第6話  私のご主人様は悪質です

冬風ふゆかぜ こおり



言ってはいけない言葉を口にした自覚はあります。


メイドとしてじゃなくて、人間として言ってはいけない言葉でした。何もかも諦めようとした私を救ってくれて、叔父さんたちを説得してくれて、たとえ一週間でも私に優しくしてくれた人。


そんな人に刺々しい反応を見せた私は、普通に最低だと思います。ご主人様に恩知らずと言われても仕方ないかもしれません。



「へぇ、すき焼き用の肉を別々に売ってるんだ」

「………」



でも、私はそうすることでしか自分を保てません。


裏切られたくないですし、どん底に落ちた気持ちを味わうのもこれで十分なので。ハリネズミのごとく、私は自分を守る必要があります。


なのに、ご主人様は私の言葉をどんな風に受け入れたのでしょう。


彼は私の横で肉のパックを見つめながら、感心したように声を漏らすだけでした。



「これでいい?他に食べたい肉があれば追加してもいいけど」

「……いいえ、それでお願いします」



ご主人様は特に他のものを勧めず、しれっと私が持っている買い物かごに肉を入れます。私が無言で野菜のコーナーへ向かうと、ご主人様も何も言わずに後ろをついて来ました。


違和感だらけの沈黙はずっと続き、体の奥底からは不安の靄が立ち込めます。嫌われたくて言い放った言葉なのに、嫌われたくないと思っている自分なんて死んだ方がマシだと思います。



「しめじにシイタケ、長ねぎ、玉ねぎ、糸こんにゃく……」



沈黙で隔たれた間を繋ぐように、ご主人様はレシピを見ながら次々と食材を籠の中に入れてきました。


そして、糸こんにゃくを選ぶ時になってようやく、私はある事実に気づきます。



「……お待ちください、ご主人様」

「うん?」

「このこんにゃく、一番高いものじゃないですか。わざわざ食材をすべて高いものにする必要はないと思いますが?これより安いのもたくさん―――」

「ううん、これでいいよ」

「…………」



わざわざ私のために、あえて高い食材だけを買う。


そんな風に思ってしまう私は自意識過剰で、気色悪いです。ご主人様がわざわざ私に配慮する必要も理由もないというのに。


でも、どっちにしろ生活する上ではコスパを重視した方がいいのではないでしょうか。私の舌は食材の違いなど分かりませんし、無駄な支出は減らせば減らすほどいいですから。


でも、ご主人様は少しだけ間を置いてから苦笑を浮かべてきました。



「俺が高いヤツを食べたいだけだからさ」

「……………」

「それにお金ならいっぱいあるしね。まあ、父のお金だけど」



有無を言わせぬ声と共に、ご主人様は手に取っているその高いこんにゃくを買い物かごに入れました。主人の真意は分かりませんが、私は従うしかありません。


それから私たちは約一週間分の食材を籠に入れた後、レジに向かいました。当たり前のようにご主人様がカードを差し出した後、私は両手にビニール袋を提げながら深い息をつきます。



「………行こうか」

「………はい」



ご主人様は複雑な顔で私を一度見た後に、すぐに背を向けました。


私は、腕が伸びそうになる感覚を感じながらもその後を追いかけます。当たり前ですけど、食材を詰めた袋は重いです。五つもあるビニールが私の指に食い込んできて、腕がぶるぶると震え始めます。


でも、仕方ありません。ご主人様に毎日同じメニューをお出しするわけにもいきませんし、メイドとしての義務も果たさなければならないので。



「っ………ふぅ……」

「……………………」



スーパーから出て信号を待っている間、周囲からの怪訝な視線が飛んできます。私より一歩先にいるご主人様と、ギリギリに荷物を持ちながら息を整えている私。


当事者の私が思ってもシュールな光景だと思いつつも、別に悪い気分にはなりません。


いつ捨てられるか分からない不安に駆り立てられるよりは、体が痛い方がマシですので。



「………………」



信号が青に変わって、私は再び重みに襲われます。


ご主人様は私に振り向かず、あくまで私に歩幅を合わせるだけでした。私に優しくしないでという言葉はちゃんと効いているようで、効いていない気がします。悔しさを覚えつつも荷物が多すぎて、思考が腕の痛みに奪われます。


そして、横断歩道を全部渡った瞬間。



「……ふぅ」



ご主人様は急にため息を零してから、さっきより険しい顔で私に振り向いて来ます。



「……どうしたんですか?」

「それ、ちょうだい。お米が入っているヤツ」

「……………………………」

「早く」

「……嫌です」



メイドだとは思えない口の聞き方をしながら、私は首を振りました。


周りの人の視線がまた、こちらに集まるのを感じます。



「これは私の仕事です。主人の手を煩わせるメイドなんて存在してはなりません」

「主人にキスをするメイドは存在してもいいんだ?」

「………………………そ、それは」

「じゃ、命令」



命令、という言葉に傍点を打つような声と共に、ご主人様の茶色の目が鋭く光ります。



「そのお米が入っている袋とネギが入っている袋、今すぐ俺に渡して」

「……………………」

「少なくとも、主人の命令に逆らうメイドはいないだろうね」



なんで、よりにもよって一番重いものを指してくるのでしょう。


今度も嫌ですと言い切りたいです。でも、ご主人様の所有物である私にそんな資格など存在しません。命令というおもりがつけられたら、なおさら。


恨めしい視線を送りながら袋を渡すと、ご主人様はそれらを受け取った瞬間に顔をしかめました。



「重いじゃん、これ」

「………………」

「………………氷」



私は素直にはなれません。


この優しい怒りに感謝の気持ちを抱くわけには、いきません。呆れるほどこじれていると分かっていながらも、仕方なくて。


その複雑な気持ちすらも全部汲んで、理解しているように見えるこの人は。



「………ごめん。帰ろう、家に」

「………………………」



やっぱり、悪質な人だと思います。

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