第2話 「お休みなさい」

『…ま、仲良くしてあげなさい。お母さんが望むのは、それだけよ』


久し振りに母と子(+従妹)で食卓を囲み、懐かしのおふくろの味に舌鼓をうち、そう時間を置かぬ内に母は父の元へと戻っていった。いつになく優しい瞳で、そう言い放って。


そして現在、夜も更けた頃―――










「………」

「………」

「えー……っと」

「………」


「……寝る場所、どうしようか……」


にらめっこ再び。俺と水無月さんは、リビングで顔を突き合わせていた。


あまりに突然だったから、客人を迎える準備などろくに出来ていないのだ。取り敢えず彼女がお風呂に入っている内に布団は何とか引っ張り出したけど、諸々動かすのが面倒くさい。というか、何で用意をしていないのか。

いっそ言い出しっぺの母の部屋に寝かせるか。…いや、あそこは母というか親の寝室。父も寝ているところに若い娘さんを寝かせるのは流石に気が引ける、というか何か気まずい。


「あの」

「ん?」


意外というべきなのか、先に沈黙を破ったのは水無月さんだった。動きやすそうなルームウェアに身を包み手を上げる、お風呂上がりで上気したその姿。あまり見ないようにしてはいたが、二人きりでは限界はある。


はてさて、そんな彼女の折衷案とは。


「私は一緒の部屋で構いません」


………。


「ん?」

「和室でしたよね?」

「ん???」

「それにお目付け役なので」

「ん?????」











「では、休みましょう」

「んん??????」


何が起きたのだろう。ちょっと混乱している内に、いつの間にか水無月殿が我がお布団のすぐ隣に己の布団を敷いてお寛ぎなさっている。


「寝ないのですか?」

「ねるけど」

「ですか。では」

「いやいやいやいや」


最初から何となく感じていたけれど、この子マイペースにも程がある。

従兄妹といえど、一応俺男、異性なんですが。


「あの、水無月、さん」

「はい」


ぎこちない動きで振り向いてみれば、驚く事に彼女は既に布団の中に入ってそこから顔だけを覗かせている。


「…………」

「………?」


寝ながら首を傾げるその瞳に、一切の曇り無し。何故出会ったばかりのぽっと出の兄貴にここまで心を許しているのか、何かもう彼女といると疑問が湧いて湧いて尽きること無いけれど、恐らくは口にするだけ無駄なのだろう。そういう手合いだ。この短い時間で何となく分かってきた。分かりたくはなかった。


「………お休み」

「はい、お休みなさい」


俺の部屋に可愛い女の子が上がりこんで、あまつさえ一緒に並んで横になっている。こんなの素直に眠れる訳が無い。だって下手なラブコメだったらこの後うふふな展開があっても何もおかしくない。

横から漂う何とも形容しがたい、言うなれば女の子の香りが鼻腔をくすぐり、思わず、本当に思わず、別に変な気持ちはこれっぽっちも無いけれど思わず瞳を動かして横をついつい見てしまう。


「すー……………」

「………………」


あらぐっすり。

上を向いた実に綺麗な姿勢で、渦中のあの子は夢の中。


…危機意識とか、無いのだろうか。無いんだろうな。何か気にするだけ徒労な気がしてきた。

マイペースに対抗するには己もマイペースになるか、彼女を深く知り、理解していかなければならない。少なくとも、今の俺には経験値が足らなすぎて無理だ。


「……寝ろ」


己に言い聞かせる様に吐き捨てると、目を閉じる。

夢の中に落ちるまでに羊が何匹柵を飛び越えたのか、今となっては覚えていない。












「(……ぅ…………)」


どれだけ時間が経ったのだろうか。少なくとも朝などではないだろう。身体からは疲れが抜けていないし、外からは何も音がしない。


何だ。


何か、妙な違和感がある。感じる。

先程までは感じなかった何かが。これは何だ。




視線。




そう、これは視線だ。見られている。


誰に?


「(……幽霊…?)」


いや、そんな訳が無い。…幽霊なんて存在する訳が無い。己が作り上げた都合のいい幻でしかないのだ。

だとしたら、何だ。


そんなの一つしか無い。


「…………」


横に、誰かが座っている。上から俺の顔を覗き込んでいる。


気付かれない様に、ゆっくりと、僅かに目を開けこちらからも覗き込む。

徐々に、徐々に暗闇の中の影がその輪郭をぼんやりと姿を現していく。


「………………」

「(…………ひい………)」


水無月葵。我が従妹(暫定)。

そんな彼女が、暗闇の中正座して、感情の抜け落ちた無表情で俺をじっと見下ろしていた。下手なラブコメどころではなかった。下手なホラーより怖かった。


一体いつからそうしていたのだろうか。長い前髪に隠された目は、ただでさえこの暗闇では見えるはずもなく。その姿は最早、いや、すぐ真横にいる分テレビから出てくるあの人より遥かに怖い。


「…………ぅーん……」


起きていませんよ寝ていますよけれど起きちゃいそうですよ貴方のせいでね。そう思わせるべく、極々自然を取り繕って僅かに身体を動かした。割と必死に。


「――――」


ぴくりと微かに反応を示した水無月さんは、そのまま直ぐに布団に戻るかと思いきや


「………」

「(………っ……)」


ゆっくりと俺の顔に手を伸ばすと、顔にかかった前髪をどかす。

今、彼女の前には俺の顔が隠すこと無く顕になっていることだろう。

背中に変な汗がじわじわと。一体全体何をされるのだろうか。落書きでもされるのだろうか。それだけならまだいい。


「……お休みなさい……さん…」


けれどそれ以上何かをすること無く、静かにそれだけを告げると、彼女もまた大人しく布団へと戻っていく。


そして再び訪れる静寂。


「(さん………穂村さん…?)」


最後に呟かれたその言葉。惜しくも耳に届かなかったその言葉がどうにも気にかかる。

ゆっくりと横を見れば、今度はこちらに背中を向けて彼女は眠りについていた。

規則正しく上下するその背が、けれどどうにも寂しそうに見えて、俺も思わず手を伸ばしかけて―


「(いやいや)」


従妹といえど、会ったばかりの女の子に下手にそんなことしたら取り返しのつかない溝を作りかねない。それに、いちいちそんなこと気にかけていたらまるでこっちがお目付け役みたいではないか。


「(でもなぁ)」


気になる。気になってしまう。そして何か困っているのなら。

本当に面倒くさい性分だ。一体いつからこんなことになってしまったのか。


大人しくしなさい。頭の中で母が冷たい目を向けている。

そうだ。少しは自制しなければ。自制。己に言い聞かせる様にして何度も何度も言葉が木霊する。


強く目を閉じる。最後に見えた小さな背中は、先程よりも遠く見えた。

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