第2話『何を聞いた?』
唐突だが今新入社員らは、バスの最後列シートに座って揺られている。
実はBSでもライフラインは以前の23区と変わらず整っていた。もちろん電気水道ガスの三点は以前と変わらずついているし、道の舗装も警察側が管理しているので綻びは少ない。
バスや電車にタクシーなんかも同様で、管理元が警察だと壊せない、壊したとしても足がつく……。というわけで、生活レベルはさほど低くなかった。ちなみに警察はこれで収益を得ているので、BS内では税を取る、なんてことも無い。
BSに根付いて生活するのであれば、否が応でも警察と共生しないといけないのだ。
魔術特捜部トップ、つまり横浜孝秋しかルバートには来ないが、実は生活管理部や交通部も存在する。最早盛大な役所というところ。
と、警察の説明はさておき、主人公バディ達の方へ視点を戻そう。
彼らは渋谷区へ向かっている。事件の痕跡を探るためだ。被害者宅に状況と手口を聞きに、4人で向かっている。
それぞれ全員が武器を手にして。
「BSで丸腰とかカモネギだしやめなー? はいこれ」
これが15分前のこと。社長に話だけ聞いてきな、と指示されて外に出向こうとしたところ、千葉といをりの首根っこを掴んで引き止めてきて、このセリフ。
だからといって武器などを持っているはずもない。彼らはBSの外から、やってきた人だからだ。生まれながらにこの街で生きていれば話は違うだろう。
それを見越していたとばかりに、社長はそれぞれに武器となるものを渡す……が。
「千葉は錆びすぎて鞘から抜けなくなったドス! いをりは万年筆用のインクね」
正直に彼らの反応を書こう。非常に受け取るのを躊躇っていた。錆びすぎて抜けなくなったドス!なんて元気に言われても、それでは攻撃ができない。いをりに至っては最悪目眩しにしかならないし、攻撃に用いるものでもない。これを使って一体どうしろと言うんだ、という目を向けても、社長は「はやく」と催促するばかり。受け取らざるを得ず、手に持つ。
後ろに付いてきているセカンド達の分は無いらしい。本人たちは自分が何を扱えるのか分かった状態でやってくるそうだ。——そう、セカンド達にも、名前をつけてあげないといけない。
困っているふたりを見て、まるで子供を叱る時のように腰に手を当てて、そこそこに大きな声を張り上げる。
「平気! あのね、犬よりいい鼻の私ならアンタらの固有魔術くらい、鼻で見分けられるわよ。それに合わせて選んでる。あとは攻撃とかをボンヤリでもいいからイメージすればいい。足りないのは、それだけ。」
早口に言い切ると、今度はふたりの背中を押した。行ってらっしゃい、と、あいさつもつけて。
そして今に至る。
互いにセカンドに名をつけていないから、呼ぶのも難しい。まして外で「セカンド」なんて呼んだら要らぬ恨みを買いかねない。早急に名付けよう、ふたりともバスに揺られながら確信した。
横浜の資料に着いていた地図の地名に近くなると、言う前に千葉のセカンドが降車ボタンを押した。出来た子だった。
全員でバスを降りると、外と変わらない普通の住宅地が現れる。しかし違う点もある。人が明らかに少ない。現時刻は17時過ぎ。まるで夜中のように閑散としていて、子供は公園で誰も遊んでいない。……整備はされているようだ。ここまで治安が悪いと、遊ばせてやることも出来ないのだろう。BSで育つというのはデメリットが多く感じた。
被害者宅をすべて当たったが、やはり有力な情報はなかった。あるとすれば、全部夜中に行われているという情報だけ。今晩からはこの近辺に張り込み、というのも考えなければならないだろう。
……こういう刑事ドラマみたいなことをするのは、ちょっと楽しい。千葉もいをりも少しずつ気が乗ってきた。
そこで浮いた和服から一言、「遊んでいたら、犯人に狙われ君らのコアも盗られるかもな」などと切り捨てられ、楽しい気持ちは泡沫となった。
もう少し住宅街を練り歩くと分かったが、家はほとんど空き家だった。ここに住むことが出来なくなった人が出て行ったと考えるのが妥当だろう。
