第19話 読めない従妹が読めた時

「兄さん」


終業の鐘が鳴り、俺がのんべんだらりと帰り支度を進めていれば、低い落ち着いた声と共に我が従妹が教室へと迎えにやってくる。それはここ最近お馴染みのいつも通りの光景。そして当然ながら、毎度教室まで迎えに来るということは馴染むのは俺だけでもなく。


「あ、葵だ」

「葵来た」

「ちゃんあおー」

「おふ」


何とも気安い我がクラスの女子が数人、あっという間に葵に群がりわちゃわちゃわしゃわしゃと健気な従妹を遠慮なく撫でくり回す。


「葵は今日も大好きなお兄ちゃんと一緒に帰り?」

「…まあ」

「もう可愛いなぁ葵は。お姉さんパイセンとイイコトする?」

「いや…」

「ちゃんあおこれ食べる?」

「うっぷ」


己よりちっこい先輩達に横から頭を優しく撫でられ、後ろから下腹の辺りを何かいやらしく擦られ、前から口にポテトスナックをずぼっと勢いよく突っ込まれながら、尚も無表情を貫き通してみせる鋼鉄の従妹が、多分だけど助けを求める様に俺にじ〜っと熱い視線を送っている。


「葵」

「ふぁい」

「俺も今日ちょっと男友達と遊ぶから」

「…む」


まぁ助けたいのはやまやまではあるが、これもまた人付き合いの苦手な従妹へと与えられた試練。ここは心を鬼にするべし。

俺とていついかなる時も葵と仲良く行動する訳ではない。男同士で馬鹿やりたい時もあれば男の子の事情ごめん何でもない。ともあれ、そういう時もあるのだ当たり前のことだが。

それ自体は葵も理解しているので、特に反抗することも無い。彼女にとって許し難いのは、目を離した隙に俺がふらふらしていらぬ問題を起こすこと。


しかし、今の俺にはそれを簡単に解決出来るすんばらしい手段があるのだ。


「夕飯までにはちゃんと帰るし、何かあればすぐ連絡するよ」

「………」


そう、マイphoneならね。俺が今この手に掲げる端末の中には、目の前で心做しか唇を尖らせる可愛い我が従妹の連絡先が入っているのだ。俺が華麗にスマートにいともたやすく入手してみせた連絡先がね。


「ほら、約束」

「……ですか」


ご機嫌取り、と言うつもりも無いが俺が小指を差し出せば、へばりついたまま頑なに離れない悪霊達をずるずる引きずりながら葵がこちらに歩を進め、同じく細い小指を差し出してくる。

俺とは全く違うスベスベした冷たい小指。それに己の指を絡めている現状にむずむずしたものを感じながらも、悪霊共のニヤニヤした嫌らしい視線を感じ取ったので至って澄ました顔を貫き通す。


「と言うわけで、その暇人達と遊んであげて」

「え」

「よっしゃ兄貴の許可出た!」

「葵!こっちおいでっ!はぁはぁ大丈夫何もしないから先っちょだけだから!!」

「ちゃんあおチャレンジ」

「行ってきまーす」

「ぇ゙、ちょ………」


困惑の色がありありと乗った声を背に、俺は教室を後にする。

背後から聞こえる何とも姦しい声の中に微かに混じる、苦しそうな呻き。…お土産に何かお菓子でも買って帰るとしようか。












そう思っていたけれど。


「(まだこんな時間か…)」


意外と言うべきなのか、想定よりも遥かに早い時間に俺は既に帰路についていた。

それというのも、仲間の一人が幼馴染の体調が宜しくなさそうだった、ということで何事にも身が入らず早々に離脱してしまったのだ。

本人は気にせず楽しんでくれと言ったものの、クラスメイトの一大事に能天気に遊べるかと言えばそうもいかない訳で。結局、その幼馴染たる彼女に贈るお見舞いの品を皆で見繕って今日のところは解散ということになった。

無論、俺とて特に文句など有ろう筈が無い。願わくば明日も彼女の変わらぬ笑顔が見れます様に。


「あれ」


家につけば、既に明かりがついている。早く帰ってきてしまったものだから、てっきり葵はまだ帰っていないと思ったのに。

何だか彼女と出会った日みたいだな。そんな事を考えながら玄関の扉を開けて、ただいまと声を発しかけて、そして思いとどまる。


「(…一人の時の葵って何してるんだろう)」


それはふと頭に浮かんだ他愛もない疑問。決していきなり登場して従妹の驚く顔が見たいとかそういうつもりは無い、本当に曇りなき心からの疑問。


「(………。ちょっとだけ)」


明かりがついているのは居間。なら万が一にも着替えの真っ最中でした、なんてことは無いはずだ。葵は普段から着替えは部屋か洗面所でしている。

足音を殺し、抜き足差し足以下略足。 …何だか俺、覗いたり尾けたりが多くない?そろそろ変な誤解受けそう、というか誤解が誤解じゃなくなりそう。違うんだこれは決してやましい事がある訳では。


