第4話 私はご主人様のことが怖いです
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全体的に線が細長いご主人様は案外食べっぷりがよくて、私が作った料理をいつも美味しく召し上がります。
今もそうです。簡単な鯖焼きと玉子焼き、ほうれん草のおひたしに味噌汁にご飯といったごく普通の献立を目の前にしても、ご主人様はなんの文句も言わずに箸を進めています。
この人は一度も、私に否定的な言葉を投げてくれません。
化け物。役立たず。気持ち悪い。女狐……そういう暴言を吐かないのはもちろんのこと、私にあれこれを要求してくることもありません。ご主人様の言葉はいつも、誉め言葉ばかりでした。
食事を作ってとも、掃除をしろとも、洗濯を回せとも言いません。この広い家で私は自由の身で、私が毎日こなしている家事も義務ではなく、あくまで選択事項です。
「うん、美味しいな~~毎日ご飯作ってくれて本当にありがとう、氷」
「…………………いえ」
「でも、あまり無理しなくてもいいからね?何もしないで休んでもいいから」
そして、その自由が私を狂わせます。
おかしいじゃないですか。あなたは私をメイドとして雇ったはずなのに、あなたは私になにも要求して来ない。あなたはどうして私を買ったのですか?なんで、わざわざ叔母に会ってまで私を救おうとしたのですか?
無償の愛なんて言葉、私は信じないんですよ?そんな夢物語で私を削り取らないでください。私はこれ以上、傷つきたくありませんので。
「いえ、休むつもりなどありません。私はあなたのメイドですので」
「……そっか」
義務がいいです。
自由は嫌いです。両親が死んでからずっと何かに縛られてきた私にいきなり自由が与えられても、困ります。
どこに向かえばいいかも分かりませんし、なにに頼って生きればいいのかも分かりませんから。
「ごちそうさまでした」
ご主人様が満足そうに手を合わせたのを最後に、朝の食事が終わります。世の中はとっくに冬休みに入っていて、学校に行く必要もなくなっています。私は簡単な挨拶をして、すぐに後片付けと食器洗いに取り掛かりました。
さて、洗い物を終えたら何をすればいいでしょうか。そろそろ食材が切れかけているので買い物をするのもいいですし、昨日も回した洗濯機を回すのも悪くありません。
やるべきことが増えれば増えるほど、無駄な考えに取りつかれなくて済みますので。
「ご主人様、この後に買い物に行ってもいいでしょうか?」
私は、洗い物をしながらもさっそくテーブルでコーヒーを飲んでいるご主人様に訪ねました。
「あ、だったら俺も一緒に行っていいかな?」
そして次の瞬間、洗い物をしていた手をびくっと止めてしまいます。
なんで、急に?
その理由を探るべく、私は水を止めてご主人様に振り返りました。
「失礼ですが、理由をお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「荷物持ちが必要でしょ?氷、前に食材いっぱい買って来たからさ。荷物けっこう重いだろうし、手伝った方がいいかなって」
………………………この人は。
自分が主人だという自覚が、全くないのでしょうか。
「いえ、それは私の仕事です。ご主人様の手を煩わせるわけにはいきません」
「でも、大変なんでしょ?ここからスーパーは歩いて10分以上もかかるし、ウチにチャリもいないからさ。氷だけ荷物を持たせるわけには―――」
「私の仕事です」
ご主人様の言葉を遮るという、メイドとしてはあるまじき行為をしながらも。
私は強く、言葉一つ一つに本音を込めて、言い放ちます。
「仕事ですから、一人でさせてください。私は、ご主人様のメイドですので」
「……………氷」
「食材を大量で買うのが嫌でしたら、これからは小分けして買うことにします。確かに、その方が食材の鮮度を保つには都合がいいでしょう」
「…………………」
本音を言えば、あまり頻繁に外に出たくはありません。
外に出るたびに私は嫌な視線に晒されます。周りの人は水族館にいる煌びやかな魚を見るような目で私の髪と瞳を盗み見していて、その中でも男たちは特に私の胸と顔をジッと見つめることが多いです。
小さい頃から浴びてきた視線なのでもう慣れたはいますが、他人に好奇の目で見られることはあまり愉快なことではありません。
でも、ご主人様の優しさに侵食されるよりはいいですから。そう思って放った言葉で、これくらいなら一人で買い物に行けると思っていました。なのに……。
「氷、あんまり外に出たがらないタイプでしょ?」
「………………………」
「一緒に住んでるとなんとなく分かるんだよ?もちろん俺が家に閉じこもっているからかもしれないけど、この一週間、君は買い物をする時以外は一度も外に出てなかった。前に食材を大量で買った理由もあれでしょ?外に出たくないから」
「………………それは」
「荷物持ち、任せてくれないかな」
核心を突かれてたじろいでいたところで、有無を言わさぬ口調でご主人様が言います。その言葉には決して逆らえない優しい強制が含まれていて、私は心の底から何かがぐっと込み上がるのを感じました。
こんな風に言われても、一人で行くべきだと思います。主人の手を煩わせるメイドなんてあり得ないですし、そんな表面上の理由を省いても……私は純粋に、この都合のよすぎる生活とご主人様が、怖いですから。
でも、私が何かを言うも前にご主人様は部屋に入っていきました。ぼうっと立ちすくんで待っていたところ、ご主人様はラフな外出向きの服と黒いコートを着てリビングに現れます。
そして、若干肩を竦めてから……彼は言いました。
「その洗い物終わったら一緒に行こう?準備して」
「……………………………………」
「……なんなら、その洗い物を俺がやってもいいけど」
私はやっぱり。
この人のことが、怖いです。
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