第3話『俺の名前は』


 4月16日、午前0時。

 皇いをりは最悪の誕生日を迎えた。

 アンハッピーのバースデーだ。

 今日で18歳になった。


 そんな事もさておいて、スカートをまたも気にせず、足を開き膝の辺りに肘を置いた社長が2人を見据える。

 最早この髪を結んでいない姿の方が見慣れてきてしまった。


「まず容疑者は私含め5人居ます」


 彼女の言うことはこちらでまとめよう。

 そして、あえてこの空間で明言しよう。

 ここから話す事件の話に、一切の嘘はない。全てが真実であり、疑う余地もなく、今後の基盤となる情報になるだろう。


 本事件詳細。

 名:東京バックストリート連続殺人事件


 2018年

 9月18日 当時のルバート社長のセカンド・WWG関係者と見られる3名が死亡

 9月19日 神父連・ハットトリックメンバーが死亡。前日と合計で10名の死亡を確認。

 9月20日 同上・及びWWG関係者、反魔術警察派が死亡。合計20名の死亡を確認。

 9月21日 同上。合計36名の死亡を確認。

 

 2019年

 1月 魔術特捜部にて特別捜査班結成。

    横浜孝秋を班長とする。

 10月 全員と会話成功。

    全員否認。二次(特筆事項記載)以降も同様。


以後捜査継続中。

進展なし。


 特筆事項

 WWG関係者であることは本人の所持品による判断でしかない。

 神父連のうち3名は、当時の組織トップメンバー。

 ハットトリックメンバーは反抗の痕跡なし。

 ルバート社長セカンドのみ、銃殺。

 その他死因は刺殺・絞殺・斬殺・殴殺・失血・窒息等。統一性は見られない。

 社長セカンド以外には魔術による攻撃の痕跡無し。

 上記の魔術は、初日に死亡したWWG関係者のものとみられる。


 死後にコアを盗まれる二次被害発生。

 優等コア以外を狙わない、自己強化のための行動と判断。

 死体の一部を神父連本拠地・大本堂教会の側壁に"装飾"されている三次被害も発生。

 二次被害・三次被害共に容疑者判明せず。


 ハットトリックメンバーの追悼式にて、リーダーが暴走。数名の殺害を働いている。以後、犯罪に関わったとされる数名を廃墟壁に埋め込む殺害を繰り返したとされる。

 リーダーはこれを認めたが、本来の犯罪とは無関係であると主張。


 この件の発生において、WWGの声明はなし。


 容疑者一覧


 荒野美里。(現在ルバート社長)

 斑鳩怜真。(現在神父連総神父長)

 舞鶴透弥。(所在不明)

 弘前恋伽。(現在ハットトリックリーダー)

 鵠沼颯。 (所在不明 元ルバート社長)


 容疑レベル高は荒野、舞鶴、鵠沼。

以上。


 ここまでを話すと、美里はやりきったような表情で伸びをした。


「これを知って外に出られたら困るの……。だから最初は何も言わなかった。ここに居られる、そう確信してから話すつもりだったのよ。ごめんね。そこは悪いと思ってる」


 これを外に漏らせばどうなるかは、千葉やいをりでも予想出来た。BSで起きた最悪の事件のために、毎日毎日メディアに問い詰められたり、ありもしない情報が渦巻いて、またBSとの関係が歪むだろう。

 外で生きている人物たちには知られないよう、内部ではしっかり詳細を追われていたのだ。

 いをりは問う。


「その、他の容疑者との面識って……」

「社長以外無いわね。それも例の事件の前日以降無し」


 間髪入れずに回答した。


「そしてその社長は行方知れず。この人を真っ向からどうにかするのも無理だしねえ」

「何故、無理なんですか……?」


 彼女は顔を顰めた。初めて見る、辛そうな顔だった。あの時眺めていたスマートフォンを弄り、ひとつの写真を見せてきた。


「このトレンチコートが、鵠沼。その横がセカンドよ」


 トレンチコートの男は癖のある茶髪をモサモサとさせて、腰の辺りでピースサインを出していた。金縁の大きな眼鏡の奥は、反射して瞳が見えない。彼の両脇には日本刀の柄が1本ずつ飛び出ていて、これを武器に戦っていたことが推察できる。

