第35話 俺のメイドのせいで音が乱れた
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『なんかいつもとスタイル違くない?』
それは、ディスコで話している途中に飛んできた羽林紫亜の声だった。
心当たりがありすぎる俺は、唇を濡らしてから言う。
「やっぱ、そう思うか?」
『うん、なんか違うんだよね。私がイメージしていた美空直の、Noahのサウンドとはちょっと違う』
その言葉を否定するつもりはない。実際、今回は違う方式で作業をしたのだ。
氷のモデルの話が出てから1週間くらいが経った。俺は、その間ずっと作業に夢中になって、自分なりに組み合わせたいくつかの曲を羽林に送っていた。
でも、普段から俺のスタイルとサウンドをよく知っている羽林は違和感にすぐに気づいたらしく、急に打ち合わせをしたいとメッセージを送ってきて。
それで、今こうしてディスコをしているのである。
俺を呼び出した羽林は、少しだけ唸ってから言った。
『ラブソングだからサンプリング抑えたの?そうする必要ないのに』
「いや……なんていうか、ラブソングって感情線が大事だろ?でも、俺のサウンドはどちらかというと感情を爆発させるよりは綺麗さに拘っていたからさ。今までの君の曲を聞く限り、俺の本来のサウンドからは離れた方がいいと―――」
『もしかして、彼女でもできた?』
はっ、と息を呑んでしまうと同時に頭の中で浮かび上がる、氷の顔。
………なに変なこと言ってるんだと思いつつも、俺は平静を装いながら言い返した。
「……彼女なんていない。なんでそう思ったんだ?」
『今まであなたが作ったラブソングのサウンドはね?どれもあなたの持ち味がちゃんと生きていたの。でも、今回は明らかに違うんだよね』
「……具体的に言えば?』
『そうね。サウンドを単調にすることだけに拘って、無理やり技術を抑えている感じ……というか、迷いを感じるの。感情の揺れとか、そういう類の』
「……………………」
……怖いな、羽林。さすがは天才アーティストと呼ぶべきか。
たった5つのサウンドを聞いただけで俺の心理状態まで完全に推測してくるなんて、どれだけ察しがいいんだ、こいつ。
実際、羽林の推測は全部当たっていた。これは俺も曲を作っていた途中に抱いたしこりなのだ。何かが物足りないし、不完全だという感覚がちゃんとあった。
俺は基本的に、曲を作る時はパズルを合わせる感覚でやっている。
この人の声はよく響くから、なるべく声を引き立たせるためのサウンドが必要だ。
ギターは必ず入れるべきだけど、この曲のこのinstを入れたらもっとサウンドが美しくなるんじゃないか?
コードはどうする?BPMは?この人に合う楽器は………まあ、こんなことを四六時中考えながらやっているので、俺はどちらかというと曲を計算的に作る側の人間である。
だからこそ、湧き上がるような感情をどう表現すればいいか分からない。
『もしかしてスランプとか?相談に乗るよ?』
「いや、別にそんなわけじゃない」
『ううん~~まあ、とにかく何が言いたいのかというと、もうちょっとエゴを押し付けてもいいってことだよ。悪いけど、今回のデモはちょっと足りないかな。普段の綺麗なサウンドで一曲だけ、お願いできる?もちろんお金は払うよ?』
「………………分かった、そうしてみる」
昔から考えたことだけど、俺はラブソングに向いていない。そもそも俺は好きな人もいないし、そこまで彼女が欲しいとも思わない。
………でも、氷とのキスが俺の中の何かを変えた。
氷とのキスは、気持ちがいい。キスをするたびに彼女に蝕まれているみたいで怖いけど、気持ちよすぎるから拒むことができない。
『……………』
『……………』
互いの目が合って沈黙が何秒か続いたら、俺はパブロフの犬のように体を屈める。
氷は当たり前のように俺の首に両腕を巻いてキスをする。唇を離したら、まるでキスをするのが当然だと言わんばかりの顔で俺を見上げてくる。
………そして、その顔を見るたびに鼓動が早くなってしまう自分がいる。
氷の目を見るたびに俺は、自分が嫌われていないと実感することができた。
それが嬉しくて、また彼女とキスしたくなって……実際、この一週間はそうやって何度もキスをし続けた気がする。
