第23話 夏の夜の夢見人

真っ白な空間だった。


何もない白い、白い空間。目が覚めた時、俺はそこに座り込んでいた。


『うっ……ううっ……おぅ……!』


そして目の前には啜り泣く幼子。


…あのですね皆さん絶対にこれだけは誤解しないでほしいんですけど俺は何にもしていないんです目が覚めたら勝手にこいつが泣いていたんです確かにげんこつするとか言った気がするけど俺はまだそんな事してないんですほんと信じてください。


『ひどい、………ひどいよぉ……』

「な、何がだよ」


赤くなった顔を擦りながら、こちらを指差して責める幼女。何の覚えもない純然たる冤罪に慄きながら、俺は彼女と向き合い、


奥に鎮座する、何ともこの空間に不釣り合いな無駄に新しいテレビに気がついた。  


『怖いやつじゃん……このゲーム怖いやつじゃあん』

「………」


よく見れば画面に映し出されているのは、以前、葵と共に遊んだとあるホラーゲームだった。少なくとも年齢一桁の幼女が遊ぶようなものではない、情緒がぶっ壊されてしまう様な代物である。何処ぞの従妹は何一つ壊れなかったどころか何故か満足気だったが。


『何でもっとふわふわしたやつやんないのぉ』

「何でって…」

『目覚めちゃうじゃぁん』

「何で」


あかん情緒が破壊どころか造り変えられようとしていた。

身体を震わせながら、己が身体を抱きしめる幼女。こいつ泣いてたんじゃなくて未知の感覚に打ち震えていただけかよ。


『血が……血が足りねぇ……ウェヒヒヒ』

「何でこれここにあんの?」

『君の記憶にあるものなら何でもあるよ』


そう言って幼女は手を上に振り上げる。するとそこには白くて長いリボンが突然に。

……リボン?俺記憶に無いけど。勿論、付けた覚えもない。あったらやばい。いや個人の趣味を否定する気も無いけどさ。


「…誰の?」

『誰のだろうね?』


何ともつまらない俺の反応を見たからか、一気に冷めたように興味を無くした幼女がもう一度腕を手繰ると、あら不思議そこには何も。

続いて彼女は空っぽになった掌で拳銃を形作ると、無造作にこちらに狙いをつける。どうやら躾がなっていない様で。親の顔が見てみたい。


『若い内からばんばん撃つなんて良くないぞぉロリデゲス』

「ロドリゲスみたいに言うな。そんくらい区別つくわ」

『結構狙うの難しいよねーばんばん、ばんばんって――』


ばぁん!!!


『あ』


突如響いたけたたましい轟音。


「ん?」


そしていつの間にか、俺の胸にぽっかり空いたどでかい風穴。


「………」

『………』


煙を吹く人差し指を眺め、唖然と口を開けてこちらを見つめるのは、勿論目の前の。


「何じゃあこりゃあ!!!?」

『やっべ』


さっ。痕跡を消し去ろうと即座に腕を後ろに回す犯人。もう一度、手を出した時にはあら不思議、…不思議じゃねえ見てたからな今の。

俺が真っ青な顔で睨みつけると、さぞ心外とでも言いたげにぶんぶんと手を振り回す。勢い余ったのか知らんがもう一度上に祝砲が発砲されて、仲良く身体を震わせる。こいつの手どうなってんだよ。

幼女は滝の様に汗を流す。湿気って火薬が使い物にならなくなるとかは無いらしい。


『いやいややややだいじょぶじょぶじょぶこんなんすぐ治りますし。あ、ほほほらそろそろ目覚まさないと。…覚めるよね?……覚めるか?これ……』

「血ぃ全く出ないのが逆に怖いっ!!死ぬ!?死ぬのか俺ぇ!!」

『まだいけるって諦めんなよっ!ほら目覚め………ッ目覚めろ!オラァ!!』


今度は本物の銃を具現化し、その銃床で人の頭をがつんがつん容赦なく叩き始めるクソガキ。

次会ったら絶対泣かす。俺の固い決意と共に意識はどんどん遠のいて―――――












――それはある夜のこと。

何故か酷い頭痛に悩まされながら俺は中途半端な時間に目を覚ます。


「(………ん?)」


暖かな日が続き、地味に、いや派手に蒸し暑い日もちらほら出てくるようになってきたその夜、俺は隣から聞こえてきた静かな振動が耳に入りうっすらと目を開けた。この日は元々、寝付きが悪かったことも要因だろう。後、頭痛い。

