ビバップ・ライフ

ぱちめろ

序章 初日

第1話『最初の仕事、求める人』



 春一番はもう過ぎたと思っていた。

 雑踏を進むふたりの男女の頬を、強い風が掠める。互いに帽子をさらわれてしまった。


「また、会えましたね」


 風に乗ってそんな声が聞こえた気がした。いくらなんでも気の所為だと聞かなかったことにする。そんなことが有り得ても仕方が無いような地域に至ったとはいえ——そんな、いきなりなんて。

 キャリーケースのキャスターの悲鳴はとあるビルの前で停止した。ちょうど、帽子を失った互いの姿を初めて認識したタイミングでもある。

 ——ああ、どうか。今度こそ。


***


 さて、この地球は少し違う。

 少し長くなるが、聞いて欲しい。


 ——この世界は魔術師で溢れている。

 魔術師の起源は500年と少し前。

 突然変異のようにひとり、ぽつんと産まれた魔術師は、人間にはない特殊な臓器を持っていた。

 コア。

 魔術師が魔術師たる根源の臓器。体内で魔力を生み出しては、それを形にして発出する機能を持つ。この起源の魔術師にはおよそ不可能が無く、いわば全知全能の神とも言える存在であった。

 知恵を得た起源の魔術師は人間の愚かさを嘆く。ここまで何も出来ないいきものが、どうしてこうも横柄なのだと。

 間違いを正すためにたった一人で世界に対して戦争を挑んだ。しかし人間の数によって圧され、敗れた。魔術師は敗北から更に知恵をつけ、数年で何百にも数を増やした。その分コアは劣化し、それぞれ魔術師はひとつ得意な魔術を習得して産まれるようになったが、起源の魔術師は瑣末だと捉えた。


 二度目の戦争を起こすと、魔術師側の浅ましさも目にするようになった。

 互いに殺しあって、コアを食い潰し始めたのだ。

 敢えて見逃してやると、コアを食い続けていた魔術師の匂いが、目を見張る程変化した。

 魔力は香りとなって、体内から少し漏れる。この仕様だけは起源の魔術師でも変えられなかった。

 そして気づいた。コアを摂取すれば、魔力の香りの濃密さも、芳醇さも、洗練されて美しくなっていく——。更に"完全"、人間としてのオリジナルへ近づいていくのだ。まさに共喰いだが、この行為を止めるべきでは無い。

 だって、勝利するのであれば、なんでも良いから。


 何万と用意していた魔術師は数を減らし、数百まで減ってしまった。

 しかし戦力は数百倍とも言えた。

 何千何万の人間がたった数百の魔術師に殺され、次第に人間側から魔術師有利な和平条約を申出る。更なる被害を食い止めるための苦肉の策である。魔術師はこれを了承した。人間とルールから区別するために起源の魔術師は、WWG……世界魔術機構という団体を創設し、魔術師の統率を図ることを決めた。

 この戦争時の香りに優る香水はどのブランドでも扱わない。良過ぎて、生み出せない。


 そして時は進み、現代。魔術師は人間の半分を占める時代。

 200年ほど前からWWGによって制定された魔術師の為の法律、"魔術法"によって管理されることとなり、人間の法から抜き出た存在と化した。

 これがまた厄介な法律なのである。数百項に亘る内容だが、まとめると3点。


 ひとつ、許可の無い限り命を生み出すことは禁止。

 ひとつ、重大犯罪を犯した場合はコアを奪う。

 ひとつ、殺害は重大犯罪ではない。


 と言ったように、倫理に欠くものだ。現代の倫理観や道徳的にいかがなものだろう、そう人間側に何度交渉を受けても、WWGは法律を一度も改変しなかった。


 明治時代初期頃から魔術師を確認した日本では、何故か爆発的に魔術師が増殖した。今では人口の6割に差し掛かろうとするほどに。魔術法に歴代首相は苦言を呈し、魔術師を弾圧し続けた。耐えかねた魔術師達は、15年前、徒党を組んで東京23区を奪った。


 日本政府は対抗の姿勢を見せていたが、WWGからすぐさま手が回り、最終的には黙認させた。東京23区を奪った魔術師らはその街の名前を、"東京バックストリート"とした。略称、東京BSと表される。この動きが成功すると、他国でも同様の活動が生まれ、NYBS、UKBS(ロンドン)が大きなBSとして名を連ねた。その中でも東京BSは最大の規模を誇っている。


 ただ、東京BSを手に入れた魔術師達は喜び、すぎた。快楽目的や気分転換等のくだらない人間殺害を繰り返したり、WWGへの強い反逆心を抱くものも現れ、無法地帯になってしまうまで時間はかからなかった。たとえBSに魔術師が籠っているとしても、外に住まう人々の畏怖の対象として、申し分無かった。

 魔術師を取り締まるための存在が必要である、と判断した日本政府は、魔術師を雇用した警察、警視庁派生魔術特捜部を作り東京BSに配置した。

 人間の世界を脅かすなと言うように。


 もちろんこの波に乗れずに、未だ普通の世界で生きる魔術師も少なくない。魔術師はBSの外にも、こっそり、幾らか生きている。

 BSに住まう魔術師はWWGに守られているも同然で、各個人へWWGから伝達がある場合、白い鳥と呼ばれる魔力の塊の小鳥が文代わりに言伝を預かる。

 白い鳥から受けた伝達はあまりに突飛なものだった。


「WWG創設500年を記念し、世界で一番大きなバックストリート、東京にて、WWGとの使者役を選定する。団体・個人は不問。本年12月末の時点で、東京BS内で総合的に最強であることが条件だ。途中参加大いに結構。健闘を祈る」


