第6話『退いて』


 朝がやってきた。今治は誰より早く起きて朝食の支度をする。昨日は全員が夜を抜いたから、少し豪勢にしてやろうと思って、カフェのモーニングセットのようなものを多めに作った。余ったら冷凍すればいい。ここには食べる人はまだいるから。

 良い匂いに釣られるように、ローレルが先に降りてきた。続いて千葉、唯華、寄島も降りてきた。男フロアに住む人はこれで全部。上のフロアは——まあ、コノハが起こしてくれるだろう。先に降りてきた数人への配膳が終わった頃に、女子フロアの住人たちがのそのそと降りてきた。その3人にも朝食を置いてやると、この1ヶ月近くで各自定位置になったテーブル席について、いただきますと呟いた。

 申し訳程度に付けておいたテレビは、今日もBS外のニュースを流す。ルバートはBSの外れの方にあるので、外の電波を工事無しで受け取れた。今日から大型連休になるから、新幹線が混むらしい。ゴールデンウィークが始まる少し前に帰省したので、今治の新幹線は空いていたらしい。


 全員が食事を終えた。やっと美味しい食事を食べられて、腹一杯になるほど食べ尽くした。冷凍なんかする必要もなかった。食器を流しに置きながら、社長は「今治は舞鶴兄弟をどうしたい?」と明日の予定を聞くように問う。間髪入れずに彼はハッキリと声に出した。


「透弥さんとは俺一人で会いに行きます」

「死ぬの?」

「死なないです。大丈夫」


 ならいいと満足気な表情を見せた。自殺する気がないのであれば、社員の思考を邪魔する権限は社長にない。

 これで会話を終わらせようとしているように見えたので、すかさずローレルが右手を肩ほどまで挙げた。珍しいローレルからの挙手に面食らったが、「どうぞ副社長さん」と社長は彼を指名した。


「ひとつ大事な魔術の話をしたい。」


 魔術に詳しい方である社長ですら、ローレルがなんの話をここでしょうとしているのか、意図が見えなかった。正直大事な魔術なんてものは何個もある。誰もが使えて当たり前の、ベースのようなものが大体それに当てはまる。もしくはセカンドのように非常に重い法に触りかねない魔術とか。

 だがそれと舞鶴兄弟、もしくは会いに行く今治と何がどう関係するかは、彼女に理解できなかった。それって何、と無粋な質問をせず、ローレルの言葉の続きを待つと、彼は彼らしいのんたりとしたペースで続けた。


「リンク、というものだ」

「リンクぅ? なぁんでまた、あんなの」


 もちろん社長だって知っている、彼女のセカンド寄島も知っている有名魔術・リンク。これを今話題に出す理由は、彼女だけじゃなく、名前を聞いたことも無い新入社員らも分かっておらず首を傾げる。


「結論から言うと、多分舞鶴兄弟はお互いにリンクし合ってると思う。だから潰すなら両方同時にするべきだ」

「根拠」

「ただの蹴りなのに今治くんに分かっていをりちゃんたちには分からない魔力が匂う意味がわからない」


 すかさずローレルに聞くと、用意されていた答えで押し黙った。納得出来たらしい。

 これは声に出さなかっただけで、ほかの魔術師達も何となく違和感を覚えるような事だった。魔術を使えば魔力の匂いが充満する、これは当然の摂理。しかしながら今回の場合、ビル上から降りてきた透弥がどこに魔術を使ったかと言うと、おそらく着地。それ以外に考えられるのは、足へのダメージ軽減のための、バリアくらい。

 ふむ、と考え込んだ様子の社長を蓮目に、ローレルはいをりとコノハの方を向く。


「そもそも君らは、舞鶴透弥の魔力を嗅ぎ取れているのかい?」


 いをりは首を傾けて唸った。正直なところ、今治が反応するほどの匂いは感知していない。そしてコノハに至っては、そもそも感知していたら頭への攻撃なぞ察知して避けられている。ほんのりなんだかいい匂いがしたような、しないような。その程度だった。

