第27話 俺のメイドが放った言葉
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授業が全部終わって、氷と別々に下校するために校門に向かっていた俺は、変な光景を目にしてしまった。
高級車の周りに生徒たちが取り囲んで、ざわざわしながらある人からのサインを受け取っていたのだ。
サインをしている女の人は背が低く、可愛らしい印象をしていたけど同時にちゃんと芯があって、自信に満ち溢れているように見える。数秒経って、俺はその人が誰なのかを思い出した。
最近もっとも人気のあるシンガーソングライターで、俺に作曲を依頼して断られた人でもあった。森住さんが詐欺の域だという表現を使うほどに才能に満ち溢れ、世の中では天才高校生として広く知れ渡っている人物だ。
そういう有名人がなんで俺の学校の前にいるのか、首を傾げながら考えていると。
ふと、サインをし終えた彼女がぱったりとこちらを向き、思わず目が合ってしまう。
「あっ、いた!!」
そして、その声につられるように全生徒の視線が俺に注がれる。
羽林紫亜は待っていたとばかりにこちらにずけずけと近寄ってきて、俺の手首をぎゅっと握ってきた。
「ほら、行くわよ?」
「えっ、えっ!?」
「というわけで、皆さんごめんなさい~!これからも応援よろしくお願いします~~!!」
当たり前のように彼女は俺を連れて人だかりを潜り抜け、俺を車の後ろ席に放り込んで助手席に居座る。
車はそのまま出発して、俺は車内のルームミラーで運転手さんと目が合ってからようやく今の状況を察した。
「えっ、ちょっ!?なんで!?」
「ふふっ、ついに見つけたわ……あなたが美空直だよね?いや、この名前で言った方がいいかしら?顔なき天才作曲家、NOAHさん?」
「………あなた、どうやって」
「探すの大変だったからね?人脈を辿っても顔はおろか、名前すら知らない人がほとんどだったし。あなたのマネージャーさんは直接あなたに会いたいって言ってもうんともすんとも言わないし、こんな風に押しかけるしかなかったのよ。ごめんなさいね?」
「いや、俺の学校はどうやって?森住さんが言うはずが――――」
「サウンド」
俺の疑問を塗りつぶすように、彼女は私に目を向けてから言う。
「あなた、あの美空博美の一人息子よね?」
「………………………」
「私、あなたの父親の大ファンなの。美空博美がいたから私は音楽に興味を持って、作曲を始めて、この位置までたどり着くことができた。そんなに尊敬するアーティストだからこそ、あの人のアルバムはもう飽きるくらいに聞き耽けてきたの。何十回も、何百回も……だからね、一度聞いただけで分かっちゃうのよ」
「………………まさか」
「そう、あなたのサウンド。あんなに多彩なサウンドを混ぜておきながら、それを完璧に歌い手の声に合わせるなんて、普通ならありえない。あんなの神技だし、他の作曲家たちには絶対にできない真似だわ。あれは、音楽に狂っている人間にしかできない技なの。そして、そのスタイルの頂点に立っている人物を、私はもう知っている」
「………………………」
「どう?これで説明はついたかしら?業界の誰かに聞いて分かったんじゃないわ。私は、NOAHが美空直だと初めから確信を持ってたってこと。あなたの父親はスーパースターだったから居場所を特定するのも容易かったし」
……その説明を聞いて始めて感じたのは、絶望だった。
彼女は美空博美の音楽を聞いたからこそ、俺の正体に気付いたという。それは、逆に言えば俺の音楽があの人の音楽に似ているということで、それは俺にとって絶望でしかなかった。
俺はそれなりに、独自的で独特な音楽をしてきたつもりだった。あの憎らしい父親のサウンドを自分の中で混ぜないために忌々しい曲を何回も徹底的に分析して、違う道を辿って来たつもりなのに。
気づかないうちに俺のサウンドにはもう、あの人の影が差していたのか。急にそんな疑いが湧いてきて、俺はシートにもたれかかって窓の外を眺め始める。
「……それで、俺をどこに連れて行くつもりだ?」
「この辺りにいい喫茶店があるのよ。個室で、防音対策ができていて、落ち着いて話せるいい雰囲気の喫茶店。そこに向かっているの」
「なんで喫茶店に?」
分かっていながらも投げた質問に、彼女はニヤリと笑いながら再び俺に振り返ってきた。
「分かってるでしょ?音楽をやる人が音楽をやる人に訪ねる理由は、一つしかないじゃない」
「……………」
「曲を作って欲しいの。私のアルバムに載せる曲を」
彼女のMVを初めて見た時から感じていたけど、やっぱり彼女は美人だった。目鼻立ちは驚くくらいに整っていて、自信が溢れている明るい茶色の瞳が印象的だ。肩でなびく赤い髪と、ぎゅっと引き結ばれているピンク色の唇。
氷とは真逆の性質を持った人間で、行動力の塊という表現がぴったり当てはまるような人だ。
俺は肩を竦めてから、古風なテーブルに置かれたコーヒーカップを見下ろしながら言う。
「曲を作って欲しいか……ごめん。その件は前に断った気がするけど?」
「だから、お願いをしに来たの」
「あのさ……メールでお願いしてもよかったじゃん。人を拉致ってまですることだった?」
