第18.5話 あおとあお
幼い子供の元へと駆けて行くその背中を、私はただじっと見つめていた。
「………」
あの人は直ぐに踏み出せる。
私が悩んで悩んでいつまでも足を止めている間に、あっという間に距離が出来る。
貴方は優しい。でもそれは本当の貴方じゃない。私が作り出してしまった偽物の貴方。
真実を知った時、貴方は一体どうするのだろう。
怒るだろうか。詰るだろうか。顔も見たくないだろうか。だとしたら、とても悲しい。
「(ふっ)」
何を言っている。悲しむ資格なんて私には無いではないか。
お前の役目を思い出せ。お前はただあの人が無理をしない様に監視していればいいだけだ。それなのにあの人の優しさにつけ込んでずるずるずるずる入り込んで縋り付いて。
結局、私は自分を守っているだけだ。傷つきたくないから嘘をつき、耐えられないから横にいる。変われないから打ち明けられない。
「………ふぅー………」
どくどくと、心臓が不協和音を奏でている。胸中に積もっていくどろどろした靄から目を逸らす様に深く溜息をつくと、私もまた兄さんの後を追うのだった。
■
「…………」
「…………」
「……………」
「……………」
「「…………………………」」
空気が重い。兄さんにこの子を託され二人きりにされてからというもの、ベンチに仲良く並んで座る私達の間に、会話らしい会話は無かった。
そもそもの話、私は人付き合いと言うものが得意ではないのだ。この間のへんてこ極まりないおままごとだってどれだけの断固たる決意を持って臨んだことか。それを容易く超えるキャラの濃い女児に心をめっためたにすり潰されたから分からないかもしれないが、内心冷や汗ばっくばくなのだ。
「………」
「………」
「……………」
「……………」
「「…………………………」」
…空気が重い。隣から私をちらちら見つめる視線を感じる。
…そもそも、そもそもの話、私は子供という存在が得意ではないのだ。この間のままごと以下略。
されど今は出来ない理由を探すことが目的ではない。一人ぼっちで寂しがるこの子の心に寄り添う事が目的なのだ。それこそが今、兄さんに託された私の使命。
「………」
私もまた応える様に、私を見つめる視線に視線を交錯させる。
びくりと、女の子が震えた。その顔はまさに……私の顔が子供向けではない事は理解しているが、こうも露骨に態度に出されては傷つかなくもない。
こう言う時、感情をありのままに表す事のできる友人が心底羨ましいと思う。彼女は大人びた私が羨ましいなどというがとんでもない。私こそ、彼女の天真爛漫さが喉から手が出るほど欲しいというに。
さりとて、今無い物ねだりをしたところで何一つ解決などしない。
とにもかくにも、この子が心細くならない様な何か……、何か、……やはり、笑顔か。大人の余裕と言うものは如何なる時も大変心強いものだろう。
「(よし)」
とりあえず、笑おう。
「………」
「………」
「……………」
「……………」
「「…………………………」」
おかしい。彼女の心どころか体の距離まで人一人分遠くなった。
「………あの」
「ひっ」
「……………名前を、聞いていませんでしたね」
私にだって、傷つく心はある。あるのだ。だからどうか『それが見えたら終わり』なピエロを目の前にした幼子みたいな顔をしないでください。お願いです。
「…………あお」
「アオ…?」
流石というべきか、兄さんには直ぐに懐いて仲睦まじく話していたようだが、私は一歩引いた位置にいたので互いに自己紹介は済ませていなかった。
そして恐る恐るではあるが、ぽつりと飛び出したその名前に、私は思わず目を丸くする。
あおとあおい。何とも珍しい偶然もあったものだ。誠に勝手ながら親近感を感じてしまう。せっかくだから、ここから仲良くなれる糸口が見つかったりしないかな、なんて、…私にそんな事が出来れば最初から苦労はしない。
「…良い名ですね。私は葵と申します」
「…あお?」
「い」
「あお」
………。
「…そうですね、あおです」
「おそろい」
「ですか」
…まあ、いいだろう。同じ様に目を丸くしたあおさんが、私を物珍し気に見つめている。くりくりとした真ん丸な目。私とは正反対の可愛らしい目。
兄さんと過ごしているとどうにも人と接する機会が増えるが、それでも今までその様に見つめられた事は無かったので、私はむず痒さを感じて佇まいを意味も無く正してしまう。
「……あおは」
「はい」
「あのおにいちゃんの、…かのじょさん?」