 素直にあまり分かっていない事を告げると、ローレルは「やっぱり」と腕を組んだ。


「ま、そこはいいけど。だとしても1番知っている人間がここに居て判明できたんだから」

「それとリンクがどう関係すんのよ」

「今から話すよ」


 急かす社長を嗜めて、机の上に置かれていたメモとペンセットを手に取る。ダイニングテーブルなのだが、一応何かあった時のメモ用に、普段から置いてあるのだ。今日それが役に立った。

 ペンを紙の上に走らせると、矢印をいくつか書き、簡単な図形のようなものを描いた。そこには「兄」「弟」と書かれている。


「多分、弟はレアものだよ。匂いが"しない"」

「……まぁ、確かにウチに来た時に匂いはあんまり感じなかったわ」


 冒頭でも伝えたように、魔力の匂いというのはどう足掻いても漏れ出すものだ。それの強さや良さである程度レベルを測れる、見えないスカウター。社長は初日に一切気にしていなかったが、当時一緒に対応したいをりも、ふたりとも理人の来訪時に強者たる匂いを感知していなかった。

 社長もいをりも納得した様子だった。なるほど、匂いがしない、そんなレアな奴もいるのか。ならば分からないだろう。しかしローレルは突然これを否定する。「そんなやついるわけないだろ」と。何が言いたいのかが全くわからなくなり、全員の頭上にクエスチョンマークが浮遊したところで、ローレルは言う。


「そこでリンクだよ」


 彼は左手の人差し指を立てた。注意を引くようなジェスチャーに、全員がローレルのことを見る。彼はペンを手に取って、左右に向く矢印の上に「リンク」と書き足した。


 リンク。

 端的に言えば、二者の魔力を共有するもの。メリットとしては片方がガス欠になった時に、もう片方から直に魔力を配分できること。デメリットはその際にもう片方の魔力を大きく失うため、危険が及ぶ可能性がある。

 そして、あえて片方をポンプ役にすることもある。

 魔力の生産が上手い人物が、下手な方へ魔力を送る。そしてそちらから余った魔力を自分へ送り、余り分だけが自分の取り分になる……というような。この場合、二度魔力が移動しているのが分かるだろうか。一度目は最初に上手い方から下手な方へ魔力を送る時。そして二度目は下手な方のキャパシティオーバー分の魔力が上手い方へ送られる時。


 そしてひとつ深い情報を言うと、この場合、この魔術のルールとして、二度目の魔力変換は行われない。

 他人の魔力が自分の中に流れ込んでくるのだ。


 だからこの魔術は、相性がいい魔術師同士でしか行えない。発動してみるとわかる事だが、相性が悪いようであれば、リンクすると弾かれた際に静電気が指に走ったような痛みが、両者に与えられる。


 ローレルはこれを目盛りにして分かりやすく図にした。一部の色を変えたりして説明する。初めてリンクの存在を知った新入社員らは何となく理解できた様子だった。

 試しにやってみるといい、と言ってローレルが千葉といをりを誘うように、左手の人差し指をくいくいと自分に向けた。

 やり方は簡単、いつも通りイメージしながら、「リンク」と言えばいい。ふたりが同時に試すと、ふたりともパチン、と静電気の痛みを感じた。ローレルとは相性が悪いらしい。


「ま、セカンドをした人はこれができないって制約があるから出来ないのはわかってたんだけど」


 ならそう言って欲しい。無駄に痛い思いをした。


「ちなみに解除するなら掛けた本人を前にして解除するって言うか、ふたりの魔力が空っ穴になるか、どちらかが魔術を使えなくなるかのどれか。まぁだいたい無いケースしかないから、ほぼ合意しないと解けないって事だね」


 だがわかった事としては、他人の魔力で動く事が出来る魔術だということ。そして理人はおそらく匂いがしない。「そんなやついない」と言い切ったローレルだったが、もう一度左手の人差し指をぴんと立てて、もう1つ付け加える。


「そんなやついないけど。理人くんが"そういう魔術の人"なら話が変わるよね」

「魔術ってそんなになんでもありなんですか……?」

「うん。固有ならなんでもあり」


 いをりが苦笑いして聞くと、真顔で淡々と肯定した。


「さて、整理しよう。魔力を香らせない魔術持ちと思われる舞鶴理人。いをりちゃんたちでもそこまで感じなかった魔力の匂い。今治くん曰く、過去WWGのエージェントになるほどの強さが舞鶴透弥にある。——これは今治くんがいなかったら分からなかったね——。そしてリンクの循環ルール。」

