第37話  俺のメイドにしか引き出せないもの

美空みそら なお



今日は羽林と打ち合わせの日。俺は氷の反応を気にしつつも家から出て、彼女がいるスタジオに向かった。



「……んで、なんでここにいるんだよ」

「なんでって、面白そうだから?それに最近は私と全然会ってくれないじゃない~~直のせいだよ、これ!!」

「羽林?」

「まあ、いいじゃんいいじゃん!恵奈さんはラブソングの神様だし!!」



でも、いざスタジオに到着してみたらそこには羽林だけじゃなく俺の従姉、恵奈さんまでいて……俺はつい頭を抱えてしまう。


家にあるものより3倍以上はデカそうなモニターとスピーカー、様々なレコーディング機械が揃えられている空間で、二人は当たり前のように椅子にもたれかかってニヤニヤしている。


というか、やっぱりスケールが大きいな……羽林、どんだけ会社から支援受けてるんだ。


俺は部屋の内装を見回りながら、羽林に聞く。



「ていうか、他のスタッフさんたちは?アルバムの収録のためにいるんじゃないのか?」

「あ、それはもう午前中に全部終わったわよ?すべてワンテイクでパパっとやっちゃったから。それに、今日は収録する曲あんまないしね」

「へぇ……じゃ、ここは今から使い放題ってことか」

「そういうこと!まあ、さすがに明日の午後には他の人たちが使うから、席外さなきゃいけないけど」

「明日……か」

「そう、明日」



泊まり込みになるかもしれない、という言葉は先に伝えられた通りだ。実際、俺自身も曲を完成させる覚悟で来たんだから、望むところである。


羽林の依頼を受けてから一週間以上たったのに、俺は未だにきちんとした結果を出していなかった。


なにか物足りない、小さな穴が空いて水漏れしているような感覚がサウンドにずっとくすぶっていたからだ。


でも、これでもう終わり。


アーティスト本人の要望も積極的に聞いて、リアルタイムでコミュニケーションを取りながら作業をしたら、さすがになにか変わるだろう。


そう思って、割と緊張しながらここに来たわけだが……



「ふふん~~ふふふん~~」

「…………………」



……恵奈さんがいるとは思わなかったな、本当に。



「俺のこと好きすぎだろ……ていうか、赤林。恵奈さんとも知り合いだったのか?」

「そうね。恵奈さんにも個人的にフィーチャリングを頼んだから」

「いや~~楽しかったよね。直に隠れながら裏でこそこそ作業する快感がもうたまらなかったよ!!」

「……やっぱ俺のこと好きすぎだろ」



苦笑を浮かべながらも、俺は持ってきたSSDをパソコンに取り付けてファイルを開く。


モニターに映ったファイルを見た瞬間、後ろの二人は何故か息を呑んだ。



「いや、これ………………」

「…………………なに、これ?直、どんだけ作ってるの?」

「うん?」



後ろへ振り向くと、二人は驚愕に滲んだ眼差しと目が合ってしまう。首を傾げていると、羽林が呆れた顔で聞いてきた。



「……これ、何曲入ってるの?そのSSDの中で」

「うん?数えたことはないけど……そうだな。大体800くらいはあるんじゃないかな」

「…………………なんでそんなに持ってんの?」

「俺、中2の冬から作曲始めたからさ。それからはもう一日一曲、最低でも二日に一曲は作ろうとしてたからね」

「……………私、それなりに音楽に狂っていたつもりだったけど、今ので自信なくなってきた」

「紫亜ちゃんもそう?私も……なんなのよ、この音楽バカは」

「バカはやめろ。そもそも俺は歌詞も声も入れてないから作るのは簡単だろうが」

「なに言ってんの、たった3年間で800曲も作ったヤツがよく言うな~~通りでサウンドがおかしいと思ったよ……高校生が出せる音じゃないし」



……まあ、誉め言葉として受け取っておいてもいいよな?