 そしてその横にいるもう一人の男は、黒い短髪をオールバックにして、後頭部の刈り上げを見せるワイルドなヘアスタイルだった。服装は至ってシンプルだが、なぜだか立っているだけで気品を感じる。


「鵠沼は私の師匠。当時の世界ランキングは2位」


 それがどれほどの指標になるのかは、ふたりにはわからなかった。だが、スポーツなんかに例えたら、どれだけ凄いことなのかが分かる。オリンピックで銀メダルと考えたら——それはほぼ世界の頂点ではないか。

 そんな強者がここにいた。そしてこの会社を立ち上げ、美里を導いた。


「多分、BSで一番強い。普通に相手したら、死ぬわよ」


 これが冗談じゃないことは、わかる。

 荒野美里よりも強い存在。

 今の自分たちに勝てるわけが、ないと。


「あたしの煙草を止められた奴はコイツだけ」


 火を消せた人物は、彼女よりも強くて、さらに強くするべく弟子にした。セカンドも引連れてここを立ち上げて。

 話を聞いているだけでも、絶対に太刀打ち出来るとは思えなかった。思っちゃいけないほどの存在だろう。

 鵠沼の事は分かった。だが、他にも4人には引っかかるワードが複数現れている。まず聞かないといけないのは——。いをりの背後に立つコノハが口を挟んだ。


「神父連、ハットトリック。これは何だ?」

「今日来た孝秋も言っていた、BSに存在する迷惑団体のトップクラス」


 社長はまず神父連から話した。

 神父連。

 存在はBSが生まれるよりも前、20年も前から認知されている。当初は魔術師の拠り所となるための、キリスト教から派生したカルト宗教だった。

 本人らが掲げる神は救いをもたらすものでは無い。魔術師の存在を認め、助け合う事を勧めるもの。弾劾されていた頃の魔術師を発起させる存在だった。ちなみに15年前の23区占拠をした魔術師の8割がこの教団の信仰者だったとも言われている。

 BSが完成して以後、彼らは少し教えを変える。

 魔術師は人間より優れているので、自分たちを唯一の存在であると認識しなさい、と言い出すのだ。人間批判の思考を人々に植え付けてしまった。

 例の事件の後に現れた新リーダーはさらにクレイジーで、人間をさらに貶し、神父連以上に魔術師の味方をする存在は無いのだと教えた。今となっては信者達は魔術師としての尊厳を高められた、神父連による傀儡と言って差し支えない厄介な存在だった。


 そしてハットトリック。彼らは本来害はなかったはずだった。

 元々外で普段暮らしている魔術師を受け入れ、集団でお互いの身を守り合う為のチームだった。しかし外で暮らしている彼らが顔を知られてはいけない、と言うことで、全員が仮面をつけている。それも自分や仲間の身を守るため。

 ハットトリックのリーダーは本当に仲間を想えて最強であるという二点が資格だった。4年前に就任していた現リーダーは、歴代の中で一番仲間を愛していた。自分がかつて外で辛い思いをした時に、手を伸ばしたのがハットトリックだったそうだ。

 しかし、3年前。例の事件が起きた。

 ハットトリックのメンバー数名が殺された。——か、殺したか。彼女は1ヶ月半程狂った。寄るもの全てを敵だと思いこみ、それ以降はハットトリックも過激集団となってしまう。

 だって自分たちに近寄るということは、敵なんだから。


「——え、と。後の、まいづるって人は……。」

「あぁ、そいつはね、本当に知らない。」


 社長曰く、舞鶴透弥という存在は、事件が起きて初めて名を知ったという。そしてもちろん、今もどこにいるのかも分からないし、歳も、見た目も知らないのだ。会ったことがあるという横浜ですら、見た目の特徴を教えることが出来ないと言ってきた。恐らくきちんと対面したと言うより、何かしらの方法を使って対話した程度なのだろう。自分を消す方法があまりに巧妙であることから、容疑が外れないそうだ。

