兄弟 前編

第4話『負の感情、"絶望"』



「おいスピード婚ども、アンタらが風呂入ってる間にいをりに仕事振っちゃったわよ」

「え、マジですか」


 シャワーから戻ったばかりの千葉は、目の前で料理をする社長に仕事の件について話された。今治がいないと料理も滞る。

 スピード婚に関しては否定しなかった。名前を決めた日からは周囲に勝手に結婚した認識で話されているが、別に結婚したわけでも付き合った訳でもない。ただお互いに好意を寄せ合っているのは自分たちでわかっていた。両方からの一目惚れだ。

 多分付き合おうと言えばすぐに付き合うだろうが、そこは成り行きに任せるつもりだった。

 先を越されてしまったが、唯華とふたりでならすぐに追いつける。いをりが仕事をしている間は、鍛錬を重ねようと決めた。唯華も同じ気持ちだと良いのだが。一先ず彼らは自分の部屋に戻り、ご飯までは魔術の練習をすると言っていなくなった。汗をかかない程度のストレッチ感覚で練習する気なんだろう。


 仕事を先に任されたいをりの方は、ダイニングテーブルで地図とにらめっこをしていた。15年前の新宿周辺地図だ。旧小田急線、現南部中央電車の、南新宿駅。隣の新宿駅付近が広く情報が多すぎて、南新宿駅を見つけるのに手こずっていた。

 スマートフォンの地図でも良いのだが、BSの情報には基本追い付いていない。BS用の地図アプリも無いでは無いが、こちらも情報が追いついていなかったり、粗があったりしてあまり参考にならない。

 まずは昔の地図を見て変わった箇所を理解する方が、近道なのだ。地図や道を覚えるのがあまり得意ではないいをりにとっては多少苦痛な作業だったが、慣れるために努力を惜しまなかった。

 コノハも共に地図を見て、ここからはどう行くべきかなどを脳内で組んでいた。


「昔通った事があるんだ。ここを北に進んでいけば南中線に乗れると思うよ」


 なら理解している人に従えばいい。——が。


「え、コノハさん、なんで……昔通ったことがあるんですか……?」

「……あれ……? 確かにおかしいな。なんだろうな」

「生前の記憶ってやつじゃない?」


 フライパンを振りながら社長が口を挟む。彼女も自分のセカンドが居る存在なので、多少は詳しい。こちらに目線を向けずに食事を作りながら言う。


「桐斗も昔はよく言ってたわよ。見たことあるな、とか、この論文読んだことあるなとか。」

「え、そんなに最近の人だったってことですか? コノハさんも……」

「しらないよ私は……何か、デジャブみたいなものだ」

「まあそうなんだろうね。まぁ前世なんかあんまり関係ないでしょ? 今はいをりのセカンド、その事実だけあればさ」


 フライパンから手を離して、「よし、できた」と言いながら皿に盛り付けたのはチャーハンだった。朝と連続で昼食がチャーハンになってしまった。美里は料理ができなかった。

 散り散りになっていた社員をダイニングテーブルに呼び、手を合わせてチャーハンを食べる。作った張本人が「飽きたわね」と言い出したので、全員食欲が少し減退した。みんなそうだが口に出さないで欲しかった。


 食事の救世主は明日の夜に帰ることにしたそうだ。たった今チャットで、川釣りの写真と共に連絡を受けた。実家に居てもそんなにやることも無いし、どうせ盆頃にも帰省すると。正直安心したのは秘密だ。


 食事を何とか終えると、いをりは続けて地図を見る。明日の夜に、耀は受け渡しを依頼されているらしい。つまり準備は今日と明日の数時間しかない。BSの地理に明るくないからこそ、明日に備え向かってしまった方がいいだろう、と言うコノハの提案で一度外出することにした。

 千葉はその間、いをりを越すための特訓を重ねる。


「えっと、地図どの向きだろう……」

「向きに合わせて私が持つ」


 コノハは地図を理解するのが早かった。この道を何故か知っているのもあるが、そもそも地図が読める人間だった。地図と見比べながら歩いてみると、正直言ってほとんど役に立たなかった。なぜ初日に運転して千葉が帰ってこれたのかが謎だったが、あれは行きの道を何となく覚えていた千葉の記憶のおかげだ。いをりにはできない芸当である。

 この道が消えている、とか、ビルが消えて通れそうだとか、そんなふうに自分なりに進み、ようやく下北沢駅に辿り着く事が出来た。昔の地図通りに歩けば15分から20分くらいだったろうが、1時間近くかかっていた。ただこれで道もわかったので、次回からは大丈夫だろう。