「ローレルが言いたいことが分かりましたよ〜。」


 寄島は机にべたっと上半身を伸ばして、にまにま笑っている。「シルクハットをあげます」と言っていたが、ローレルは丁重に「いらないよ」と断った。


「魔力を香らせない魔力を得るために、リンクした弟を使って魔力の匂いを消すように濾過している……ですね?」

「そうでもなきゃ、強い奴の香りをそこまで隠せないよ。ほとんどそれで間違いないだろうね」


 今治くんには通用しなかった身隠しだったようだけど、と付け加えた。あの兄弟のやり口や背景を推察出来たのは、ひとえにこの男のおかげだった。「お役に立てて良かったです」と今治はまた居心地悪そうに視線を逸らした。

 そこまでが予測できると、あとは彼らの居所を割ることと、この先の対処だ。


「これ以降は俺のやることじゃないね。今治くん、夜中の話、試すから下においで」

「……はい」


 ローレルが席を立ち、今治も追うように立ち上がって地下の方へと消えていった。珍しい組み合わせではあるが、昨晩折り入って話していたのだ、彼らにも何か考えがある故かと全員が放置した。

 残された社員たちを見て、社長は首を竦めて、アメリカ映画のように両手を開いて「なんだあれ」と口に出した。ジェスチャーを終えて腕を下ろすと、右腕を腰に当てて、新入社員ら4人を向き直る。


「今治は会いに行くってさ。アンタらどうする?」

「私は、よ……理人さんに、話を聞くべきかなと思います。だから会いに行きます」

「ほう。千葉は?」

「なんにせよ居所を探るところからだと思います。俺と唯華が担当します」

「はい、よーく出来ました。私と寄島はここに残っておくよ。」


 社長はヘラヘラと笑って、こちらに手をパッパと開いてみせる。あとは好きに動きなさいとも言った。

 彼らも席を立って、パーティションの表側へ向かう。


「社長〜。」

「うん?」

「いつかこれくらいのことを、自分たちで導き出してくれる日が来るんですかねえ〜」

「来るわよ」


 寄島の問い掛けには自信満々に答えた。


「だってあたしの弟子よ」

「……それはそれは、とんでもない……。素晴らしい」


 寄島は机に乗せたままの上半身を猫のように伸ばした。

 最強の弟子が、弟子を取るとは——。


***


 千葉は情報を探すべく、外に出た。地図は前回の運転時に何となく理解している。南新宿まで行くのには電車で、そこから先追いかけた道は歩いて辿ることにした。

 新宿に向かっていた訳では無いようだ。新宿に行くなら北に行く。だが彼らは東へと進んでいて、かの有名だった(らしい)、新宿御苑の横を通り抜けていた。

 地図で言う、表参道付近。この辺りでコノハは蹴られた。南新宿からは南東に向かっている。この先にある主要都市は、六本木、田町、汐留や新橋だろうか。だが理人は田町までの距離を歩いて行く気だったのか?徒歩で当たり前のように1時間以上かかる距離だ。頭を悩ませる千葉に、そっと唯華が腕を回した。


「ああ……唯華、ごめん」

「いえ。真面目な貴方も素敵です」

「ありがと」

「私の意見を言ってもいいですか……?」


 千葉が「うん」と優しく言うと、回した腕に少しだけ力を入れてきゅっと身を寄せた。ほんのりとムーディーな匂いが千葉の鼻腔まで届いて、生唾を飲む。


「この辺か、そう遠くないところにいらっしゃいますよ。だって、ここなら、上から狙える向こうのトラップゾーンになりますから」

「そうだね……。み、南新宿から、ここまでで、細い路地ってここが一番だもんね」

「ええ……。さっと見つけて、帰って、"ゆっくり"しませんか……?」


 大きな瞳を千葉に向けて、首を傾げるだけで、匂いも相まって相手がとても美味しそうに見えた。そうだね、と唯華の頬をそっと撫でると、華やいだ。こんなに綺麗な花を愛でずに何を愛でろというのだろう。