 これで例の事件において、荒野美里の知る情報の全てが出揃った。知識量はルバート社員と変わらないし、対話を行っていないと言うだけで、ほとんど横浜とも同等。


 社長は改めて4人に頭を下げた。試していた事も、脅したことも。ただ、本当にこの情報を持って逃げられるのだけは許さない、と。しかしそんなことを考える千葉といをりではない。そしてこのふたりがそう思うのであれば、反故にしない。4人の意思は固まった。


 時計は1時を過ぎた。

 流石にうとうとしてきた社員がチラホラ見えてきたので、話のキリも良いし、ここで全員解散となった。いをりと千葉の部屋に、ベッドなどの大型荷物も運び込んであるという。

 セカンド達の部屋のことは考えていなかったが、今更決め直すのも面倒なので、今日のところはセカンドとは同じ部屋で眠ることになった。

 千葉はセカンドと同じ布団を使うと言う。嫌な予感がしたローレルは1階で眠ると言い出し、否定する者はなく決定された。——これは多分、察されただけだ。いをり以外に。

 いをりの部屋に2つ目のベッドがないので彼女が困惑していると、コノハは笑って、「浮くからいらない」と話した。

 部屋に入ると本当に浮いて横になったので、いをりもコノハとは反対を向いて、初めての夜を過ごした。


***


 午前7時にアラームが鳴る。カーテンをかけていない大きな窓から差し込む光で不快感なく目を開けた。先に目を覚まして寝床から出たのはいをりだった。昨日仕舞っておいたヘアケアアイテムを取り出して、長い金髪を整え始めた。

 コノハは横になって浮いたままだった。ふわふわ位置が動いたりしている。まるで氷の上に居るようだった。眠りが深そうなので、音を出さずに身なりを整えた。

 顔を洗ったり歯を磨くために、静かに扉を開いた。


「おはよう」

「っわ!? お、起きてた……」

「さっきから物音がね。私も下に行こうかね、歯を磨きたい」


 氷からは階段を使って降りるように床に戻ってきた。ドアノブに手を掛けていたいをりの手をそっと外して、コノハが扉を開いてやった。先にどうぞといをりに譲り、ふたりで1階まで降りていった。

 ローレルは既に起きていて、昨日より爆発した頭で、夕方に眺めていた設計図に書き足しを繰り返していた。朝の挨拶を済ませると、シャワー浴びるなら女子は今のうちだよ、と言われた。今社長が入っているらしい。いをりが気にならないのであれば同時に入ってもいいとの言葉も残していったそうだ。

 あまり他人と風呂を共にする経験もないが、昨晩は眠気に負けてしまった。特に風呂に入って話すこともないだろうと、彼女はシャワーを浴びに入っていった。コノハは性別不明のままで行きたいから男も済ませた後に入るそうだ。


