第10話
送迎バスから降りると真上に昇った太陽が俺を責める。腕で日光を遮りながら運転手のところへ行き、荷物を受け取ると人の集まっているところへ向かった。
周りは緑色の山に囲まれていて、あるのはホテルだけだ。目の前を流れる川のせせらぎの音を妨げるかのようにセミが騒いでいる。全員がバスから降りると代表者のヴァンさんが声を張り上げて挨拶をはじめた。
「みなさん、夏合宿に参加してくれてありがとう。今年はいつもより参加者が多くて、うれしいです。私たちスタッフもがんばるので、楽しんでください」
ぱらぱらと参加者から「はーい」と応える声が上がる。続いて、林さんのアナウンスだ。
「こちらでカギを渡します。すぐに練習を始めますので、部屋に荷物を置いて、着替えたら一階に集合してください」
指示に従って参加者が集まると、林さんは部屋割りを伝えてながらカギを渡していく。
俺は原さんという人と同じ部屋らしい。ジムで何回か見かけたことのある白髪でメガネのおじさんだ。俺は頭を下げる。
「よろしくお願いします。高橋と申します」
「ああ。僕は原です。こちらこそよろしく。高橋くんは、合宿初めて?」
「はい。原さんは何回か来られたことがあるんですか」
「僕は毎年来てるよ。ここで立ち話も何だから、部屋へ向かいながら話そうか」
「そうですね。行きましょう」
俺たちは夏の日差しから逃れて、ホテルに入った。室内は毛羽立った赤い絨毯が敷かれており、白い壁は綺麗に掃除されているのだろうが、年期を感じさせる。
受け取ったカギに書かれたルームナンバーから推測するに、俺たちの部屋は一階だ。品良く挨拶をするフロント係を横目に、店員のいない売店を通り過ぎるとドアが並ぶ廊下が現れた。部屋番号を確認しながら、原さんに話し掛ける。
「合宿の練習って厳しいんですか」
「普段より時間があるからね。ジムじゃできない練習もするよ。特にヴァンさんが追い込んでくるね。毎年来てるけど、二日目の朝はいつも筋肉痛だ」
「そんなにハードなんですか。俺、耐えられるかな」
「がんばれ。死にゃあしない」
原さんは全然フォローになってないことを言う。毎年、合宿に来るようなメンバーでも筋肉痛になるんだったら、俺は平気なんだろうか。頭を抱えたくなっていると、原さんが呟く。
「ここが僕たちの部屋だ」
確かにカギに書かれた番号と同じ数字の札が付いている。原さんはドアを開けながら、話を続けた。
「とはいえ、今年はいつもより手を抜いてくれるかもしれないけど」
「何でですか?」
「今回は女の子が多いからね」
「そうなんですね。普段の参加者は何人くらいなんですか」
「五人いれば良い方じゃないかな。けど、今年は十二人いて、そのうち八人が女の子だ。新しいインストラクターの黒田くん目当てなんだろうね」
だろうな。ここまで来るまでの間も、渉の周りには女の子たちの誰かしらがいた。一人になっているちょっとの時間もいろいろな準備や手配らしきことをしている。彼は入ったばかりの下っぱなのだから当然なのだろうが、俺の話し掛ける隙がない。
部屋の中はベッドが二つある以外は小型のテレビと冷蔵庫、テーブルがあるくらいだ。俺は原さんに尋ねる。
「どっちを使いますか」
「僕は入口側が良いな」
「じゃあ、俺が窓側を使いますね」
「助かるよ。ところで、高橋くんは狙っている子はいるの?」
若い男女がいれば、そういう風な勘ぐりを受けるのはある意味自然なことだろう。興味のない振りをするか。けど、練習にやる気があると勘違いされて、「じゃあ、鍛えてやろう」と思われても困る。狙っている子がいるというのもウソではない。原さんが予想している答えではないだろうが。
「まあ、そうです」
「へぇ。やっぱり津田さんなの?」
「えっ、何で?」
予想外の名前に思わず質問に質問で返してしまった。
「津田さんが申し込むって聞いて、慌てて手続きしたっていうウワサだから」
なるほど。あり得ない推理ではない。っていうか、そんなウワサが広まっているのか。だとしたら、渉の耳にも入っているかもしれない。最悪だ。もしかして、わざと避けられているのだろうか。
「いや、それはたまたまですよ。俺、合宿があるのを忘れてて。彼女が手続きしているのを見て、『あっ』ってなっちゃっただけです」
「ふぅん」
この視線、半信半疑といったところか。とはいえ、これ以上弁明しても、かえって怪しまれるだけな気がする。話をそらそう。
「この後、すぐに練習なんですよね。さっさと着替えをしましょう」
俺はカバンの中からジャージを取り出して、着替えをはじめる。この調子で、合宿中に渉と仲直りなんてできるのだろうか。
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