ていうか、恵奈さんの言うバカと氷が言うバカは本当に感じが違う気がする。氷はもっとムスッとしていて、でも全然嫌な感じがしなくて…………いやいや。



「………………」



なんでここまで来て、氷のことを考えてるんだろう。


苦笑しつつ、俺は羽林紫亜というファイル名をダブルクリックしてフォルダーを開く。


前にディスコで羽林に指摘されてから、寝る間も惜しんでそれなりに頑張ってきた。


五つくらいの曲を順番に流しながら、俺は二人の表情を注意深く観察する。


そして、二人は俺の予想からあまり外れない反応を見せてきた。



「……なんか」

「微妙だね」



言いづらそうにしている羽林の代わりに、恵奈さんがびしっと言い切る。


彼女の瞳は普段茶目っ気のある従姉の瞳じゃなく、アーティストの瞳だった。



「確かにサウンドはあなたのスタイル通りに巧妙に作られている。それは確かだけど……紫亜ちゃん、どんなコンセプトでお願いしたのか具体的に説明してもらってもいい?」

「あ、はい。えっと……季節は冬で、お互いが初恋な少女と少年が偶然再会する感じ……でしょうか。ドロッとしていてお互いをちゃんと意識はしてるけど、怖くて思いを伝えることはできなくて、すれ違いすぎたあまりに少しずつ悲しくなるけど、最後は幸せになる感じの……」

「そうね。んで、直」

「ああ」

「正直に言うとね?あなたのサウンドには、恋をしている時のもじもじした感覚とか、思いが伝えられない切なさとか……そういったものがあんまり、感じられないの」

「…………………………」



そっか、これが俺が感じていた違和感か。なにかがおかしいとは思っていたけど、恵奈さんの言葉を聞いてすぐに納得してしまった。


このサウンドたちには確かに、そういったじれじれした感覚は込められていないと思う。


コンセプトとは違う。すべてが綺麗すぎて、唐突で、露骨的だった。芸術的ではあるけど、人間の感情をなぞれるほど繊細ではない。


俺と羽林が感じていた違和感も、きっとこの類のものなんだろう。



「あっ、でもNoahのスタイルは上手く生きていますし、私が歌詞と声でどうにかやれば―――」

「それで、紫亜ちゃんは満足できる?紫亜ちゃん、音楽に関しては妥協しないんじゃないんだっけ」

「………」

「直もそうだし、ね?」



これは、お泊り確定コースか。


でも、自分が作ったサウンドが全否定された今。俺はどんな楽器を使ってどんなサウンドを織りなせばいいのか分からなくなった。



「……ごめんね?直。あなたが頑張って作った曲を、全部台無しにするようなことを言って―――」

「いや、恵奈さんは正しいよ」



首を振って、俺はSSDを取り外した後に作曲ソフトを立ち上げた。



「違和感があるのは自分でもなんとなく気づいていたし、コンセプトに合わないのも確かじゃん?それに、羽林もせっかくのアルバムにしこりがある曲を載せたくはないんだろう?」

「……それは」

「気にすんなよ、傷ついてないから」



……精いっぱい強がってみたものの、まいったという感想に変わりはなかった。


これは本当に八方塞がりだ。今の俺では羽林が望むようなサウンドを引き出せられる気がしない。


だからといって、プロとして締め切りを勝手に破るわけにもいかない。微妙な曲を作りたくないのは俺も羽林も同じ気持ちなのだろう。


……俺は仕方なく、顔を上げて恵奈さんを見た。



「……恵奈さん」

「ダメ、これは直が克服するべき問題なの。前は私がなんとかしてあげたけど、ここからはダメ」

「厳しいな、ヒントくらいはくれてもいいじゃんか」

「といっても……直のサウンドにはそもそも感情があんま乗ってないからさ。本人が強く何かを感じないと、なにもならないというか」

「つまり、経験が大事ってこと?」

「そうよ?少なくとも私はそうだったわね~~ははっ、身を切るような恋愛も、甘酸っぱい瞬間もそれなりにあったから……まあ、ラブソングの感覚なんてある程度は共感と羨望と、経験に基づく部分が多いしね」

「羨望……共感……」



経験と共感か……経験。経験。


でも、俺がじれじれした感覚や切なさを感じたことなんて―――――――あ。


…………………あ。



「うん?どうしたの、直?」

「…………………………………………………」



………かなり、バカみたいな考えではあるけど。


まあ、音楽のためならできないことでもないし、仕方ないか。



「羽林」

「あ、うん!」

「ごめん。悪いけど、後1週間だけ時間をくれないか?デモ版は毎日のように送るからさ。それと、今日はちょっと先に上がらせてもらえないかな」

「………えっ?なんで?」

「経験ができそうだから」



答えも聞かずに、俺は席から立ち上がって持ってきたカバンを手に取った。


呆然としている二人に向かって、俺は苦笑を浮かべながら言う。



「本当にごめん。でも、なにか掴める気がするんだ。申し訳ないけど、今回だけは俺を信じて欲しい」



確かめる必要はあるだろ。それに、最近感じたこの感情は決して……嘘なんかじゃないから。


目礼だけを残して、俺は早い足取りでスタジオの建物から出た。俺が向かう先は、自分の家。


氷が待っている家だった。

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