十七話

 永正元年四月初旬、赤沢朝経あかざわともつね薬師寺元一やくしじもとかずの取り成しにより和睦わぼくに応じることとなった。

 交渉事に慣れた元一は時間稼ぎのために交渉が難航していると何度も城に赴き、次の謀反に向けて念入りに策を練っていたため返答を四月までなんとか引き伸ばした。

 その間に朝経の方は夜陰やいんに紛れてみやこ三好之長みよしゆきながに使者を送り、阿波の出兵を延期してほしいとの連絡を取ったのである。

 

 之長に使者を送ったのは距離の近さと之長が忠実な成之の家臣だったからだ。

 成之は堺に軍勢を上陸させた後は之長と合流して先陣の大将とするつもりだったのである。

 之長もその心づもりで草の者に山城周辺の地理を克明に調べさせていたところに、朝経の使者が成之に出陣の延期を要望してきたのである。


 「赤沢殿に散々乱して貰ってから暴れる事になると思っていたが、一時和睦と相成るか・・・まあ良い、薬師寺殿が兵を集めて我らの味方となるならば、よりやりやすくなろう。」


 之長は久しぶりの合戦の延期に、少し気が抜けた様な思いをしたが、気を取り直すと筆を執り、二通の文を書き始めた。

 一通は成之へ京の情勢と援軍の延期、もう一通は家族を京に呼び寄せる手紙だ。

 之長は上洛する際に先行きが見えないため、長男の長秀以外には供回りだけを連れて上洛したのだが、京での生活が本格化してきたため家族を呼び寄せることを決意したのである。

 そこには二歳の孫千熊丸せんくままるもいたのだった。


 赤沢朝経が和睦を了承したと報告した薬師寺元一は時間稼ぎのため、政元には四月中旬に軍装を解き、五月中旬に城の開城を約束したと報告すると、自らは兵を集めるため摂津と山城を頻繁に行き来していた。

 そしてようやく六月に朝経が上洛、細川政元に謝罪すると、正式に和睦となりようやく表向き平和が訪れたのである。

 和睦に至るまで三ヶ月の時を掛けたのは異常な長さだったが、武勇に優れた朝経だからこそ、この様なのろまな動きが許されたのだと世間では噂されていた。

 実際に政元は同じ謀反した元一には和睦交渉にき使ったが朝経には特に大きな仕事を与えなかった。

 とは言え京を騒がせた一連の事件は一時終わりを迎えたのである。


 ところが今度は厄介な叛乱が鎮圧され落ち着くと、政元は突然修験道の修行をしたいと家臣たちに打ち明けたのだ。

 当然周囲は強く反対し政元を押し留めようと説得を行った。

 その中で元一も意見を述べるように背中を押されたが、謀反を企んだ者に意見など無いと殊勝に振る舞いながら、内心はさっさと修行に行ってしまえと厄介な政元に心の底から修行に行ってほしいと願ったのである。

 その願いがかなったのか政元は半ば無理矢理押し切って二ヶ月だけだが鞍馬山に修業に入ることとなったのだ。

 政元の鞍馬山入山を境に元一は大胆に兵を集め始め、八月の中頃には阿波との往来を隠そうともしなくなっていた。


 だがそういった動きを心配したのは三月に冷静に和睦を進められた味方の赤沢朝経だった。

 朝経は三月に集めた兵どもを巧妙に隠し元一の準備を待っていたが、あまりにも謀反の気配を隠そうともしない元一に


 「いくら政元が鞍馬山におるとはいえあまりにも無謀ぞ、少しは隠そうとせい。」


 そう諫言したが


 「今は一人でも多く兵がほしい、政元が鞍馬にいる間が狙い目なのだ。安心せよ、政元は修験の修行中は世間のことには耳を貸さぬ。」


 などと言って朝経の言葉に耳を貸そうとしなかったのだ。

 この元一の行動を密偵が之長に逐一知らせていた。

 

 「危ないな・・・」


 之長も元一の行動に日に日に危機感を感じるようになったのだ。

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