第9話 俺がメイドに好かれているはずがない
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「お邪魔します」
「いらっしゃい~直」
俺と氷が住んでいる家にも劣らないほどのお洒落なマンションの一室。
俺は久々に会った従姉、恵奈さんの家のソファーに座ってぼうっとキッチンを眺めていた。間もなくして恵奈さんが自分用のオレンジジュースと、俺のための麦茶を持ってきてくれる。
恵奈さんは俺のすぐ隣に座って、若干からかうように言ってきた。
「この家で会うのも久しぶりだね~前にスタジオで作業した時以来かな」
「ああ、たぶんな……そういえば、星泥棒出てからもう3ヶ月も経ったのか」
「なにしれっとした反応してんのよ。もうちょっと自慢にしてもていいんじゃない?」
「いやいや、俺がやったことほとんどないじゃん。最後のミキシングもマスタリングも
「……なに言ってるの。その曲を作った作曲者はあなたでしょ?直」
あからさまに不機嫌な様子で恵奈さんに睨まれて、なにも言えなくなる。星泥棒は確かに俺が作って恵奈さんに送った曲で、俺の父の元マネージャー………森住さんが最後に手を加えてから出した曲だった。
そして、元々知名度があった恵奈さんが歌ってくれたおかげで星泥棒は見事にシングルチャート一位を達成。その前にも何度か恵奈さんと作業したことはあったけど、一位を達成したのは星泥棒が初めてだったからなんとなく覚えている。
「私はね、自分を謙遜する人は好きだけど自分を卑下する人は好きじゃないかな」
「…………」
「星泥棒は間違いなくあなたが作った曲なんだよ?あの曲のメロディーとシンセも全部私の声を意識して組み立てたんだよね?BPMも、私が普段から慣れている100に合わせて―――」
「ああ、分かった!分かったから怒らないでよ。マジで怖いから」
「………あんたがそういうこと言うからじゃない~~全くもう!」
肩まで伸びている明るい茶色の髪と、同じ色の瞳。
くりくりとした両目、くっきりと整った目鼻立ち。誰がどう見ても美人としか言えない顔立ちだからか、よっぽど怖く見える。普段はずっとにこやかに笑っている人だからなおさらだ。
でも、恵奈さんはすぐにニコッと笑いながら俺の肩をトントン叩いてくる。
「ちゃんと次も私に曲送るのよ?他の人にばっか送ってたらお姉ちゃん、マジでキレるからね?」
「こわっ……ていうか、お腹減った。なんか作ってよ」
「あ、さっきピザ頼んでおいたからそれでいい?」
「作るんじゃなかったのかよ!!まあ、いいけどさ……」
「その前に、直は答えなきゃいけないことがあると思うな~」
うん?答えなきゃいけないこと?
その考えを口に出すも前に、いきなりぎゅっと肩を掴まれてしまう。
「ねぇ、同居人ってどういうこと?それも、女の子ですって!?!?」
「ああ~~やっぱりか」
「やっぱりか、じゃないわよ!!なに、わたし聞いてないんだけど!?私、一応あんたの保護者だからね!?」
「色々あってね……まあ、簡単に説明すると―――」
氷の身の上話をむやみに口に出すわけにはいかなくて、俺は簡潔な事実だけをまとめて恵奈さんに伝えた。そもそも、俺だって氷がどんな時間を過ごしてきたかは知らないから、詳しく説明することもできない。
俺と氷は同じ学校で同じクラスだけど、彼女と直接的に絡んだ思い出はお母さんの葬式が最後だった。彼女が親戚の家でどんなことをされて、どんな思いをしてきたのかを俺は知らない。
だから、色々と納得できないことがあったのか。
恵奈さんは明らかに心配げな眼差しで、俺を見つめてきた。
「あのさ、それ本当に大丈夫なの?メイドって………直そんな趣味だった?」
「そんなわけないだろ!!メイドやるって言い出したのは向こうだからな!?」
「ははん、そっかそっか。いや、でももっと現実的に見るとさ。本当に、大丈夫なの?」
