第4話

 駅の名前を告げるアナウンスがして、俺はハッと顔をあげる。降りる駅だ。電車が止まり、ドアが開く。人波に流され、プラットホームへ降りた。

 空の青にオレンジ色が混ざり、濁っている。明日が月曜日だということを忘れたいかのように、駅はざわめきにあふれていた。

 ポケットでスマートフォンが震える。端末を取り出すと山本からだった。改札を出たところにいるらしい。「了解」と返事をして、俺は歩き始める。

 山本と直接会うのは、いつぶりだろうか。最後は確か大学時代のメンバーで集まった花見だったから、三ヶ月前のハズだ。あいつもあの頃から空手をはじめたと言っていたが、続けているんだろうか。

 大学一年の時に同じサークルになってからの付き合いだが、意外と飽きっぽいところがある奴だ。メッセンジャーアプリでのやり取りでは特に何も言っていないので、もう辞めて別のことをはじめているかもしれない。

 改札へ着くと、外で柱に体重を預けてスマートフォンを触っている山本を見つけた。百八十センチの高身長は人混みの中でも見つけやすくて助かる。俺はヤツのところへ行って、声をかけた。

「お待たせ」

「ああ」

 山本はスマートフォンをカバンに仕舞い顔を上げると、動きが止まった。何か変なことでもあったんだろうか。ヤツは首元を指さす。

「高橋。お前、それって、キスマーク?」

 やっぱり気付かれた。あまり目立たないとはいえ、つけられてから二日も経っていない。とはいえ、隠すために何かするのも、かえって目立つような気がしたのだが。目ざといヤツめ。

「高橋の癖に生意気な。詳しい話をじっくり聞かせてもらおうか」

 山本は俺にヘッドロックをかけた。俺よりも身長が高く、手足も長いので文字通り、手も足も出ない。

「わ、わかったから、離せよ」

「お前もキックボクシング、はじめたんだろ。自力で外してみろよ」

 そんなことを言われても、ヴァンさんからは技術的なことはほとんど教わっていないのだ。ジタバタしてはみたものの、びくともしない。俺はヤツの腕を叩く。

「ギブ、ギブ。こんな人通りが多いところで迷惑だろ」

「キックボクシング、恐るるに足らずだな。じゃあ、最初の一杯はおごりで」

「わかったよ。だから、外せって」

「ん? 高橋くん、口の聞き方がなってないな」

「外してください。お願いします」

「よろしい」

 ようやく山本の腕を逃れ、俺は体勢を整える。ふぅ、酷いめにあった。

「とりあえず、ここじゃなんだ。店に行こう」

「だな。腰を据えて、聞かせてもらおう」

「わかったよ。じゃあ、行くぞ」

 駅を出て、俺たちは商店街へ向かう。目的地は学生時代によく通った安いだけが取り柄の居酒屋だ。一杯とはいえ、俺が奢るんだから文句は言わせない。それにお互い社会人になったとはいえ、あそこに行くと学生時代に戻ったような気分になれる。店のドアを開けると片言の日本語が出迎えてくれた。

 人数を告げると年期のはいった席に通される。学生街の日曜日だから、店内にいる客はまばらだ。とりあえずビールとつまめるものを頼むと、店員はすぐに中途半端に冷えたビールとお通しらしきペラペラの魚肉ソーセージの入った皿を置いていった。乾杯を済ませると、山本がテーブルから身を乗り出して尋ねる。

「で、それはどこの誰に付けられたんだ?」

「キックボクシングジムのインストラクター」

「マジか。けどお前、インストラクターはタイ人と日本人の男だけだって言ってなかったか」

 渉も男だが、それを山本に伝えたらどういう反応をするだろうか。だが、正直に話をしても、良いことになる気がしない。俺はあえてスルーして説明を続ける。

「最近、採用された人なんだ。金曜の夜に練習をしてたら、たまたま挨拶に来て。俺とタイ人と三人で歓迎会をしたんだ。で、終わった後に相手の家で二次会をしようってことになって」