虐げられずにのびのびと人として、生きていきたいために作られた街なのに。人が人を傷つける街になってしまっていることを、15年前のレジスタンスたちは予想していたのだろうか。——いや、していないだろう。タイミングは少しズレたとはいえ、新入社員らは針で刺されたような気分になった。
「……あの、千葉さん。」
「あ、千葉とかでいいよ、同期だし。何?」
「じゃ、じゃあ、千葉くん。あのね、少し思ったんだけど、コアを盗るってことは、食べてるんじゃないかな」
「そうだとは思うけど……。」
いをりは今日に入って初めて、しっかり声を出した。先程のセカンドで悩んでいた時とは打って変わって、きちんと自分の意見を発言する。どうやら本来の彼女はおどおどしていると言うより、こちらの芯を持っている方のようだ。
もちろん、腰は引けているのだけど。
和風も、花のような女も、静かに彼女の話に耳を傾けた。
「コアを奪う理由として上げれるのは、自分が強くなることか、共謀している人物の為かしか考えられないな、って。……もしくはサイコっぽくて、飾るとか……。でも、だとしたらそれはそれで見つかると思うの。だって、魔力が固まってるはずだもん」
「魔力が固まる?」
千葉は頭を傾げた。魔力が固まる、の形容が理解出来ていなかった。奪う理由とか、その辺は彼の頭でも理解出来ている。あまり文学や人の心に聡くない。普通の男は行間を読むのが得意じゃないと言うが、千葉はその中でも特に下手くそだった。
しかしあとの、セカンドたちはすぐに理解したようで、納得したように頷いている。和服に至っては「なるほど、じゃあ戻ろう」なんて言い出した。何一つ理解していない千葉は全員に待ったをかける。
「え、固まるってなに?」
「貴様その程度もわからんか? コアそのものがマナとやり取りして魔力を生む。つまるところ魔力の煮こごりだぞ。手で持っているだけでも更に匂う。そんな中で"さっきと違う"匂いで、"逃げる"動きだとしたら……おかしいと思わないか」
「わ、私はそこまで考えてないよ、」
いをりはそう言っていたが、そのまま口を進めていれば、自分で閃いただろう。だが今ここにいる4人では、魔力を追いかけっこしたりするほどの鼻がない。
……そして、戻ろう。
——固有魔術くらい鼻で見分けられるわよ、と言ったのは、
「……社長か! 社長の手を借りたら、多分特定出来る……! のかな」
「ご名答、私もそう思ったよ。異論ないかね髪長姫と我が主」
「いいえ御座いません。ですが、私の主をこけにするのは少々……不快ですね」
微笑んで牽制のような言葉を放つ彼女の目は欠片も笑っていなかった。主をばかにされた怒り、主と話したことによる嫉妬、純粋な嫌悪……。負の感情が視線から襲われていると勘違いするほど発せられている。
しかし和服は反省した様子もなく、「そりゃ悪かった」と適当に流した。初回なので深く咎める気のない女は、にこ、と笑って千葉に擦り寄った。刃を収めたらしい。
いをりも戻ることを了解したので、一行は一度ルバート社屋へと撤退を決めた。
***
一方その頃、ルバート社内。
資料の山になっている机ではキーボード音が鳴り響き、キッチンでは今治が晩御飯の支度をしている。今日は新入社員が来たからと、腕によりを掛けていた。そんな中で社長がいちばん仕事をしていなかった。いつものソファに座って、頭を背もたれからだらんと出してほとんど横たわる姿勢。更にたまに左右に揺れるなどと、あまりいい気持ちにはならない格好だった。悩んでいる様子でうんうん唸っているのもまた、気が良くならないポイントを追加している。
その目の前で、ローレルは機械の設計図を眺めている。一番暇そうに見えたのか、社長はローレルに問いかける。
「明日から働かせようと思ったんだけど、やっぱ現場行ってみって、これパワハラなの?」
「知らないよ」
「え〜、嫌よやっと軌道に乗ってきたのに労基こんにちわーなんて」
「ここは労基もクソもない、気にしすぎ。」