 下北沢駅から出られるのは、駅のボードを見る限り、新宿と代々木上原位のものだった。各駅から乗り換えられる地下鉄もあるが、駅がほとんど封鎖されていて、あまり主要そうな都市に出られそうにない。昔は夥しい数の駅があったらしい。

 お金は少しだけ持ってきていたので、試しに南新宿駅に向かってみることにした。もう時間は15時をすぎていた。


 南新宿駅のホームから改札を出ると、ボロボロになっているビルや、綺麗なビルが混在する大都市が目と鼻の先に見えた。ここは住宅やアパートの方が多そうだ。昔ここに住んでいた一般人は、あの街に行きたくて住んでいたのだろう。1駅ズレたら家賃がガタ落ちするのは今も昔も同じことのようだ。

 耀の言っていた場所には、小さな公園があった。寂れていて、街灯もない。ここを女性一人で歩くのは、昼でも気が進まない。性別は分からないがコノハが居るだけずっとマシだった。

 今ここを見回しても特に何も見つけられない。魔術師の匂いもしないので、怪しい点も全く分からない。ひとまずは明日の受け渡しを見届けてみないことには動きようもなかった。


「とりあえず、目的地にたどり着く事は出来たんだ。明日は同じように電車に乗ろう。」

「う、うん。明日も道案内お願いします」

「覚えてくれ……。」


 コノハは苦笑いをしていた。

 南新宿駅から下北沢駅に戻り、帰り道で見つけたスーパーのようなお店に立ち寄って、プリンをひとつ買って帰宅した。


***


 旧六本木ヒルズ、最上階。


「あかーん、真面目子ちゃんに当たってもうたなぁ」


 耀は頭をがしがしと掻き回した。彼が思い描いた通りに事が進まず、ここから先のルートを建て直している最中だった。


「あのいをりちゃんて子、こんなとこで会わんかったらフツーにどタイプやったんやけど。しゃーないかぁ」


 彼がいる部屋はまるで廃墟だった。

 旧六本木ヒルズはかつて商業ビルで、ショッピングや映画を楽しむ人で溢れていた。今ではここに来る人はいないし、服はここでは扱っていない。もちろんBSにも商業ビルもセレクトショップも存在しているが、今はもう、このビルにはないというだけ。


 最上階の廃墟どころか、六本木ヒルズに居るのは彼くらいのものだった。


「〜っ、とりま建て直しやあ! めんどっち〜!」


 駄々をこねる子供のように叫んだ。


***


 今日は現場の下見だけで終えた。帰宅後に社長にプリンを手渡したら、喜びのあまり出前をとると言い出した。お金は全部社長持ちだと言う。遠慮なしに全員で好きな食事の配達を頼むと、とんでもない額を出費することになり、社長はプリンだけを食べる羽目になっていた。

 出前パーティーの様子を写真に撮ってグループチャットに送ると、あちらは美味しそうなほうとうの写真を送ってきた。それはそれで羨ましい。突然ついて行ったスライムも美味しそうに食べていたが、見た目が女性なのが気になった。今治の親が勘違いしないことを祈るばかりだった。


 翌日、いをりたちは身支度を済ませる。時間は依頼の時点で聞いていた。正午12時。昨日向かった公園で。初仕事に緊張した様子もあったが、いつも通りのコノハに安心して肩の力を抜いていた。

 向かう時間のことも考慮し、9時半をすぎた頃にはルバートを出発した。

 少し早足に歩いて下北沢駅。切符を買って駅のホーム。やってきた電車に乗って、南新宿駅へ。手順は昨日やった通りなので、突っかかることなく現場へ向かうことが出来た。これだけでいをりは達成感を感じていた。


 11時になる少し前に公園へ到着した。公園の遊具に腰をかけていた耀を発見し、ふたりで駆け寄る。あちらもいをりに気づいて遊具から降り、コノハに会釈した。今日はよろしく、と。どこか影になる所で耀を監視して待つと伝え、建物と建物の隙間にいをりとコノハがスタンバイした。浮いていると魔力の匂いが感知されかねないので、珍しく地に足をつけるコノハを見ることができた。

 空回りしそうな程に気合を入れているようで、私が捕まえなきゃ、と何度も言っていた。社長の期待に応えたいとか、色々考えたんだろう。自分への期待が燃料になるタイプなのは結構だが、こういう人は応えられなかった時の落ち込みと自己否定が重たくなる。コノハは他人の心に多少詳しかった。失敗するなら自分のせいになるように仕向けようと要らない方向のサポートのために頭を回していた。