 服を脱ぎ置かれていたタオルを使って中に入ると、社長は風呂に大の字で浮かんでいた。タオルは、一応前面に掛けているので、まだ。マナーの欠けらも無い。


「お、来たねぇ」

「おはようございます……」

「んー、はよ。寝れたあ?」


 あんな話を受けてすぐ寝れるわけがあるか、と言いたいが、疲労が勝利したので眠りは早かった。眠れはしました、と答えると、嬉しそうに笑った。

 シャワーを浴びて身体を清めている最中、浮くのをやめて座った社長は自分の爪を眺めたり、天井を眺めたりしていた。いをりが入ってくるのをのんびりと待っている。

 彼女が洗い終えると、湯に入るように手招きして、少し距離を保っていをりも湯に浸かった。


「怖い思いさせたねぇ」


 自覚があったらしい……が、あれはきっと彼女の本性なんだろう。


「あとで千葉にも言うけども、あんたは自分の同期とバディ以外の全てを疑って生きた方がいいわ」

「……全てを、」

「うん。私を信じたから辛かったんだと思うよ。」


 髪が濡れて、前髪も全て後ろへ流した髪型の彼女は、少し、夜だった。


「あの、お言葉ですけど」


 いをりはほんのちょっぴり怒っていた。

 社長の方を向き眉間に皺を寄せる。


「私は私の好きなように人を信じます。社長がなんと仰っても、例の件を全て話してくれた社長は信頼のおける人です」

「ほう」

「たとえ犯人であったとしても、違ったとしても、信頼しています。少し曲解かもしれませんが、昨晩あの男の人を警察に連れていけたのは間違いなく社長のおかげですから」


 社長はばかだねえといをりを笑った。だがその顔は人をばかにするものではなかった。貶されている意図がないことはいをりも解った。

 逆上せるからもう上がるね、と言って社長はそさくさと風呂から上がった。いをりは無言で見送って、風呂場の扉が閉まったと同時に、自分の態度を思い返して血の気が引いた。上司に向かってえらく失礼な言葉遣いと反抗的な姿勢。こんなもの怒られて然るべきである。まずいと思ったいをりは追い掛けるように扉を開く。

 下着まで着ていた社長が勢いよく開いた引き戸の音に振り返っていた。


「あの! 偉そうな口きいてすみませんでした……!」

「……え? あっ、ああ。……はは! あはは、いをり、あんた本物のばかだね」


 社長は腹を抱えて笑い、その場に頽れた。息ができないほど笑っていた。

 気にするどころかありがとうね、と、息も切れ切れに話した。

 今日はハッピーバースデーだったかもしれない。


***


 いつの間にか起きていた今治による朝食が振る舞われ、腹も満たし男は同時に全員でシャワーを浴びに行った。千葉のセカンドはタイミングを逃したので、コノハより前に湯船なしでシャワーを浴びると言っていた。

 時刻は午前10時。今日は通常営業を取りやめることにしたらしい。

 全員の支度ができた頃、ランキングに参加しよう。そして魔術を使うトレーニングもしよう。今日は最低限自分の魔術を使えるようになるまでは扱いてあげる。そう言われた。

 支度ができたのはその30分ほど後。全員で地下に行くと、社長とローレルがランニングウェアの様な服を着て、準備体操をしていた。


「ランキングやろっか」


 そう言って手招きされたので、4人は従うように社長の前に並んだ。そもランキングの説明をしていないことに気づいた社長は詳細をやっと、彼らに向かって話し始めた。

 WWGは世界中の魔術師に対して「強くなろうとする向上心」を鍛えるために、WWGの集める統計数値によるランキング参加を推奨していた。数値化されるのは、本人の魔力備蓄量と、魔術の質の良さだ。

 魔力量はコアと本人の身体のキャパシティによって変化する。体力のようなものと考えて差し支えない。

 魔術の質の良さというのは単純で、強いか、コスパはいいか、といった戦う為に有利であるかの一点で判断される。

 この合計値がランキングとなる。また、東京BSでは何位か、という詳細になったランキングも存在するが、基本的には世界ランキングで参加しておくのが指標になって良いとWWGから公式で通達されている。

 参加方法は簡単で、白い鳥を呼び出してランキングに参加する旨を伝えるだけ。

 魔術の使い方はよく分かっていないが、何となく白い鳥を呼び出すことをイメージすればいいとだけ言われた。彼女は度々魔術を想像しろと言う。魔術の根幹は想像なのだということを、分かりやすく答えとして教えてあげていた。


