荒野の翼

藤間 保典

第1話

 高い声があたりに響き渡る。僕が目を向けると神の使いとされる鳥が翼を大きく開いて、青空を舞っていた。吉兆だ。今年は豊作だろうか。それは遠くに見える白い山頂へ向かっていく。

 一陣の風が頬を撫でる。目の前に生えているサラが一斉に流れた。緑色の葉の隙間から黄色い粒がちらりとこぼれている。あと二ヶ月もすればこの辺りは一面黄金色に染まるだろう。そうすれば、すぐに祭だ。

 聞き慣れた声が僕の名前を呼ぶ。

「イリャパ」

 声のした方を見ると幼なじみのワマンが手を振っていた。肩に弓を担いでいる。

「これから狩りに行くの?」

「ああ、今日は大物を捕まえてきてやるぞ」

「楽しみにしてるよ」

「任せておけ。で、お前はどこに行くんだ?」

「お爺のところ。母さんの薬をもらいに行くんだ」

「お袋さん、大丈夫なのか?」

「ああ。ちょっと風邪をひいただけだ」

「そうか。それなら良いけど」

 ワマンの母親は流行り病でなくなった。だからだろうか。病気には敏感だ。

 遠くでワマンを呼ぶ声がする。そちらを見ると十人ぐらいの屈強な男たちが集まっていた。その中には彼の父親の姿もある。ワマンは焦った声で言った。

「あ、悪い。オレ、もう行かなくちゃ」

「うん。気を付けて」

 走っていく彼を見送り、僕は再び歩き始める。

 ワマン、随分と肌が焼けていた。筋肉もかなり付いてきたようだ。最近は毎日、日が暮れるまで獲物を追いかけているらしい。僕も家の仕事を手伝っているが、男として負けている気がする。

 祭が終われば、形式上は成人として見なされる。だが、僕は胸を張って自分のことを「大人だ」と言えるだろうか。子どもの頃に想像していた様な姿になれているとは、到底思えない。このままで良いのだろうか。思わずため息が出る。

 ダメだ、ダメだ。さっきから足元ばかり見ている。気を取り直して顔を上げると、子どもたちが輪っかになって集まっている。

 その中心にいるのは、クシだ。木の棒を持って、地面に何かを書いている。何だろう?彼の手元を覗き込む。

 描かれていたのは翼を広げた神の使いとされる鳥の姿だ。他にも蜘蛛や、ネコの絵もある。それらは今にも地面から抜け出して、どこかへ行ってしまいそうだ。クシは木の棒の動きを止める。

「できた」

 周りにいた子どもたちが歓声をあげる。

「すげぇ。クシ兄ちゃん、他にも描いてよ」

「私はお花を描いて欲しい」

「ボクはごちそう」

 子どもたちは各々、自分の希望を言う。僕はクシに声をかける。

「相変わらず上手いね」

 彼は顔を上げて、笑顔になる。

「イリャパ、どうした?」

「お爺に薬をもらいに来たんだ」

「そうなんだ。じゃあ、オレも行くよ」

 クシは立ち上がり、おしまいであることを告げる。子どもたちは散り散りになった。僕たちは歩き始める。

「相変わらずの人気だね」

「子どもにだけだよ」

「そんなことない。僕もクシの絵は好きだ。さっき描いていたのだって、今にも動き出しそうだったじゃないか」

「ありがとう。そう言ってくれるのは、イリャパとワマンだけだ。大人たちは子守の役に立つからうるさく言わないけど、都の役人が来たら何を言われるか」

 クシはため息をつく。この国の掟では庶民が絵を描いたり、美しい織物を織ったりすることは禁止されている。都から来た役人に見とがめられたら処罰されるだろう。今なら成人していない子どもの戯れ事として許されるが、祭で成人の儀式が行われた後はそうもいかない。

「正直、俺は二人が羨ましいよ。ワマンは体力がある」

「僕には何もないよ」

「イリャパは頭が良いじゃないか。俺がお前の半分くらいでも賢かったら、お爺の仕事を手伝えるのに」

 クシは本来であれば唯一の肉親であるお爺の後を継ぎたいのだろう。だが、それは叶わないらしい。とはいえ、彼はみんなが思いつかないようなことを考えられる。記憶と計算が得意なくらいの僕からすれば、クシの方が頭が良い気がする。

