上げた後に、回答される。


「……靴に仕込んでる」


 今治の笑い声が六本木の街の上に響いた。


***


 そして時は少し遡り、皇いをりがそっと理人のそばに座った時までやってくる。

 理人は見られたくないのか少し身を捩った。


「あの……」


 いをりはつぶやくように提案した。


「弊社に入社したらどうでしょう」

「……え?」

「は? い、いをり? 君は何を」


 混乱した声を上げたコノハだったが、すぐに口を噤んだ。いちばん主を否定してはいけない立場の人種が、彼女の考えた事を頭ごなしに否定していいわけが無い。すぐに姿勢を戻して、彼女の言葉の続きを待った。


「お兄さん、透弥さんは容疑者なんですよね。理人さんはお兄さんがやったと思いますか?」


 理人は涙目のまま身を起こして、いをりの方を強い視線で差す。眼光が強い。さっきまで泣いていた男だが、兄の侮辱のような言葉に耐えられなかったのか、すぐに怒りを宿した。


「やるわけあらへん」

「……私たちは今、その件を解決するために、動いてるんです」


 ハッとした様な顔で、いをりの言葉の続きを、コノハのように待った。兄をどうこうしたいという訳では無い、それが分かるだけで理人にとっては味方だ。

 自分が兄の重石になっている自覚はある。だけど、兄のことはやっぱり好きだから、兄のために何かをしていたい。

 それが戦いではない別のところから出来る可能性があるなら、縋ってでもやりたい気持ちだった。


「理人さん。ルバートで兄の無実を証明しませんか」


 ——その言い方は。

 ——それじゃあ、舞鶴透弥はまるで、何もしていないと確定したような言い方じゃあないか。

 なんてコノハが零しかけたが、必死に飲み込んだ。

 あんな蹴りを落としてくるやつが無実確定だなんてそんなことないだろう、という偏見から出てくる言葉だ。それを理人がどう受け取るか考えていない、酷い言葉。こんなことを言おうとした自分を心から恥じて、会話を見守る。


「——やるよ。やる。兄ちゃんのために、別の方から仕事が出来んのやったら。」


 理人は立ち上がって、いをりに手を伸ばす。彼女が手を取って立ち上がると、今度は両足をつけて少しだけ見上げる姿勢に変わる。

 いをりの右手を両手でそっと支えてあげるように、緑色の目がいをりをじっと眺めた。青い光が奥に見えるようだった。


「俺を、入れてください」

「きっと、入れると思いますよ」


 いをりは微笑んで、理人の手の上に自分の手を重ねた。コノハは今すぐにその男から離れて欲しい気持ちでいっぱいだった。映画で見るラブストーリーのワンシーンのようで、なんだか見ちゃいけないものを見ている気分になったからだ。


「ほんで、俺とリンクしてください!」

「ぶち殺す貴様!!!」


 コノハの怒りが限界だった。

 屋上までは届かなかったが、千葉にまでは届く怒りの声が、街の下層に伝播した。


 ——ともかく。

 舞鶴透弥は確保。舞鶴理人も確保だが、目的変更によりルバート入社を希望。


 こうして六本木ヒルズの戦闘は、朝を迎えると共に終わりを迎えたのだった。


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