 4人とも、言われた通り白い鳥をイメージする。

 1番初めに鳥が目の前に現れたのは千葉だった。両掌の上に止まった小鳥に対して、ランキングの話をする。鳥は首を傾けたりして、数秒後にランキングを提示した。


「千葉風太。魔力量105位。魔術80位。」

「へぇ、何も鍛えてないのにそんだけ強いなら上等じゃないの」


 満足そうに社長は笑っていた。次に指に止まったのはいをりだった。——お気づきかもしれないが、セカンドたちは呼び出すことはすぐできる。しかし主より先に呼び出すのは違う、と思いイメージするふりをしていた。いをりが呼び出したことで、ふたりはすぐ自分の鳥を呼んだ。

 いをりは鳥に慣れていたらしく鳥をころんと転がしたりしていたが、本題を忘れる前に鳥に伝える。鳥はコロコロされながら答える。


「す、皇いをり。魔力量……70位……。魔術15位」

「は!? 15位!?」

「え……世界ですよね?」


 コロコロを終え、頭を撫でられた鳥は気持ちよさそうな声を上げながら、肯定した。

 いをりは鍛える前から魔術のランキングが異様に高かった。千葉は同期のポテンシャルに目を見開いた。嫉妬ではなく、純粋な驚きで。


「名無し、魔力量9位。魔術13位。総合11位」

「コノハ、魔力量12位。魔術7位。総合12位」

「……あら、あたし落とされたわ。」


 総合ランキングすら言われなかったいをりと千葉はさらに驚いた。自分のセカンドは世界クラスの魔術師だった。社長も鳥を呼び出すと、自分のランキングを言うように伝えた。ローレルも続いて呼び出す。


「荒野美里、魔力量8位、魔術9位、総合8位」

「あら〜落ちたわね」

「小宮山昌樹、魔力量7位、魔術10位、総合9位」


 ローレルは何故かミドルネームを外されていたので、ローレルのランキングだと分かるまで一拍置く必要があった。だが、ランキングは思っていたよりずっと高かった。

 世界レベルの魔術師がここに集っている。そしてこの社長よりも強い魔術師も存在するということだ。


「とりあえずこれで参加出来たわね。努力次第で伸びる」


 社長は安心したように伸びをした、刹那、千葉が吹き飛んだ。

 千葉が立っていた場所には腕を組んで立っている。ドン、と背中を打った。一瞬すぎる攻撃に一切太刀打ちできなかった。


「邪魔しないでくれてありがとね」


 千葉のセカンドを撫でると、物凄く驚いたような表情をして固まった。本来なら千葉を護るために代わりに受けようとするだろうが、彼の鍛錬の為だと不承不承受け入れた。ちなみにこの間0.数秒。瞬きをすれば終わるほどの時間で判断していた。

 吹き飛ばされた千葉は背中を擦りながら立ち上がった。無事だったようだ。


「さ、そんなわけで、私は体術だけであんた達をぶちのめすから、昨日渡した武器を使って私を倒してみなさい。2つ目のお仕事よ。」


 無理難題が来てしまった。新入社員ふたりの顔はさぁっと血の気が引いた。


***


「む、むり」

「無理だろクソー!」

「吠えるねぇ新入社員ず」


 地下はそこらじゅうがインクだらけになっていた。いをりがとりあえずぶちまけたり、魔術として使えないか試行した残骸である。今のところ全部が失敗に終わっている。

 2人とも、自分の魔術の正解がわからないままだった。


「んー。そんなに悩むくらいなら正解知りたい?」


 あまりにボロボロなふたりの努力も鑑み、社長が問いかける。普段の彼らなら施しは受けずに辿り着きたいので拒否していただろう。しかし前述の通り身も心も綻んでいる今、猫の手も借りたい。

 ふたりは同時に「お願いします」と教えを乞う。社長は苦笑いしていたが、頷いて口を開く。


「千葉はコピー。いをりは具現よ。文字通りのコピー、イメージを体現するもの」


 それを踏まえてさあもう一度。再度構え直してふたりを待つ。

 ふらふらになりながら立ち上がり、いをりはインクを、千葉は壊れたドスを右手に持つ。


 のを、数時間セカンドとローレルが眺めていた。彼らは今のところひとつも成長しているように見えなかった。しかしセカンドは自らの主から目を離さなかった。自分と一心同体の主の戦い方と癖、悪い所といい所。目で情報を受け入れて頭に落とし込んでいた。

