その⑥

 見渡してみたが、駅舎の前の小さな駐車場には誰もいなかった。

「ふむ…」

 もう少し待ってみようか…と思った時、道路を左折して、一台のタクシーが駐車場に入ってきた。少々荒っぽい運転で方向を転換し、二人の前に停車する。そして、後部座席の扉がゆっくりと開いた。窓が降り、運転手の男が顔を出す。

「どうも。すみませんね、少し遅れたもんで」

「あ、ああ…、堂々咲の者です。今日はよろしくお願いします」

 運転手に律儀に礼をした明美は、恐る恐る隣の天音を見た。

 先ほどの荒っぽい運転を見て、天音は眉間に皺をよせ、運転手への不信感を募らせていた。今に、その結ばれた唇から「お前は解雇じゃああい」と旦那様を真似た言葉が飛び出すのではないかと怖くなった。

「さ、さあ、お嬢様、先にお乗りください」

 天音は黙ったまま頷くと、ぎこちない一歩を踏み出す。

 ああ、成程。単に人見知りが発動しているだけか。

 少し安心した明美は、天音が乗った後にタクシーに乗り込んだ。

 扉が閉められ、シートベルトを締めたタイミングで、タクシーは急発進した。

 慣性の法則に従い、シートに背中が沈む二人。

「それで、何処に行きますか?」

「あ、ええと、まずは花屋さんに行ってくれますか?」

 明美は反射的に答えたが、すぐに頭上に「?」が浮かんだ。

 花屋、雑貨屋を回り、それから病院に向かう…ということは、電話の時点ですでに伝えている。まあ、「念のための確認」というのもあるかもしれないが、この乱暴な運転を見た後では印象が変わった。

「花屋ですか。良いですねえ~。誰かのお祝いですか?」

「いえ、お見舞いです」

 隣の天音をちらりと見る。

「お嬢様のお母様が、威武火東病院に入院していまして…」

 あれ…? このやり取りも、タクシー予約の際の電話でも伝えている。この会社では、ホウレンソウがなっていないのか? と、また明美の運転手に対する印象が悪くなった。

「そうですかそうですか」

 運転手はぎこちなく笑いながらハンドルを切った。しっかり減速していなかったために、今度は二人の身体が右に傾く。

「天音お嬢さんも、さぞかし楽しみでしょうね…」

「え…」

 その言葉に、明美は違和感を覚えた。

「どうして、お嬢様の名前を知っているのですか?」

「え?」

 運転手がこちらを振り向く。

「いや、それは、なんでって…」

「前を見てください」

「あ、こりゃ失礼」

 運転手は相変わらずへらへらと笑っていた。

「それで、花屋と病院の他には、行きたいところはありますかい?」

 あ…、話を逸らした。

 ここで、明美の運転手に対する信頼はゼロとなった。

 しばらく進んでいると、花屋の看板が見えた。

 減速し、駐車場に入るのかと思いきや、タクシーはその前を通り過ぎる。

「あの…、さっき、花屋の看板ありましたけど?」

「ん?」

 振り返る。

「前を見てください」

「いや、ああ、すみません」

 またへらっと笑う。

「一言かけりゃよかったですね。あの店よりも良いところがあるんですよ」

「…そうですか」

 そうしてタクシーは、信号に差し掛かった。

 信号が黄色に切り替わる。

 その瞬間、タクシーはスピードを上げると、赤信号の光の下を通り抜けていった。

「…………」

「良い花屋が、この先にありましてね」

 何事もなかったかのように話を続ける運転手。

「いろいろな花が置いてますんで、きっと、お嬢様を気に入りますよ」

「停めてください」

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