三十九話

 細川尚春ほそかわひさはる率いる五千の軍勢が淡路から出港した日の夜、三好之長みよしゆきながら二千の軍勢は浜に、停泊している関船せきぶねに乗り込むと直ちに出帆した。


 「父上、恐らく敵方は今頃、坂手さかてで陣を敷いておることでしょう。小豆島しょうどしまを強襲するにしても追跡が遅すぎでは?」


 息子の三好長秀みよしながひでが少し不安げにそう言うと撫養掃部助むやかもんのすけが横から


 「やってやれぬことはありますまい。快速の関ならば敵が寝こけておる時間にも小豆島に付きましょう。水夫共にはたっぷりと報酬を弾みます故、必ずや今夜中に乗り込みましょうぞ。」


 掃部助が胸を張ってそう言うと之長が


 「そなたら、勘違いしておるぞ。確かに今から強行軍で坂手に夜襲をかけるのも面白かろうが、儂はもっと楽な方法を考えておる。」


 と否定した。

 之長は晴天の夜の海の遠く島影を望む。

 静かな海には波音とウミネコの鳴き声だけが満天の星空からかすかに聞こえてくる。

 そんな静寂の夜、星空に照らされた島影を指差した。

 

 「目指す先はあれぞ。」


 之長が指さした先にある島影こそ敵の本拠地淡路島であった。

 長秀も掃部助も兵どもも目先の敵と合戦して勝つことばかりを考えていたが、之長は敵の眼が讃岐に向いている間に、主力がいない淡路島を強襲して敵の退路を断つ作戦を考えていた。

 そのためには眼の前の敵を排除することばかり考えている敵の眼を、讃岐に向ける必要があったのだ。

 阿波よりも讃岐のほうが戦いやすい、そう気づかせるきっかけを与えるだけで良かった。

 之長が態とらしく偽の内応の手紙をばら撒いたのは、阿波以外に讃岐も戦場の選択肢としてあると気づかせるためで、そのための切っ掛けは内応で無くとも良かったのである。

 之長にとって内応を信じて讃岐に行こうが、内応を疑いながら讃岐に行こうがそんな事はどうでも良かった。

 結果敵が内応を疑って阿波で戦う選択肢を選べば、長期戦を覚悟するつもりだったが、偽の内応を誘うことで無い選択肢の幅を広げ少しでも讃岐に向かう確率を高めたかったのである。

 先刻、掃部助の報告を聞いた之長は内心


 『我が策なれり』


 と小躍りしたいくらいには喜んでいたのであるが、密偵に気取られたく無いがために興味なさそうに振る舞っていたのだった。


 長秀と掃部助が指先にある淡路島の大きな島影を見ると、その時初めて之長の考えを理解したのである。

 

 「殿の智慧ちえの泉はおとろえておらなんだ!」


 掃部助が飛び上がらんばかりに大喜びすると、長秀も感嘆の声を上げて


 「さすが父上にござるな。よくよく考えてみれば簡単ですが、眼の前のことに必死になった時、人の視野は狭くなるものでござるなぁ。」


 目が覚めたような顔をした。


 「うむ、そうやも知れぬな。ところで掃部、そなた昼間は儂の知は枯れ果てたと言っておったが、よくもいけしゃあしゃあとその様な事をぬかしよるな。」


 之長の言葉にすっかりと先刻の事を忘れていた掃部助は顔を真赤にして驚いた。


 「あれはですな・・・お家のためを思うての事で・・・」


 掃部助が頭を掻きながら恥じていった。

 しどろもどろに言い訳をする掃部助を見て之長は相好を崩すと


 「冗談じゃよ。」


 そう言ってかかと声を上げて笑ったのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る