静かに部屋を出ていくその背を見ながら、トイレだろうかなどと、夢現な頭でぼんやりとそんな事を考えて、再び目を閉じる。


「(そう言えば最近……あの夢、見ないな……)」


夢の中で謝る少女の夢。葵が来てから、少しずつそれを見る頻度が減っているような気がしていた。夢だから覚えていないという可能性も大いにあるが。…そう言えば、今日は何の夢を見ただろうか。あの夢の後でこんなに頭がずきずきした覚えは無いはずだが。


程なくして気配が戻ってきた。やはりトイレで正解だったのだろう。深く考えるまでもない。もちろん年頃の少女にそんなこと口に出す訳もないが。


「………んぅ……」


よく食べ、よく眠る、規則正しい葵ちゃん。あまり深夜に目覚めることは無いのだろうか。大変アグレッシブな寝癖をつけながら、フラフラと危なっかしい歩きでゆっくりと己の布団に辿り着き。


「(………え)」


辿り着き。

次の瞬間、俺の身体を襲う寒気。被っていた毛布が奪われたと思った直後だった。


「………、ねむぃ……」


温もりは再び我が下へと回帰する。おまけにも一つ、人肌の温もりをくっつけて。


「………あたたかぃ………」

「(………ええぇ〜……?)」


素晴らしく柔らかいその温もり。何を隠そう、隠すまでもなく葵なのだが。

寝ぼけているのか隣の俺の布団に入ってきた彼女は、その違和感に気づくことなく力を抜くと、抱き枕感覚で俺の腕へとすりすりと顔を寄せてくる。


「(いやいやいやいやいや)」


これはいかん。何がいかんというか全部いかん。


「………」

「ぁ、……あおい、さん?」

「さい」

「…さ、さい?」


眉間に皺を寄せたその顔から徐ろに吐き出されたその言葉。そこに込められた意味とは果たして。


さい。賽。…さい??……サイ……くさい!?


嘘やろ毎日風呂入ってんねんで。洗濯だってちゃんとしてるし。俺もしかしてカードショップ出禁?

…洗濯と言えばこの間、何故か葵が手に持った俺のパンツを洗濯機の前でじーっと見つめて暫しの間停止していたんですが皆さんはこれが何を意味すると思いますか?やっぱ言わなくていいです。


いかんまた話が逸れた。今はそんな事よりも、だ。

認めたくないが己がそんな悪臭を放っているとして、そんな奴に清楚可憐な乙女が引っ付いている状況など断じて許されるものではない。

そして脇の臭いを確かめようにも、腕は葵に抱き込まれて動かしようが無い。

何とかがっちりホールドされた腕を上手いこと抜き取れやしないかと、俺は必死に試行錯誤で四苦八苦。


「…や…」


その気配を感じとったのか、意識の無いはずの葵が更に強く縋り付いてくる。いえい四面楚歌。


「………ぃかないで………」

「っ」

「………ごめん……さい……」


そして気付いた。気づいてしまった。


彼女の瞼から零れ落ちる、一筋の雫。

夢見が悪いのか、それとも。どちらにしても、今にも折れてしまいそうなその頼りない姿をどうにかしなければ、したいと、俺はそう思った。


…夢の中の弱々しい少女と葵が重なって見えたからだろうか。


「ごめ…なさい………ごめん………なさ…」

「(ええいっ……!!)」


だから、俺は葵を抱き寄せた。もうどうにでもなれと思いながら、細い腰を引き寄せ、子をあやす様に柔らかく背と頭を撫でる。


「……大丈夫だよ、ここにいる」

「………」


腕の中の身体が小さく震えて、葵の腕もまた、俺の腰へと回される。

笑ってしまいそうな程に跳ね回る鼓動の音で目を覚ましやしないかと戦々恐々しながら、俺は彼女の背中を一定のリズムでぽんぽんと叩き続ける。


「………ぉ兄さゃん……」

「はいはい」

「……ん………」


俺が子をあやすのと同じように、葵もまた子が母に甘える様に、柔らかい髪をすりすりと胸に押し付ける。

『臭』などという言葉とはまるで無縁であろう華やかな匂いが鼻腔をくすぐり、そしてお腹の辺りには何かとても柔らかい感触。


「(生殺しだぁ)」


何も知らないお日様が呑気にその顔を覗かせるまで、果たして後何時間あるのやら。

頭の中で覚える限りの素数を数えながら、俺は持てる理性を全身全霊で総動員することになるのだった。

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