第3話 俺のメイドとの3度目のキス
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「んん………ん」
遮光カーテンが囲んでいる部屋で目を覚ますと、明りが付いている大きなモニターが真っ先に見える。俺は隣にあるリモコンでエアコンをつけて、ゆっくりと体を起こした。
部屋の中をジッと見つめる。でっかいモニターの両側に設置されているスピーカーと、長いデスクの真横にいるシンセサイザー、隅に置かれているギター。
俺は亡くなった父が使っていた部屋を譲り受けている。父のことは嫌いだからあまりこの部屋を使いたくはなかったけど、死んだお母さんが最後に使って欲しいって言ってくれたから……だから、使っているだけ。
マットレスから起き上がって、真っ先に黒いギターを指でなぞってみる。これは、一ヶ月前に父からもらった遺品だった。
跪いて涙を流していた父が俺に渡した、最後の宝物。
『俺は君と
そこでブチ切れて、俺は目を剥いて父に向って怒鳴ろうとしていた。何の資格であなたが母さんの名前を口にするんだ。母さんが病室で死んでいく時に一度も顔を出さなかったくせに、なんで今更家族面をするのだと。
でも、結局は言えなかった。テレビやネットで見た時はつららを象ったように冷たかった父の顔は、もう後悔の涙で滲んでいて。
そして、死を目前にした父の体は驚くほどやつれていて、少しでも怒りをぶつけたらすぐに崩れそうに見えたからだ。恨みを晴らそうとしても、自分の目から出た涙が邪魔をした。
あれから1週間も経たずに父は死んだ。そして、父のマネージャーである
世界を狂わせた圧倒的な大スターの遺言にしては、あまりにもくだらない言葉だった。
「……………………………………」
部屋が暗い。冬休みでも窓を開けば日差しが燦燦と部屋を照り付けるはずなのに、カーテンを開こうとは思えない。ただただ、モニターの光に頼って立ち竦んで、黒いギターを眺めている。
その時、トントンとノックの音が部屋に響き渡った。
「失礼いたします」
ゆっくりドアが開かれて、絵に描いたようなメイドさんが姿を現す。色彩の強い赤い瞳とは真逆の真っ白な髪は、あまりにもこの世界に似合ってないように見える。
氷は俺の姿を確認した途端に目を見開いて、ゆっくりとこの部屋に入ってきた。そして、そのまま何も言わずにカーテンを開く。
「おはようございます、ご主人様」
「………………………………」
「朝ごはんがもうできておりますので、リビングまでお越しください」
「………………」
明るくなった部屋で氷を見ていたら、先日キスされた感触と氷の香りが鮮明に蘇ってくる。何も言わずに彼女を見つめていると、また同じく視線を返された。
氷は、どう思っているのだろう。この家から追い出されたくて施したキスに、彼女は別の意味を与えたのだろうか。
「……ご主人様」
「あ、うん」
「前に言いましたよね?ご主人様が私を追い出さなかったら、この先もあのようなことが起こると」
「…………それは」
「失礼します」
俺がなにか言うも前に、唇が柔らかさに包まれる。
昨日に続いて今日もキスすることになるとは思わなかったから、自然と目が見開かれる。日差しを浴びて輝いている氷の真っ白な髪、長いまつ毛。つぶっている目。シミ一つない肌も、シャンプーの香りも唇から伝わってくる熱も、何もかもが鮮明に感じられる。
どうして氷とキスしているんだろう。
そんな疑問を抱きながらも、俺は氷を突き放さない。やがてゆっくりと唇が離れて、氷は少しだけ熱のこもったため息をついてから言った。
「……嫌ですよね?」
「…………………」
「嫌だと言ってください。こんな、目の色が真っ赤な化け物にキスされたじゃないですか。私は主人の命令や意志を丸ごと無視しちゃうで悪いメイドで………キスはもっと、大切な人とするべきだと思います」
………………大切な人、か。
両親を亡くして、友達もあまりいない俺にその枠はあまりにも少なすぎる。
「その言葉、そのまま返すよ」
「…………」
「キスはもっと大切な人として。後、化け物なんかじゃないから」
「……………はい?」
「俺は最初に見た時から綺麗な目だと思っていたから。昔、病室で初めて会った時も……ね」
「…………………………」
「ご飯作ってくれてありがとう。じゃ、さっそくいただこうかな」
俺はなんで彼女をメイドとして雇っているんだろう。
もちろん、父が残してくれた遺産が有り余っているからでもある。彼女が置かれた状況があまりにもひどすぎるから、ちょっとした正義感と同情心が湧いたかもしれない。
もしくは、魂が帰る場所のいない俺が、無意識に心の在り処を探そうとしたからか。
でも、どっちでもいい。俺は氷を追い出すつもりなんてないし、このまま死なせるつもりもない。律儀な彼女のことだから、それなりの理由がないと勝手に家から飛び出すこともないはずだ。
そして、その言葉を証明するかのように、氷は少しだけ頬を赤くしていた。
元々真っ白で薄い肌だからか、そのピンク色の紅潮が浮き彫りになっている。
「……私に、大切な人なんていません」
まるで自分に言い聞かせるような口調で、氷はそう言った。
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