その④

【斎藤】

「…ふむ」

 昭三の命を受けた斎藤は、ネクタイを整えながら階段を降りていた。

 一階まで降りると、裏口を使って庭に出る。

 昭三の手入れが行き届いた花々の間を抜けて、別に建てられた従者用のガレージに入り、そこに停車してあったリムジンに乗り込んだ。

 エンジンを掛ける前に、スーツのポケットに入れていた携帯を取り出し、何処かに電話を掛ける。

「ああ、もしもし? 私だ。斎藤だ」

 そう言いながら、ずれたサングラスの位置を直す。

「お嬢様が、屋敷を抜け出したらしい」

 電話の向こうでは、女性らしき声が聴こえていた。

「おそらく、威武火東病院に向かうはずだ。ああ…。おそらく、○○駅までは電車で向かうはずだから、とりあえず、部下に回り込ませる。もしダメだった場合は…」

 サングラスの奥…、斎藤の目が光る。

「お前なら、お嬢様の居場所が特定できるはずだ。助力、頼むぞ?」

 電話の向こうの人物が返事をしたタイミングで、斎藤はリムジンのエンジンをかけた。

「私が追い付くまでに、お嬢様を捕まえろ」

 ガレージから、黒塗りのリムジンが静かに出る。

「最悪、血を見ることになるからな…」

 明美と天音の脱出をみすみす見逃した門番の横を通り過ぎ、リムジンは道路に出た。

 門番の「いってらしゃいませー」という声を置き去りにして、一気に加速する。

「…禁止されたことをやりたくなってしまうことを『カリギュラ効果』…というらしいが、そんなもので、この行為が許されると思うなよ? 私たちは人間なんだ。知能のある人間だ。その制御ができないでどうする…」

 主君の昭三の前では従順だった斎藤だったが、その声は怒りに震えていた。

「そもそもそ、あの門番が、佐藤のキャリーバッグの中身を確認していれば、こんなことにはならなかったんだ。疑うことを知っているのが、人間の特権だろうに…」

 そう苛ついた口調でつぶやいた彼は、落ち着くために煙草に火を付けた。

 だが、ニコチンごときでは彼の苛立ちは収まることはない。

「くそ…」

 窓の外に煙草を放り捨てた斎藤は、ハンドル片手に、スーツの内ポケットに手を入れた。

 取り出したのは、皮が黒くなりかけた一本のバナナ。

エクアドル産のそのバナナの皮を、口で器用に剥き、一気に食べる。

「うむ…」自然由来の糖分が脳に染みこむ感覚に、斎藤は満足げに笑った。「やはり、苛ついているときにはバナナに限るな」

 落ち着いた斎藤は、フロントガラスを向き直り、冷静に言った。

「まあいい。相手は、自分の欲望も抑制できない馬鹿なお嬢様と、主従関係に屈した無能な従者。簡単に終わるだろうよ」

 唇についたバナナの欠片をぺろりと舐め、斎藤はアクセルを踏む。

「血が流れるかどうか…見ものだな」


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