その③

 下半身が山羊とは言え、イチモツまでは山羊ではなかった桂馬は、今日一番の悲鳴をあげ、背中から倒れ込む…直前で踏みとどまった。

「ま、まて…、本当に待って、待ってください…、お嬢様」

「ああ?」

 その泣きそうな声に、ようやく耳を傾ける天音。

「あんた、誰よ。敵じゃないなら敵じゃないって、さっさと言いなさいよ」

「さっき言ったつもりなんだが…」

 桂馬の記憶が正しければ、彼は「オレは、(奴らの)仲間じゃない」「オレは悪い奴じゃない」と、二回もその宣言を行っていた。まあ、これ以上股間を蹴り上げられても敵わないので、その指摘は行わず、再び言った。

「オレは…、まあ、あんたの用心棒みたいなもんだよ」

 震える手で、自身の胸を指す。

「あんたの屋敷の芝を食べさせてもらう代わりに、あんたを助けるよう、あのメイドさんと約束したんだ」

 正確に言えば、まだ契約は交わしていない。

だが、彼の口から「メイド」という言葉が出たことで、天音はようやく男のことを信用した。

「なんだ、あんた、佐藤に雇われた用心棒だったのね。もー、早く言ってよ。無駄にビビったじゃない。余計に拍動した心臓分のカロリー払ってくれる?」

「言おうとしたんだが?」

 何なら、もう言っている。

 護衛対象の高飛車な態度に、終始苛立ちっぱなしだったが、そこはぐっと抑える桂馬。息を整えた後、辺りを見渡して安全確認をしてから、来た方を指した。

「とにかく、いったん、そのメイド…佐藤さんだっけ? のところに戻ろう。これからのことも話し合わんといけないからな」

「そうね。もどりましょう」

 それには天音も賛同した。

「あんたみたいなやつと一緒にいたら、私の心が持たないわ」

「言ってくれるね」

 殴りたくなる気持ちを抑え、元来た道を戻ろうとしたときだった。

「おーい! お嬢様あああああ!」

 道の向こうから、明美の声が聴こえた。

 見ると、山羊のオヤジが、明美を背に乗せてこちらへと走ってくるのがわかった。

「おっ! オヤジ…、佐藤さんを連れてきてくれたのか…意外に速いな」

 いや、桂馬と天音が「オレは怪しいものじゃない」「あんたは怪しいものだ」と押し問答をしていたのだから、妥当な時間か。

 突然の山羊の登場に、天音の目が輝く。

「あ…、山羊だ。ミディアムが一番美味しいのよね」

「マジでやめろよ?」

 と言っている間に、オヤジが桂馬の前に走り込み、止まった。

 オヤジから降りるや否や、明美は「お嬢様!」と叫び、天音に抱き着いた。天音もまた「佐藤!」と涙ぐんだ声をあげ、彼女の胸に顔を埋めた。

「お嬢様、よくぞご無事で!」

「佐藤のおかげで助かったよ…」

「おい! 助けたのはオレだぞ!」

 桂馬が苛立ちで頬をひくつかせていると、明美が思い出したように桂馬の方を振り返り、土下座をした。

「け、桂馬様でしたね! ありがとうございます! お嬢様を助けていただいて!」顔を上げる。「先ほど言われた通り、報酬は支払いますので…! ぜひ、これから堂々咲家に!」

 そう言われて、桂馬はオヤジと目を見合わせ「やったな!」「めえっ!」と言いあった。

「いやあ…、金持ちの家の芝を食うなんて、こんな美味い報酬は無いね」

 物理的に。

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