 ローレルが眺めているのは、美里の方。楽しそうだなあと思うのがひとつと、彼の"バディ"の戦い方を再度確認していた。


 先に飛びかかったのは千葉。懲りずにドスを構えて、程よい距離で投げ飛ばす。受け手の社長はただの投擲だと思い手掴みしようとした、が、目の前で突然ドスが減速した。

 ——いや、減速じゃない。引いている。

 ドスは空中でバックする。社長の視点から奥に立っていたのは、鎖を持つ千葉。ドスの尻には、鎖が融合している。武器と魔術を融合させた完成系がそこにはあった。

 どうせ当たらないと分かりつつも、鎖を持ち振り回す。当然避けられたが、嬉しそうな顔をしてドスを受け取り千葉をよろけさせ、その頭に蹴りを入れる。

 だが、当たっていない。足が当たっているのは、群青色の物体。……インクだ。

 インクが千葉の頭を護る盾になっている。いをりを見ると、こちらを向いて掌を正面に出していた。盾のイメージがあのジェスチャーだったのだろう。何歩か後ろに下がった社長の顔は希望に満ち溢れていた。もう形にできたのであれば、先はきっと短い。考え方はよく分かっているし、合っている。

 単純にセンスがあるのだ。


「いいじゃん、最高だよ!」


 社長は本当に楽しそうだった。後にも先にも、この笑顔は見られないほどに。


***


 さて、あれから2週間。世間はゴールデンウィークを迎えようとして浮足立っている。

 そんな最中にも彼らは毎日毎日、社長を相手に鍛錬を重ねていた。初日は何とか魔術を使うだけで精一杯だったが、あれを2週間も続けていくうち、彼らは見違えるほどに強くなった。


「皇いをり、魔力量」

「千葉風太」


 ランキングが物語るセンスと努力の値は素晴らしいものだった。たったの2週間で世界の強豪をごぼう抜き。今や彼ら以上の未来ある才能の塊は存在しないのではないかと思えるほど、花が開いた。

 社長の攻撃に合わせて鎖で足をかけ、彼女が抜けた先で鎖のついたドスを構えて待ち、振り抜いて頭を狙う。当たったら手に持っていた方の鎖を使って体の一部に巻き付けてバランスを崩させて、近寄ってドスで素殴り。千葉はパワーよりスピードに優れていたため、反撃はいつもひらりと躱す。身体まで才能の塊であることを喜ぶ反面、普通に躱された悔しさで社長も攻撃に身が入る。何度か殴り合って少し千葉がよろけたところで一旦停止。各自習得した治癒の魔術をかけた。


 今日から、今治と寄島が数日外すことになった。医療のプロである寄島に治癒してもらうのが一番効率的なのだが、居ないものは仕方が無いので自分たちで対処している。

 理由は今治の山梨帰省。一人だと危険なのと、ただ遊びに行きたいだけの寄島がセットでついて行ったのだ。ちなみに向こうでは楽しそうにしている様子がグループチャットに何度も送られてくるため、残留組は全員辟易していた。

 「ここから帰してあげられない」と言われていた千葉といをりは、普通に帰省している今治にひどく驚いた。それを遠慮なく千葉が社長に問い質すと、彼女は悪びれもせず、「ごめん脅し。ここに住みなおかつ漏らさないなら、帰省くらい全然OK」と真顔で返事があった。「アンタらも盆は帰る?」とも言われた。帰省くらい当たり前だろう、位のスタンスだった。親にもう会えないと覚悟した彼らの心は、"かえして"あげて欲しい。