「けど、オレにあるのは絵を描くことだけだ。せっかくだったら、もっと役に立つ才能が欲しかった」

「こんな田舎じゃなければ、絵を描くことが仕事になるところもあるんじゃないか」

「そんな夢みたいな場所があれば、是非とも行ってみたい。死んだ後の世界ならば貴族もいないだろうから、可能性がありそうだな」

 クシは声をあげて笑う。冗談だとは思うが、それを打ち消す言葉を探す。

「世界は広いんだ。この世でも、何処かにそんな土地もあるだろう」

「どうかな。けど、前にお爺から海の向こうには白い人が住んでいるって話を聞いたことがある。そこだったら、もしかしたら――」

 クシは腕を組んでぶつぶつ言い始めた。僕もその話は聞いたことがある。しかし、どうやって海を渡るのだろうか。高い山の上から見ても、果てが見えないのに。生まれてからこの村を一歩も出たことがない僕には想像もつかない。

 隣を歩いていたクシが立ち止まる。お爺がいる小屋の前だ。彼は声をかける。

「お爺、イリャパだ」

 中から小さな声が聞こえる。

「ああ、お入り」

 声に従い、僕は中に入った。部屋は小さな窓しかないので薄暗い。変わった香りが充満している。それを嗅ぐと何故だか気分が落ち着く。部屋の中にはよくわからない動物の骨や鳥の羽、花や草が雑然と置かれている。たき火にかけられた鍋にはよくわからない液体が満たされており、ブクブクと音を立てていた。

 お爺は奥に座って、手元の籠を眺めている。中には白と茶色の毛並みをしたクイがもぞもぞしていた。お爺は床に落ちていたであろうカボチャの種子を拾う。それを籠の中に落としてやると、クイは鳴き声をあげて飛び付き、食べ始めた。お爺はその姿を目を細めて眺めながら、言う。

「イリャパ、そこに座りなさい」

 僕は指示に従って、向かい合うように座った。お爺は僕が用件を言う前に口を開く。

「お母さんの薬をもらいに来たんじゃろう?」

「はい。でも、何でそれを?」

「ふふふ。耳をすませていれば、自然と必要なことはわかるんじゃ」

「すごい」

「なんてことはない。噂好きなご婦人方が聞いてもないのに教えてくれる」

 なんだ、そんなことだったのか。感心して損をした。けど、黙っていればわからないのに、わざわざ秘密を明かしてくれるのがお爺らしい。

 お爺は後ろに振り返り、がさごそと漁り、僕に匙と小さな壺を差し出した。

「この中に入っている粉を匙一杯分、朝と晩に一回ずつ飲ませなさい」

「ありがとうございます」

 僕が立ち上がろうとしたら、籠の中が騒がしくなる。クイは儀式で使われる動物だ。何かあるのだろうか。お爺は籠に耳を傾ける。

「こやつ、何かお主に伝えたいことがあるようじゃ」

 お爺はまるで話を聞いているかのようにあいづちを打つ。

「『荒野で遊べ。さすれば、世界は開かれん』と言っておる」

「どういう意味ですか」

「わからん」

 何だ、そりゃ。親友の家族でなかったら、抗議のひとつでもしているところだ。そんな僕を無視するようにお爺は言葉を続ける。

「だが、その時が来れば自ずとわかる。クイの言葉とはそういうものじゃ」

 お爺は僕の目を真っ直ぐ見つめている。仮にも神の声が聞こえると言われているお爺の言うことだ。よくわからないが、僕はうなずく。

「わかりました。それでは、そろそろ失礼します」

 僕は礼を言って、立ち上がる。その時、お爺は僕の名前を呼んだ。

「イリャパ。これからも、クシを助けてやっておくれ」

「もちろんです。僕たちは親友ですから」

「ありがとう。あの子は良い友を持った」

 僕が小屋を出て、辺りを見回したがクシの姿はなかった。何か用事をしているのだろう。僕は家の方に向かって歩き始めた。

 今日は変なことを言われたな。あれは何だったのだろう。とはいえ、あんなに短い言葉では、さっぱり見当がつかない。それでもいろいろ考えていたら、向こうから幼なじみのティッカが歩いてくる。彼女はこちらに気が付くと声をかけてきた。

