その⑤
【電車内】
電車に乗り込んで三〇分。
もう少しで下車駅に着こうとするところで、明美は隣のお嬢様に聞いてみた。
「お嬢様、初めての電車はどうですか?」
だが、天音は答えなかった。決してメイドいびりなどではなく、彼女は窓に張り付き、右から左へと流れていく車窓の景色に夢中になっていたからだ。
トンネルに入った瞬間、窓に天音の顔が映り込んだのだが、その目はらんらんと輝いていた。それを見ただけで、明美は彼女を連れ出したことに有意義な意味を見つけた。
「喉は乾いていませんか?」
「え…」
そこでやっと天音が振り返る。そして、顔を赤らめつつ首を横に振った。
「いや、大丈夫」
「そうですか。何かあったら言ってくださいね」
車掌が「次は、○○駅~。○○駅~」と言う。
そろそろ降りなければならないので、明美は改めて今後のスケジュールを彼女に伝えた。
「駅に降りましたら、手配したタクシーに乗り込み、お母さまへのお見舞い品を買いに行きましょう。それから、威武火東病院に向かいます」
「ええ~、タクシー?」
タクシーに乗り込む。という言葉に、天音はあまり乗り気ではなさそうだった。別に、一キロあたり五〇〇円以上の賃金を支払うのを渋っているわけではない。
「タクシーってことは、知らない人が運転するってことでしょう?」
知らない者と同じ空間に居るのが心底嫌だったのだ。
「佐藤さ、私が人見知りってこと知っているでしょう?」
「お嬢様の高飛車な態度って、内弁慶だったのですね」
緊張と恥ずかしさから顔を赤らめる天音を愛おしく思いつつ、それでも、メイドとしての責任をもって、説得する。
「私は免許を持っていないので…。レンタカーも借りられません。歩いて行ける距離でもありませんし…、歩いたとしても、そんなご苦労をお嬢様に掛けるわけにはいきません」
「だったら、斎藤を呼びなさいよ! あいつ、よくリムジン運転してるじゃない!」
「斎藤さまは旦那様専属のボディーガードなので。ってか、連絡したらバレちゃいますよ?」
そう言われてやっと、天音は腑に落ちなさそうな顔をしながらも頷いた。
口をぷくっと膨らませ、そっぽを向く。
「そのタクシー運転手、使えなかったら解雇するからね」
「旦那様みたいなことを言うのは辞めてください」
明美はため息をつきつつ、天音が納得するように言った。
「たかが運転ですからね、大事にはなりませんよ」
そんなことを話している内に、電車は目的の駅に到着した。
電車を降り、別の電車に乗ろうとする天音の首根っこを掴み、改札を出て、何やら怪しい宗教勧誘のおばさんに話しかけようとする天音を羽交い絞めにして、汗だくになりながらも駅舎を出た。
「予定通りなら、私が手配したタクシーが到着しているはずなのですが…」
見渡してみたが、駅舎の前の小さな駐車場には誰もいなかった。
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