幕間 読めない従妹の胸の内
第11.5話 あの人にご相談
「由々しき事態ですね…」
兄さんが彼女を欲している。若さ故の溢れる情欲を持て余している。
町のご老人達と仲の良い姿ばかり見てきたものだから、大変誠に失礼ながらてっきりその手の欲は既に枯れ果てる寸前とばかり思っていた私にとって、その衝撃的な事実は少なからず危機感というものを刺激した。
「……むむ……」
さりとて、まずは落ち着いて状況を整理すべきだろう。
兄さんが特段好意を持つ異性の存在は今のところ確認されていない。
けれども、あんなに心優しい兄さんの事だ。兄さんが知らない所で兄さんに好意を持った女性などそれこそ山の様にいるだろう。何と言っても兄さんなのだから。
でも
でも、兄さんにそういった人が出来る事に何の問題があるのだろう。
寧ろ、大切な人が出来た兄さんが自分を大切にするようになる可能性もあるし、万々歳ではないだろうか?そうなれば私の役目なんて─―
「………」
なのに、私の中で何かが強く拒否反応を示している。
…いや、白々しい真似はよそう。流石に自分の想いくらいとうに自覚している。けれどここまでとは思っていなかった。
それはきっと兄さんと共に暮らすことになった反動もあるのだろう。
兄さんは気づいているのか知らないが、日々、柄にもなく浮かれているのがその紛れもない証拠だ。
「(いいのだろうか)」
…私が兄さんと添い遂げたいなどと。その様に考える資格なんて、果たしてあるのだろうか。
「…欲張りすぎですよ、葵」
今、こうして二人で暮らしていることだってとんでもないワガママなのだ。お前の役目を忘れるな。
パチンと自分で自分の頬を勢いよく叩いた。痛い。誰もいない居間に乾いた音だけが響き渡る。
「まあ、…でも、ちょっと……ちょっとだけなら」
恋人同士のことといえば、身近にいかにもな人がいる。
近いうちにちょっと話でも聞いてみようかな。そんな事を考えながら、私は早々に部屋を後にした。
■
「先輩」
「…うん?」
「あ、葵だ」
「よーよー葵ちゃんじゃーん」
「ちゃんあおー」
「ぅぉおお……」
一つ上の学年、要は兄さんの教室にお邪魔して、お目当ての人物の背中に声をかけたはずが、側にいた別の先輩方がわちゃわちゃと私の元へと集ってくる。少し前から、兄さんの下へ足繁く訪れる様になってからというもの、何やら気に入られてしまったらしい。
「可愛い葵略して河合」
「葵ですが」
「ノーメイクなのにお肌ぷるぷるで可愛いとか本当生意気な後輩推せる」
「うぐ」
「ちゃんあおチョコ食べる?いや食べな?」
「おぶ」
背後から腕を弄ばれ、横から頬を掌で揉まれ、それによって僅かに空いた口にすかさずチョコをねじ込まれる。無駄に無駄の無い連携プレイ。これで何度目だろうか。
…私みたいな無愛想の何が彼女達の琴線に触れるのか。…どうしてこう、この町の住民はこうも距離感が近いのか。この環境が兄さんを育てあげたということだろうか。
「…葵ちゃん」
「ふぁい」
「正直に答えてほしいんだけど」
お姉様方に囲まれ大人しくなでなでされたり頬擦りされたりしていると、お目当ての人物、いつも柔らかい笑顔……こと勉強を教える立場に回ると途端に恐ろしい笑顔に見えるのだが…、の月城先輩が何やら神妙な顔をして私に顔を寄せてきた。これで私は晴れて4人に全方位を囲まれ何処にも逃げ場が無くなった事になる。別に逃げないが。
「…私ってエッチだと思う?」
「………??」
……………。
何の話だろうか。2年生の皆さんはいつもどういう話をしているのだろうか。それも寄りにもよって学校で。
「思う?」
思わず首を傾げてしまう私に、尚も食い下がる月城先輩。気にはなるけど、今、追求することでもあるまい。
「はい」
「え」
まぁ、取り敢えず先輩はえろいと思う。何かこう、何気ない所作が。うん。
私の言葉に何故か固まってしまった先輩に、理由もわからず首を傾げながら、私は抵抗することなくわちゃわちゃされ続けるのだった。
そしてこの時の私は気づいていなかった。
視界の外、教室の後ろで、てっきりいつもの様に私が呼びに来たと思っていた兄さんが、立ち上がりかけたままの中途半端な姿勢で寂しそうに停止していたことに。
■