ローレルの声が届いていないようで、壊れたラジオの如く「労基……」と何度も呟いていた。
荒野美里はBSが出来た15年前には17歳だった。しかしその3年後に当時勤務していた会社を突然辞め、BSに移住しルバートに入社という経歴を持っている。この3年間で彼女は何千回も「労働基準監督署に殴り込みに行く」と心の中で思うほど、劣悪な環境で勤務していた。普通の社会人経験があるからこそ、今度は言われる立場になったことを恐れているのだった。このように時たまやってくる社長の鬱シーズンは、ローレルが往なしてやっていた。
ぐねぐねと暴れ回っていた社長だったが、次第に暴れることも飽き、立ち上がって突然地下に消えた。特に誰も追わず、それぞれが自分の仕事に没頭する。これも彼女がよくやる行動だった。突然誰にも言わずどこかに消えてしまう。本当に長いと外に出てしまって、そのまま最悪1週間は帰ってこないが、室内に移動したので今回は数時間で戻ってくるだろう。
ちなみにそのプチ失踪で連れてきた新入社員が、今治と千葉、いをりの3人だった。こういうことがあるので周囲はあまり強く言えない面がある。
社長が地下に消えて数分後、現場から戻った4人が扉を開きぞろぞろと入ってきた。先陣を切ってきた千葉が周囲を見渡すが、目的の人物は先程下へ降ったばかりだ。
「社長……は、いないんすか」
「うん。下だねえ。」
設計図から視線を離さずに教えてやると、ペンを手に取って何か書き足したりし始めた。本当に社長の行方をどうとも思っていないのだろう。
軽く礼を言い、4人で階段を降る。地下へ行くのは今日だけでもう2回目だった。ここの階段は結構な急勾配で、横にある手すりを掴まないと、普通に歩くことも難しい。そんな階段にぞろぞろ列をなして新入社員らが一段一段を踏み締めた。今回も先導していた千葉が地下の扉を開くと、中心で胡座をかきながら煙草を蒸していた。俯き、髪を解いて、携帯の画面を眺めていた。扉を開く音でこちらに気がつき、茶色い髪の隙間からこちらを伺った。
特に何も言ってこなかった。
まだ煙草を吸い続けている。
「……あの、社長……。お願い、がありまして……。」
いをりがおどおどと声を上げると、肺の中の汚れた空気を吐き切った。先程までの明るさはなく、擦れた瞳でこちらを眺め続けている。
「何かあったのかね、社長殿」
「いや? ああ、いや、ないね。なんでも……ない」
和服が千葉といをりの裏から声を掛け、やっと声を上げたと思ったら今度は歯切れが悪い。現場に向かっていて社屋から離れていたのはほんの数時間。なのに、この間で彼女に何があったのだろうか。
「……煙草、お吸いになるんですね。」
あまり煙草が得意ではないいをりは言った。
胡座をから立膝に変えて、少し頭を傾け顔の右半分を髪から解放した。いをりの発言を受けても、特に煙草を辞める気は無いらしい。
「止めるヤツはもういない」
「煙草を?」
「そう」
あまりに低い声だった。普段の声と違う、8vb——1オクターブ下がったような、そんな声だった。1本吸い終わったようで、携帯灰皿に煙草を押し込んだ。もう終わりかと思った彼らの前で、煙草ひと袋を取り出してもう一本を手に取る。思っていたより愛煙家のようだ。
「いつかアンタらが止める日が来る」
「……?」
千葉が頭を傾げる。行間は、彼には分からない。
この場で一番文学に明るいのは、和服の人物である。しかしこの人物にすら、彼女の言う「止める日」はよく分からなかった。彼女自身の背景に関するのだろう、という事しか。
もう一本の煙草に火をつけ、紫煙をくゆらせる。
さっきまでの快活な女とは掛け離れた、全てを斜に構えて眺める社会の外れのような雰囲気に、名状し難い不快感を覚える。
「……で、何の用?」
「っあ、その、今回の件で調査の協力をお願い、出来ませんでしょうか!?」
「っは、力入れすぎ。敬語ちげー。お願い出来ませんかでいいの……。二重敬語って言うんだった、かなあ」
うん、そうだ。