音が鳴らない様に細心の注意をはらい、戸の隙間から覗き込んだその奥には―――











『………ふーふふ〜ん……』


『……………ふふふーんふん………』


『…………んふーふふ〜……………………』


テレビもつけず、時計が時を刻む音が木霊する空間の中で、とても規則正しい姿勢で正座する従妹の姿。一切のブレなく真っ直ぐ机と向かい合うお手本の様なその姿。

そして気の所為でなければ、本当に微かに聞こえる、感情のすっぽり抜け落ちた綺麗だけども平坦なこの鼻歌は。


『…………………………………………』


いつの間にやらコンサートも終わり、実は下校途中に何かしらの事件でも起こしたのではないかと心配になるくらいに緊張した様子で睨みをきかせる、その視線の先には


「(………ん?)」


先日、タケ爺の店で買った湯呑みと、そして


『……ふぅ…』


携帯電話。

葵は飾り気の無い、無機質な端末の真っ暗な画面をただひたすらに睨みつけていた。そして最後に小さく溜息一つ。


一体、どうしたのだろうか。もしかしてうっかり落として壊してしまったとか?


「………」


…いや、まさか、まさかではあるが男からの連絡を待っているとか。

葵とて年頃の女子高生。気になる相手の一人や二人、いてもおかしくはない。いや、二人いたらおかしい。葵は真面目な子、そんな移り気ある子じゃない(願望)。


10秒、30秒。1分。葵は動かない。ただただじっと、携帯を睨みつけている。



『………むぅ………』


一体いつからそうしていたのだろうか。にわかに従妹の私生活が心配になってきた次の瞬間。漸く、漸く葵の身体が左右に揺れた。そわそわ、そわそわと所在なさげに。まるでその誰かからの連絡が待ち遠しくてたまらないとでも、言わんばかりに。


「……?」


何故だろう。胸の奥に何だかモヤモヤした何かを感じた。それは嫉妬だとでも言うのか、いや違う…と、思う。

…それが一体何を意味しているのかは分からない。分からないけれど、俺はつい、悪戯心というか、ふとした出来心で葵に電話をかけてしまう。かけてしまった。


『っ!!』


擬音がついていたとしたら『びっくぅっ!』という具合だろうか。

肩を一瞬、大きく跳ねさせた葵が目にも止まらぬ速さで携帯に手を伸ばし――


『っ!!??』


画面を見て目を見開き、すかさず耳にあてようとした瞬間、勢いがつきすぎて上にすっぽ抜けて、何度も何度もキャッチし損なうという喜劇のお手本の様な芸当を見せた後、漸く


『こほん…もしもし…』


恐ろしい切り替えの速さ。直前に何が起きたかなど微塵も感じさせない、落ち着き払った澄ました声を出す葵。


その彼女が――


『………兄さん?』

「―――――っ」


険しかった顔をほっとした様に和らげ、微笑んでいたのだ。

それは薄かろうが間違い無く、とても自然な柔らかな笑顔。異性ならば誰もが見惚れるであろう微笑み。そう思わせる程の魅力が確かにあった。


勿論、それは俺とて例外ではない。

目の前で起きたあまりに衝撃的な出来事に、俺はつい呆気にとられて


「(あ)」


迂闊にも手に持った携帯を落としてしまった。


『………え?』


ゴトン、という小さくもそれなりの質量がある音。勿論、薄い扉1枚隔てただけの葵に聞こえない訳など無く。


慌てて携帯を拾いあげる俺の頭上に、すかさず差し込む明かり。

顔を上げればそこには当然


「……に、…兄さん…?」

「…た、……ただい、ま…?」

「……ぃ、いつから、……そこに……?」

「えっ……とぉ……」


ままごとの時とも、猫の集会の時とも違う、恐らくは本当に見られたくないところを見られた時の、ある意味では新鮮な反応。

目をぱちくりと丸くして、わなわなと小さく震える葵の感情の薄い表情に徐々に、徐々に色が灯り――


「〜〜〜〜っ!?」






この瞬間の彼女の顔を、俺は生涯忘れることは無いだろう。

それ程までに、衝撃的だったのだ。


あの葵が、何を考えているのか分からなかった葵が、こんなにも少女らしい一面を覗かせるだなんて。

…彼女が一体、何を心待ちにしてあんなにもそわそわしていたのか。そんなもの、いくら鈍い俺でも分かる。分かってしまう。そして、それに気付いた途端に目の前の従妹が驚くほどに。

葵が望んだ待ち人、それは――






……今ここに至り、一つだけ、確かに分かったことがある。

…俺の従妹は思いの外、可愛らしいようだ。

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