「イリャパ、どこに行っていたの?」

「お爺のところ。ティッカは?」

「さっきまでイリャパのお母さんのお手伝いをしてた。私、未来のお嫁さんとして良いところを見せられたと思う。クシは元気にしていた?」

「うん」

 ティッカは僕の言葉に嬉しそうに微笑む。その姿は彼女の名前である花のように美しい。

 祭が終わると僕たちは結婚することになっている。お互いの親同士が決めたことだ。正直、子どもの頃からずっと一緒に過ごしているので、あまり実感が湧かない。彼女は本心ではどう思っているのだろう。僕はティッカに尋ねた。

「ティッカはさ、親が勝手に決めた相手と結婚するのは嫌じゃないの?」

「あら、イリャパ。あなたは私と結婚するのが嫌なの」

 ティッカは首を傾げて、僕の顔を覗き込む。

「僕は嬉しいよ。けど、そっちはどうなのかなと思って」

「ん、考えたことがない。だって、それが普通じゃない?母さんも姉さんたちもそうだから」

「でも、ティッカは泉の乙女の話は好きだろ」

 彼女は女友だちと泉の精霊と恋に落ちた娘の話を楽しそうにしていた。

「あれはお話だもの。それにあのお話、最後は女の子が死んじゃうじゃない。私、死ぬのは嫌。絶対に生きて幸せになりたいもの」

「そっか」

「それに私、お父さんを信じているの。だって、姉さんたちはみんな結婚して、幸せそうだから。人を見る目はあると思う」

 これは喜んで良いのだろうか。考えていると彼女は言葉を続けた。

「もちろん私も良いお嫁さんになれるようにがんばる。二人で助けあいましょ」

「そうだね」

 僕はティッカと別れて、家に帰った。母さんに薬を渡して用事をしていたらすぐに夕食の時間になってしまった。食卓へ行くと母さんが食事の準備をしている。

「母さん、身体は大丈夫なの?」

「ええ、お爺の薬のお陰ですっかり。それにティッカちゃんが手伝ってくれたから、ゆっくりできたわ」

 座っている父さんもうなずく。

「うむ、彼女が作ったこの料理も美味い。イリャパは良い嫁をもらえるな。お前もがんばらなくてはいけない」

「はーい」

「何だ、その気のない返事は。お前もすぐに大人になるんだぞ」

「けど、全然実感が湧かないんだ」

 確かに背は伸び、身体も変化した。しかし、内面は同じままだ。子どもの頃に想像していた大人とは全然違う。自分では納得していないのに、重荷だけを担がされようとしているような気がする。だが、父さんはため息をついた。

「そんな自覚のないことでは困る。付き合っている友だちが悪いのか」

 心の奥底を潰すような感覚が襲ってきた。僕は声を抑えて、尋ねる。

「誰のこと?」

「身分が違う相手とは友だちにはなれないのだ。こんなことなら、都の学校に行かせた方が良かったのかもしれん」

 僕の質問には答えずに父さんがつぶやく。顔は赤くなっているので既にチチャを飲んでいるのだろう。

「大体、絵を描くなんて子どもが遊びでやることだ。大人になろうというのに、未だにそんなことしかできないというのはな」

 誰を指しているのかは明らかだ。しかし、この状態で言っても通じないだろう。黙ったまま飲み込んだスープは何の味もしなかった。


 翌朝、母さんからお爺が死んだことを聞かされた。会った時にそんな雰囲気が一切なかったのに。信じられなかった僕が確認のために家へ行くとクシが涙を浮かべてその側に座っていた。目を閉じている姿はただ眠っているように見えたが、その身体は冷たかった。

 お爺の葬儀にはこの辺り一帯に住んでいる人はほとんど来ていたのではないだろうか。当然、クシ一人では対処しきれなかったので多くの人が協力した。そうして、バタバタと葬儀が終わった日の晩に僕とワマンはクシの家に泊まった。