どんどん彼女の言葉に気迫が消えていく。最初は見たこともないような人を小馬鹿にする笑いをしていたのに、デクレッシェンドのように音を狭める。行き場をなくした唇がまたキャスターの5ミリを咥えた。
「まあ手伝ってって言えるだけいいわね。吸い終わったら行くわ、休憩しててよ」
「ありがとうございます……。」
ひらりと右手を上げて、足元に落ちていたスマートフォンに視線を戻した。不審すぎる行動で何かを察知するなど、今の新入社員らには出来なかった。
彼女のスマートフォンが映し出す写真には、彼女と、ローレルと、寄島。そして、もう2人の男が立っていた。
「……あたしの肺、汚くなるなあ」
天"上"に向かって、排気した。
***
4人が上に戻ると、今治が料理を終えて「ご飯!」とこちらに呼びに来ていた。ちょうど良いタイミングだったようだ。パーティションの奥に招かれて向かうと、大きなダイニングテーブルに8人分の椅子が置かれていて、それぞれに鉄板に乗ったステーキがあった。奥には家庭よりも質が良さそうな、料理を好む人向けのキッチン、一番奥の壁には扉がある。洗面所・お風呂という札が掛かっている。その下に細かい字が書いてあるようだが、新入社員たちの立ち位置では読解できない。
今治に促されて席に着くと、社長は居ないまま、頂きます、と社員たちが口にした。真似をするように、新入社員もおずおず声に出し、食事を摂った。
半分食べきる頃に社長がパーティションの奥へと入ってきた。髪は下ろしたままだったが、顔周りの長い髪は耳に掛けているので、顔は見えている。「やだ、美味しそう!」と目を光らせて肉を見ている彼女は間違いなく、皆の知る元気な荒野美里。頂きますを口にして、肉を喰らい、美味しそうに笑う彼女と、先程の煙草を嗜む姿はどうしてもリンクさせられなかった。
「で? あたし手伝いってどうすんの?」
「社長の鼻で、周辺で観測してない匂いが突然動き出したりしないか、とか分かりますか?」
千葉がそう聞くと、社長は得意げに笑う。
「出来るわよ、警察犬より凄いのよ」
まるで別人だった。一先ずお願いします、と千葉が言うと、彼女はサムズアップをして、食事を続けた。付け合せの野菜も美味しくてほんのり塩味。肉も程よいレアで、口の中で解ける。セットになっていたミニフランスパンもふんわりカリカリ、外で食べたら一食に数千円は取られていたかもしれないような食事に舌鼓を打った。昼食はそば飯だった。これも屋台で食べるよりずっと美味しかったし、彼は料理が得意なようだ。魔術が使えない代わりに、このビルに住まう人物の胃を掴んでいた。
いをりが食器を片付けるついでに、扉に書いてあった小さい文字を読んだ。当番表だったようだ。眺めていると今治が後ろから、「それ更新しないとね」と思い出したように口にした。今日の皿洗い担当は寄島。水周り掃除はローレル。今治が担当者欄にそもそも居ないのは、ほかの家事をやっているからだろうと推察できた。
さらにその下には、女風呂、男風呂の時間が区切られている。やけに女風呂が長いのは何故なのか……。興味が湧いたいをりはその扉を開いて中を覗く。洗面所にしては広く、脱衣場と洗濯機置き場も兼ねていた。扉の右奥には、銭湯のように磨りガラスの引き戸があった。その奥も覗いたら、本当にただの銭湯のような風呂がひとつ置かれているのと、シャワー台が3つ付いている、何の変哲もない風呂場だった。入ってすぐ左にはシャンプーやら何やらが置かれている棚もあり、各個人のカゴが存在していた。共有のものが2つセットあり、それを使いたくない個人はカゴに別途入れているようだ。いをり自身気に入っているシャンプーとトリートメントがあるので、自分のカゴも後ほど作ろうと決めた。
「はあん、広いだけじゃあないか」
「ヒェッ!?」
「ああ、悪いね少女。驚かせてしまったかな」
後ろから声がしたが、その発信源は自分のセカンドだった。悪びれた様子は一切ない謝罪だった。ただ、今初めて、いをりは自分のセカンドとふたりきりになった。何も知らない相手の事を知るなら、今しかないのかもしれない。——だが、話しかける勇気がない……!