 鳥は東京BS中の魔術師に同じ言葉を吐くと、コーヒーに溶ける砂糖のようにすっと消えた。

 WWGは創設されて以来、誰がリーダーで、誰が所属しているとか、そういう情報は一切誰にも知られていない。理由こそ明らかではないが、未だに魔術師を忌み嫌う存在の方が大多数故、事故防止の理由であると大方の人間や魔術師は睨んでいた。

 そんなWWGと密接に関わる事が出来る、使者役。それも最強であるというシンプルなルール。下手をすれば、自分が世界を掴んでいるとすら言い換えられるほどのポジション。これを狙わない手はない。

 東京BSは創設以来の血祭り騒ぎを起こしていた——。


***


「って訳で、よろしくね。新入社員諸君」


 春日和。

 穏やかな風が桜の花びらを奪う。もう残りは少なかった。今日は4月1日……ではなく、15日。2週間遅れて入社を迎えた新入社員達が、小さなオフィスビルの1階のソファに座っていた。

 ここまでの話を似たように話した女は、右の人差し指を立てて笑っている。黒い合皮の、ひとりがけのソファに座って、ビジネスカジュアルな服を着て、足を組んでいた。肩につくかつかないか、位の茶髪は、後頭部でひとまとめにされている。

 正面に配置された3人がけのソファには、10代の男と女が腰を掛けている。


 男の名前は千葉風太と言った。

 茶色くて少し長いツーブロックのヘアスタイルで、軟派な雰囲気を身体から醸している。あまり話を理解出来ていないか、それとも興味が無いか、適当に頷いている様子だった。だがまあ、入社への意欲はあるらしい。19歳、次の誕生日で20になる。


 女の名前は皇いをりと言った。

 金の髪を腰より下まで伸ばしたロングヘア、華奢でとにかく小柄な少女。今までの話は、今や義務教育でも習うものもある。それなりに内容を知っていたが、BS、それも会社にやってくることなどそう無い。緊張してカチコチになっていた。17歳、明日で18歳になる。


 ふたりとも大きなスーツケースを背もたれの裏に置いて、少し畏まって、女の方を向いている。見合っている3人の前に、湯のみのお茶が置かれる。置いてきた男は「どうぞー」と間延びして彼等へ勧めてきた。

 態度が大きな女の奥にある、書類や本で山積みになっている机。そこには男とも女とも取れる見た目の人間が、頭を山にめり込ませて作業を続けている。そして千葉といをりの裏にあったトイレからは、上下セットの灰色スウェット、ぐしゃぐしゃの白衣と、整っていない見た目の男が出てきた。——いや、顔は悪くないんだが。


 あまりの情報の多さに、ふたりは硬直化していた。


「ねぇ、社長? もーちょいこっちの事も言おーよ」


 お茶を置いた男が口を開く。置かれたお茶に遠慮もせず手を伸ばして、社長と呼ばれた女は自分の分を口に流し込んだ。もう言い残したことはないと言いたげだった。お茶を置いた男は社長の隣にもうひとつあった同じ形のひとりがけソファに腰をぼふん、と落として、身を乗り出して言葉を続けた。


「俺達のことと、例の事件のことをさ」


 楽しそうに言う男に呼応するように、自由行動をとっていた男達も社長の傍に近寄った。ひとりはとぼとぼ歩くように。もうひとりはキャスターのついた椅子で滑るように。


「そうねぇ。じゃあまず名乗りから。」


 湯呑みを置いた社長は、ぴんっ、と天に向けて手を挙げる。いきなりの行動に体をふるわせて驚く新入社員を他所に、声高に名乗りをあげる。


「私は荒野美里! この探偵社の社長をやってまーす! 見ての通り美人! 若い! キャリアウーマンだし、もうフルコンボ〜」

「美里もう32でしょ」


 白衣の男がすかさず口を挟むと、突然彼は床に倒れ込む。がん、と何かが当たった音も同時に聞こえてきたのでそちらを見ると、付近にとぐろを巻いた鎖がふわふわと浮いていた。この塊が頭に衝突したのだろう——が、一体全体この塊が何かも分からない。いや、鎖なのはわかるけれど。それ以外が分からない。よく見ると社長の手が拳になっている。彼女のせいなのだろうか……?

 更に萎縮して新入社員は一言も発せなくなっていく。

 中性的な人物と、お茶の男は慣れている様子だった。それがさらに萎縮する要素だった。

 殴られた男は頭皮を切ったのか、額に血を流していたが、傷の上を拭っただけで血がスルスルと重力に逆らって、戻っていく。数秒後には何事も無かったかのように立ち上がり、白衣をぱっぱっと手で叩く。


「余計なこと言うんじゃないわよ。自己紹介して!」

「小宮山です。小宮山・ローレル・昌樹。副社長で花使いの魔術師。よろしくね」


 通称はローレル、とも続けた。ローレルは特に鎖で殴られたことを咎めなかった。白衣のポケットに手を突っ込んで、退屈そうに天井を眺めている。

 本人自体がこの異常な風景に慣れているのも、また恐ろしかったが、一周まわってきた新入社員達の思考は、「なんだ、ならいいか」と納得した。

 そして次に手を挙げたのはお茶を運んだ男だった。


「俺は今治晃平でーす。人探しの為に入社した、唯一の人間だよ。優しくしてね〜」


 安定し始めた思考がまた破壊された。

 BSはそもそも魔術師の街。そんな所に人間がいるだなんて、飛んで火に入る夏の虫もいい所。人間にはコアはないが、魔術師は人を殺す事を法律で禁じられていない故、「むかついた」「むしゃくしゃした」なんて理由で殺害しても構わないのだ。

