第六話

 「そんな馬鹿げた話がありますか!」


 麗らかな春の空にも関わらず薬師寺元一やくしじもとかずの怒声が政元邸に響き渡る。

 元一の怒声に素早く反応した細川政元はどうやら咄嗟に耳を塞いで鼓膜こまくを守り抜いたようだ。

 大きな声を出して怒りをぶち撒けた元一だが、そんな事だけでは怒りは収まらない。

 眼の前にいる気まぐれ男の顔をぶん殴りたい気持ちを血がにじみ出るくらいに両拳りょうこぶしを握りしめて抑え込んでいると、全身が自然にワナワナと震えてきたのである。


 堺より帰京してその足で急いで政元邸に向かった元一は挨拶もそこそこに阿波家との交渉の成功、及び六郎一行が阿波より堺に来訪した事を告げると政元は少しバツの悪そうな顔をしてソワソワと頭を掻くと


 「左様かよくやった。」


 とだけ答えて黙り込んだ。

 元一は政元のこんな姿を何度か見たことがある。

 そしてそんな時は常に悪いことばかりが起こるのだ。

 嫌な予感を拭いきれない元一は政元に恐る恐る


 「いかが致しましたか?」


 と聞くと政元は


 「うむ・・・最近なぁ、澄之が殊勝になのだ・・・」


 と廃嫡を思いついた事を後悔しているような口ぶりでそういったのだ。


 元一が提案した阿波家との養子縁組の動きは口さがない京雀きょうすずめの噂の的になり、巷間こうかんにすぐに広まった。

 噂が広まると澄之の家人たちも日を追うごとによそよそしくなり、澄之も家人共のよそよそしい態度に荒れた態度を取るようになっていった。

 家人たちもはじめは大人しくしていたものの、澄之が廃嫡されるかも知れないと知ると段々と反抗的になり、果ては抵抗するようにまでなっていったのだ。

 普段はわがまま放題言ってもされるがままの家人たちに段々と不信感を感じていた澄之は遂に家人たちの噂話を直接耳に入れてしまったのだ。


 「おい、澄之の廃嫡の儀はいつ執り行われるのだ?」


 「来年の春頃と言う噂らしいぞ。」


 「薬師寺様が今堺に滞在して阿波様とのやり取りを取り仕切っておるらしいぞ。」


 「楽しみだぜ、あやつは御屋形様の感心が自分に向かぬのを良い事に我らに我儘わがままを言って困らせやがって、この前なぞ夕餉ゆうげをお運びしただけで準備が遅いなどとと抜かして顔を扇子ではたきおった。」


 「御屋形様も澄之の廃嫡には御同意なされたと聞いておる。あの我儘さでは当然じゃ。澄之め廃嫡されれば惨めよのぉ、新しい嫡子様にお仕えする日が本当に楽しみだわい!」


 澄之は自分が廃嫡されるかも知れないと言う事実を知るとガンと頭を鉄杖てつじょうで殴られたような衝撃を受け、腰が抜けヘタリと廊下に座り込んでしまった。

 足に力が入らず頭では立とうと思っていても立つことが出来ないのだ。

 頭の中には廃嫡の二字がクルクルと脳内を巡る。

 このまま廃嫡されれば自分はどうなってしまうのか?

 細川との血の繋がりは無いとはいえ二歳の頃から細川の家で生活しているのだ。愛着がないはずがなかった。

 政元は気分屋で奇人、いつか天狗になって空を飛びたいと願って自由を渇望かつぼうする所謂いわゆる「イタい」男だが赤子であった頃から共に過ごしてきたのだ。

 良い思い出が無いはずがなかった。

 ところが自分が成長していく度に自分に飽きて冷たくなってくる政元に見て欲しいが故に少しずつ我儘を言うようになっていったのだ。

 だから政元の嫡子となって家を継げるとわかった時はようやく父に認められたと感動したものだったが政元はなんと元服の祝いの席で


 「ようやく澄之も元服し嫡子となったか、そろそろ儂も現世を離れて修験の道を極める旅に出ることが出来そうだな。」


 などと言って自分を捨てて天狗になるために修験の道に入ってしまいたいというのだ。

 そうなっては血の繋がりのない細川家中で孤独になってしまう。

 澄之にとって血の繋がらぬ家での拠り所は結局は政元との繋がり、澄之は孤独になる恐怖が胸によぎると一つの決意をした。

 せめて独り立ちできるようになるまでは暗愚でいようと・・・

 そうであれば義父は引退など出来まいと・・・

 ところがそれが裏目に出てしまったのだ。

 

 その日の夜から澄之は我儘を一切言わなくなり、以前までのうるささはなりを潜め寡黙かもくになり、朝な夕なに働く家人や侍女共には時折感謝の言葉なども述べるようになった。

 突然の変わりように細川家家中では驚き、気持ち悪がる者らも多く


 「若様は狐憑きつねつきに遭われた。」


 「いや阿弥陀如来様あみだにょらいさまのご加護かも知れぬぞ。」


 「気鬱きうつの病かもしれぬ。」


 「ものの数日で元に戻ろう」


 などという噂がささやかれていたが、数ヶ月もそれが続くと家人共の間では今までの澄之が狐憑きで今の澄之が本物だと言う解釈に変わっていったのだ。

 生まれ変わった澄之と家人共の関係はすっかり良好となり、それに合わせて政元も澄之に感心を持つようになったのだ。


 (これも修験道の修行のおかげよ。)


 などと政元は内心で思っていたがともかく政元にとってもう澄之は廃嫡をする理由がなくなっていたのである。

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