顔を赤くしてわたわたしてしまう。そんな彼女を見て、和服はぽん、と手を頭に置いてやる。
「君は自己表現が下手な上に自己評価まで低そうだ。何故私のような性格の者を呼んだんだい?」
「あ、あぇと、その」
「落ち着きなさい。まずは深呼吸、思考を眉間に集めてみる感覚で」
撫でていた手を、眉間の中心を刺すように人差し指でこつんと突いた。あいて、と小さな痛みを訴える声は、この和服に届かなかった。
「君は皇いをりと言ったね。どう呼ぼうか?」
「ぃをり、でいいです」
「そうかい。いをり、君は私をなんと呼ぶ?」
——それを決められないから困っているんじゃないか!
そう叫んでやりたかったが、またも彼女のキャパシティはオーバーしている。人がそもそもこんなに距離を狭めてくる事自体が珍しく、パーソナルスペース内に人がいることが恐ろしい。だが相手も名前を貰うまでは動く気が無さそうだ。
焦った頭で思考を巡らせてみるが、手元にいい言葉の引き出しがない。……いや、掴めない。焦りすぎて手を滑らせる。さらに追い詰められたように思考を掻き混ぜた。
どうしよう。どう、しよう。……みつからない!
どんな言葉を見つけよう。どういった言葉なら、性別に囚われずにこの人物を描けるのか。
いをりは字を読むだけだ。書くことは無い。
「あなたに合う言葉が、その、わからないんです」
悩んだ様子の彼女の前から退かない。ふわふわ浮きながら続きを待っている。
——言葉。……言ノ葉。
言葉を待っている。
こんなこじつけで良いんだろうか。だけど、今を切り抜けるにはこれしかない、と和服を向き直った。
「取り急ぎ、コノハさん……」
「ほう、いいね。それで呼んでくれ」
コノハは満足気に笑って水周りの部屋を出て行った。そこまでしてコノハは名前が欲しかったのか……それとも、理由があったか。
水周りの探検ももういいだろう。いをりも続いて部屋を出た。扉から出た途端、千葉が「早く行こうぜ」といをりを急かした。一言謝って、彼女はカバンを手に取って千葉にとことこ着いて行った。
***
どうせ5人で行くなら車を出す、と社長が車のキーをキャビネットから取り出した。キーチェーンに指を通してクルクル回して扉をくぐった。今治やローレルに見送られながら新入社員はまた現場周辺に向かった。
少し歩いていくと、地下駐車場があった。ここのひとつを社用車を停めるために借りている。慣れた手つきで番号を打ち、ゴウンゴウンと大袈裟な機械の動く音が響く。両開きの扉の奥からはワンボックスカーが出てきた。
「免許持ちは?」
「俺あります」
「OK。まぁ今日のところは私が運転するけど」
千葉だけが普通免許を所持していた。セカンドは当然持っていないし、いをりも明日18になるので、所持しているわけが無い。いずれ取得の必要はありそうだ。
全員が乗り込んでシートベルトを締める。準備が出来たのを確認するとアクセルを踏んで出発した。
車の運転は雑だった。ブレーキも雑だし、踏み込みは基本急。シートベルトのロックがかかって、うっ、と嘔吐きかける。社長の運転が特に辛かったのは千葉のセカンドだった。千葉の隣をずっと占拠していたが、珍しく離れて、窓に張り付いている。
目的地周辺になって、コインパーキングに車を停めた。停めるまでにも長い時間がかかった。——今後は千葉が運転しようと決めた。
「ああそうだ、私の仮の名はコノハになった。そう呼んでくれ」
社長はエンジンを切りながら、「そう、わかった」と答えた。素っ気ない返事だったが仮でも名前が決まったことを喜んでいた。千葉も早く決めなければと内心急いた。だが彼女への一番大きくて大事なプレゼントなら、もう少し悩んでから、慎重に決めてあげたい気持ちもせめぎ合っていた。