その歪な感覚が、音楽に繋がったのだろう。
綺麗なサウンドもいいけど、自分の中にあるこのしこりを爆発させたい。
どうにかして音で表現したい。でも、俺は音に感情を織り交ぜるスキルがあまりにも足りないから、羽林の言う通り中途半端な曲になってしまったのだろう。
「困ったな………こりゃ」
……羽林には悪いと思うけど、今の俺はどうしても元の作業方法で曲を作れそうにない。
綺麗なサウンドの中でどうしても不純物が入れ混じってしまいそうで、困惑する。
ヘッドホンを外して、俺は深くため息をついた。そして、まるで俺がヘッドホンを外すことを待っていたかのように、ノックの音が響く。
「あ、入っていいよ」
ノックをした人は当たり前に氷で、彼女はパジャマ姿でしれっと俺の部屋に入ってくる。
そして、少しばかり目を伏せながら口を開いた。
「……誰かと電話でもしていましたか?話し声が漏れていましたが」
「えっ、もしかして氷の部屋まで聞こえてた?」
「いえ、このドア越しで聞こえただけですが」
「……なら、なんでまたここに来たの?今、深夜の1時だよ?」
「主人より早く寝るメイドなんて、存在してはなりませんので」
もはや図々しいと言ってもいいほど淡白に答えた氷は、徐々に俺に近づいてきた。
その瞳には呆れと湿り気と、ちょっとした期待が滲んでいる。
「……氷、ちゃんと睡眠取ってって言ったよね?」
「私の睡眠時間を増やしたいのであれば、ご主人様が早く寝ることで解決されますが」
「……俺のメイドさん、いつからこんな意地悪になったのかな」
「……ご主人様のせいです」
その恨みがましい口調に、怒りはこもっていなかった。
氷は苦笑を浮かべながら、椅子に座っている俺をジッと見つめている。
「……それより、誰と話してたんですか?もしかして、羽林さん?」
「そうだよ。デモ版送ったけどダメ出しされた。それでちょっと」
「………………珍しいですね。ご主人様にそんなことがあるなんて」
「俺をどんな人だと思ってるの……?俺だっていっぱい失敗したからね?まあ、今回のはちょっと性質が違うけど」
「……と、言いますと?」
「ああ……なんていうか、説明するのがちょっと難しいけど………いや、やっぱいいや。今の話は聞かなかったことにして」
「………かしこまりました」
氷のせいで元のような曲が作れないよ、と本人の前で言えるはずがない。
言ってもならないし、めっちゃくちゃ恥ずかしいという自覚もある。キスを気にしすぎたせいで曲のサウンドが変わっちゃうなんて、氷を明らかに意識してると宣言するようなもんだから。
そして、俺のメイドさんはそんな俺の気も知らず。
自然と私の頬に両手を添えて、顔を近づけてくる。
「早く眠ってください。私の体調がそんなに気になられるのなら」
「……命令でもした方がいい?12時前には必ず寝なさいと」
「主人の体調を気にかけないメイドなんて、この世に存在してはいけません」
「キスをするメイドは存在していいの?」
ちょっとだけ意地悪な答えを返すと、氷は少しだけ目を細めた後に、仕返しをするように俺にキスをしてきた。
相変わらず柔らかくて、シャンプーのいい匂いがして、氷を感じる。
安らぎと刺激という相反する感覚が体中を駆け巡って、どんどん中毒になっていく。唇を動かしてもっと触れてみる。
先に顔を離すのはいつも氷だ。さっきよりも明らかに潤った目で、彼女は俺を見てくる。
「…………」
「…………」
「……キスするメイドは、存在していいんだ」
「………………………」
「……氷」
「……なんですか?」
「これから深夜にキスするのは、なるべく控えようか」
俺たちのキスは流れるような安らぎではなく、荒々しい刺激の方が強い。
言葉の意味を察しているはずの氷はもっと恨むような表情になって、それでも耳元まで真っ赤にさせて、口を開いた。
「………バカ」
氷はすぐに体を離して、息を整えてから背を向ける。まだ少しだけ震える口調で、彼女は言う。
「おやすみなさいませ、ご主人様」
抱きしめたいという欲求を最大限に抑えた俺は、氷が部屋から出た途端に深い息をついて、手の甲で唇を触れてみる。
未だに氷の感触が残っているみたいで、また心臓が跳ねた。
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