第5話 こうなった理由
「お」
学生の務めを終え、今日も今日とて町をぶらぶら略して町ぶらしましょうかと思って下駄箱にたどり着くと、そこには見覚えのある顔。というよりお目付け役。
「お疲れ様です」
「どうしたの?」
確認するまでもなく水無月さん。常変わらぬ規則正しい姿勢で、周りの生徒の視線などまるで気にすることなく入口で立ち尽くしていた彼女は、近づいてきた俺に気づくと小さく頭を下げる。
「…良ければ一緒に帰りた、帰りませんかと、思って」
「ああ…」
そんなものメールで聞けばいいだろうに、と思いかけ、そう言えばこの子の連絡先を知らないことに思い当たる。
「………」
…どうしよう。こういうのって同性のクラスメイト相手なら割と気兼ねなく聞けるものだけど、従妹とはいえあったばかりの、ましてや異性にいきなり切り込んでいいものなのだろうか。
思いが都合よく伝わる訳もないのに、彼女の顔をじっと眺めてしまう。
「……?」
不躾な視線にも関わらず、不快感も現さずただ不思議そうに首を傾げる水無月さん。改めて、いや改めなくてもこうして見ると本当に綺麗な顔だ。長い前髪に隠されて気づきにくいが、これでもし顔を曝け出したりしたら間違いなく一瞬でモテモテになることだろう。
「あ、いたいた穂村く〜ん」
「…ん?」
何回目かという懲りないにらめっこが始まろうとしていたその時だった。
背後から聞き覚えのある、まったりと呑気そうな声が聞こえてきた。我がクラスの担任である。
「悪いんだけどちょっとまたこれを運んで…」
まだまだ新任で年若い、いかなる時も忘れ物を欠かさないその女性教師は、その可愛さ故男子からの人気も高く、その頼りなさ故女子がほっとけないと世話を焼く。
そんなほっとけない系彼女とほっとけない系男子の俺が合わさることで女王と下僕の、もとい需要と供給が完璧に融合し、何が言いたいかというとつまり穂村くんは先生の大変都合のよいパシりということなんだけど。
「……………」
「…………ひっ」
そんな先生の顔が、俺を見るなり何かやばいものを見たかの様に凍りつく。
「ごご、ごごめんなさい自分の仕事は自分でやりましゅ……」
「え」
そのまま青い顔ですぐさま回れ右すると、脱兎の如く立ち去ってしまった。
当然、俺は何が何やらでリアクションすら出来ず。
「帰りましょう」
いつの間にか俺の横に並んでいた水無月さんが、俺の腕をがっちり掴んで歩き出す。
…どうやらこのお目付け役は随分と優秀なようだ。
■
「…………」
囲まれている。
殺気を纏った数多の気配が俺を仕留めようと虎視眈々と機会を窺っている。今、少しでも気を抜けば、その刃は容易く俺の命を刈り取るのだろう。
一際強い風が吹いた。吹かれた落ち葉が微かな音を立て舞い上がる。
それが合図だった。
「すきありいぃぃ!」
近くの茂みから小さな影が飛び出してきた。
奴の名はテツ。小学校手前にして〈光の剣聖〉の異名を欲しいままにする数年後が心配な猛者である。
素早く跳躍した彼が持つ二振りの聖剣〈天地無用〉が勢いよく俺の頭上へと遅いかかる。
「甘い」
しかしそんなダンボールから取ったような名前のなまくらにそう遅れをとる俺ではない。
スパァン!
「だにィ!?」
テツの頭上に付けられた紙風船が、俺が振り向きざま放った横薙ぎの一閃によって、けたたましい音を立ててその身を散らす。
「ば、バカなぁ!」
大げさな動作の後、無念そうに膝をつくテツ。しかしこれで終わりではないだろう。
「かかったなアホが!」
迎撃のため振り向いた俺の背後。その死角から滑り込んできたのは齢6歳にして〈第六天魔王〉の異名で呼ばれる強者、トモだ。
「ふん。やはりな」
「っ!?」
だが、惜しいかなそれも読めている。お前たちは二人で一人。常に完璧なコンビネーションで動く《テツ&トモ》なのだから。
何でだろうなどと思うまい。その完璧主義がそのままお前たちの弱点なのだ。
「させるかぁ!!」
「!?」
俺が横に身を翻そうとした刹那。脱落したはずのテツが俺の膝にしがみついてくる。
捻った腰が嫌な悲鳴を上げ、一瞬身体の動きが鈍ってしまう。
「あ、ちょ、おま…それは、反そ」
「しねぇぇ!」
「くぅ!?」
微塵の容赦の無い一撃が俺の脳天に炸裂し、堪らなく膝をつく。それを皮切りに戦況を伺っていた他の子供達まで一斉に飛び出し俺に襲いかかる。
「やれー!つぶせー!」
「めをねらえ!」
「…、なんかめざめそうっ……!」
蹲る俺に叩き込まれる慈悲なき攻撃。とっくに勝負はついているはずなのに。
嗚呼、子供達に苛められていた亀はこんな気持ちだったのか。けれど救いを求めようにも、俺に浦島太郎はいない訳で。
「ちょ…、痛い痛い……待って……あ、いったっ……やめ………うぐっ」
もうやめましょうよぉっ!命がもったいない!!俺の中の海軍が涙を流して叫んでいる。
いい所に入った一撃に思わず悶絶するが、子供達の猛攻は止まらない。何か恍惚とし始めた子もいるし。
いかん。この子達の未来のため俺が負けるわけには……!