 それからは千葉と唯華ふたり、道を練り歩きながら、どの辺りなら潜伏しやすいかなどを試算した。上空からの見張り、駅なんかがある交通利便性の良さなど——を計算した結果、旧青山学院大学青山キャンパス、新国立美術館、旧六本木ヒルズの三点に絞った。

 青山学院のキャンパスは、広く様々な部屋があることから、建物としての利用価値の高さから選出した。新国立美術館も殆ど同様で、芸術性に惹かれる人種であれば選ぶ可能性があると判断。旧六本木ヒルズについては高い建物で、この細い路地からも頂点が見えることから選出。居心地もいいだろう、店舗やオフィスが入っていた上に空調まで完備。ここ以外にあるとすれば、南新宿から徒歩圏外に行くだろう。

 正直、旧六本木ヒルズでも徒歩圏ギリギリの範囲だ。だが、足がつかないように歩いていたなら、有力候補になり得るだろう。


 あとはこの三点の中から、どれになるのかだ。これを絞れるのは、あのふたりを会社の中で一番知っている、今治だけ。千葉は少しだけ今治さんに電話しようか、と言う。それに対して少し頬を膨らませて、「早くしてくださいね」なんて言う唯華が可愛らしくてたまらなかった。


「今治さん、今いいですか」

「なーに」


 電話口の今治は少し疲れた様子だった。だが話を聞いてくれるようだったので、忙しいところすみません、と断りを入れ、本題を話す。


「青山学院大学、新国立美術館、六本木ヒルズ。どこにいると思いますか」

「六本木ヒルズ」


 即答だった。


「失礼っすけど、理由あります?」

「いいよ。あの人屋上好きなんだと思うんだ」

「……屋上、すか」

「確か六本木ヒルズって、展望台あったよね」


 言われて千葉が過去の資料を検索すると、確かに屋上展望台が存在した。街を見下ろせるんだろう。何故それを知っているのかはあえて聞かなかった。


「その三択なら、そこだろうね」

「——ありがとうございます。俺、六本木ヒルズに賭けます」

「うん——うん。」


 千葉がもう一度礼を言って電話を切ると、唯華はそっと千葉に寄り添った。


「初仕事、お疲れ様です」

「ありがと唯華」


 微笑み合うふたりを、昇りきった太陽が照らした。影の大仕事が、彼らの足しになればいいのだが。


***


 千葉が社屋に戻った頃には、もう14時を過ぎていた。何故か1階には誰もいなかった。昼食は今治が作って冷蔵庫に入れてくれたらしく、中にはサラダなどが2セットあった。ふたりで食したあと、今治を探して地下へ向かう。

 そこにはローレルだけが立っていた。

 細かい機械みたいなものが山ほど散らばっていて、そのほとんどは壊れている。ものによっては黒い排気を出していた。機械特有の匂いに、唯華は袖で鼻を覆った。


「あ、おかえり。今治くんは今ちょっと休憩」

「ただいま……。これなんすか?」

「ちょっとね。」


 話していると、今治が地下に降りてきた。汗をタオルで拭きながら、疲れからかため息をついたりしていた。


「あ、千葉っちありがとうね。まず3つに絞ったのも凄いじゃん?」

「ども……。何となく、俺ならどうするかって思って……」

「ゆーしゅーじゃん」


 にっと笑う彼は、本当にいい兄のような人だった。もしそこに居なかったとしても、残りのふたつにいるかもしれないし。そう言うと、ローレルの横に歩いていった。彼らは彼らなりの支度があるらしいので、空気を読んだ千葉と唯華はまた上に戻った。

 上には社長と寄島が戻っていた。おかえり、と言い、千葉の出した結論を待った。千葉は旧六本木ヒルズに居る可能性が高いと報告すると、頷いた。「夜にまたみんなと話しましょう」と言って、彼女は自分のソファに腰かけて昼寝した。自由な人だった。


 その間、いをりとコノハは本を読んでいた。サボっている訳ではなく、ふたりの精神を落ち着けるために。コノハは情けなさで少しだけ怒っていた。透弥の気配も察知できず、剰え倒れている間に主を危険に晒した。いをりも透弥の気配を察知出来なかったのは同じだ。だがここで無闇矢鱈に鍛錬したところで、無駄に消費してしまうだけだ。ならばその時のために心でも整えておい方が余程備えになる。


