第22話 はじめてのおつかい
真っ白な空間だった。
何もない白い、白い空間。目が覚めた時、俺はそこに座り込んでいた。
上体を起こして辺りを見回す。見回すまでもなく、目の前にでかい椅子。そしてその上に偉そうにふんぞり返るいけ好かない幼女がいた。
『考えは変わった?』
「…またかよお前」
『まただよ私』
幼女は偉そうに口を開く。上からこちらを見下しながらダブルピースして。ほんっとえらっそうに。
誰かに似ている様な気がするのに、そんな考え気にならなくなっちゃう程のウザさ。何故ろくに知りもしないクソガキにそんな失礼な事を遠慮なく思ってしまうのかは知らないが。
『やっぱり妹より姉の方が良くない?』
「知らんよ」
『あ、まさかロとリでコンちゃんなイケナイ人?う〜ん、まぁ深い業を背負うのも人間らしいよね私も姿だけでいえばそうだし……あ、そういうこと?んもうそれならそうといいなよぉ。うん、いんじゃね?いえすロリータ・へい!タッチ!』
「なんなんお前?」
何で一人で納得して、一人ではしゃいでいるのか。
そんなばっちこいよみたいな手振りでかもかもされた所で行くわけないから。俺まだポリスメンにお世話になる訳にはいかないの。若い人生これからも続いていくんだから。ていうか、ここポリスいんのかな。というか、こいつ以外、人いないの?
迫真のジェスチャーを軽く無視されたからか、幼女は口を尖らせて、大変不満そうに再び椅子に沈み込む。
『も〜可愛くなーい。この私にもっと甘えて…ええんやで?』
「これどうやって帰んの?」
『聞けよぉ』
むきーっと歯を剥き出しにして己の膝をばんばん叩くチンパンジーのリズムに合わせて、真っ白な染み一つ無い床を雑にばんばん叩いてみる。勿論、乾いた音が反響するのみで何も変化など起こりはしない。
……?
「何だこれ」
と、思っていたその時、手の横に小さな凹みがあることに気づいた。
何故か俺は何の警戒もせず、不用意にそこをぽちっと。
『「あ」』
そしてがこっと。床が空いた。
「…またかよ俺」
またもや俺は何も抵抗する間もなく、暗い闇へと落ちていく。
『ざ、ざまぁ?』
上からそんな声が微かに、いや確かに耳に届いた。
次あったら絶対げんこつしてやる。そう固く誓う中、俺の意識は途切れ―――
――
■
『しくじった。またまた冷蔵庫に何もない。何か買ってきてくださいお願いします』
『りょおかいしますた』
『了解しました』
『頼む』
とある休日。一人で町を散策していた時にそのメールは届いた。
私とて別に四六時中、兄さんと一緒にいれる訳ではない。そりゃあまあ、…いたいけど。
友達も夕莉ぐらいしかろくにおらず、家族とも稀にしか連絡しないおかげで未だまだまだ使い慣れないスマホ。その画面に表示された名前をじーっとたっぷり30秒程見つめてからポケットに突っ込むと、フラフラと目的もなく歩いていた時に届いたそんな依頼に従い、足を進める。
四季折々が織り成す風景、活気溢れる人の賑わい、そんな何気ないものをただただ眺めて時間を潰すことが、何となく好きだった。
そして今や季節は夏に移り変わろうとしている。している割には既に気温と太陽は容赦なく。
「ふむ…」
歩きながら最近のことを思い返す。
兄さんは顔が広い。またはこの町が狭いとも言える。
私が来る前は、あちらこちらでバイト、お手伝い?してそれはもう身体を酷使していたようだ。
つまり、この小さな町の中で兄さんを知らない人の方が珍しいくらいで。
改めて凄いことだと思う。私だったらもれなく真逆の結果をもたらすことだろう。無愛想な私に接客業務はハードルが高すぎる。
「……なんつって?」
一人でぶつぶつ。掠れる程の小ささとはいえ、どうも私は一人言が多いのかもしれない。一人が落ち着くと思ったところで結局、心は繋がりを求めているということだろうか。まあ、そうでなければ。
そんな益体もないことを考えながらぶらついていれば、いつの間にか商店街にたどり着いて。
「ふむ」