 そして運命の正午12時。

 ——誰も来ない。


 数分待っても1時間待っても、目的の人と思しき人は見つからない。耀も最初はキョロキョロして落ち着かない様子だったが、途中で探すのもやめてスマートフォンに視線を移していた。

 それから15時まで待ったが、ひとつも現れる気配がしなかった。何人か人は通るけれど、今回の件とは関係ないただの通行人だけ。さすがに待ちくたびれたいをりが周囲を見渡して耀の方へと駆け寄ると、彼も「来ませんねえ」と困った笑い方をしていた。コノハは真顔でこの男の顔を眺めていた。


「とりあえず相手方に連絡してみます。悪いんですけど、5時くらいまで粘って貰ってもいいですかね?」

「あ、あと2時間で、来るんでしょうか……?」

「やあ、分かりませんけども。なんやラリっとったし、時間分かってないんちゃうかな〜とか。5時なっても来ないようやったら、また改めて依頼させてください」


 耀はとにかくその依頼元を警察に突き出したいらしい。今までも似たような客は自分で突き出していたが、今回は特段に面倒な匂いがするし、どうせお願いしたなら成功して欲しいということだそうだ。確かに安い依頼じゃない。そう思うのも当たり前だろう。

 いをりは社長に状況を報告し、あと2時間ほど待ってみることにした。


 が、やはり依頼元は来なかった。


 仕方が無いので今日は解散することとなった。せっかく待ってもらったのにすみません、と耀は平謝りだったが、相手の問題なので大丈夫だと返した。次、何かあるようであれば、またルバートを頼ってください、とも付け加えた。

 金銭に関しては後日社長から連絡するとチャットが入り、耀にもそのように伝えた。「さすがに申し訳ないんで、手持ちのものですけど」と言い、いをりには有名コーヒー店のカードをくれた。いをりとコノハふたりで飲んでも余るほどの額のものだった。


「今日はほんますんませんでした。またお願いしますわ〜」

「いえ、こちらこそ色々すみませんでした。よろしくお願いします!」


 いをりが深々頭を下げ、耀は会釈をしながら、駅と逆の方に歩いていった。もう日が暮れてきて、若干暗くなってきていた。


「戻ろう、ルバートに」

「いいや戻らん」


 突然否定するコノハに驚いて目を丸くしていると、いをりにそっと耳打ちする。


「自作自演な気がしてならん」

「え……。」

「何かおかしい。無駄に固執するのもよく分からん。私の勘繰りすぎであると思うためにも、あの男を尾けるべきだ」


 確かに、おかしくはある。2時間と明確に示してきたのは何故か?そもそも相手がおかしいから警察に突き出したいのであれば、もう少し耀も身構えて来るのではないか?そして捕まえられずなぜあんなに飄々としていられるのか?

 不審な点はコノハに言われればそうだ、と思えるほどいくつか出てきた。


「社長に言え。私たちは尾行する」

「うん……! 探偵っぽい!」


 朝と同じ目の煌めきに、コノハは頭を抱えた。このままではきっとバレる。私の真似をしてくれ、と両肩を掴んで頼み込んで、耀を見失わないうちに後ろを歩いた。

 ブロック塀の裏、車の影に、植木の裏。色んな場所に隠れつつ、耀を追う。しかし彼は一向に止まらない。ずっと歩き続けている。駅やバス停は近くにいくつもあるのに、あえて歩いている。運動のためか、ほかの意味があるのかは、きっとこの先でわかるだろう。

 細い道に折れて入っていくのを、サッと追いかける。そんなコノハを追い掛けて、真似をするいをり。何度かいをりの状態を確認するために振り返ると、目がずっとキラキラしていた。平常通りなのはいい事だ、と思うことで諦めた。

 少し奥に入っていったので音を立てずに追いかける。歩いて30分以上、もう太陽は無いに等しかった。

 暗い中で目を凝らしてグレーを追う。


「オイ、尾けられてんぞ」


 ——上空。

 上から声が降りてきて顔を上にあげると同時に降ってきたのは、人の踵だった。コノハの頭にクリーンヒットし、コンクリートに頭が埋まる。突然のことに、音の方が遅れて聞こえてきた。

 グシャッ。と。

 落ちてきたのは体格と声からして男だった。グレーの男よりさらに背が高そうだ。全身黒のコート、顔は黒いペストマスク。顔も頭も、何も見えない。手すら黒い手袋をつけている。コノハの頭から右脚を外すと、首を左右に傾けてパキパキと軽快な音を鳴らした。