「……………」
そして放り込まれた何ともませたその言葉。そんな訳が無い。無いけれど、直ぐに否定する言葉が出なかったのは、どうしてだろうか。
またまた意味も無く佇まいを正し、私は好奇心旺盛な幼子と向かい合う。
「…いいえ。彼女さんではありません」
「ちがうの?」
「はい」
「ならなに?」
なに、か。気づけば先程よりもあおさんの身体が近い。無愛想な女の人への恐怖を超えた、抑えきれない興味が身体全体に満ち溢れている。最も、その興味が向けられている先は私というよりも。
「……妹、みたいな、いえ、家族、でしょうか」
苦し紛れに絞り出したその言葉。薄くとも血の繋がりはある。決して嘘はついていない。…どの口が、と自分で思わなくもないけれど。
「あお、いもーとなんだ」
「…妹ですよ」
従はつくが。
「わたしも」
「ほう」
またまた現れた私達の共通点。
「あおは、おにいちゃん好き?」
「す………………き、……です、よ」
「わたしはおねえちゃんきらい」
「………」
そして顕になる相違点。
「おねえちゃん、いつもわたしのことおいてく」
「………」
「わたしはおねえちゃんとあそびたいのに」
「…………」
遊びたいのに、嫌い。矛盾するその感情に、恐らく彼女自身も気づいていないのだろう。
私もそうだった。いや、嫌いではなかったけれど。
兄さんの背中を追いかけていた。少しでも一緒にいたかった。あの人のやんちゃな笑顔が私を笑顔にしてくれた。
けれども私の場合、兄さんはいつも立ち止まってくれた。足の遅い私の事を、いつだって振り返って、そして怒ること無く待っていてくれた。
私はそれで良かった。だけどそれはきっと甘えでしかなかったのだろう。思えば沢山の笑顔をくれたあの人に、私は何も返せていなかった。
助けられて助けられて、そして助けられて。気付いた時には
………。
「…あおさんは」
「……?」
「…その気持ちを素直にお姉さんに伝えましたか?」
「………」
ぷるぷる。小さな頭が横に振られる。その顔に浮かぶのは、恐れ。
「きらわれる」
「いいえ、嫌われません」
「…なんで?」
「家族ですから」
けれど、いや、だからこそ、貴方には私と同じ道を辿ってほしくない。
伝えられる時に伝えられること。それがどれだけ大切なのか、どうか見誤らないでほしい。
鼓動が強い。胸の奥がどくどくする。私がしていることは果たして正しいのか。己の思いばかりを無理矢理押し付けてはいないか。
「………もし、きらわれたら?」
私は兄さんにはなれない。
そう、寂しい彼女に寄り添う為に、私が、私だからこそ今出来ることは。
「…その時は、私の所に来てください」
「ぇ」
「一緒に遊びましょう」
「…あおと?」
「はい」
「同じあおとあおで」
微かに震える声を気取られない様に祈りながら、私は恐る恐る小指を差し出した。これでまた怖がられる様なら、最早、私に打てる手は無い。
大きな目が私をじっと見つめている。けれど、私の都合のよい願望でなければ、その目に先程までの恐れは、無い。恐れているのは寧ろ、私。その真っ直ぐな瞳を見つめられず、思わず顔を俯かせてしまう。
「…あおは」
「は、はい」
「ゲームできる?」
「で、出来ますとも」
多分。あまりやったことは無いけれど。私とてこの眩く移ろう現代に産み落とされた寵児。多分、恐らく、出来る。……はず。
「ん」
「ん?」
私が差し出したままの小指に、小さく、なのに力強い小指がそっと絡みついた。
思わず上げた顔の先にあるのは、白い歯を見せて笑う、可愛らしいあおさんの姿。
「…がんばってみる。だからやくそく。……あおおねえちゃん」
「や、約、束」
「うんっ」
それは私と彼女、あおとあおの間に結ばれた二人だけのささやかな約束。
新しく出来た小さなお友達、けれど大変悲しいことに、私は彼女が再び現れない事を望まなければならない。
便りがないのは良い便り、なんて言うけれど。どうか彼女の想いがお姉さんに伝わります様に。私の勇気が少しでも分けられれば。そんな願いを込めて私達あおとあおは顔を見合わせ笑顔で笑い合うのだっ
「ひっ」
「…………………」
「あ、………ごめん」
「ふ、ふふ……ふふふ。ふー…構いません、ええ構いませんとも。ええ」
「(こわい)」
兄さんが帰ってきたのは、そのすぐ後のことだった。
…笑顔、練習、しよう。
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