さて、今晩は何にしようか。やっぱり育ち盛りにはお肉だろうか。なんて、作るのは兄さんだけど。
我ながら素晴らしく短絡的だが、別に悪い選択ではないだろう。こないだ、兄さんに案内されたお肉屋へと歩を進める。
「こんにちは」
「あら?総ちゃんのところの」
「(…兄さんのところの?)」
受付で肘をついていたおばさんが、近づいてくる私を見るとニコリと人付き合いの良い笑みを見せる。
「豚肉ください」
「はいよ。あ、これオマケね。総ちゃんによろしくね」
「……………」
八百屋に向かう。
「こんにちは」
「あ?おう、総坊んとこの」
「大根ください」
「おう。あ、これも持ってきな。この前の礼だ。また頼むぜって言っておいてくれ」
「……………」
公園を通る。
「…こ、こんにちは」
「あ、へたくそのおにいちゃんのところのへたっぴだ」
「だいこんのおにいちゃんのところのがだいこんもってる」
「……………」
…兄さんのところの、何だというのだ。従妹?居候?こ、恋び……私は何を言っている。
通りを歩いていれば、辺りには最近よく挨拶を交わす様になった見知った顔がちらほらと。
「こんにちは」
「あ、総ちゃんのところの」
「穂村の」
「ちゃんあおー」
「……………」
兄さんのところの。そして続く台詞はこないだはありがとう。助かった。兄さんによろしく。皆一様に明るく、笑顔で。
結果─
「これあげるよ」
「これも持っていきな」
「アンタ細いね。ちゃんと食べてるかい?」
「これも」
「それも」
「あれも」
「どれも」
「お、ぉおお………」
■
「…大漁です……」
ベンチに座り込み、堪らず大きく息をつく。
私の両隣には大量の材料やら食料やらがパンパンに詰め込まれた大きなビニール袋。
一食分の食材を買いにきただけなのに、何故この様なことになっているのか。
「………」
深くベンチにもたれかかり、空を見上げる。澄み切った空。もうじき夕方も近いというのに未だ太陽が燦々と輝いている。
お礼の言葉が、あの笑顔が、いつまでも頭を反芻して。
目を閉じれば、あの人が真っ直ぐに人助けをしていたその光景が浮かび上がる様で。
「ふふ…」
この時の私は気付いていなかった。私が微かに、ほんの微かにだけど、確かに笑えていた事を。
嬉しかったのだ。幼い頃と何も変わらない、優しい兄さんが垣間見えたことが。
「やはり、兄さんは兄さんですね…」
在り方は多少変われど、根っこは同じ。私が大好きなお兄ちゃんのまま。
だからこそ、私は私の役割を再認識した。
兄さんが大切な皆のためにも、兄さんにはもっと自分を大切にしていただかなければ。
「ふむ。踏ん張りどころですね、葵」
膝を叩いて、決意新たに私は力強く立ち上がる。一歩踏み出そうとして、すぐに立ち止まる。そして振り返る。
「…………」
ベンチにででんとそびえ立つ、大量の荷物。
「…………………………」
じりじりと、遠慮ない陽の光が肌を焼き、堪らず頬を大きな汗が伝う。
気づけば最早炎天下並。
「ふ、……踏ん張りどころですよ、葵……」
持ち上げようとすれば、重力に従って袋が指に強く食込んだ。
膝を揺らして決意新たに、私はよたよたと頼りなく歩きだす。
空で鳴く烏の声が、こちらを馬鹿にしている様で今だけはやけに耳障りだった。
「お、お帰……ど、どうした、その大荷物……」
「お゙、ぉ兄………ちゃ……」
玄関に辿り着いた瞬間、限界を超えた私は重たいぱんぱんの荷物と共に膝をついてその場に倒れ込んだ。
その音に何事かと思った兄さんが顔を覗かせて、すぐさまぎょっとしたことが気配で分かった。
「……み……」
「み?」
ああ、兄さん。兄さん。
やっとの思いでオアシスに辿り着いた瞬間の砂漠の遭難者の様に、力無い私の腕が縋る様に弱々しく伸ばされ、
「……み゙ず…………」
「あ、葵!?葵ーー!!」
パタリと。私は死んだ。
何事も程々が一番。それが今日思い知った私の教訓である。
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