被害者宅周辺を見渡せる小高いビルの屋上に登ると、フェンスをひょいと越えて、半歩進んだら落ちるところまで進んだ。周りの止める声などお構い無しにピンと背筋を正す。大きく息を吸い込んで、何度かの深呼吸。彼女が匂いを探る音が屋上で響いた。
15回目の深呼吸を終えると、フェンスの中へと戻ってきた。
「それなりにこの辺に居るやつの匂いは覚えた」
「範囲……って、」
いをりが問う。
社長はサムズアップする。
「半径1キロってとこかしら」
警察犬より、は比喩ではなかった。本当に人智を超えた鼻を持っていたらしい。彼女は続ける。
「とりあえず私はここで待機してるから、何かあったら電話かけるね。今のうちに東西とかに散っておくといいと思う」
彼女の言うとおり、全員ここに固まっていては危険だ。今日ここに犯人が出てくる確証はないが、今晩も気を張っていた方がいいだろう。何せ時期的に、今日以降いつ出てきてもおかしくないのだから。
いをりとコノハのふたりは西側に、千葉とそのセカンドは北東辺りで待機することにした。大通りではなく細い道を通るだろうという予測から、半径1キロに入るのが簡単そうな道を選んで待機した。もちろんカバー率は高くないので、移動する前提だが。
先に西側が待機場所に到着した。まだ攻撃する方法も分かっていないのだが、互いにセカンドが存在するので、今回ばかりは彼らを頼ろうと考えていた。
現在時刻は移動や食事などを挟み、21時頃。町はさらに静けさを増していた。
状況が動いたのはその2時間後。眠気が勝り、うつらうつらとしていた頃。社長はフェンスに寄りかかって煙草を吸っていた最中に、妙な匂いを感知した。
何かが入ってきた。強くはない、けど弱いとも言えない奴が来た。一旦置いておいて、さらにおかしくなったら追う。社長は二人に電話をかけ、警戒するように連絡した。匂いの特徴は言語化しづらく詳細を伝えることは叶わなかったが、立ち上がって武器を手にしているだけでも違うだろう。
そしてそれからさらに30分後。
同じ匂いが別の匂いを混じえた。間違いない。別のコアを手にしたか、食したか。即座に二人に連絡を回し、位置を報告する。場所は2人の中間地点で、絶妙に外れた位置に立ってしまっていた。ふたつのバディが恐らく窃盗犯の人物を追う。千葉は足が遅くなかったので、上空から状況を把握できている社長から位置などをナビゲーションされ、見事に追いついて後ろから突き飛ばす。魔力無しの追跡に油断していたらしい。恐らく犯人と思われる男は暴れて千葉を振りほどこうとしたが、焦って魔術も上手く出せていない。その隙にセカンドが顔を蹴り上げて気絶した。足がこんなに強いと思っていなかった千葉は少し引いた。だがやはり可愛さの方が余っ程上だった。
直ぐにいをりも現場に到着した。体力はそこまで無いため、息を荒らげている。対してコノハはすんとした表情で浮いていた。魔力か魔術かは分からないが、浮いているのでそれは楽だろう。
気を失っている男の腕を千葉の上着で後手に縛ってから、廃墟のビルの壁を背に座らせてやった。起きて早々コンクリートが顔に付いているのは心情的に悪く、任意同行まで持ち込めない可能性が高まると判断した事による。しばらくして男は目を覚ました。何やら怯えた様子で、「来るな」「殺さないでくれ」と何度も連呼してくる。何を脅えているのか分からず、千葉が声をかける。
「あの、俺らは警察側の人です。何があったんですか」
「言えねえ! 言ったら殺される! 助けてくれ」
会話の要領を得なかった。男は次第に落ち着いたのか、助けてくれの代わりに、こちらを睨んだ。
「お前らまさか、裏警か」
「あ、えと、はい。」
「クソ、お前らもグルなんだろ!」