「コノハさんは夏目漱石が好き?」

「いや? 目に付いたのが全集だっただけさ」


 そうは言いつつも、コノハは全集から手を離さなかった。


 夕方になると、今治が食事を作りに上がってきた。ササッと作って、ぱぱっと配膳して、あっという間に夕食の時間になった。食事を食べながら社長はこの先の予定を話そうと言った。

 今治は変わらず彼らに会うため、六本木ヒルズに向かうつもりらしい。武器なしで魔術師と対面するのは危険なので、木刀の1本くらいは持っていくそうだ。千葉と唯華はそんな今治が殺されないように道中は護衛としてついて行くことを決める。唯華はあまり気が進んでいないが、今治のためならまぁ仕方ないと、渋々承諾した。できれば夜はふたりでいたかったようだ。

 いをりとコノハについても、意思は変わらず彼らに会う言う。主に理人に会うつもりらしい。彼はなぜルバートを狙ったのか? それを本人の口から聞くために。


「じゃそれいつ行くの?」

「ルーキーたちには悪いけど、俺は今日行きたいっすね。勘づかれたと思ったらすぐどっか行くと思う」


 一理ある意見に頷く。

 実行は今晩22時から。作戦はない。各々思うように兄弟とケリをつけなさい、これが社長の出す指示だった。

 現在時刻は18時。あと4時間後に迫る出発までに準備を済ませるべく、またそれぞれ思い思いの支度に戻っていく。主体性のある会社になっていく。社長はとても嬉しそうに眺めていた。

 いつか来る彼女の"本心"のために、彼らの主体性は育てておきたかった。


***


「さっきルバートの千葉が来てたけど気づいたか?」

「え!? 気付かれへんよ、」


 だろうなあ、と、旧六本木ヒルズ屋上。

 透弥は頭を搔こうとしたが、フードを被っていて布の上なのに気づいて辞めた。眼鏡をかけ直そうにもペストマスクが邪魔をする。あまり思考が纏まっていないので、こういう些細な問題でもイライラしてしまう。

 千葉が旧六本木ヒルズ周辺に来たのは、間違いなくあれからルバートにここを嗅ぎ付けられたから。こちらを処分なり、警察に一旦出頭させるなりさせる気だろうか。逆に好都合だが、誰が来るかによっては逃げた方がいい。

 それこそ荒野美里が今来ると面倒だ。新入社員とか言う2人組も面倒。——いや、まだこっちの方がマシだ。魔力で探知したところ、医療と変貌の魔術師、花の魔術師が他に居る。花の魔術師の方は恐らく副社長だろう。あまり表に出てこないので噂レベルだが。

 ここで一番の当たりは、女の新入社員・皇いをり。こちらが来れば理人一人でも対処出来る可能性がないでもない。逆に大ハズレは荒野美里。アレが来るようなら、今すぐに退却すべきだ。勝てなくはないが、玉がこちらにいきなり出張るだなんて、その周囲も堅いはず。苦戦するのは目に見えている。こちらの手玉が少ないうちにルバートと総力戦……。負ける要素しか、見当たらない。


「最悪こっちのやり口がバレてっかもな。お前を何回か潰して俺を消耗させる魂胆かもしれん」

「んでもそれ、」

「当然仕込んでる。けどな、お前が潰れるのはそんなにいい策じゃない。できるだけやりたくない」


 兄は弟をどうしても差し出したくなかった。

 この場合どうすべきか、必死に頭をフルに回転させる。戦闘にも慣れていない、ただのらりくらり飄々とウソをつくだけが取り柄の弟を、どう守り抜くか。


「——逃げられるか?」

「え、逃げんの? どこに?」

「相手が荒野美里、もしくは3人以上だった場合、上まで来れるか?」


 15年前より光の減った東京を眺めながら兄は聞く。弟を取りつつ、ルバートを迎え撃つ作戦はこれしか思いつかなかった。

 理人は自分のできる魔術を思い返す。普通にエレベーターなんかに乗って屋上になんか行けない。止められるのがオチだ。かと言って階段も使えないだろう。体力勝負になってしまう。普段から飛べているいをりの相方、コノハがここに来たら、こちらも間違いなく捕まる。……であれば、外壁。外壁を駆け上がる。これは……正直出来なくはない。