 抵抗しても意味を成さない様な危険な地で、彼はのうのうと生き延びていた。

 手を下ろした今治の次は、中性的な人物が軽く手を挙げた。


「小生、寄島桐斗と言います。社長が許諾を得て、セカンド、命を生み出す魔術を使って生み出されました。魔術師の医療論文とか出してる、ちょっとすごい人です。あと、小生はスライムなので、性別は気分で変わります。身体ごと。どっちでも驚かないでくださいね!」

「以上、弊社"テンポ・ルバート私立探偵社"の社員達でした〜。」


 やることが……。やることが多い。

 やっと理解を示しかけた所なのに、更なる情報で新入社員を殴り続けた。惚けている彼らを他所に、社長は両手を広げて満足そうに歯を見せて笑い、社員紹介の締めを飾った。

 千葉が小刻みに頷くと、いをりもそれを見て同じようにこくこくと頷いた。


「で、本題の事件の話をしようかしら。」


 組んでいた足を下ろす。姿勢も横柄だったのを、背もたれに掛からないように身を立てる。社長は腕を組んで、右手の人差し指を腕の上でぽすぽすと上下させた。


「あんた達が住んでいたBSの外でも報じられた程のヤツよ。——東京BS連続殺人事件。目的も犯人も分かっていない、戦後最悪の事件。きっと犯人が見つかっても犯罪者にならないけど、魔術警察は特定したがっているの」


 事件名を聞いた途端、社内の空気が、ぴん、となった。自由奔放だった空気は一瞬で叩き落とされた。

 彼女は話を続ける。


 ルバートは魔術警察と提携しており、捜査の一環を担っている。この大きな事件以外にも、認可無しでセカンドを行った人物の摘発や、強盗事件の犯人を突き止めて解決に導いたりと、ある種警察の実働部隊のような会社としてBSに存在していた。

 人呼んで、裏警ルバート。警察に相談だとして客が来ることもあるし、商売としてこのタイアップは最高の戦略だった。


 そして3年半前の秋、事は起きる。

 ルバートを創設した前社長が突然退社を言い残し、行方を晦ました。その翌日、殺人事件が起きる。初日は三人程度。さらに翌日は十人。三日目には二十人の殺害が確認された。最終的に発覚した被害者数はなんと驚異の三十六人に上り、この異常性から日本を揺るがす大事件となった。


 魔術法上、殺害は罪に問われない。

 しかし人間としての倫理からは掛け離れている。

 魔術警察は要注意人物としてマークする為に、ルバートの依頼を出す。犯人を突き止めてくれ、と。内容が内容なので社長は一度拒否したのだが、解決した場合、ルバートへの高額な報酬金を贈呈すると返答された。——50億円だった。気がついた時には、彼女は二つ返事で承諾していた。(もちろん、後に社員全員に怒られている)

 そして、そんな殺人犯を、魔術警察側はどうにか罰せないか考えていた。

 ここで話は白い鳥の言う、WWGとの使者選出イベントへと繋がる。WWGがこの事実を知り、その人物だけを特別に罰することが出来れば、今後模倣犯が現れることもないだろう。魔術警察の依頼は少し形を変えて、「犯人を見つけ出し、WWGと連携を取り、見せしめにすること」となった。報酬金も80億に上がった。

 ただ、WWG側が拒否した場合は従うしかない。その場合でも満額の支払いを約束された。——そのためにBS最強にまでなっている駄賃として。こんなに美味しい話に荒野美里が飛びつかないわけがなく、これも了承してしまったのだ。

 

 しかしルバートにはBS最強となるほどのカードがなかった。いや、正直本気を出せばなれるのだが、その場合仕事をこなす人間がいなくなる。本業を疎かに出来ない。

 であれば新入社員を雇おう。

 安全のために住み込みが出来、最強の卵であり、成長を加味して10代後半であること。

 三点の条件を元に、荒野がスカウトしたのが——。


「あんた達って訳。ということで、うちの仕事をこなしながら、事件の解決を目指してネ」


 社長が新入社員の方を、右手人差し指で指した。

 失礼だからやめなさいとローレルに諌められ、手を下ろす。まるで母親のような彼を見て、恐らく何か起きた時は社長ではなく彼を頼った方が、解決が近いのだろうと思った。


「なんの情報も無いんじゃ無理よね。でも、ないの。相当なやり手だったみたいで、魔術も使わず匂いも残さず殺していったから……。犯人は何年かかったっていい、目下の課題はWWGのイベント優勝」


 椅子から立ち上がり、少し高めなヒールを鳴らして足を肩幅に開く。黙りの新入社員の方へ、両手を広げて、希望に満ちた瞳を携え、強気に口角を上げた。


「絶対に、殺させないからね」


 最後の砦。

 そう思った。


***


 話を終え、今治がstaff onlyと書かれている扉を開いた。部屋を決めて荷物を置こう、と新入社員に声をかけた。それぞれが大きなスーツケースを持って扉へ近寄ると、いをりのものだけ今治が手に持った。


「千葉っちのも持つ?」

「だ、大丈夫す」


 そう、と今治は向日葵の笑顔を向けた。扉の先は階段だった。目の前は踊り場で、真っ直ぐ昇った先の踊り場にまた扉があるのが見えた。フロアごとに扉の配置は逆になるようだ。

 千葉には2階の踊り場で待つように言い、いをりの荷物を持って3階へ昇った。


「3階が女子フロア、2階が野郎フロアね。4階はリビング兼書斎、5階は屋上。地下は魔術師の修練場みたいな感じ。いをりんは物置と社長の部屋以外は空きだし、好きな所に荷物置いてね。」