 千葉の次はいをり。

 いをりは盾だけではなく、遠くから攻撃ができるように、インクで槍を模した。これは社長本人の知恵だった。いをりの性格上自分から相手を殴りに行くなんてことはできない代わりに、来た人間をいなしたり、弾き飛ばしたり出来た方がいい。「来ないで!」と振り回せば良いのだから。彼女は両手で握って相手を待つ。しかし社長が動かない。お互いに睨み合う。突然社長が飛び跳ねると、真下からインクの針が数本飛び出した。動かすためのハッタリだ。飛び上がった彼女を槍で引っ掛け、上から下に振り下ろして投げ飛ばした。動かない時のための対処も十分出来ている。鎖が自分に巻き付いてきて、こちらに社長が反撃のためにすっ飛んでくる。が、それは槍を瞬時に盾に変え、衝撃を受けずに耐える。判断次第でインクの形はスライムより簡単に変形する。この戦闘中における判断力は2週間の中で1番成長した箇所だろう。


 社長が攻撃の姿勢をやめて伸びをする。もう終わりだということだろう。本人も疲れていそうだった。

 手をパンパンと叩いて、話し始める。


「もうそろそろいいわね。春期講習お疲れ様〜。ここから先はもう一人前、千葉もいをりもここから先の仕事は別々で頼むようになるわ」


 ふたりは元気に返事をした。喜ばしい事だった。


「千葉なんかは頼り過ぎないようにしなさいよ?」

「ええ、もちろん。唯華とは対等に連携するように頑張ります」


 唯華——いちか。

 セカンドの名前はこの2週間のうちに決まった。実は名前を決めるまで、1週間かかっている。戦いながら、彼女はどんな人だろう、どういう名前が似合うだろう、と考え続けていた。暇があればスマートフォンで姓名判断をしたり、「名前 かわいい」で検索したり、情報収集にとんでもない時間を使ったのだ。そこまでして自分の名前を考えていてくれることが、唯華にとって何より嬉しい事だった。

 そして決まる当日、彼は生涯で一度きりしか言わないようなことを彼女に言った。


「名前、垂髪唯華ってどうかな。お花みたいで、可愛いから。」

「まあ——まぁ。嬉しいです。とても」

「良かった。……いちかで、この字を使うのは、その、ただ一つのって意味にしたくて。俺だけの唯華って……」


 ちなみにこれを言ったのは昼食の終わり際。全社員が揃っているタイミングだ。公開プロポーズ以外の何物でもない。茶々を入れようとした社長の口にはまたアマリリスが咲いた。

 だがこのふたりは周囲が気にならないくらい自分たちの世界に入り込んで、ふふ、とふたりで笑いあっている。恋は盲目とはよく言ったものだ。

 こうして彼はセカンドに見事名付けることが出来たのだが、いをりの方は仮の名前のままだった。むしろこれが定着してしまい、他に変えることのほうが難しくなっていた。いつか本当の名前を考えないといけないのはわかっている。ただ何も浮かばなかった。今もコノハの事は深く理解出来なかったのだ。


 さて、話を戻す。この時をもって、ふたりの基礎特訓は終了した。魔術は理論ではなく身体が覚えるもの。魔術師としての1歩を、世界最高クラスの男の弟子から教わった事で、質が良く踏み出せた。

 全員が下から戻って1階のオフィスフロアに入ると、入口付近に人の姿が見えた。家事がない時は接客担当の今治もいないので、受付休止中の札を入口にかけていたのだ。それを見てまごついていたのだろう。気づいたいをりが扉を開く。


「はい、いらっしゃいませ……」


 扉の先には、背の高い男が立っていた。電話をしているようで、こちらの声は聞こえていなさそうだった。話しながらこちらを振り向き、目を丸くした男は即座に電話を切る。


「あ、すんません。今日って話聞いて貰えますかねぇ」


 関西訛りの敬語を話すグレーアッシュのヘアカラー、チェックのセットアップに白いパーカー。客のようだった。


「ごめんなさい、今からならきっと平気です。お待たせ……しましたかね、ごめんなさい。」

「いえいえこっちこそ、お忙しいとこですかね? 押しかけてもうて」


 男は太陽みたいに笑う人だった。

 左耳に付けているピアスの数が異常に多いのを見ると、いをりは少し硬直して、カチコチになりながら室内に客人を案内した。

 客人のスリッパを用意して中に入ると、既に社長はいつもの椅子でビジネスカジュアルスタイルで待機していた。着替えも魔術で出来るのだろうか。教えてもらいたいものだと思いながら、いをりは急いでお茶を入れに行く。千葉は唯華とシャワーを浴びに行ったらしい。——邪魔をしてはいけないよ。と人差し指を唇に当てて教えてくれたコノハを思い出し、あちらの扉には触らぬようにした。


