三十三話

 永正元年10月、細川澄元ほそかわすみもとみやこから阿波へ返されることとなり、高畠長信たかはたながのぶ三好長秀みよしながひでなどの有力家臣達も付き従った。

 長秀は京にいた一族を堺に留め置くこととした。

 愛する妻やまだ二歳であった子の千熊丸と別れは辛かったが、これから起こるであろう阿波征伐の備えといずれ再び京に戻ってくること誓ってのことだった。

 

 「千熊丸せんくままるよ。戻ってくる頃は今より更に大きくなっておるだろうな。今後はどうなるか解らぬが、出来る限り早く本州の土を踏もう。その時は千熊よ、父の顔を覚えておいてくれよ。」


 長秀は千熊丸を抱き上げると千熊は太陽のような眩しい笑顔を見せる。

 千熊と長秀が別れを惜しんでたわむれていると妻のよしが心配そうな顔をしていた。


 「殿、阿波より上洛して一年別れ、数ヶ月過ごしてまた再び別れ、いつ会えるでしょうや?阿波は戦になるやも知れぬのでしょう?」


 美が眉間みけんしわを寄せて長秀を見上げると玉のような我が子と、この顰眉ひそみまゆの似合う美人の妻を置き去りにして阿波に帰るのは辛かった。

 だが、それは家族と離れて暮らすことへの悲しみであって、戦に関する心配は、特にしていなかった。


 「お前や千熊と離れるのは本当につらい。だが戦に関しては心配無用ぞ。父はとにかく戦上手だ。儂もそこは特に心配しておらぬ。負けねば和睦となる。和睦となればまた再び共に暮らせる。その時まで千熊を大切に育ててくれ。頼むぞ。」


 長秀はそう言って後ろ髪を引かれながら千熊を美の手に返すと、澄元達が待つ堺の港に向かった。


 澄元達が阿波に戻ると、勝瑞の阿波屋形ではもう既に具足などの準備で物々しい状況であった。

 兄の之持ゆきもち京兆家けいちょうけとの手切れを意味する澄元の帰還をうれいているようだったが、同時にまだ、養子の縁を切られたわけではないことに、かすかな希望を持っているようだった。

 成之は澄元の顔を見ると相好そうごうくずして喜んだが、政元が京兆家の世継ぎの件を曖昧にしていた事や、前公方の件、征伐の件など諸々が重なって、政元の名が話に出ると顔を耳まで真っ赤にして怒り狂っていた。

 兄の之持は戦に慣れていないため、とにかく征伐のことを心配そうにしていたが、流石に応仁の大戦をくぐり抜けてきた成之や之長は来るなら来い、ただでは絶対に終わらさんと息巻いていたのである。

 

 「今は物々しく京の様な生活は出来ぬが、儂らが勝てば京兆家も腹に畠山を抱えて居る身、我らが有利に和睦できるだろう。京師で戦をするならまだしも、四国は我らの地よ。彼奴らに必ず痛い目を見せてくれるわ!」

 

 そう言って澄元に胸を張ってみせた。


 「まあ、京師で戦っても京で政争に明け暮れておる軟弱な者共には負けぬがな。」


 などと冗談を言う余裕まで見せて高笑いしていた。

 そんな成之の姿を見ると、阿波征伐は大きな戦になるかも知れないが、負ける心配は無いのではないかと言う気持ちにさせてくれた。

 だがそうなると今度は、京で自分に少なからず優しくしてくれた政元や、本当の兄弟のように過ごした澄之の事が途端に心配になってきたのだ。


 (阿波が勝って和睦になると政元様や澄之様はどうなるのだろうか?もしかしたら澄之様は世継ぎの座は追われてしまうのではないだろうか?)


 そう考えると、阿波の武士共が強く振る舞う度に、阿波に負けて欲しくもないが、勝って欲しくもないと言う複雑な胸中に苛まれることになったのである。

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