 早口にいをりに説明すると、今治は2階に降りていった。いをりは3階の扉を開くと、廊下は自然光が一切入らず、左右の突き当たりに扉がひとつずつ、正面の壁に2つ扉がついていた。いをりから見て右側の扉には物置、そして壁の右側の扉は「みさと」と書かれた札が掛かっている。社長の部屋なのだろう。

 ならば、社長の隣の部屋の方が安心だ。いをりは壁の左側の扉を開いた。茶色いフローリングに、窓が2つ付いた15畳ほどの部屋。1人の部屋にしては上等な広さだった。

 まだベッドなどは届いていないが、今日の夕方に届くらしい。どこに何を置くのかを決めているだけで、彼女はこれからの未来に胸を高鳴らせた。

 やっと、視界が壁を通り抜けた。


 そして2階に降りた今治だが、2階の扉を開いて千葉を廊下に押し入れると、


「男の部屋って埋まってんだよね。ローレルの部屋で相部屋してくんね? いいよね?」


 なんて言って、笑みとサムズアップ。有無を言わさない力強さに根負けし——というよりローレルなら構わない——、いをりの真下の部屋に千葉が入った。

 室内は既に部屋の半分にパーティションを設けていて、千葉を受け入れる支度が出来ていた。手前が千葉の部屋のようだ。今治は荷物を室内に入れる千葉を見て、背中を向けて立ち去る。「待ってください」と、すぐ背後から呼び止められた。何かあったのかと立ち止まって振り向き首を傾げる。千葉は少し困ったように頬をかりかりと掻く。


「そ、その。人探し……で、こんなとこ住めるもんなんすか」


 千葉はあの時から魚の小骨のように引っかかっていた。先にも言ったが、人間なんて憂さ晴らしの道具にされてしまうほど、治安の良くないBSだ。ここに来てまで探したい人……。

 言われて目を丸くして、直ぐに力を抜いて、ふふ、と笑った。


「うん。住めるよ」


 微笑んだ。笑っている。

 さも当然の事だとばかりに。


「千葉っちにはそんな人居ない?」


 ふるふると首を振った。……正直、その思考が無いので聞いている。

 千葉は軟派な雰囲気とは正反対に、保守的な性格だった。自分からの変化や行動があまり得意では無い上、今治のように命を賭してもまた会いたいと思うほど、深い仲の友人や恋人もいない。

 それなりの家族。それなりの友。それなりの恋。

 それなりの身だしなみ。それなりの趣味。

 それなりの学歴。それなりの学力。

 それなりで生きていくのは、普通は苦労しないし、むしろ得策。

 だがここに来て、"それなり"では——。


「まー、居た方が不思議じゃね。いいと思うよ別に。」

「あの……。差し支えなければ、お話聞かせてくれませんか」


 少々変わった執着心を見せる千葉に、正直疑問を持たなかったと言えば嘘になる。

 入社祝いとして、ちょっと、話そう。

 優しく頷いて、彼は両腕を頭の裏で組んだ。


「つってもそんな話すこと無いよ。彼女じゃないし。……簡単に言えばルームシェアしてた年上の男の人。突然夜中に出てってそれ以来。魔術師なのは知ってたから、ここに来て出てった理由だけは聞きたいなって」


 魔術師がどこかに行く先なんて、このごみ溜めしかないでしょ。

 そう言葉を続けながら、また千葉に背中を向けて、階段の方へのんびりと歩いて向かう。これ以上は話さないと言う意思を感じて、それ以上は聞かなかった。「荷物整理頑張れ」そう言って今治は階段を降りる。

 千葉の視線から切れたところで表情を消す。


 ——あの人のこと、知ってる訳じゃなさそうだ。ならこれ以上は話さない方がいい。

 いや、いっそ、知られていなくて良かった——。


***


 それぞれ新入社員が自分の部屋に荷物を置いた。タイミングよく2階の踊り場で合流出来たので、共に1階に降りると、今度は自分たちが座っていたソファに警官の制服を着崩した男が座っていた。胸のボタンはふたつも空いているし、ピアスはついているし、髪は茶髪でボブくらいの長さがあり、ハーフアップにして結んでいる。伊達みたいな瓶底メガネまでセットになって、すべて総合してみると、千葉の軟派さを1歩で5段ほど超えられる。

 彼はドアから現れたふたりを見ると、胸ポケットをまさぐる。人差し指と中指で挟んで出したそれは、ドラマやアニメでしか見たことの無い、警察手帳だとすぐに分かった。気づいたふたりははっと息を吸う。そしてわくわくした。一度は言われてみたかった。

 男は横柄な態度で座りながら、こちらに手帳を開いてみせた。


「初めまして。本官は警視庁派生魔術特捜部より巡査部長を拝命しております、横浜孝秋と申します。つまり魔術警察の刑事です。新入社員?」


 刑事と言うには少々若い。まだ20代後半になったばかりか、或いは25歳ほどか、だった。

 問い掛けに新入社員はそれぞれぽつりと肯定し、どこに行ったらいいか分からずまごつく。とくにいをりが混乱しているようだったので、社長は「ドア出て壁のそばに居な」と指示してやった。

 その辺に立ち止まると、横浜は社長の方へ向き直る。


「今回の件任せるんですか?」

「自分の不足がわかるでしょ」

「ふーん。ちょーっとばかし荷が重そうなもんっすけど。ルーキーちゃんず、ここ座っていいよ。」


 勢いを付けるために腰から背もたれに倒れ込み、前に反動で身を起こして椅子から腰を離した。警官である事を差引いても、あまりにここに慣れた様子だった。社長も隣側……基、社員側の椅子に座ることを否定しない。