「そこまで」
「「「っ!?」」」
複数の異なるタイミングで四方から襲いかかる攻撃。それをまさかの一太刀で容易く止めてみせたのは浦島ではなく、先程までベンチでこちらを眺めていた、俺が子供達に混ざってはしゃぎまくっていた辺りから既に呆れでその目が死んでいた従妹殿である。
鋭い眼光が子供達の身体を貫き、皆揃って石像の様に全身を硬直させる。
「やりすぎです。弱いものいじめは感心しませんよ」
「(弱いもの………)」
そう言うと中心で振り上げていた新聞紙を軽く一振り。手元でくるりと回転させ腰に差す葵。その殺陣師の様な流麗な一連の動きは子供達の心をわし掴むのは十分だったようで。ついでに俺の繊細な心も傷つけたけど。
「「かっけぇ……」」
「ふっ」
ドヤァ…。無表情だがどことなく満足そうにポーズを決める葵。テンションは低いけど割りとノリは良いのかもしれない。また一つ彼女のことを知れた。けれどその視線が俺に戻された時には既にその瞳から一切の温もりは失われており。
「…で。貴方は一体何をやっているのですか…?」
絶対零度の呆れ顔。養豚場の豚を眺める某な視線。下から見上げるとスカートとニーハイの間から覗く絶対領域がまあ眩しい。
少なくとも子供達の遊びに付き合ってあげた優しいお兄さんに向けるものではなかった。
■
「ほら」
「ありがとうござい…」
世界(公園内限定)の命運を懸けた激闘を終え、ベンチで休む長閑な一時。
先に待たせていた彼女に自販機で買ってきたブラックコーヒーを差し出せば、素直に礼を言って受け取…俺がもう片方に持つカフェオレをじっと見つめる。
「…………」
「…………」
何も言わず、そーっと差し出した手の左右を入れ替えてみる。
「ます」
何事も無かったかの様に再起動してカフェオレを受け取る水無月さん。俺が思わず鼻を鳴らしてしまったことをしっかり聞き逃さなかったらしい、鋭い視線でじろりと睨まれたので、誤魔化すために俺もさっさと缶の蓋を開け、中身をあおる。苦い。
彼女もまた、かつかつと何度か開けるのをしくじりながら開けたカフェオレを傾ける。甘さ増々の生クリーム入りはお気に召したようだ。何となくのイメージでブラックを差し出してしまったが、味覚は年相応で、何故か不思議と安心する。
「元気な子達だよな」
「はい」
その体力は底知らず。今尚、やんちゃに公園を走り回る子ども達。この狭い町ではどこを見ても見覚えのある顔しかいない。俺はしょっちゅう色んな所に顔を突っ込んでいたが、そうでなくともご近所同士の距離が近い、つまりは時代に取り残された町である。
「あの二人の名字、知ってるか?」
「はい?」
相も変わらず、走り回るテツ&トモを指して問いかける。
「織田と羽柴って言うんだぞ」
「ほう……」
分かりやすく、彼女の瞳に興味が浮かんだ。うん。やっぱり中身は年相応だ。そんな子供達の元に一人の少女がやってくる。二人と仲が良いもう一人の幼馴染だ。小さな悪戯心を押し隠して、隣に笑ってもう一度問いかける。
「あの子は…言わずとも分かるな?」
「徳川でしょうか」
「いや?松平」
「…………ですか…………」
俺の引っ掛けに一気にテンションだだ下がり。多分、そっちかいって思っているのだろう。まぁ、豊臣もいないし。
からかわれた事に少々お冠なのだろう。整った顔にシワを寄せるその様子は今までよりも幼く見えて少し可愛らしかった。
和らいだ空気の中、そのまま暫し無言で二人、コーヒーを傾けていると、手の中のカフェオレを小さく揺らしながら、水無月さんから話しかけてくる。
「貴方は」
「ん?」
「世話焼きですね」
「…そう、だな」
通りがかっただけの公園で、何か誘われたからというだけで子ども達のチャンバラに付き合う程度には。
「顔が広い」
「………」
買い物帰りだろうか。迎えにきた家族と一緒にこちらに手を振るテツ&トモに手を振り返し、その反対側から歩いてきた顔見知りのお爺さんにも軽く会釈している俺に、水無月さんはぽつぽつとそう呟く。
…勿論、自覚は有る。けれどそれは昔からそうだった訳ではないと思う。
それは小さな強迫観念のように俺の身体を突き動かし、この小さな町に多くの絆を作り上げた。
悪いことなんかじゃない。しかし、それは必ずしも俺が自ら望んで求めたものではないことも確かで。
だけど、不思議と理由は分かっていた。だから受け入れた。
「…夢の中でさ」
「え?」
始まりは
「顔も見えない女の子がお礼を言ってるんだ。笑って。…泣きながら」
そう。始まりはそれだった。
「ありがとう。ごめんなさいって」
だから人助けをしていれば、いつかあの笑顔がもう一度見つかるんじゃないかって。
「多分、俺はその子を探してるんだと思う」
「…顔も分からないのに?」
「顔も分からないのに」
そう。いつか。
「…いつか会えると信じて」
そう信じ続けて、何年が過ぎたのだろう。
「…何だかんだいつの間にか、それが馴染んじゃったのかもな」
「………」
いつからかはもう覚えていないけれど、いつの間にかそれが俺の在り方となっていた。
前を向いた水無月さんが無言で小さくカフェオレを呷る。
昨日今日逢った相手に聞かせる話でもないけれど、彼女は茶化すでもなく、最後まで黙って話を聞き続けた。
その時間は不思議と心地よくて、どこか馴染みの有る気がして。
いつの間にか俺は、話が終わっても日が沈むまで他愛もない話を彼女に振り続けて、彼女は何も言わずそれを聞いてくれていた。
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