本当に何を言っているのかが分からない。千葉では対応できないと判断したのか、彼セカンドが優しく可憐な声で、そっと小さく座って話してやった。警戒心も解けるというもの。どうしたのか、何故こちらに脅えるか、それを紐解くように聞いてやる。しかしそれでもこの男は聞く耳を持たない。「騙しやがって」「結局死ぬのか」と、ずっと自分の死に脅えるばかり。
「要領を得んな。いをり、千葉、歌の子。このまま引きずっていく方がいいんじゃないかな?」
「どこにだよ!」
「ああ君は会話に入らないでくれ、面倒だ」
「うるせえ! どうせ殺す気なんだろ。金の契約じゃなかったってことだろ!」
会話が本当に成立していなくて、コノハの苛立ちが積もっていく。誰にでも聞こえるように、大きな舌打ちを添えた。塵も積もればと言うが、まさにそのとおりで、黙って聞いていればごちゃごちゃと騒ぐなと、今殴り飛ばしてやりたかった。だがそのやり方はいをりが好まなさそうだ。仕方なく黙ってこの男の罵詈雑言に近い叫びを右から左に流してやった。
そして男は、ひとつ叫ぶ。
「お前らも容疑者の下にいるくせに!」
——ドゴッ。
この発言を受けたと同時に、男が背を預けていた壁が割れる。さらに男の腹を、鎖が5本貫く。
そう、鎖が。
割れた壁を砕くように、今度は塊になった鎖が割れ目を叩く。4人は壁から大きく距離をとる。脆い壁はボロリと剥がれ、ビル屋内と外を繋いだ。室内の奥から、コツコツと、廃墟の奥から歩いてくる音がする。髪を解いたビジネスカジュアル。淡いフローラルムスクと、バニラの煙草の香り。バニラの煙草は、地下で嗅いだあの香り……。
間違いなく荒野美里がこちらへ向かって歩いてきた。
男の腹から飛び出た鎖は槍のようにピンと張っている。痛みで顔を歪ませて、口から血を吐いていた。
「何を聞いた?」
こちらにピンと指先を伸ばした右手と、手を開いて上に左手を乗せた姿勢で歩いてきた。雰囲気は——そう、煙草を地下で吸っていた時の、それ。
何もかもを諦めた瞳——に、今度は、怒りを熱く灯している。
「言え。この男から何を聞いた?」
気迫。
圧倒的な強者の気迫。
セカンド達は割と落ち着いている性格をしていた。しかしそんなふたりでも状況を理解できず、しかし目の前の強大すぎる力の塊に顔を顰めている。
何を聞いたか。
男が言ったのは「我々が容疑者の下にいる」ということ。
下。つまり上。目上の者。
それはつまり間違いなく、目の前を歩いて近寄るこの女の事で相違ない。
——荒野美里は、容疑者——?
4人が察知するより先に痺れを切らしたか、社長は男の首に鎖を2本絡ませる。ギリギリと少しずつ締め上げた。
「移住初日に人が死ぬところを見たい?」
正気ではないとしか思えなかった。何をここまで怒っているかだなんて、もはや一目瞭然、社長が例の件の容疑者であることを知ったことだ。
しかしそれをこの気迫の中で素直に言ったらどうなるか。
恐らくこの槍のような鎖がこちらを劈くだけだ。今このふたりが、セカンドを含めたとしても適う相手では無い。死ぬか、死ぬか。その選択肢しか4人には残されていなかった。
そして彼らは補足し合うように声を上げた。
「しゃ、社長が、あなたが」
「容疑者って……!」
月明かりが彼女を照らす場所まで歩いてきていた。月の下で、髪をかきあげて男の首から鎖を外して、大きな溜め息を吐く。
「んぁ〜……! あたしから言おうと思ってたのになあ! こんな奴に先越されちゃったよ」
と、悔しそうに頭を掻く。
否定はない。いっそ肯定のような事を言った。
至極残念そうに彼女は全員に向き直り、続ける。
「そうよ。あたし、荒野美里は連続殺人事件の容疑者のひとりです」
——完全に、認めた!