 促されるままに先程と同じ場所に座ると、横浜は自分の鞄から書類を取り出して、1枚ずつ彼らの前に置いた。……普通、鞄といえばそれなりの、ビジネス用のものかと思うだろうが、彼はスポーツブランドの大きなリュックから取り出してきた。魔術警察は容姿に寛容なのだろうか。


「今回のご依頼は窃盗犯。ソレも、コアの……っす」

「……コアの窃盗……!?」


 ここに来て、初めて全員がいをりの声を聞いた。本人も声を発したことに驚き、かあっと顔を赤くして、ふしゅう、と蒸気が漏れたように見えた。

 社長が何か言うべくぐわっと口を開いたところで、口内にいくつかの花が咲いた。種類は同じようだ。花が咲くと同時にローレルが手を強く叩いて、乾いた音もオフィス内に響いている。花使いローレルの仕業とみていいだろう。気持ち悪そうにティッシュを探し、ソファの裏にあるパーティションの奥へと消えていった。

 ——そういえば、あの裏がこの建物のキッチンと水周りだと、来て直ぐに今治が教えてくれていた。きっと、洗面台にでも向かったのだろう。

 顔を赤くしていてあまり余裕がなかったが、いきなりの魔法みたいな出来事で、いをりの恥も飛んで行った。

 ちなみに口内で咲いた花は、アマリリス。

 横浜がローレルの方を振り向いて首を傾げると、どうぞ続けて、とばかりに右掌を上に向けて、こちらへ何度か押すようにした。意図を汲み取り彼は続ける。


「あー……。うん、続ける、続けるよローレル。続けますね。はい。……えと、食うために色んなやつが取っといてるけど、それ盗ってくの。さすがに目に余る迷惑行為だし、一回指導入れなきゃ」

「し、指導でいいんすか。そもそも人殺しじゃ、」


 千葉の疑問に、横浜はどうどう、と落ち着かせてからまた続ける。


「違うと思うよー? コアなんて殺さなくても取れる人は取れるから。……ま〜死んだも同然だろうけど?」

「……」

「あ、怯えないでね。そんなもんだから。俺らもコア取りとかの窃盗は軽犯罪以下としか思ってないけど、罰せないならないなりに、指導とか監視つけたりするし」


 現在の魔術警察における業務はこの程度だった。

 先程敢えて触れなかったのだが、犯罪となるのはみっつだけ。

 WWGを冒涜すること。(ただし批判は含まない)

 他人を無理に従属させること。

 そして、命を生み出す魔術を使うこと。

 これを見つけた時だけ、拘束や罰則を与えることが出来る。それ以外だとそれは良くないよ、と言ってあげることしか出来ないのだ。

 指導後も変わりないようであれば監視、都度注意を促すが、それでも効果を得られなければ、遂に手を出すことが叶う。それこそ魔術師人生を終わらせてやることもしばしばあると言う。

 ——ちなみにそうなると、人間側の法律が適用になるので、人として罰されることになる。流石に人間になりたくないので、大抵は監視注意段階で改善するという。

 これは新入社員らにもおいおい説明が来るものとして。


「で、本題だけど、この犯人を特定、ないしは任意同行をお願いしたい。」


 それが刑事の仕事なのではないか? そう新入社員らは思ったようだ。

 しかしながらそうではない。刑事はむしろ監視の方が仕事にあたる。外部とはいえ部下のような存在であるルバートの方が効率が良いのだ。

 新入社員の顔を見て、横浜はこのふたりに任せられると認識したらしく、続きを話す。


 本事件の詳細。

 名:連続窃盗

 3月20日 初回窃盗発覚(劣等コア1種紛失)

 3月31日 2件窃盗発覚(劣等コア1種、未遂)

      尚未遂現場にて居住者が犯人視認。

      30代前後男性、細身、低身長。

 4月 3日 1件窃盗発覚(優等コア1種)

 現在に至る。

 被害はコアのみ、家財等を狙っていない。手口から常套さが伺え、同一犯とみている。


 それぞれの発生区域を横浜が伝える。

 新入社員は知らない地名だろうが、彼らの今いる位置はおよそ下北沢付近である。そして指されたのは渋谷区の外れだ。あまり距離はない。


「ただちょっと面倒なのが1枚噛んでる気がするんすよ」

「面倒? どこの団体が絡んでんの?」


 花を排除しきったのか、口周りをタオルで拭きながら社長がパーティション裏から現れる。落ちるようにソファに腰を下ろすと、ばふ、とソファから空気が漏れだした。


「いやーそれ程のもんじゃねっす。ここ3年くらいで魔術警察がちょっと目付けてるふたり組なんすけど」


 社員全員が初耳だったようで、横浜の方を向く。魔術警察がルバートに情報を漏らす、つまり厄介。頭に入れておくのがベスト。


 どこのと言われるくらいには、魔術師はいくつかの徒党を組む事が多い。

 それは仲間だったり、信仰だったり、愛だったり、嫌悪だったり、色々な理由の元に集っている。

 その中でも面倒事を起こすといえば……。で有名な団体も片手で数えられるほどには居る。もちろん善良な団体も存在している。

 ルバートとか。……。


 ——ともかく、裏警ルバートでも知らないような集まりが、また増えたということだ。

 注意に越したことはない。横浜の話の続きを静かに待った。


「ウチらでは"或る兄弟"と呼んでます。」


 ひとりだけ、今治だけが、ぴくりと反応を見せた。しかしすぐくしゃみだったかの様に取り繕い、誰にも気に留められることはなかった。


「そこらの面倒なヤツらに幾らか金渡して、なんか取ってこさせたりしてるんすよ。金渡してるあたり、絶妙に従属の法律に違反してないんで、罰しづらいし影は踏めねぇしで面倒極まりないっす」

