第6話 新たな一歩
「あ〜疲れたー…。まだあちこちが痛い……」
「ボッコボコでしたからね」
「奴らは加減というものを知らない……」
一人勝手にべらべら話して、気づけば日も沈んだ帰り道。
色を失いつつある空の下を、俺達は二人並んで商店街を目指して歩いていた。
「水無月さ、…あおい、ちゃん、は何か食べたいものとかある?」
「?」
突然の俺の問いかけに、例の如く首を傾げる水無月さん。
「いや、せっかくだから今日は奮発しようかなって」
「…ボッコボコにされたことが嬉しかったと……?」
「俺からの歓迎の証的な意味でね!!」
「ああ…」
何かとんでもない誤解と目をされているので慌てて修正させてもらう。決して俺に被虐的な趣味などない。決して。
「……ふむ……」
納得してくれたのかしていないのか。歩きながら顎に手を当て、水無月さんが考え込む。
「え、ち、ちょちょちょ、……っ」
考え込んだまま、電柱に真正面から突っ込もうとしていたので急いで腰を掴んで進行ルートを修正する。あまりに細い腰の感触に、一瞬肩が跳ねたが前にいる彼女は知る由もない。
「失礼」
「………」
マイペースオブマイペース。少し間違えれば大怪我に繋がりかねなかったというに。
何だろう。この子から目を離すのは危ない気がする。俺が見ていてやらないと。
……俺のお目付け役を俺がお目付け役するの?
「…そう言えば、あおいちゃんって料理出来るの?」
「それは今夜私の血が見たい、ということでしょうか」
「ごめん何でもない」
取り敢えず彼女に包丁を握らせることは危険だということは分かった。
商店街に辿り着き、途中途中で店頭を覗きながら今夜の献立に頭を巡らせる。
横で同じく今夜の献立に頭を巡らせているであろう従妹は、巡らせたまま未だ思考の海から帰ってこない。上を向いて虚ろにぶつぶつ声なき声を呟きながら、後ろにいる俺に度々方向を変えられる女の子。周りの珍妙なものを見る目が痛い。
「ばー」
「え」
「ハンバーグ、でしょうか」
「あ、ああ……」
おかえりなさい。ではすぐに己の足で歩いてください。
長い旅を終え、漸くのご帰還を果たした従妹と共に、馴染みの肉屋へと歩を進める。
「いいね、俺ハンバーグ作るの好きなんだ」
「叩くことがですか?」
「え」
当然の様に言われたその台詞に思わず足が止まる。
確かにそうなんだけど。話した事があっただろうか。
母と一緒に料理したことが切っ掛けだし、そこ繋がりで聞いたりしたのだろうか。
「…違いましたか?」
「…違いませんが…」
「ですか」
いつの間にやら横に並んで、腰を曲げて斜め下からこちらを覗き込むその瞳に宿るのは、気の所為でなければ微かな愉悦―
「……あおいちゃんもやる?」
「そうですね。叩くだけなら」
己の分は素直に弁えているらしいことに苦笑すれば、すぐに返ってくる鋭い視線。
きっとこの子は沢山食べるだろうから、肉は大きく、そして良いものにしよう。
それで、一口食べて笑ってくれたら尚いいな、なんて。
■
「ん…?」
再び夜も更け、母ほどではないがそれなりに腕を振るったけれど、残念ながら笑みを見ることは叶わなかった夕食を終えて、大変新鮮だった今日一日の報告を兼ねて、俺は手を合わせていた。
そこへ丁度、風呂から上がったのだろうか。艷やかな髪の毛をまだ少し湿らせた水無月さんが無言で隣に並んで座り、おずおずとした様子で俺の顔を覗き込んだ。
「…私も良いですか?」
「勿論」
人一人分、身体を横にずらせば、細い指先が線香を一本摘みとって、弱々しく揺れる蝋燭で火を灯す。何度も刺したものだからちょっと刺しづらくなっている香炉にしくじりながら、水無月さんは姿勢正しく手を合わせる。
二本に仲良く並んだ光を見つめていると、手を合わせ終えた葵が静かに口を開いた。
「…あの」
「写真、無いんだ。産まれてこれなかったから」
「……ぁ…」
そう、これは仏壇。詳しい話は聞いていないけど、母さんが産むことが出来なかった俺の姉さん。生きていればもう大学生になるのだろうか。
「………」
葵は何度か口を開きかけたが、直ぐに口を閉ざして、何かを考え込む様子で俯いてしまった。気安く踏み入るべきではないと考えたのだろうか。
訪れた沈黙が苦、だった訳でもないが何となく下を向いたその時
「(…あ……)」
彼女の何度も何度も組み替えている指先に気がついた。顔だけを見ていたらきっと何も分からなかったけれど、その二つを合わせたらよく分かる。
きっと彼女は今、必死に言葉を探している。誰も傷つけず、それでいて元気づけることの出来る上手い言葉を。決して得意ではなかろうに。
…優しい子だと、思う。表情が薄くて何を考えているのか分からない、なんて思ったけど、決してそんなことはない。彼女なりに歩み寄ろうとしていることは今日一日で充分伝わってきたから。
「(…うん)」
なら、後は積み重ねていけばいいだけだろう。
「葵」
「………あ、…ぇ」
兄妹として、家族として。一歩ずつ、小さくても、確かに。
「これから、よろしくな」
「…ぉに………」
向き直って頭を深々と下げる。
顔を上げた時、俺の何ともぎこちない笑顔を見つめる、丸くなった目を瞬かせるその表情は確かに年下で、そして確かに妹なのだと思わせるあどけないもので。
「…………なまえ……」
「うん?」
「ずるいっ……」
拗ねたように顔を背けるその姿に思わず声を上げて笑ってしまって。
「…はい」
これから、確かに今までと違う何かが始まるのだと。
「これからよろしくお願いします。……兄さん」
丁寧に頭を下げる彼女の姿を見ながら、胸の中に不思議とそんな確信が有った。
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