「うぐっ……きゅ、急に連れ出して悪いと思っているわ。でも、私としては八方塞がりだったの。あなたのマネージャーという森住さんは私が何度もメールを送っても全部無視するし、アルバムのレコーディング作業にもそろそろ取り掛からないといけなくて……私はどうしても、あなたと作業をしてみたかったのよ」
「えっ、無視?なにそれ、俺は聞いてないけど?」
「……森住さん、どうやら初めて断った以来にあなたになんの連絡もしてなかったみたいね。ほとんど毎日連絡してたのよ?一緒にやりたいって」
……酷いな、森住さん。後でちゃんと言っておこうか。
それにしても、毎日のように連絡するとか……嬉しいけどちょっとした狂気を感じてしまう。どんだけ俺とやりたいんだよ、この人。
「いや、なんでそこまで俺とやりたいわけ?君のレコード会社は大手だし、俺より実績出している作曲家なんていくらでもいるじゃん」
「……あなたより実績出している人?それ本気で言ってるの?水浦恵奈さんが出した春泥棒、あれシングルチャート何位だっけ?」
「…………………1位だけど、それは運というか」
「チャートで3週連続で一位だったね。恵奈さんと最初に出したUpon a starは?他の歌手さんと出したBefore Youは?全部一桁じゃなかったっけ?」
「……分かった、分かったからやめろ。俺が悪かったから」
「分かったのならよし。繰り返して言うけど、あなたより実力があって結果も出している作曲家なんてほとんどいないのよ。あなたみたいに独自的なスタイルを持った人ならなおさらね。だから、私はどうしてもあなたと作業をしてみたいのよ。美空君」
「………………」
さて、どうするべきか。羽林の目は至って真剣だし、心から俺と一緒に音楽を作りたいという願望が目に見えるくらいだった。
俺が美空博美の息子だからかは分からないが、彼女は俺に羨望に近い感情を持っている気がする。まあ、俺としても羽林は興味のあるアーティストだから、一緒に作業をしても悪くないとは思う。
でも、俺が前に羽林の依頼を断った理由は他でもない、氷の存在だった。
氷ともっと一緒にいた方がいいと思ったのだ。作業に入ったら家を空ける時間がどうしてもできちゃうし、一人になった氷がなにをするかが心配だから。
でも、羽林の言葉を聞く限り、ここで返事を先延ばしにするのはちょっといけない気がする。
コーヒーコップを見つめながら悩んでいたその時、ふとポケットの中のスマホが振動する。差出人は、氷だった。
「ごめん。ちょっと外に出て電話してきてもいいかな」
「……大事な電話なの?」
「うん。けっこう大事。たぶん、この電話で返事が決まると思うから」
「えっ………」
「それじゃ」
慌てている彼女を置いて個室を出て、俺は人のいない廊下の隅で電話を受ける。
間もなくして、氷の綺麗な声が聞えて来た。
『……ご主人様?』
「あ、うん。俺だよ」
『今どこにいるんですか?校門で誰かに連れて行かれたと―――!』
「ああ、心配しなくても大丈夫だよ。ほら、羽林紫亜って人いるじゃん?前に森住さんが家に来た時に言ったことあるけど、覚えてるかな」
『……確か、新人のシンガーソングライターでしたっけ。その人と一緒にいるのですか?』
「うん、さすがに今は電話中だから一人だけどね。えっと……氷」
『はい、ご主人様』
「………えっと」
天井を見上げながらいくつかの言葉を頭の中で転がしてみる。
でも、適切な言葉は見つからなくて、俺はありのままを伝えることにした。
「氷、家から出て行く気……ある?」
『……はい?どうして急に』
「これ、大事なことだからね。氷が出て行ったら俺も困るし」
『……………………………』
長い沈黙が続き、自然と気まずい空気が出来上がる。
氷が何を思っているのか、俺の言葉からなにを感じ取ったのかは分からない。確かなことは俺が氷と一緒にいたいということで、彼女の言葉次第で羽林に対する答えが変わるということだった。
そして、氷は。
『……私はご主人様のメイドです』
いつもの事務的な声で、淡々と言ってくる。
『メイドが勝手に家から出て行くなど、ありえないことです。ご心配は無用かと思います』
「…………………そっか」
『はい、そうです』
「……うん、ありがとう」
『……なんで感謝をされるのか、意味が分かりません』
「ははっ、都合よく解釈してくれて構わないから。じゃ」
『……………………ご主人様』
「うん?」
電話を切ろうとしたらすぐさま声が響いて、俺はスマホをもう一度耳に近づけた。
その後に流れてくる言葉は、俺がびっくりするほどの衝撃的な言葉だった。
『……なるべく、早く帰ってきてくださいね?』
「……………………………………えっ」
『……ゆ、夕飯が冷めてしまいますから。別に、他の意味があるわけではありませんから……』
「…………」
『…………』
「……分かった。早く行くね」
『……はい』
電話を切ってから、俺はふうと深くため息をついてこみ上がって来た感情を吐き出す。
……なんなんだ、これは。
やけに湿っている氷の言葉を何度も反芻しながら、俺は羽林がいる個室に向かった。
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