「背後くらい気を配れ」

「す、すまん」


 この男と耀は知り合いのようだった。コートの男にしっし、と手を振られ、耀は男に向かって「おおきに〜」と笑って逃げていった。

 コノハが立ち上がる様子はない。

 ここにいるのはいをりだけ。

 ポケットに入れていたインクをひとつ割り、盾を模す。


「嬢ちゃん、戦う気は無いんでどっか行ってくんねぇか」

「なっ、なんで……!」

「ああまぁ死にてぇならいいけど。一丁前に喧嘩売るならな」


 ひどく辟易した言い方をして、コノハの頭を軽く蹴る。うつ伏せになっていたのを表に返した。額から血を流して目を伏せていて、早急に治療しなければとならないと思う反面、この男を逃がしていいのかといをりの思考がぐちゃぐちゃになった。

 この男は間違いなく、最初に捕まえた男が言っていた特徴に相違ない。きっとこの男が、或る兄弟の弟——!

 連れて帰りたい、警察に突き出したい、両方の思考の戦いは、後者が勝利した。いをりは盾を構え直す。


「いえ! 貴方は或る兄弟の弟ですね」

「あぁん? ……うーん。あの雑魚……」


 男はブツブツとマスクの中で喋っていた。腕を組んで、右脚をトントンと地面に着けて離してを繰り返す。まるでバスドラを踏むように規則的なテンポで。男は踏むのを辞めた。


「そりゃ間違ってるわ。俺が兄だよ。さっきの馬鹿が弟」

「——っ、耀さんが!? じゃあやっぱりさっきの依頼は」

「そこまで話すほど仲良しする気は無い。俺もこれ以上面倒はダルい。」


 さいなら嬢ちゃん、と言って男は壁を蹴り上がり、たった3歩で廃墟ビルの屋上にたどり着き、夜闇に消えていった。

 残されたのは血を流して倒れるコノハだけだった。


 一人で運ぶことは出来ないので、社長に電話をかける。今ここから何が見えるか、どの道を通ったかの特徴を言い、車で迎えに来てもらうことになった。いをりはコノハの傷を治癒させたが、それでも起きることはなかった。息はしているようなので、生きているようだが。


 南新宿からずっと歩いた先まで来るのは、飛ばした車でも何分かかかってしまった。

 車がやってくると、ローレルと社長が急ぎ降りてきた。ふたりで気を失っているコノハを抱えて後部座席に載せ、4人は新宿地区をあとにした。状況は全て、千葉にも電話を繋いで車内から話した。

 耀が、或る兄弟の弟だったこと。兄に襲撃されたことを。


 ルバートの社屋に戻り、ソファにコノハを寝かせた。いをりの治癒はきちんと効いていて、血が流れたりはしなかった。

 と、同時に、帰省組が走って駆け込んできた。車を契約している駐車場ではなく、出入口のすぐ側に停めていることから、何かあったのだと察知した。


「主、何事ですか」


 社長、ではなく、荒野美里のことを主と呼んだ。有事が起こったと察知したからこそ、普段通りではなく本来あるべき主従の姿で主に状況を聞く。「コノハが頭をやられて目を覚まさない」と聞くと、気を失っているコノハの頭をそっと触った。手がほんのり光っていた。何かの魔術を使っているのだろう。


「……治ってますね。脳震盪か、な。違うと困るのでちゃんと診ます。下に運ぶので千葉くん、ローレル、ばり、お願いします」


 寄島がテキパキと指示をして、男に協力を要請した。社長は先に下へ行って寝かす為の医療ベッドを用意するといい、扉に手をかけた。


 だが今治が動かない。


 寄島はひとつも動かない今治に疑問を持ち、何度か声をかける。しかしそれでも返答がない。


「今治!」


 珍しく声を荒らげた寄島に腕を掴まれた。何してるんだ、早く、と腕を引かれる。

 その腕を今治は振りほどき、寄島を突き飛ばす。


 そしていをりの両肩を強く握って揺する。


「なんでそんな匂いさせてんの?」

「い、痛い……!」


 目が据わっている。光が目に入っていない。

 ——怒っている?