「……少なくとも、今のところは問題ないけど」
「まだ二週間しか経ってないんでしょ?いやいや、家にあるお金とか音楽の装備とか盗まれたらどうするつもり!?そもそもあんま知らない人と一緒に暮らすなんて……うわぁ、ちょっと私には理解できないかも。マジで無理」
「あははっ、確かにね……俺もあの時はちょっと雰囲気に流されたかもしれないな」
恵奈さんの指摘はごもっともで、何の反論もできなかった。実際に、俺は氷をよく知りもしない状態で……彼女にただ生きて欲しくて、家に招き入れたんだから。
でも、氷が家の私物やお金を盗むなんて正直あまり想像がつかなかった。2年前に俺が見た冬風氷はそんな人間じゃなかったし、なによりお金目当てだったら―――俺にキスすることも、なかったと思う。
「………………」
むしろ彼女は、俺に捨てられるためにキスをする。氷は俺に嫌われてもらうために、この一週間で3回もキスをした。
そんな突飛な思考回路を持った彼女に、果たして現実的な理由を求めていいのか。それが気になって答えを探そうとするが、答えは出て来ない。
「一度会ってみたいな~~白髪に赤目ですって?もしかしてアルビノ?」
「いや、それは違うと思うよ。アルビノの人って日差しとかに弱いんでしょ?でも、氷は普通に日常生活できてるから」
「不思議ね……あっ、なんで直があの子を家に入れたのか分かったかも。あの子に惚れてるんでしょ、あんた」
「……いや、そんなんじゃないし。そもそも、向こうも俺にそんな感情があるとは思えないけど」
「ふうん~~本当にそうかな?若い男女が一つの屋根の下で、二人きりなのに?」
「変な絡み方やめろよ……あっ、ピザ来た」
「あ~~逃げたな、こやつめ~~」
ソファーから立ち上がってタイミングよく届いたピザを受け取って、久々の恵奈さんとの食事が始まる。それでも、恵奈さんのからかいは止まらなかった。
「ねぇねぇ、私たちの仲でしょ?ちょっとは話してよ~~あの子だってあんたのこと好きだから一緒に住んでるわけじゃん?直は本当になにも思わないの?」
「だから思わないって!そもそも、氷が俺にそんな感情持つはずがないから」
「ふうん、そう思う理由は?」
「それは…………………っ」
「ほら、答えられないじゃん~~直は音楽バカだから女の子の心理なんて分からないだろうけど、女の子が誰かと一緒に住むってことは想像以上に心理的なコストかかるんだよ?まあ、あの子の場合は状況がちょっと特殊っぽいけど」
「……そ、そうだよ。そんなわけないだろ」
………氷が俺に異性的な好意を持つ、か。
そんなわけないって否定したくても、3回も交わしたキスの感触がそれを遮る。氷がなにを思っているのか俺には分からなかった。
そもそも、嫌われるためならキスじゃなくて他の手段だってあったはずなのに。なんでキス?それを3回もして……なんで?
……元々はそれを相談したくて恵奈さんの家に訪ねたわけだけど、キスをしたって言ったらなおさら厄介なことになりそうだから、黙っておくしかない。
「ねぇ、次に直の家行ってもいい?その子とちょっと会ってみたいんだけど」
「まあ、氷の許可が下りたらね」
「へぇ、大事にしてるんだ、あの子を」
「………………何が言いたい」
「ううん、なにも?」
恵奈さんの言葉に適当に反応しつつも、俺はなぞるようにその名前を心で浮かべてみる。
冬風氷。
二日前のキスに恋が込められていたとは思えない。でも、俺たちがしたのは確かなキスで、俺はその感覚に段々と侵食されているような気がした。間違いなく、氷とのキスは気持ちよかった。
……でも、気持ちと快感は別だから、氷が俺にそんな感情を向けてくるはずがない。
なんでこんな風に決めつけるのか不思議に思いつつも、俺はピザを咀嚼していった。
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