「要するに狡賢いのね」


 横浜が肯定すると、よいしょ、と掛け声付きで、例のリュックを手に持って立ち上がった。話は終わったようだ。「私が見送る」と言い、席を立つ横浜の後ろをのんびりと、足を擦りながら着いていった。

 その裏で、今治の表情が一瞬曇っていたのを、いをりは見逃さなかった。

 玄関扉の先で自転車に跨り、片手を上げて社長に挨拶してから、彼は颯爽と走り去った。背中が少し小さくなるまで見送って、社長が室内へ戻ってくる。と同時に彼女は言い出した。


「セカンド、今日やっちゃいましょ。」


 ——セカンド。

 寄島桐斗の紹介や、先程の問われる罪の際に詳細を省いたが、これも魔術法に抵触する行為のひとつ。

 簡単に言うと、人生でたった一度だけ、"今自分が心から求める人"を黄泉から呼ぶ。それがセカンドの構造だった。生命の、輪廻の叛逆。いくら魔術師であっても、その垣根だけは超えてはいけない、という戒めで禁じられている。

 しかし特例として、ルバートのようにWWGからオフィシャルで、認められるケースもある。

 ——このルバートが認められている理由は治安維持の為の人員増加だった。この会社が魔術警察との連動を行なっていることなどを評価し、許諾を受けたもの。

 実績さえ伴えば肯定される。

 適当に申請すれば勿論否認される。

 だが認められるケースはほとんど無い。一時期はセカンドしたいが故にルバートに人が押し寄せる始末だったが、この仕事を一生続けられるのか?と、社長お得意の話術で数時間喋り続けたところ、人っ子一人いなくなった、という伝説付きだ。


 ではなぜセカンドがそこまでの人気を誇るか。

 それは、例外なく主人に尽くすからだ。

 主人の意図だけは反故にしない。それを条件に現世へ舞戻る。とすると、従属の法律に逆らう事になりかねない。しかしながらこれはセカンドという魔術そのものの性質のために、法律から除外となっている。

 つまり、認められた上でセカンドを行えば、人を従えることができる。法律に守られた範囲で。

 だから人気なのだ。故に、許可範囲も絞られるのだ。


 そんな魔術を用いて、この会社で働く上の生涯のパートナーを、今日呼べというのだ。

 とてもじゃないがそんなに重たい判断を初日には出来ない。いをりの場合はとても出来ない。そんなことはお構い無しの社長は、staff onlyの扉の方へ歩きながら、ふたりに問いかける。


「アンタらはどんな人が欲しい? 自分のサポート? それとも先導してもらいたい? とか、色々あるから、今日の15時までに答えを出すこと! これがウチに来た最初の仕事です」


 言いながら右手の人差し指を立ててくるくる回す。同時に本人の周りで鎖がジャラジャラと集まり出す。鎖が集まる、という表現をするのは間違いではない。どこからか蛇のように現れて、同じようにとぐろを巻いていく。

 彼女の膝下くらいまで鎖まみれになった所で、指を振るのを辞めた。


「下で待ってるよ。……ああ、そう、私って鎖の魔術師なの。あんま驚かないでね」


 ローレルに手伝ってくれと一言告げ、社長は扉の先に消えていった。足音から察するに、地下へ降りているようだ。

 気を利かせた今治が紙や机の上の山から本をいくつか取り出して机に並べた。魔術師と言うよりは、偉人だったり、思考について書かれている本、自己啓発など、色んな種類のものを。

 自分にとって何が必要なのか?

 こんな人がそばにいてくれたら。それを考えるために必要そうなものを、彼は善意で持ってきたのだ。

 ——やさしいひとだ。彼が曇った顔をしたのは、本当に何故なんだろう。


「とりま足んなかったら言って。なんだったら4階の方が本あるし、行き詰まったら上行くのもあり」

「ばり助けて、この間のバイタルデータどっか行っちゃったみたいです〜」

「何してんだお前ぇ!? あれ俺あんなに手伝ったのに! ったくも〜」


 助けを求める寄島の方へ今治は駆け寄る。

 口では何をしているんだと言いつつも、寄島よりもしっかり書類の中を見て探している。

 寄島が片手で持っている資料の真裏が捜索しているものだったようで、今治が気付くと、ふたりで安堵しつつ綻んで笑う。一切責めず、あったじゃねぇか、なんてニヤニヤ笑って言って、寄島を肘で小突く。

 仲が良いらしい。


 今治は立ち上がってキッチンの方へ消える。すぐに食材を切る音が聞こえてきた。時計はもう11時を過ぎている。昼の食事を作ってくれるのだろうか。

 ……それより何より、先にすべきこと。


「……求める人……か」

「(私、そんなもの……考えたことも、ないよ)」


 彼らは入社そうそう、結婚相手を選ばされるようなテーマに悩まされた。


***


 バタン!