 外では獣の遠吠えがする。部屋の明かりは既に消してしまったが、ここから距離はありそうなので大丈夫だろう。家の窓から見える空には満月が浮かんでいる。その光が差し込み、一応うっすら辺りの様子はわかる。真ん中に寝ているクシが大きなため息をついた。

「やっと終わった」

「お疲れ」

 僕は彼を労う。

「ああ。けど、オレ一人じゃできなかったよ。みんなが協力してくれて助かった」

「それだけお爺が慕われていたってことだね」

「まあな。あんなに大きな葬儀ができたのは、イリャパのお父さんのお陰だけど。お爺、財産と呼べるようなものは、ほとんど持っていなかったから」

 父さんがそんなことをしていたなんて知らなかった。まあ、お爺はこの辺りでは唯一、神の声が聞こえる存在だ。葬儀の援助をすることで、自分の権威を示したいのだろう。

 クシは手を上に目一杯伸ばす。

「まあ、お爺をみんなに送ってもらえて良かったよ。儀式に使っていたクイも一緒に埋葬してやったから、当分は寂しくないだろう」

 僕は彼に尋ねる。

「クシは平気なの?」

「うん。けど、それはお爺が旅立った後のことをオレが小さい時から話してくれていたからかも。身体は動かなくなっても、ずっと一緒にいてくれるって」

 クシの両親は彼が物心つく前には、この世界から既に旅立っていた。お爺はクシがひとり残された後のことを考えて、準備をしていたのだろう。

 部屋の反対側からワマンの声がする。

「ああ。きっと今もその辺りにいて、お前のことを見ているよ。にしても、俺たちが大人になるなんて信じられないよな」

「けど、二人は将来が決まっているんじゃないか。ワマンは狩人、イリャパは親父さんの後を継ぐための修行だろ」

 クシの言葉にワマンが答える。

「いや、俺は狩人にはならない」

「えっ?じゃあ、どうするんだ?」

「都に行って、兵士になる」

「何故?」

「うちはまだチビたちが多いだろう。あいつらを養うにはもっと実入りの良い仕事の方が良い。だから、俺は祭が終わったら都へ行くつもりだ」

「そうか。実はオレもここを出て行こうと思っていて」

「どうして」

 幼なじみの二人がいなくなるだなんて。ずっと一緒に育ってきて、これからも側にいるものだとばかり思っていた。頭が真っ白になってしまった僕にクシは言った。

「ここにはオレができることがないから。もうお爺もいない。だったら、自分の可能性に挑戦してみようと思ったんだ」

「可能性?」

「絵を仕事にできれば、って思っている。イリャパも前に言っていただろ。世界の何処かにはそんな土地もあるかもしれないって」

 確かに言った。たとえ本心からではなくとも、僕の口から出た言葉だ。今さらなかったことにはできない。ワマンがクシに尋ねる。

「何処か、当てはあるのか?」

「ない。だから、まずは都に行こうと思っている。やっぱり情報収集は人が多いところの方が良いだろ」

「確かに都なら他の土地から来た人もいるだろうからな。じゃあ、そこまでは俺が護衛してやろう」

「それは助かる」

「じゃあ、僕も行くよ」

 盛り上がっている二人から仲間外れにされたような気になって、思わず口走ってしまった。クシは僕の方を向く。

「みんなで行けたら、オレも心強い。けど、イリャパにはティッカがいるじゃないか。お前に何かあったら、彼女に申し訳ない」

「でも、僕だけが――」

 我ながら子どもっぽいことを言おうとしてしまった。どう言葉を続けようか悩んでいるとクシが僕に微笑みかける。

「イリャパがここにいてくれたら、俺たちは帰って来ることができる。お爺が言っていたんだ。人は大切な相手がいるところに必ず戻って来られるって」