 男の前にお茶を置くと、おおきにと感謝される。手を出して飲もうとするが湯呑みが熱かったらしく、ぴゃっと腕を引いた。


「で、ウチに依頼ですか?」

「そーなんですよお。」


 男は眉を下げた。聞いてくれとばかりに手を上から下に一度下げる。大阪のおばちゃんってこんな感じかな、といをりは思ったが口にしなかった。


「ウチな、頼まれごと代行みたいなお仕事しとんねん。」

「へぇ」

「ほんでなぁ。最近変な依頼が来てもうて。これ絶対面倒ごとに絡むやろって思ってな、それくらいやったら魔術警察に引き渡してもらおかなって思ったんよ」


 自分の客が倫理的によろしくないのでひっぺがしてください、という事だろう。社長は「あるあるね」と言いながら小さなメモにペンを走らせていた。いをりはその左斜め後ろに立っていたので中身が見えた。

 ——いや、多分見せている。そうでなければこの内容はおかしい。


 ——「プリン買ってきて」


 穏やかないをりですらキレそうになった。


 男の話を続けて聞くと、依頼内容は物品の受け渡し代行。立っているだけで向こうから来てくれるから、ダンボールをひとつ受け取って、指定されたビルに戻ってきて欲しいというものだったそうだ。

 だがこの依頼を出した男は全く焦点が合わなかったという。恐らく薬物に手を染めているのだろう。それの受け渡しは法律に触れないとはいえ、治安上とんでもなくよろしくない。なので警察に任意同行してもらい、何とかしてもらった方がいいんじゃないか——というものだった。


「なるほどね、筋は通ってるわ」

「受け渡し場所なんですけど、南新宿駅の改札前ってことですわ。人気ないな〜ってのもまた怪しいやろ」

「まぁ普通は旧新宿に行くでしょうね。こーら怪しいわ」


 地理がわかっていないいをりだったが、大都市の駅ひとつ隣は少し下町、ということが言いたいのはぼんやり分かった。


「ま、金額は出来高でMAX大10枚くらいで。お名前と連絡先だけ貰いますね」

「はーい」


 男は社長から差し出されたメモに、自分の名前と電話番号を書く。ただ、名前だと言うのに漢字が1文字しかない。書き終わって渡してきたが、書き足したりしている様子もなかった。電話番号は見た感覚だと、間違いなさそうだった。


「あれ、お名前……」


 いをりが一文字である事に疑問を持ち、男に聞く。男は困った太陽の顔で、両掌を絡ませて指を居心地悪そうに動かす。


「苗字はちょっとどうしても言いたなくて。俺の名前は、耀っつー下の名前だけじゃ……ダメなんかな……?」

「んや、いいよ。BSに住んでる12割の人間が訳アリでしょ、聞かないわよ。とりあえず話のあったとこにはこの子ともう1人が現場に行って対応するんで」


 社長は名前など形式上のもので、気にもならないらしい。左手の親指でいをりを指した。早速いをりとコノハだけの仕事が入ったのだ。

 いをりはよろしくお願いしますと直角のお辞儀をした。耀は頼んます、と両手を合わせてお願いのポーズをしていた。話は終わったと社長は耀を外まで見送った。


 いをりバディの単独初仕事。

 彼女は気合いを入れ直した。


 しかし今の彼らは知らない。この依頼をきっかけに、ルバートが大きく動くことを。


 第1章 兄弟 前編

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