 しんとしたビルの1階で、爆音が鳴り響く。音の根源はいをりだった。考えすぎのせいで思考がショートし、ローテーブルの上に倒れ込んだ。


「……えと、いをりちゃんでいい? どした……?」

「呼び捨てで、大丈夫です……。も、無理……」


 机に突っ伏して、あー、うー、と言葉にならない音を喉から鳴らしている。相当追い込まれてしまったようで、もう何を聞いてもわからない、と返されてしまう状態だった。


「いをりには居ないの? 心の底からの友人が欲しいとか、彼氏が欲しいとか……」

「友達……、彼氏……。」

「そ、そうそう。兄とか姉代わりとか……。身近な人で考えてみたらどう? 俺もそうするつもりだし」


 彼女の中で"社長は医療に詳しい人が欲しくてセカンドを行った"、つまりそれだけの理由がないとやってはいけないのかと勝手に定義していた。しかし確かに千葉の言うように、自分の要求を満たす、という認識でもいいのかもしれない。

 確かにそれは自分の求める人である。

 戦闘行動において相性が良いかどうかはさておいて……となってしまうのが問題だが、自分と普段の生活で齟齬が起きないのなら、その方が重要。

 ——だけど、彼氏や兄は抵抗が——。

 とは言えども性別に文句をつけていられる場合なのだろうか。どうしても女の子で!とお願いするのは簡単だが、寄島のように性別を転換出来てしまえばお願いの意味は無くなるだろう。アレは特殊体質なのだろうと理解している。けれど、自分が呼ぶセカンドも特殊じゃない保証はない。


「……むずかしいよお」

「気負いすぎかもな……。」


 気がつけば時計は既に15時の10分前を指している。納期に間に合わない女だとも思われたくないが、ここを妥協するのは絶対に相手の人生をフイにしてしまう。相手への思いやり故に彼女は頭をぐちゃぐちゃとかき混ぜていた。


「例えば趣味とかないの?」

「しゅみ……」

「おー。趣味が合う人、価値観が合う人、これくらいの条件で出してみて、あとはお互い切磋琢磨してくってのもいいんじゃね?」


 それを言われて突然いをりのこんがらがった思考の紐がピンと張った。彼女の趣味は読書だった。本を読む人同士であれば、多少解釈の異なりは有るだろうが、会話も成立するだろう。魔術もいをりからしてみれば魔法のようにふわふわしているもので、解釈次第で変化がありそうな曖昧さ。最低限似ているならきっと相性も良くなるのではないだろうか。

 と、紐は解けても地盤が沼化している脳内で閃いたのだ。


「5分前〜! とりあえず下行こうか!」


 例の扉から社長が楽しげに現れる。死にかけの体勢のいをりを見て悩んでるウケるなんて言いながら、開けっ放しにして消えていった。

 時間ならば仕方ない。千葉はいをりを引っ張って起こし、首が据わらない赤ちゃんのような彼女を介抱して扉を潜った。左手すぐに下りの階段と、奥側に上りの階段が見えた。踊り場を通って更に下り、扉を開くと、そこは何もないコンクリートが打ちっ放しになっている殺風景な部屋だった。

 既にローレルや寄島は支度をしていたようで、ふたつ分の陣が、社長の鎖で床に描かれていた。


「さ、準備が出来てる方からどーぞ」

「じゃあ俺から。何か詠唱とか決まった言葉とか言えばいいんですか?」

「言わなくていいわよ。親指とかちょっと切って血を垂らせばいい」


 魔術師の血は魔力が溶け込んでいる。液化した魔力とも呼称されるくらいに濃度が高いため、魔力をそのままぶつけるよりも効率がいいことがある。ましてや魔術師としてひよっこすぎる彼らにとって、魔力をそのまま排出する技も経験がなくすぐには出来ないだろうと踏み、社長は血を選んだ。

 頷いて右側の陣に近寄り、親指の腹を歯で潰して血を垂らした。どうせこれくらいはすぐに治る。それより彼は欲しい人がいた。


 ——彼の志望動機。それは愛されること。

 必要とされること。


 別に今まで愛されなかった訳では無い。ただ、自分を愛してくれて、自分が愛せるだけの存在が欲しい。遊びではなく、盲目になれるほど幸せになってみたい。上辺の付き合い、気遣った言葉、状況に合わせて変化する人間のカタチ。それらが何となく歯痒くて気持ち悪い。

 お前じゃなきゃダメなんだ。あなたがいて欲しい。そんなふうに言われてみたい。このクソみたいな世界でも。

 彼は思いを馳せながら陣に血を流し続ける。流石に指がジンジンしてきた頃、床がカッと光り出す。光が塊になって、人型になっていく。これは寄島が自分の形を変えた時のそれとほぼ同じだった。入口から動けていないいをりも同じことを思う。人型は小柄だった。ただでさえ小さいというのに、傅く様な格好をしたところで光が飛び散った。

 中から現れたのは長い金の髪、小さくて整った顔、華奢な体に纏う中世の一般的なドレス。

 可愛らしい女の子。そんな子が千葉に傅いている。


「……すげぇ」

「呼び主様、ありがとうございます。私に名前をください。さすれば縁があなたと私を繋ぐでしょう」


 声すらも鈴蘭のように綺麗だった。囀る鳥のようとも言える。言葉で表すよりもずっと聴いた方が綺麗なのだ。

 彼女は姿勢を変えず、頭を千葉に向けてあげる事もなかった。せめて顔が見たいと言うと、初めて千葉は彼女の顔を見る。

 どストライク。ホームラン。

 彼の好みのドンピシャを行く女性がそこにいた。


「あ……な、なまえね。うん。ちょっと考えるね、今日のうちに」


 ドギマギしているのか、一目見て好意を抱いたか、千葉の言葉にキレがない。そんな彼を見た少女は可愛らしく立ち上がって千葉に寄る。首を少し傾けて微笑んで、腰に腕を回す。


