第6話 「でも、いやだからね」

 記録会の帰り。

 「ちょっと! 茉莉まつり、なんで無視するのよ」

 そう言われて李津子りつこに手首を握られた。

 力が強い。さすが、瑞城ずいじょう女子中学校の過去の記録のほとんどを塗り替えてしまった水泳選手だ。

 「ほっといてよ!」

 でも振り向かずに振りほどくのは無理だった。

 だから、茉莉は、李津子のほうに体を向けて手を「ぶん!」と振り、李津子の手から自分の手を放した。

 手を振り放された李津子は顔を伏せて上目づかいで茉莉を見た。

 上目づかいのまま目を離さない。

 李津子のほうが背が高い。肩幅もひとまわり広くて、つまり、体のサイズがひとまわりずつ大きい。

 李津子の目は、こんなときにもきれいで、潤いたっぷりだ。

 「ほっとくなら、ほっとくでいいけど」

 そこまでは、李津子は、李津子らしくなく、口ごもりながら言った。

 「でも、いやだからね」

 李津子ははっきりと顔を上げた。

 そのきれいな目を見開き、まっすぐに茉莉の目を見て、ひと息で言う。

 「わたしのほうがタイムがよかったからって、茉莉と口をきけなくなるなんて」

 あとで思うと、李津子も懸命けんめいだったのだろう。

 でも、そのときの茉莉には、とても李津子を思いやっている余裕はなかった。

 瑞城女子中学校を代表してシドニーの提携ていけい校を訪問し、自分より体の大きい子たちに瑞城の力を見せつけ、帰って来て、部の記録会に出たら、一位じゃなかった。

 どの種目も、一つの例外もなく、一位が李津子、二位が茉莉。

 そのくやしさ。

 そのくやしさが、李津子にわかってたまるか!

 「そんなの、李津子がどの種目でもタイムがよかったから言えることでしょ! どの種目でもっ!」

 そう絶叫すると、茉莉は駆け出した。

 背負いかばんを大きく左右に振りながら、校庭を駆け抜け、坂を下って学校を後にした。

 泳ぐのに較べて、走る姿はぶざまだ。

 いや。

 泳ぐのだってぶざまかも知れない。

 人間の身体は泳ぐために生まれてきたとごく自然に感じる李津子の身体。

 茉莉は、どんなにがんばったって、その李津子の泳ぎには追いつくことができない。

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