第2話 旅は一人で

 良く晴れた秋の昼下り。 

 小麦色の絨毯を敷き詰めたような広い草原の中を、荷馬車を連ねた商隊の列車が進んでいた。

 十数台の荷馬車と寝台馬車を連ねた、商業用の輸送列車である。

 列車の最前には積荷を護衛するために武装した兵士が数騎。

 商隊の中間部、最後尾にも兵士たちが数騎張り付き、列車と共に進んでいた。


 寝台馬車の小さな窓から一人の女性が、長く連なって進む商隊の列をうつろな目で観ていた。

 

 高く青い空には白い雲がゆっくりと流れていく。


 窓から外を眺めていた彼女は、目の前に広がる遠くの草原に視線を移した。


「はあー」

 と、深い溜息をつく。

 四人は余裕で寝泊りできる広さの寝台馬車には、溜息をついた彼女一人だけが乗っていた。


 彼女の名は、マーガレット・ミラー。愛称メグ。

 王都の商社で働く、ごく普通のオフィスレディ、いわゆるOLである。

 

 最近結婚した彼女は、新婚旅行をかね、夫の故郷に向かう計画を立てた。

 彼女が働いている商社が運営する輸送列車に便乗させてもらい、旅費の節約と浮いたお金でちょっと贅沢な旅先の食事を楽しむはずであったのだが……


 ◇◆◇◆回想


 列車旅での味気ない朝食を済ませた、メグと夫のリックは、寝台列車の中にいた。

 リックは毎朝のルーティンであるお気に入りのカップを側らに置き、表紙の厚い難しそうな本を呼んでいる。


 彼の名はリチャード・マーティン。愛称リック。

 彼も王都の役所で働く公務員である。


 3才年上の彼は、今、街で流行りの大きなウエブ巻きの前髪に顎髭あごひげを少し蓄えた、紳士的な風貌。

 本人が言うには、職場の部下からなめられない様に威厳いげんを出す為にひげの手入れは重要だと言う。


 一方のメグは、鏡に向かって奮闘中である。

 肩辺りで切りそろえた栗色の髪をとかしながら、鼻の辺りに散らばるソバカスを気にしている。王都でははあまり見かけない少しみどりがかった瞳の色が本人のお気に入りである。


「ねえリック。義母おかあさまは、どんな女性なの?」


 活字から目を離さず、リックが応える。


「そうだね……とても綺麗で優しい女性だよ」

「リンゴジャムを作るのが得意さ」


 ありきたりな、そしてマザコンの答えが返ってくる。


 質問したメグは、少し眉を下げる。


 彼は自分の母親の事は深くは語らない、というか語れないのである。


 家庭の事情で、小さい頃から王都の学校に預けられた彼は、幼少の頃の記憶、そう若くて美しく優しい母親のイメージしか持ち合わせていない。

 定期的に送られて来る手紙と甘いリンゴジャムが唯一、母親との接点という。


 そんな母親に結婚の報告と妻のメグを紹介する為、初めての里帰りの旅である。


 ◇◇◇


 列車を警備していた衛兵の一人から、大きな掛け声が上がった。

 進む一行の後方に早馬が一騎、追い駆けて来るのが見えた。


 急ぎの伝令の為か、軽備な装いの騎士ではあるが、身に付けた甲冑かっちゅうから見えるこしらえは立派な装飾をほどこした、王国の騎士さまである。


 早馬の騎士は、先導する商隊の隊長の側に寄ると、何やら矢継ぎ早に相談する。


「マーティン殿」

「マーティン殿は、こちらにおられるか?」

「火急の連絡です」


 伝令の騎士さまは、夫の名を告げた。


 夫のリックは、「はあー」と一言深い溜息を漏らすと、手に広げて持っていたぶ厚い本に顔を埋めた。


 列車が止まる。

 仮にも王国の伝令騎士である、商隊を預かる隊長はすぐさま列車を停止させた。


 リックが寝台車の窓から顔を出し、合図の手を振った。


 ◇


 外に出たリックと伝令の騎士さまは、何やら話し会っていた。

 騎士さまは身振り手振り、時折、声を荒げ口論を続けた。


 暫くするとリックが肩を落としながら戻って来る。


「すまない……メグ」


 リックは頭をかきながら、口ごもった様子で、話しかけて来た。


 メグは大きく息を吸った。


(―――わかってる)

(―――わかってますよっ!)


(あんな大きな声でしゃべっていたら、大体のさっしはつきますよっ)


 メグは頬を膨らまし、腕を組む。


 ますます恐縮する夫。


「すまない……現場でトラブルが起こったらしい」

「僕にすぐ対応する様に……と」


 の事である。


「すぐに済ませて戻るから」


(新婚旅行中だというのに、―――こんな所まで来て)

(仕事に呼び出すなんて―――)


(急用なのはわかるわよっ!)


 メグは声にならない独り言をもらす。

 が、この状況を頭の中で整理する。


(仮にも夫のリックは、公務員)

(ここは……良い印象を……)


(伝令騎士さまの手前もある)

(新妻に相応ふさわしい態度を見せなくては―――)


 メグは、また大きく息を吸い込む。


「旦那様っ、いってらっしゃいませ」

「―――私は、一人でも大丈夫だから」


 と、きっぱり応えた。


 頭を掻くリックの肩越しに見える騎士さまを、チラリとのぞく。


 そしてスカートの端を両手て摘まみ上げると、後ろ脚を引き、伝令騎士に向かって軽く会釈をした。


(こんな感じかしら)


 最近、リックから教わった貴族の挨拶。


 遠くで二人の様子をうかがっていた伝令騎士も、心なしか安堵あんどの様子で肩を落とし、頭を下げた様に見えた。


 メグの視界の外であろう死角で、ニックは一人うつむいた。

 騎士に対して、にわか仕込みのメグの所作に、何かを思ったか小刻みに肩を震わせていた。


 ◇◇◇


 夫のニックは、手早く携帯する荷をまとめると、伝令の騎士さまと馬を並べ、馬を走らせて行く。

 だんだんと小さくなって行く夫を見送るメグは、胃の辺りを押さえた。


(はあぁ。少し重たい……)と。

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