「ええ。どのようなものでも構いません。あなたから貰う、いっちばんの……至上のプレゼントですから……」


 吐息が混じる可愛らしい声に圧倒され、千葉が数秒フリーズするのを、遠くから社長といをりが冷たい視線で眺める。他の男達はいいなあ、とか抜かしているので、社長はそちらへも冷たく刺す。


「男は単純でバカね。さ、いをりも好きなように」

「……あ、あの、若干まだ定まってなくて。イメージまでは出来てるんです。なんて……言えばいいのかなって。」

「考えすぎは良くないぞ〜。肩の力抜いてイメージだけしてな」


 イチャイチャしている千葉を後目にいをりももうひとつの陣の上にやってくる。緊張しながら自分の指を噛んでみるが、血を出すほどの威力が出ず、食むだけになってしまう。見かねた社長はいをりの前に切れて鋭利になっている鎖を寄越す。後ろを向いて社長を見ると、どうぞ、と言うように手のひらをこちらへ押すようなジェスチャーをしてきた。

 正直自傷なんてしようと思ったことも無い。少し手を震わせつつ、覚悟を決めてスパッと切れ込みを入れると、思いのほか深くなってしまったようで、血がドバドバと流れ出す。早くこぼれろ、と思いながら指を振ると、飛び散って汚くなる。焦りを増すばかりだった。目が回るほど思考がこんがらがり始めたが、社長が言っていた肩の力を抜けという言葉を思い出す。とりあえず何度か深呼吸をする。

 ——少しだけ、視界が開いた気がする。

 彼女がそう思ってからは早かった。頭でどんな人がいいのか思い浮かべる。


 趣味が同じで。私の味方をしてくれる人。

 いっしょにいて、くれる人……。


 思考が固まったところで陣が輝き出す。いをりの瞳に光の渦が目一杯に入る。人の形を為していくそれが何より美しい。この風景を忘れることはない、とふと思った。

 光が散った中に立っていたのは、草履を履いて宙に浮かび、着物の上に襟の着いたオーバーサイズのジャケットを着る……まさに和洋折衷、新旧折衷の人物だった。ヘアスタイルは切りっぱなしボブ、髪色は明るいグレージュ。今はストレートだが、外巻きに巻けば流行りに乗って可愛らしいだろう……。けれど。

 顔や体つきで、性別がわからない。

 どちらとも取れるのだ。混乱しているいをりに浮いている人物は声をかける。


「呆気に取られる時間が長くないかい?」

「……。どっち……。」


 声を聞いても尚更分からない。少年のようでもあるし、少し低い女性のようでもある。声が高めの男の人でも。……要は判断材料にならなかった。

 そんな彼女を見てくつくつ笑う人物は何故か楽しそうだった。


「いやあ、悪くない。では後で名前を頂戴ね。」

「あ、いや、性別わかんなくて……! あなたは……」

「性別など瑣末な問題だとは思わないか?」


 ふわりと近寄って、いをりの頭をぽんぽんと撫でる。もう彼女の頭の中は本日何度目かのショートを迎えていて、今何をされたのかも理解していなかった。


「と言うより——。いや、いい。格好良くて可愛らしいお名前をよろしく頼むよ? 少女」


 浮遊して笑って、周囲を見渡す。視界に入った魔術師を見ると社長をいちばん長く眺める。

 彼女がこの中でいちばん強い。一通り眺めただけで察知した。視線を受けて社長がニカッと笑うと、パンパンと手を叩いて全員の意識を集める。


「とりあえず全員呼んだわね。ふたりとも、今呼んだセカンドとバディを組んで、細かい仕事をこなしつつ魔術師として開花してください! 明日はランキング参加からね」


 それぞれが呼び出した人物は正直変わっているだろう。そもそもセカンドとは、そういうものなのかもしれない。

 ただ、セカンドを境に、同時に彼らにとっていちばん長い一年を過ごすことになる。そのための第一歩を歩みだした。

 荒野が喋り終わると、ローレルがそっと傍によって声を掛ける。新入社員らは自分のセカンドに手一杯の様子で、こちらなど見向きもしない。

 右手には花弁がちぎられて萎れた花がある。彼の魔術で花占いでもしていたのだろう。残った花弁の数は……5枚。


「美里。さっき東京BSに居る容疑者の数がひとつ増えて5になった。これで全員だよ。もしかしたらあの人かもしれない」

「そう……。動くかもしれないわね」

「……おれは、味方だからね。」


 押し殺した声で、ローレルは言う。

 力を抜いて、ふふ、と嬉しそうに、口角を上げた。彼の意志を受け取ったということだろう。


「大金より、成し得るべき事があるものね」

「悲しい立場。美里も、おれも」


 ほかの社員たちは、まだ、しらない。


 ——。

 セカンド実行完了時刻、4月15日15時38分。

 同時刻、旧六本木ヒルズ屋上。


「東京は2ヶ月ぶりかあ。なんやもっと前な気がしたんやけどな」


 背が高い男は言う。


「ま、やることは一緒やし。大阪帰りの魔術師も参加させてもらおか〜」


 彼は白い鳥を呼び出して、左手の人差し指に留めさせた。WWGが公式で定めるランキングに参加する旨を鳥に伝える。鳥らしく何度か首をこてんこてんと傾けたり、そっぽを向いたりしていた。

 10秒ほど経過して、鳥は男の方を向いて嘴を開ける。


「順位判断不能。参加は許諾するが最下位扱いとする」

「あは、やっぱ俺はダメか〜。ほんなら参加せんでええわ。」


 苦笑いして鳥を消す。案の定といった反応を見せて、伸びをする。


「んじゃ、また食いに行こか。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る