「出来んで。やったる。」

「よく言った。俺は上に居る。お前が来たら状況次第で逃げる」

「OK牧場!」

「古臭っ……」


 ともかく、兄弟は対抗する気のようだ。

 22時は近くやってくる。


 ——21時前。ルバートの新入社員と今治は車に乗り込んだ。ルバートの初期メンバー3人は彼らを見送った。きっと勝てるだろうと信じて。

 勿論この社屋に来る可能性を案じてここに残るのだが。


 運転は千葉が行う事にした。帰れなくなっても困るので、1キロほど離したところに駐車し、残りの徒歩を護衛する。到着寸前でいをりたちと3人だけでヒルズの中へ。何人もいると思われて余計に壁を固められても困るからだ。遠すぎず近すぎずの位置で千葉と唯華も待機して、不測の事態にも備える。

 車の中は通夜のように静かだった。緊張で押し黙るいをりと、復讐心で心を煮やすコノハ。今治に何事もないことを祈るばかりの千葉と、彼にいい所を見せるべく戦う時を想定する唯華。今治だけは何を考えているのか分からない顔をしていた。しかしそんな今治が一番この空気の重さに耐えられなかった。


「ねぇなんか俺死ぬ未来でも決まってんの? そんな死にそうな空気やめてよね」

「あ、いえ、違うんすよ……。そうならないように、俺もやんなきゃって」


 気張るなあ、と木刀を太ももの間に挟んで、腕を後頭部で組んだ。


「平気。あの人は俺を殺さないから」

「気になっていたんだが、君のその根拠はなんだい?過去に話したことが変わることもあるだろう」


 コノハが聞くと、んー、と少し鼻から息を吐く。


「なんか、譲っちゃったらもう俺じゃなくなるみたいな、そんな本心みたいなのってない? 透弥さんと俺の間にはそれが、大丈夫って認識そのものなんだよね」


 この言葉は他の社員全員に響いた。コノハにも、唯華にも、千葉にも、そういう確固たる自分というものがあった。いをりにだけは、まだそこまでの覚悟は分からない。だけど、いつか分かるかもしれない。


 21:45頃、旧六本木ヒルズ500メートル前に到着した。路駐や奪われることなどを考えると置いていきたくなかったが、コインパーキングもないので、仕方なく路駐して行った。気が逸って全員の足が早く、予定より何分も早く到着する。少し離れたところで、千葉達は隠れて待機した。

 3人で向かうそのエントランスには、グレーの男が自動ドアの奥に佇んでいた。人を検知して開いた扉に反応して、こちらを向いた。そして、目を落とすくらい見開いた。


「お、いをりちゃんが、来……。え、なんで」


 裏にいる男。今治晃平の存在に心底、愕然とした。

 ——この人、ここまで、追っかけてきたんや あの日から、3年、ずっとか!? 正気とは思えへん、頭完全にイっとんちゃう……。

 手にしていた武器を落とすほどの狼狽。今治はいをりとコノハの前に割って出た。いざ正面にすると、分かっていても間違いなく本人だとわかって、動揺が収まらなかった。


「退いて」


 真っ黒な怒りの声だった。

 理人の背が瞬間冷凍されて動けない。


「聞いてる? ど け」


 気がついた頃には、今治が通るための道を開けていた。今治は「ありがと」と言って、元々理人が立っていた場所を通り抜ける。数歩超えた先で、今治はピタリと足を止め、背を向けたまま動かなくなる。何が起きたんだと理人が怯えた瞳で今治を見ると、彼はその姿勢のまま、「屋上だよね」と聞いた。振り絞った「はい」を今治に投げかけると、もう一度感謝の言葉を告げてエレベーターの方へ歩いていった。

