第4話 君のお誘い

「ーーそうそう。そこで怒ったトヨ婆がタケ爺にジャーマンスープレックスを…」

「ん?俺が聞いたのは爺さんが垂直式ブレーンバスターを……」


遅刻寸前、クラスメイトの呆れた視線にも屈さず教室に滑り込むことに成功し、退屈極まりない授業と眠気を乗り越えた昼休み。俺は友達とご近所で起きた他愛もない話で盛り上がっていた。

今話題に出したタケ爺は近所で有名なホラ吹き爺さんであり、彼の言葉の9割は嘘であると囁かれている。その中に隠された一握りの真実を見つけ出すのが、今の俺と彼の密かなブームである。

今の所、俺の中で有力なのは『タケ爺40ヤード走で4秒2を切った説』と『家の地下に“ワンピース”が眠っている説』。彼の一押しは、『かつてとある山奥まで攫われた大統領令嬢を助けに行った説』である。あの爺さんは下手な若者よりも現代の機器に強い。最新のハードも当然の様に持ってるし何ならPCもある。


「…あの」


そこに入ってきた、よく通る静かな声。思わず友達と二人で仲良く肩を震わせて振り返る。


いつの間にか気配も足音も無く、背後に我が従妹殿が立っていた。背筋の伸びた綺麗な所作で彼女がぺこりと小さく頭を下げる。

下級生が2年の教室に入ってくることは中々珍しいからか、周囲も注目し、物珍しそうにこちらの様子をひっそり伺っている。


「…あれ水無月さん。どうかした?」

「…いえ」

「ん?」


下を向いて、何かを言いたげに黙ってしまう彼女。

 

「…おい」

「え」

「いえ、貴方の方が年上ですから、私に“さん“は必要ありません」

「あ、ああ…」


びっくりした。一瞬、おいお前的な呼び方されたのかと。

とはいえ、とはいえだ。水無月は言うなれば俺の名字でもあるし、伯父さんの名字でもあるし、何となく水無月って呼び捨てることに変な抵抗がある。

じゃあなんと呼ぶか。水無月ちゃん、葵…ちゃん?葵、さん。何かしっくりこない。


「み」

「み?」

「…………みーちゃん………?」

「……………」

「……………」

「………………」

「ところで妹よ。俺に何かご用かな?」

「ええ」


一体俺は何をしてるんだろうね。沈黙と凍てついた視線に耐えきれず膝を屈した俺に特に反応を示すこと無く、水無月さんは手に持っていたお弁当(俺作)を顔の横に持ち上げる。触れないでいてくれるのは優しさか、哀れみか。後者だったら泣く。


「…よろしければみーちゃんとお弁当、食べませんか?」


どっちでもなかったかあ。

こう見えて意外と悪戯好きなのだろうか。顔どころか目も笑っていないので真実なんて分かりっこないけど。

首を傾げて小さな包みを掲げる水無月改めみーちゃん(仮)。このよく分からない彼女がせっかく誘ってくれたのだ。こちらとしては断る理由なんて当然ありはしないので、俺も素直に弁当を取り出してから、ふと気づいた。


「イモ、ウト……?」


隣で俺たちのやり取りを聞いていた友達が口をだらしなく開いて未だ唖然としている。


…これは面倒なことになる。

彼が再起動する前に俺は興味津々な周りからの逃亡も兼ね、従妹を回れ右させるとその背中を押し、素直に押されるがままの彼女と共にさっさとその場を退散することにするのだった。







「美味しいです」

「それは良かった…」


少し外れの暫く使われていない空き教室の中で二人仲良く弁当を広げる。

今朝、俺が作ったもので彼女のものと寸分違わず中身は同じであるが。それも含めて教室を離れて良かったと思う。クラスメイトが見たら何を言われるか判ったものではない。


そして罪滅ぼしも兼ねた力作を口にして出てきたのは、朝と一言一句同じなこの感想。


「…………あむ」


もぐもぐ。もぐもぐ。小さな口で一定の速度で食べ進める葵。朝も何となく感じたけれど、細い割に割りと健啖家らしい。一つ彼女のことを知れた気がする。


「………」


…けれど彼女の考えは依然として読めない。


従妹だというのが真実だとして、何故入学して暫く経ったこの妙なタイミングで現れたのか。

同じ学校に通っていたのに、俺が何故その存在を全く知らなかったのか。

従妹なんてそういうものなのかな、と納得しかけたが、母さんの弟であるおじさんのことは俺も知っている。


…いくら何でもどこか不自然ではないだろうか。


「兄さん?」

「え」


気づけば彼女が目を丸くしてこちらを不思議そうに見つめている。いや、見つめていたのは俺の方なのか。


「食べたいのですか?」

「は」

「どーぞ、あーん」


そう言って、彼女が俺に卵焼きを差し出してくる。今にも零れ落ちそうに危なっかしく揺れるそれをつい反射的に口にしてしまって。


「……美味しい」

「ですか」

「………うん」


作ったの俺なんだけどね。心做しか満足そうにこちらを見つめる彼女に、何だか毒気を抜かれてしまう。


「…聞いてもいいかな」 


だからという訳でもないが、気づけばその言葉はするりと俺の口から飛び出していた。葵が食べる手を止めて俺の目を真っ直ぐ見つめる。


「どうぞ」

「どうして俺に急に関わろうと思ったんだ?」

「………」


言外に含むものがあることなど当然気づいているだろう。

けれど彼女は決して目を逸らさない。真正面から堂々と俺を見据えている。

真っ直ぐな視線がこれ程怖いと思ったことなど初めてではないだろうか。


「おばさんの言葉通りです」

「え?」


言われた意味が咄嗟に理解できず、阿呆みたいに口を開ける俺。そんな俺に目を細めて、葵は何処か皮肉げに口角を僅かに歪めると口を開く。笑えているようで笑えていない、文字通り歪な、そんな寂しい笑顔だった。


「お目付け役ですよ」


これで会話は終わりだと、そう云わんばかりに葵がさっさと食事を再開する。


…どう解釈すればいいんだろうか。この間倒れたことで母さんが不安になって差し向けたと、ただ単純にそれだけのことなのだろうか。

それだけで年頃の女の子が、従兄とはいえよく知りもしない異性と一緒に暮らすなんてことを易々と了承できるものなのだろうか。


またもやうんうんと考え込み始める俺と、それを肴に無表情で黙々と弁当を頬張る葵。気づけば何だかんだ鐘が鳴るまでそのまま二人で会話もない、そんな妙な時間を過ごしてしまうのだった。

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