「だけどあたしはやってません。そこは君たちに任せた仕事で証明されていくと思うな」
困った笑顔で頬を掻いて、男の腹から鎖を抜く。ようやく男を離す気になったかと思いきや、美里は男の顔の近くで腰を落とし、スカートであることも気にせず立膝になって座り、顔面を思い切りアスファルトに擦り付けた。
「余計なことしやがったな、誰の差し金だ? あ?」
「っ、言えねぇ!」
「壊れたラジオかテメー。コアブッ殺すわよ。言えばこのまま警察に運んでやる、今は殺さねー」
早く言え、と社長は男の頭を何度かボールのようにバウンドさせる。鼻の骨が折れる音がした。音も状況も見ていられないいをりが視線を逸らすと、コノハが守るように前に出た。視線を逸らしているうちに、こちらが殴られてはたまらない。
男は腹よりも顔を血塗れにさせた。
「い、いう、言うから」
「ほ? そう、誰」
男の後頭部から手を離して立ち上がり、穴が空いている腰を勢いよく踏んで話の続きを待つ。容赦がない行動に、4人全員の背も心も凍っている。
「或る兄弟の、弟だ——」
「あ、それって今日聞いたやつ……。見た目の特徴は?」
「わ、からねえ。いつも全身すっぽり、真っ黒、のコートと……、仮面をつけ、てる」
ふぅん、と返事をして、美里は右手を縦に握るジェスチャーをすると同時に、男は鎖に包まれる。鎖そのものが美里の魔術。彼女の魔術に包まれているということは、外からの攻撃は本人に通らない。
「じゃあ約束通り運んであげる。新入社員達はどう……ってドン引きじゃん……。」
当たり前だ。人が豹変していく様を目の前で見せつけられて、血の気が引かないわけが無い。だがこれはBSではほぼ日常茶飯事……。どうにか慣れてもらわなければと頭を悩ませつつ、この犯人と思しき男は私が送るから、千葉に運転してもらって家に帰りなさい、と彼女の財布と車のキーを投げ渡された。財布はコインパーキングの支払いのためだろう。
右手の人差し指をくるくる回して鎖を山ほど呼び出すと、車のような形状を模す。鎖で車を作ったようだ。エンジンになるのは彼女の魔力だろうし、枯渇は無さそうだ。後部座席辺りに男を巻いた鎖を投げ置き、前部の座席に座る。じゃあまた後で、と手を振って、これから好きな人とドライブにでも行くかのような明るさで走り去った。
壊れた廃墟と血の跡の前に取り残された4人は、視線を合わせて、同時に大きなため息をつく。そして腰から力を抜いたように、ぺしゃんとその場に座り込んだ。正直力が入らない。
これが、バックストリートの仕事だ。
それを初日の夜にまざまざと見せつけられてしまった。
何とか千葉が立ち上がると、コノハも続いて立ち上がり、いをりに立つように促す。立てそうもなかったので、子供を抱くように腕の下に手を入れ、肩に腕を回させて尻の辺りにコノハの腕を回す。縦に抱いてやった。普段の彼女なら恥ずかしさで狂うだろうが、それより何より、心の正常値の低さで何が起きているかを処理する頭もなかった。
千葉も自分のセカンドを立たせようとしたが、彼女は迷惑をかけまいと自力で立ち上がり、千葉の2歩後ろに下がる。
「——とりま、帰っか」
4人の初事件は成功とも、ある意味失敗とも取れる終わり方をした。千葉の運転は優しく、法定速度以上を出さなかった。出せなかった。
駐車場に着いて、社屋に戻ると、そこにはもう社長の姿があった。そして他の社員も揃っている。
あの椅子に座りながら、笑っていない微笑みを向けて、おかえりなさいより先に違う言葉を吐いた。
「ごめんねえ。嘘ついてた。もうバレたし、いくつか知ってること、話すわね」
その代わり、BSからは一生帰さない。いいね。
あの瞳で全員を刺した。
戻ってきたばかりの彼らを休ませることなく、例の3人がけソファに座るように、左手で誘導した。
いをりと千葉は同時に深呼吸をしてから着座した。
一生出ない覚悟を、今決めざるを得なかった。
「私も知らないことは多いけど。まず容疑者が何人いるかと、本当の事件詳細を、言うわね——」
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