 彼の姿が見えなくなったところで、いをりとコノハの方を向いた。


「今治さん、ルバートにずっとおったんかい」

「いたよ。ずっと」

「……アカンわ、人間ってホンマ、わからん」


 頭を大きく左右に振って、理解出来ないのを全身で表現した。それはそうだろう。だってあなたは魔術師なんだから。今治の今まで経験してきたことや考え方なんて、理人にわかるわけが無いのだ。

 大きくため息をついて前髪を後ろに掻きあげて、二度目のため息をつく。髪から手を離して、落とした武器を手に取って、紐をひとつ解くと、ヌンチャクが現れる。


「まぁもうええ。あの人が上に行ったってどうにもならへん。俺の相手がふたりなんやったら、俺がやったったるだけや。」

「フン、貴様で相手になるといいがな!」


 パッと開いた右手に拳銃、左手に日本刀。ふたつを構えたコノハがいをりの前に出た。いをりもインクをふたつ下に割っておく。いつでも具現が出来るように。

 コノハの日本刀が上下に二度揺れる。


「生きよ落ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。」


 坂口安吾。

 堕落論。

 日本刀は闇の色を模した。オーラのように、刀の周りをふよふよと、紫が包む。


「さあおいで、西の若人」


 コノハが剣を前に構えた。

 理人は踏み込んで、こちらに突っ込んできた。


***


 エレベーターは屋上展望台行きが未だに残っていた。今治はそれを見つけると、ボタンを押して電気が通っていることを確認する。止められることも恐れずに、到着したエレベーターに足を踏み入れると、迷いなく最上階、屋上のボタンを強く押し込んだ。

 ぐっと上がって体に重力が掛かる。その間も今治は怒りの色をひとつも隠さなかった。どうして怒っているのかは今治本人にもよく分からない。ただ、もう一回会って話したいだけだったのに、無性にムカついてくる——。

 扉が開くと、展望台の下のフロアにたどり着く。ここにあの男がいるわけが無い。当然のように階段を探し、上へ昇る。


 ヘリポートの中心に、黒い男が立っていた。

 こちらには背を向けているようだ。


 風も穏やかで、声がかき消されることもない。


「透弥さん」


 男がぴくりと反応して、ばっとこちらを振り返る。黒いコート、ペストマスク、黒い手袋、靴。闇にとけ込むのがそんなに楽しいのだろうか。


「だっさいの外して。俺とアンタの間にそんなモンいらない」


 今治が声を張る。ちゃんと届いていたらしく、男は素直にフードを外す。黒い髪も出てきた。頭に回していたマスクの留め具をゆっくり外して、重力に任せて落とすと、中からは黒縁の眼鏡と黒い瞳に、透き通る真っ白に少し青の、不健康な肌。


 記憶の中の舞鶴透弥その人に相違なかった。

 彼らは3年と少しぶりに、顔を突合せた。


「お久しぶりです」


 今治がそう言うと、透弥は首をこてんと倒した。


「何しに来たァ」

「馬鹿?」


 今治の怒りは収まる所を知らなかった。


「久しぶりっつってんだからそう返しなさいよ。日本語で会話をしようと思ってくれ」

「……どうもお久しぶり。」


 やっと望んだ答えが返ってきた今治は、木刀を握ったまま腕を組んだ。


「俺さぁ、アンタと試したいことがあったんだよ」


 透弥は動かなかった。


「これ、ウチの副社長の超大作。なーんだ」


 ポケットから取り出したのは手のひらほどの銀色のマシンで、円筒形だった。円筒の底辺の片方には同じ色でボタンが着いている。右手の人差し指から薬指で上をつかみ、親指で下を支えている。

 視力を眼鏡で矯正していても、それが何なのかまでは透弥に理解できなかった。


「これねぇ、封印とかも関係なく、5秒までなら解放できちゃう……ちょースグレモノなんだよ」

「何の話をしてんだよ」


 今治が円筒を掴むように持ち替えて、ボタンのそばに指を置く。


「——コア」


 今治が右手の親指で、ボタンを押す。


 ——辺りが、陽だまりの香りに包まれる。

 嗅いだ瞬間弾かれるように透弥がマシンを強奪すべく走る。

 しかし先手は今治だった。


「リンク 解除」


 ぶわ、と広がる太陽の匂い。

 それは間違いなく。


 彼の魔力の匂いだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る