 今治の奇行に全員が凍った。


「……ねえ、なんで? なんでアンタからそんな匂いがすんの? 会った?」


 コノハの状態も心配だが、もはやそっちのけ。

 社長ですら見たことが無い、今治の負の感情の大きさに、思わず全員が息を呑んだ。掴まれた肩の痛みより、雰囲気のおぞましさの方がずっと気になる。

 カタカタと恐怖で震えるいをりを誰も助けられなかった。


「う……」


 ようやくコノハが目を覚ますと、目を見開いて驚き、ソファで半身を起こした姿勢で右手に拳銃を取り出す。指先を震えさせるいをりの手前、今治の後頭部を目掛けて照準を合わせる。


「赤い椿 白い椿と 落ちにけり」


 河東碧梧桐。

 代名詞とも言える俳句。


「離れろ」

「アンタからも同じ匂いがする」


 今治は自分に向けられた銃に臆すること無く、振り返ってコノハを睨んだ。互いに睨み合う時間が数秒経つと、いをりから片手を離して、社員全員に聞こえるくらい大きな声を張る。


「コノハも起きたんだからもういいっすよね! 何が起きたんです。なんでこんな匂いさせてここに居るんですか!」


 何故ここまで怒っているか何も理解出来なかったが、社長は今治をいをりから引き剥がした。落ち着きなさい、と言って。いをりは立ち竦んでいたので、そっと社長がコノハの横に座らせた。それでも尚今治に拳銃を向けたままだった。戻ってきたからといっておいそれと許せる状況ではない。

 主に何かしらの危害を加えた時点で撃っても良かった。しかし普段との豹変具合も、気絶から意識を戻したばかりの朦朧とした頭であっても理解出来ている。コノハにはすぐ彼を撃てなかった。


「ばりの方が先に言うべきですよ」

「悪い。無理。頼みますから先に状況を聞かせてください」


 引きそうにない今治に仕方なく、社長は全てを話した。昨日依頼があって、それをいをりに任せたこと。その依頼主は耀で、恐らく騙されていたこと。目的は分からない。そして尾行時に襲撃されたこと。相手は或る兄弟だということ——。

 全てを聞いた今治は、寄島に「ここの防犯カメラ見せて」と頼む。何かあった時のために、天井に隠しカメラを置いていたのだ。昨日の依頼時刻頃に合わせて、汚い机に埋もれたディスプレイで再生する。背が高いグレー。この男を見て直ぐに今治は言う。


「耀? なんだその名前」

「……え?」


 社長が聞くと、今治は顔を顰めて考えている。歯をギリギリ鳴らして、まるで何かに耐えているような顔をして。右手の拳を一度机に大きくたたきつけた。ダン!という音でいをりはまた脅えた。


「……クソ、なんで、ここに」


 今治は力を抜いて、後ろの方へ力を抜き、パーティションにもたれかかった。頭を抱えて、今にも泣きそうな顔になっている。もう何が何だか分からないが、彼が落ち着くまで、全員が待った。


「その男は耀なんて名前じゃない」


 今治は続けた。


「そいつは舞鶴理人。——連続殺人事件の容疑者、舞鶴透弥の弟です。」


 右手で顔を覆って、悔しそうに言葉を紡いだ。もう1つ、彼は続ける。


「俺が探してる魔術師は、舞鶴透弥です——」


 足の力を抜いて、その場にずりずりと座り込んだ。

 今治が今までこの会社に住む全員に隠し通してきた事実を、今日初めて、話す事になった。


***


 旧六本木ヒルズ。


「理人。お前、また耀なんて名前使ってんのか」


 ペストマスクの兄は言う。


「せやね、言うてもこの名前は親から貰った第2のやつやろ?」


 意地悪そうに笑う弟。それを見て兄は満足そうに笑った。


「ふはっ、まぁ、そうか。親孝行なこって」

「なあ兄ちゃん? とりあえず新人の片っぽ、いをりちゃんの強さってのはなんとなーしに分かったけど、本拠地に居ったシャチョーはんの強さってもう量れたん?」


 理人の目的は兄の事前調査のための布石だった。彼らは今、手下がもう少し欲しい。理人を介した小さな魔力の弾を、社長に当てる事。ルバートでいちばん強いのは、荒野美里——。有名だった。

 彼女を潰してセカンドの権利と会社自体を貰い受ける。

 それも、最終目標のために、手数が欲しいから。


「まぁ俺より強いやつなんか居ねぇだろ。大丈夫だ。良くやったが尾けられたのは最悪」


 兄は弟の額にデコピンを食らわす。

 あで、と仰け反った。


「そろそろWWGにも一杯食わせてやれるかもなぁ」

「ふはっ、そのためにやっとんのや。気張ってこな、にーちゃん!」


 兄弟は拳を合わせた。


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