第7話

 真っ白な天井だ。電気はついていないが、カーテンから漏れ入る街の明かりで十分に室内の様子はわかる。今は何時だろうか。何も身に付けていないので、時間のわかるものがない。

 ああ、またやってしまった。前回は酒のせいにできたが、今回は素面だ。言い訳のしようがない。なんて、のこのこ家まで来た癖に今さら往生際が悪いのだが。

 しかもこの前は、なされるがままだったのに、今回はこちらからいろいろと積極的に挑戦をしてしまった。けど、実際にやってみると新しい発見がある。普段とは違う立場もやってみることで相手の感覚がわかり、活かすこともできた。そういう意味では、キックボクシングの練習と同じだ。

 にしても、四回という回数は一般的なのだろうか。もうヘロヘロだ。これがレッスンなら、ハードなプログラムを課すドSインストラクターだろう。

 俺が寝返りを打つとベッドの隣で渉が顔を枕に突っ伏している。肩から尻にかけての曲線が美しい。その手触りは大理石のように滑らかだった。昔の芸術家が美少年の像を作ったのは、ごく自然な発想だったのかもしれない。

 彼が顔をあげる。俺と目が合い、笑みで八重歯がこぼれた。

「もう一回、する?」

 その笑顔に理性は揺さぶられるが、もう限界だ。これ以上は逆さにされて、振られても何も出て来ない自信がある。

「ちょっと、休憩」

「そう? まだまだやる気はあるみたいだけど」

 理性とは裏腹に身体は渉の期待に応えてしまっている。だが、もう無理だ。俺は声を絞り出す。

「すみません、これ以上は勘弁してください」

「ちぇ、だらしないな」

 渉は口を尖らせる。その表情が何だか可愛い。しかし、それを言葉にしようものなら、次のラウンドが始まってしまうことは火を見るより明らかだ。

「仕方ないだろ。俺は経験がないんだから」

「マジで?」

 渉は目を爛々に光らせて俺の顔を眺めた。もしかして、馬鹿にされているんだろうか。

「悪かったな」

「いや、初めてをもらっちゃったんだなと思って。むしろ、嬉しい」

 その微笑みに大人の余裕を感じる。まるで年上女性に手解きを受けた学生じゃないか。実際には俺の方が年上なのに。話をそらしたい。俺は反射的に彼に質問を返す。

「お前はどうなんだよ?」

「オレ?」

「そう。まさか俺が初めてって訳じゃないだろ」

 渉は上を向いて、足をバタバタさせる。

「まあね。オレの初めては、学生時代の先輩だった」

「へぇ、好きだったのか?」

 そんなことを知って、何になるんだろうか。しかし、知りたい、という気持ちに突き動かされて口走っていた。

「最初はちょっとした遊びのつもりだった。一週間の強化合宿の時だ。わかるだろ、清吾。その人が処理を手伝ってくれたんだ」

 体育会系っていうのはそういうものなのだろうか。情報を消化できないまま、俺は黙ってうなずく。

「けど、その後も続いて。そんなことをしているうちに、すっかりハマっちゃった」

 彼は昔の思い出を味わうように口の中で言葉を転がす。そして、マットレスに倒れこむと潤んだ目でこちらを見つめた。

「ねぇ、知ってるんでしょ? オレのウワサ」

「何のこと?」

 わかっているのに敢えてはぐらかす。一番知りたかったことの癖に、いざとなったら勇気が挫かれる。耳をふさいでしまいたいが、手は俺のいうことを聞く気がないようだ。

「清吾が帰った後、林さんに忠告されたんだ。ハッキリとじゃないけど」

 余計なことを。いや、林さんは俺のことを気遣ってくれたことはわかる。そもそもあの話の流れであれば、俺と渉がこんなことになっているなんて夢にも思っていないだろう。弁明の言葉を考えているうちに、彼は言葉を続ける。

「先輩からウザがられるようになって。急だったから、オレ、辛くて、辛くて。誰でも良いから、埋め合わせをしたくなったんだ」

 つまり、ウワサは本当だったってことか。しかも、「埋め合わせたかった」だって? 俺もその先輩とやらの代わりに過ぎないってことか。

 俺はタオルケットをはね除け、立ち上がった。渉は何か言いたそうな顔をしていたが、遮るように言葉を吐き棄てる。

「帰る」

「えっ? けど、もう終電が――」

「歩いて帰れるから」

 俺は脱ぎ捨ててあった服を急いで身に付け、後ろを振り向かずに渉の部屋を出た。

 エレベーターのボタンを押す。彼の部屋から誰かが出てくる様子はない。幸いにして、エレベーターはすぐに来た。俺は逃げ込むように乗り込む。

 スマートフォンを見ると、既に日付は変わっていた。当然、終電はない。一階に着き、マンションの玄関を出ると頬に水滴を感じる。雨だ。無視して歩き続けるが、勢いはどんどん激しくなる。だが、戻るところはもうない。

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