 ワマンもクシの言葉に続けて言った。

「俺もイリャパがここにいてくれると助かる。都に行っても、チビたちの様子をたまには知りたい。けど、親父は狩りでずっと家にいないこともあるから」

「わかった。僕は二人が何時でも帰って来られるようにしておくよ」

「助かる」

 二人にここまで言われてしまっては、従わない訳にはいかない。僕は自分の役目を果たそう。

 天井を見ていたクシがつぶやく。

「ところで、オレ。ここを出ていく前にひとつ、やっておきたいことがあるんだ」

「何?」

 僕の問いにクシは続ける。

「ここの西に荒野があるだろう」

 西の荒野は木が一本も生えていないような場所だ。あんなところに何の用があると言うのだろう。彼の意図はわからないが、相づちを打つ。

「うん」

「あそこに大きな絵を描きたい」

 また突拍子もないことを言う。今日は驚かされてばかりだ。けど、二人がここから出ていくのだとしたら思い出に何か残すのは良いかもしれない。

「良いじゃん。やろうよ」

「あの辺りは厄介な獣がいるから、俺みたいな強い護衛も必要だろう」

「イリャパ、ワマン。ありがとう」

 クシの声は微かに震えている。ワマンが起き上がった。

「なんだよ、急にかしこまって。俺たちの仲だろ。で、何時から始める?」

「祭までには完成させたいんだよな。じゃあ、明日の朝に現地へ行ってみるか」

「わかった。それならさっさと寝ようぜ」

「だね」

 ワマンの言葉に答えて、僕は目をつぶった。意識はすぐに深く沈んでいく。


 外に出ると空気はひんやりとしていた。空にはまだ月や星が残っている。だが、山の端からは太陽の光が漏れだし始めてきた。ワマンがこちらに声を掛けてくる。

「そろそろ出発しよう。準備は良いか」

「うん」

 ワマンを先頭にして僕、クシの順番で歩き始める。荒野へ続く道沿いにある家はまだ暗いところが多い。だが、ぽつぽつと煙がのぼっている家もある。そのひとつから人が出てきた。ティッカだ。彼女は僕たちの方を見て、声を上げた。

「あら、こんな朝早くに三人揃って珍しい。どこへ行くの?」

 これからすることを知られて、余計な首を突っ込まれたくはない。僕は彼女の目を見ずに答える。

「別に良いだろ、どこだって」

「何よ、それ。教えてくれたって良いじゃない」

「僕たち、男だけの用事なんだ」

「そう? そう言う時に限ってどうしようもないことだけど。あれは十歳になったばかりの頃だったかしら――」

 また僕たちの失敗話を持ち出すつもりらしい。僕はティッカの話を遮る。

「もう良いだろ。僕たち、急いでいるんだ」

「あっ、ちょっと待って」

 彼女は僕たちの方に近づいて来ると持っていた籠から蒸かしたパパを取り出した。

「これでも持っていって。どうせ朝ごはんもまだでしょ」

「うん、ありがとう」

「精々がんばりなさい」

 僕たちはティッカからパパを二つずつ受け取り、再び荒野へ向かって歩き始める。手を振っている彼女が見えなくなると、早速朝食代わりにひとつ食べた。ほくほくしていて、うま味がする。もしかして、塩が使ってあるのだろうか。歩きながら、クシがつぶやく。

「これ、美味いな。ティッカは本当に良い子だよ。彼女を嫁にもらえるイリャパが羨ましい」

「親が勝手に決めただけさ」

「ふぅん。ティッカのこと、好きじゃないのか。もったいない。オレだったら、毎日幸せに過ごせるだろうな。まあ、身分が違うオレに可能性はないけど」

 僕の胸にモヤモヤした何かを感じる。もし、身分なんてものがなかったらティッカが選ぶのは僕ではなく、クシなんじゃないだろうか。そんなことを考えても仕方ないのに、ついそんなことばかり考えてしまう。