「初めて会った男を家に呼ぶなんて。お前、最初から狙われてたんじゃね?」

「そう、なのかな」

 男同士だから、あんまり違和感を覚えなかった。しかし、俺が女だったら確かに危険を感じただろう。けど、どちらが女かといえば、渉の方じゃないか。って、論点がズレている気がする。考えがまとまらない俺を余所に山本が答えた。

「にしても、肉食系の女だな。お前以外にも手を出してそう」

 うちのジムは若い男の会員がいないので、そこは平気なんじゃないだろうか。けど、インストラクターのヴァンさんと林さんは三十代のハズだ。二人ともパッと見、若く見える。転職したのも、そういう縁があったからだったりして。いや、二人のどちらかとそういう関係があるのだとしたら、流石に会員に手は出さないんじゃないだろうか。でもーー。

 いろいろなパターンが頭の中を巡り、収集がつかない。誰かが俺の身体を揺すった。山本だ。影が差しているような顔で、こちらを見ている。

「お前。そのインストラクターにマジで惚れた?」

 これを恋愛感情と言って良いのだろうか。これまで男をそういう目で見たことはない。だったら、俺はなぜ渉とあんなことをしてしまったんだろうか。自分で自覚していなかっただけで、実際にはそういう素質が自分の中にあったのかもしれない。けど、一夜の過ちって言葉もある。あの日は酔っていた。そのせいで普段ではあり得ない反応をしてしまった可能性もある。俺は絞り出すように答えた。

「わからない」

 山本は俺の肩に手を置く。

「そっか。まあ、会ったその日に意気投合して、そのまま結婚するカップルもいるからな。相手にとって高橋がどストライクだったって可能性もある」

「どうだろう」

「とりあえず相手がインストラクターなら、いくらでも会うチャンスはあるだろ。その時に話をしてみろよ」

「けど、冷たくされたら」

「そんなもん、実際に話してみなきゃわかんねぇよ。仮にそれならそれでやり方がある」

「俺、そんなやり方わからないけど」

 山本が俺の肩を軽く叩く。

「オレが話くらいは聞いてやるよ。恋愛って、一人だとどうしても視野が狭くなるからな。自分だけで考えていると、どうしてもドツボにハマっちまう」

 山本のヤツ、意外と恋愛経験豊富なんだろうか。こいつの浮いた話なんて聞いたことがなかったが、妙な説得力がある。そういえば、俺は山本がどんなタイプの子が好きなのかも知らない。それなりに長い付き合いなのに不思議なもんだ。

「サンキュ。頼りにしてる」

「任せとけ。仮にお前にとって嬉しくない答えでも、それはあくまで今の状況だ。相手から嫌われていなければ、チャンスはある」

「そうかな」

「話ができれば、多少なりとも相手のことを知ることができるからな。仲良くなるためには大事なことだろ」

 確かに、渉と会ったのはあの日だけだ。会話もろくにしていない。ほとんど何も知らないといっても良いだろう。ヴァンさんや林さんに聞くって手もある。やれることが見つかっただけなのに、随分と心が軽くなった。

「そうだな。俺、やってみるよ」

「元気になったみたいだな。じゃあ、飲もうぜ」

「おう」

 俺たちがグラスを鳴らしていると、店員が注文したピザや冷やっこを持って来た。

 ピザにかけようとタバスコを取ろうとして、手が止まる。渉はかなり筋肉質だ。俺のことも「草食動物のような身体だ」と褒めてくれた。ってことは、あんまり体型を崩さない方が良い気がする。

 俺はタバスコの代わりに醤油を取って、冷やっこにかけた。次の酒はビールじゃなくて、よりカロリーの低い蒸留酒にしよう。

 俺は手を挙げて、店員を呼んだ。

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