「先輩。もうよろしいでしょうか」
「えっちじゃない………わたしえっちじゃない……」
「そうですね」
「扱いがテキトーだよ…」
「ですか」
中庭の木陰の下で、顔を覆ってさめざめと嘆く先輩を膝枕するのにもいい加減飽きたので、私は改めて彼女に声をかけた。
「恋人と日々仲睦まじい先輩に是非お聞きしたいことがあるのですが」
「………………………ぇ?」
私が発した言葉に反応した先輩が、ぬるっと起き上がりポカンと口を開けて私を見る。…何か変なことでも言っただろうか。私も思わず首を傾げてしまう。
「こ、こいびと?」
「はい」
「誰と誰が?」
「先輩と先輩の幼馴染さんですが」
先輩がまた固まった。と思ったらその顔が仄かに赤く染まってきた。
「…………そう見える?」
「違うのですか?」
この前、あーんとかしていなかっただろうか。確かに私は見たのだが。
「うふ」
「うふ?」
俯いた先輩がいつも肩に羽織っているショールを握りしめて、ぷるぷると身体を震わせ始めた。と、思ったらすぐに面を上げて、もれなくその顔には満面の笑み。
「ふふふふふふ、葵ちゃんは相変わらず良い子だね」
「はあ…」
「飴ちゃんあげようね」
「…どうも」
豊かな胸元から徐ろに取り出されたそれを、私は取り敢えず懐にしまい込む。……敢えて彼女風に言うのならば、そういうとこだよ、と言えばいいのだろうか。
そしてご機嫌な様子で先輩が私の腕をくいくい引っ張るので、私も素直に頭を下げるとそのまま私の頭を優しく撫でてくる。人より少しばかり背が高い私と、儚い見た目通り華奢な先輩。撫でる方と撫でられる方、端から見ればあべこべな光景なのかもしれない。でもこれがいつもの私達の触れ合い。この人の温かさはいつも私の心を解してくれる。
…それにしてもそんなに喜ぶ様なことを言っただろうか。
「何でも聞いて?お姉ちゃん何でも話しちゃうから」
「…ですか」
「ですよー」
…まあ、今は置いておこう。そんなことより何より、今の私には至急、確かめておかなければならない事があるのだから。
ありがたいことに許しも得たことだし、笑顔の内にさっさと用事を済ませるとしよう。
「それではありがたく」
「うんうん」
「先輩はもう恋人さんとしたのですか?」
「」
?てっきり硬直はもう解けたものだと思っていた先輩がまた固まった。
「恋人さんと恋人同士がすることしているのですか?」
「え、葵ちゃん、あの、何言って」
「せいこ」
「葵ちゃん!?あ、お姉ちゃんちょっと具合悪くなってきちゃったなぁ!もっと穏やかな話したいなぁ!!ハートフルトーク!」
「そうですか?」
げほごほと、体の弱い先輩が死にそうな咳をした。そこまで言われては致し方ない。手っ取り早く済ませるいい質問だと思ったのだが、私は話題を考え直すことにした。
「先日、兄さんが言いました。恋人が欲しい、と。アイ・ウォント・ガールフレンド」
「……へ、へぇ」
「しかし私が思うに、兄さんに恋人というものはまだ早いと思うのです」
「穂村くん私と同い年だけど」
「そこで私は思いつきました」
「おっと聞いてないね」
何故か身構えた様子で畏まる先輩に首を傾げつつも、私は言葉を続ける。兄さんの願いを叶えるために私が考えついたことを。決して兄さんの人生から華を取り上げるための私のワガママとかでは無いので、ゆめゆめ誤解無き様に。
「ここはとりあえず私と身体だけの関係でもと」
「葵ちゃん???」
「つまりせふr」
「葵ちゃん!!?」
げえほごおほと、先輩が死ぬ咳をした。ドクターストップ。
脂汗を垂らしながら、先輩が私の肩をわし掴む。
「じ、自分は、大切にしよっか」
「兄さんに救われた命。それ即ち、この身体は兄さんのために」
「詳しい話はよく知らないけど!それは違うと思うな私!!そういうとこだよ!?」
「ぅおぅおぅおう」
涙目で必死に私の身体を揺さぶる先輩に文字通り命を燃やして説得され、私は考えに考え抜いた作戦を中止せざるを得なくなるのだった。
仕方ない。この話はまたいつか。今にも倒れてしまいそうな先輩に肩を貸すと、私達は保健室へと歩を進めるのだった。
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