 空から月が見えなくなった頃、僕たちは荒野に着いた。ワマンがクシに尋ねる。

「とりあえず着いたけど、どうやって大きな絵を書くんだ?」

「まず元になる絵を描く。次に中心を決めて杭を打つ。そこから紐を使って――」

 クシが詳しいやり方を説明してくれた。僕は彼の言葉にうなずく。

「なるほど、それなら描けそうだ。よくそんなことを思い付いたね」

「オレ、天才だから。なんて、お爺のところに来たお客さんから教えてもらったんだ」

「へぇ、どんな人だったの?」

「ちょっとこの辺りじゃ見ない人だったな。随分と遠くから来たみたいだったけど」

「ふぅん。そんなことを知っているってことは、その人が住むところは絵を描くのが盛んなのかもね」

「そうだな。よし。この絵を完成させたら、その人を手掛かりに旅をしてみるか」

 鼻歌を歌っているクシにワマンが聞いた。

「で、何の絵を描くのか決めているのか」

「もちろん。あれだ」

 クシが指を指した先には青空を悠々と飛ぶ神の使いと呼ばれる鳥の姿があった。

「良いな。ご利益もありそうだ」

「僕も良いと思う」

「よし、決まりだ。まずは元になる絵をオレが描く」

「じゃあ、僕はそれを大きくするための計算をするよ。ワマンはそれに従って、杭を打っていって」

「力仕事は任せろ」

「よし、やるぞ」

 僕たち三人はお互いの腕をあげ、拳を合わせる。それから毎日、僕たちは太陽が上がり始める頃に荒野へ出掛けて絵を描いた。父さんは毎朝出掛ける僕に文句を言っていたが、ちょっとずつ絵が形になっていくのが楽しくて全然気にならなかった。そして、祭の当日になった。

 ワマンが力を込めて線を描く。それが既に描かれたものと繋がった。その瞬間、僕の口から声が漏れる。

「やった」

 隣にいたクシも手を空に向かって広げる。

「これで完成だ」

 僕たちはお互いに声をあげながら、抱き締めあった。ひとしきり叫び終わった頃にクシが言った。

「二人ともありがとう。お前らがいなかったら、完成できなかった」

 彼の声は震えている。僕は彼に返した。

「クシがいなかったらこんなこと、しようとも思わなかったよ。僕こそ感謝したいくらいだ」

 ワマンも僕の言葉にうなずく。

「一時はどうなることかと思ったけど、間に合って良かった。俺たちの友情と旅立ちにピッタリだな」

 クシの僕たちを抱き締める力が強くなる。

「大人たちからしたら、つまらないものに見えるかもしれない。が、オレにとっては宝物だよ」

 僕の腕にも自然と力がこもる。

「だね。祭の儀式はまだだけど、これを完成させたことで大人になれた気がする」

「そうだな。俺たち、明日からは各々の道を進むことになるけど、きっと上手くいくさ」

 ワマンの言葉に僕たちはお互い顔を見てうなずく。その時、彼のお腹が鳴った。ワマンの顔が真っ赤になる。

「すまん」

「いや、オレも腹がペコペコだ。祭でたらふく食べて、楽しもうぜ」

「おう」

 僕たちは各々一度帰ることにした。二人と別れて家に向かって歩いていると、誰かが楽器を演奏している音がする。道を歩く人もいつもより多い。みんな笑顔で、この辺りでは見ない人いる。招待客だろうか。そのうちの一人と目があって、話し掛けてきた。

「君はこの辺りの子かい?」

「はい」

「ここは良いところだね」

 随分と酔っ払っているようだ。適当にあしらって帰ろう。そう思っていると男は言葉を続ける。

「ここに来る途中、地上に描かれた絵を見たよ。あれはこの辺りの風習かい?」

「それって鳥の絵ですか」

「ああ、たいしたものだ。才能を感じるよ」

「ですよね。僕の親友が描いたんです」

「そうか。じゃあ、よろしく伝えておいてくれ」

 こんなことを言ってくれる人がいるなんて。帰って、二人と合流したら早速教えなくちゃ。僕はその人にお礼を行って、家へ向かって思いっきり地面を蹴った。


 テレビに広い荒野が写されている。画面の脇から女性キャスターが現れた。彼女は画面に向かって話を始める。

「この土地で新しい絵が見つかりました。十点の絵はいくつかの世代に渡って描かれたもので、最古のものは神の使いとされる鳥を描いたものです。これらの絵が描かれた理由はわかっておらず、一説では宗教的な理由であったとも言われておりー」

 画面は切り替わり、上空からの映像になった。地表には神の使いとされた鳥が大きく羽を広げている姿が描かれている。

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荒野の翼 藤間 保典 @george-fujima

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