その②
【タクシーの中にて】
「あなた…、誰ですか?」
明美の質問に、運転手は答えなかった。
代わりに、扉のホルダーからハンドレッドナイフを取り出すと、明美の鼻先に突き付ける。
ギラリと光った刃に、天音が悲鳴をあげる。
「動くなよ。そのまま大人しくしてろ」
逸る心臓を抑えつつ、明美は冷静を装って聞いた。
「タクシー運転手では、ないようですね」
「そうだな」ナイフを向けたまま、男がにやりと笑う。「もともと、駅前で待っていた奴の車を奪ったんだ。久しぶりだから、上手く運転できなかったが…」
「そう…ですか」
車を奪われた運転手の安否は気になるものの、この状況を打破する方法を模索した。
隣では、天音が涙を必死にこらえていて、自分の腕にしがみ付いてくる。
どうする…? と自分に問いかけた。
そもそも、この男は何者なのか? 一瞬は、堂々咲邸を抜け出したことが屋敷の人間にばれて、連れ戻しに来られたのだと思ったが、こんな乱暴な運転をして、挙句ナイフを突きつけてくるなんて…、『連れ戻し』の範疇を超えている。
どうして、自分たちがあの駅に降り立つことがバレたのか…? それは後から考えるとして、おそらく、この男の目的は、お嬢様の誘拐。身代金を要求してしまえば、昭三は惜しむことなく出すだろうから。
「さ、佐藤…」
天音が今に涙をこぼしそうな顔で彼女を見る。
考え事にふけっていた明美はハッとして、天音を抱きしめた。
「大丈夫ですよ。大丈夫です。私が居ます」
私が何とかします。とは言わない。
天音を落ちつけた後、明美は運転手の男を見た。
「…出してください」
「はいよ」
明美に抵抗の意思が無いことを確かめた男は、満足げに笑い、車を発進させた。
その瞬間、明美は後部座席から男に襲い掛かり、その太い首に腕を回した。
「停まれ!」
抵抗する隙を与えないよう、一瞬して締め上げる。
気道を潰された運転手は、「ふぐっ!」と唸ると、慌ててハンドルを切り、車をガードレールに擦りつけながら停車した。
「お嬢様! すぐに車から降りて!」
「わ、わかった」
明美の剣幕に動かされ、天音がカギを開け、車から転がり出る。
「早く走って!」
「わ、わ、わわ、わかったよ」
慌てて走り始める。
天音が逃げたのを確認し、明美が気を抜いた瞬間…。
「このアマ!」
運転手が、持っていたナイフで、明美の腕を突き刺した。
白い腕に、焼けるような激痛が走り、思わず力を緩める。
「うっ!」
「要らねえ抵抗するんじゃねえって言っただろ!」
ナイフを抜いた拍子に、傷口から血が吹きだして、フロントガラスに散った。
激高した男は、身体ごと振り返ると、傷口を抑えて蹲る明美に向かってナイフを振り下ろした。しかし、狭い車内のため、腕がシートに引っ掛かり、その衝撃でナイフが後部座席側に落ちた。
「あ…」
咄嗟に、明美がナイフを蹴り、シート下に滑り込ませる。そして、一瞬の隙を突いて、車内の外に転がり出た。
「あ、待て!」
男はナイフを拾いあぐねて、車内であたふたとしていた。
明美は、血まみれの腕を突き、天音が逃げた方へと走り出そうとする。
その瞬間、天音が逃げた方から、悲鳴が聞こえた。
「きゃあああああああっ! 佐藤! 佐藤! 助けて!」
「お嬢様?」
身体が血の気が引くのを感じながら前方を見る。
路肩に黒い車が停まっていて、そこから降りてきた男が、天音の髪を掴んで地面に押し付けていたのだ。
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